CALENDAR
S M T W T F S
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  
<<  2021 - 12  >>
CATEGORIES
ARCHIVES
PROFILE
    k1
OTHERS




弾正舘  上大越 田村四十八舘




弾正舘  上大越 田村四十八舘

三春田村氏四天王の一人大越城主大越紀伊守の臣、荻野弾正の居舘

田村市大越町大字上大越字町中の北方にありました。



三春城下真照寺参道 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍


| ryuichi | 04:25 | comments (x) | trackback (x) | 田村四十八舘1 |
KFB福島放送#シェア 第二回目の三春担当回でした。








KFB福島放送#シェア 第二回目の三春担当回でした。

見ていただきましたか?


真照寺紅葉ライトアップと馬場の湯若松屋の紹介でした💕







孫みたいな豪栄道君も、自然な演技?で名を和ませてくれています!








池が鏡みた稲井家に移りこんだ紅葉をお届けすることが出来ましたでしょうか?







そして、城下飲食店のご案内は馬場の湯の若松屋さんです。


タイミングよく滋賀から来た友人と食事をする機会がありましたので、一緒に出演してもらいました。







さてされ次回はどこにしますか・・・・紹介したいポイントが多すぎて迷ってしまいます!




三春城下真照寺参道 御菓子三春昭進堂菓匠蒼龍

| ryuichi | 15:33 | comments (x) | trackback (x) | 菓匠蒼龍 焦心録::メディアで紹介されました |
「明王さまの仁王像二尊」田村大元神社仁王門 KFBの新番組シェアでご紹介!







「明王さまの仁王像二尊」田村大元神社仁王門

KFBの新番組シェアの中、県民リポーターで三春町を担当する三春昭進堂の髙橋龍一です。
どうぞよろしくお願いいたします。








今日私がお届けする三春まちの自慢は、旧三春藩領内総鎮守の田村大元神社です。
この神社は、私の営む三春昭進堂のある三春城下新町に鎮座する旧三春藩領内総鎮守の明治維新前は、「大元帥明王社」称する神仏習合の鎮守でした。
創建は、約500年前の戦国時代、戦国武将の田村義顕公が防御を固めるために、三春城を築城し、三春入城に伴い三春田村氏領内総鎮守として郡山市田村町守山より三春舞鶴城内の”三の丸”であるこの地に移されました。

以来、三春五万石の領民の崇敬を受けてきました。
今でも城下では「明王さま」(訛ってミオさま)と呼んで親しまれています。






伊達政宗も来たことがある・・・

この大元帥明王社(泰平寺・学頭坊)には、田村家の三代の田村清顕公の娘「愛姫」を正室とする伊達政宗三春滞在の際の宿泊所としていました。
その際には、田村家中および近隣の豪族の殆どが御目通りを願いに訪れたと記録されています。

また、伊達政宗が宴席を設け、伊達成実や片倉小十郎などの伊達の重臣一同、そして、義理の父である田村家当主清顕公以下、齢100歳にもなるだろう田村の軍師田村月斎、橋本刑部などの三春の重臣達が一堂に会して配を酌み交わし、宴席共にしがら戦種祈願や、伊達・田村ご両家の安泰を願ったとされています。
歴史のロマンを感じませんか?

祭礼や初詣などで、みお様を訪れ拝殿に上がるたびに、伊達政宗や歴代のお殿様が見た光景が広がっているのかなあと、殿様気分を味わっています。

コロナが収まれば、夏の祭礼の際には参詣の方にはお屠蘇を差し上げていますので、拝殿に上がり景色を眺めてはいかがですか?もちろん車の運転の方はだめですよ!






その夏祭りですが、
旧暦の6月15日に夏まつりがありました。江戸時代の祭礼は、城下新町の真照寺住職の別当職・監督指揮ですね、それにより、三春藩明王奉行の下で三日三晩行われていました。  
その際は近隣より大勢の祭り見物のお客さんが三春城下を訪れ、その監視と整理のために櫓を立て役人が寝ずの番をしたと言いますから、大変な賑わいだったと思います。       

今は、田村大元神社として新町字民に引き継がれ、真夏となる7月の「海の日」、丸一日かけ田母野宮司以下・神職、神社総代・新町の若者で構成される別火講中によって二泊三日で祭礼を挙行し、祭典一式、御神輿町内渡御、長獅子舞を奉納しています。
そして、三匹獅子の奉納や、神社の旗持ち、神楽楽人の楽器持ちの子供たちも一緒に参加しています。
これが夕刻となり、神様の神社へのお帰「還御(カンギョ)」の頃になれば、上は80代から下は小学生まで老若問わず妙な連帯感と親密度が深まっていて、祭礼以外の日常でも挨拶するようになります。

自分の家族でもない、お爺ちゃん、親でもない大人、まして兄妹でもない。
町内に住む氏子というだけの関係です。
世代も、住む環境もまったく違う、様々な人々と仲良くなるという不思議な人間関係が、気が付いたら出来上がっています。

人の成長には、親の庇護を離れ”世間の荒波”と云えば大袈裟ですが、綺麗なものや汚いもの、時には危険なことなどに触れ、そこで感じたものが、子供たちの今後の人生に、どれだけ役に立つか計り知れませんよね。






そしてもう一つ、紹介したいのはこの金剛力士像、通称「仁王さま」です。
神社に金剛力士像?仁王様?
先ほど説明した通り、この神社は仏教色が濃かったので仏教の守護神として仁王像を安置していました。

現在の田村大元神社及び随身門(ずいしんもん)は、明治の前年となる慶応三年に建築され、この仁王像もこの時製作されこの門に安置されました。
後に明治維新後の神仏分離、廃仏毀釈の影響により、明治二年に本殿、拝殿ともに取り壊されますが、仁王門は竣工間もない新築なので、そのまま「随身門」として残され、「仁王様」の二尊は、神社にはふさわしくないということで、旧三春藩主祈願所真照寺の軒下に仮安置され、以来約80年の間“真照寺の仁王さま”として親しまれてきました。
しかし、昭和43年になって、町内氏子による「仁王様の神社へ帰還」という熱望により、現在の姿になっています。

仁王様の下絵は、三春藩士で絵師の中村寛亭が描き、三春の彫刻士伊藤光運の彫刻です。


この仁王さまも、時代の流れの中で かつては鮮やかであったであろう色彩も消え、半ば朽ちた木造の巨大な仏像でありましたが、平成11年に、町内有志の寄進があり、仁王像二尊の修復がなされ往年の姿に戻っています。

この時の修復を手掛けた仏師の方から「この仁王様の姿は全国的に見ても珍しいお姿です。仁王像と云えば東大寺の金剛力士像・仁王様に象徴されるような“筋肉隆々、胸を反らして威を張るような姿”をしていますが、こので仁王様はお相撲さんのように全体的にふくよかで、少し前かがみの姿勢は、どこか愛くるしいお姿をされています。まるで、参道石段を上がってきた参詣の方々に何か優しく諭しているようにも見えます。

 これは、先の殿様である三春秋田氏がもともとの本拠地が青森津軽・十三湊など、北の日本海沿岸部となれば、「佞武多祭り」「ねぶた祭り」そして「なまはげ」を連想させるものでもあります。」とお話されていました。



私たち三春城下の者は、見慣れたお姿ですので、気にもしませんでしたが、言われてみればねぶた祭の武者姿を連想します。

また「子供の頃、悪いことをした時などミオ様に叱ってもらうよ!」と親から叱られたことを思い出します。






そして、この仁王様でもう一つ、口元を見てください、左側の仁王様は「阿(あ)」と口を開き、右側は口を「吽(うん)」と閉じています。

阿吽呼吸の阿吽です。
この「阿」「吽」とは、本来人は、生まれたときに“あ”と口を開いて生まれ、この世を去るときには“うん”と納得・満足して旅立つとされています。
これは生きるということは全て修行であり、今を一生懸命生きなさいという“命の大切さ”を説いていると眞照寺の和尚さんに習ったことがあります。
  
随身(ずいじん)門正面の欄間には、やはり阿吽の二尊の龍が勇ましい姿で彫られています。自分の名前に龍の文字がついているものですから、幼き頃よりこの龍たちには特に親しみがあります。


また、門の彫刻には
・聖人が出現する前兆の「麒麟」
・百獣の王と言われ、魔除けや護獣を意味する「唐獅子」。
・「法華経」の功徳を示した「海人(あま)」
・三国志にも登場する漢の国の名軍師「張良」の彫刻があります。

人の生き方を学べる見どころ満載の田村大元神社の門となっています。

皆さんもぜひ三春にお越しの際にはお詣りいただければ幸いです。


以上、三春城下田村大元神社からお届けしました。




三春城下真照寺参道 御菓子三春昭進堂菓匠蒼龍



| ryuichi | 15:30 | comments (x) | trackback (x) | 菓匠蒼龍 焦心録::メディアで紹介されました |
12月の「ちょっくら市」は『遊の丘』で12/16〜18の3日間開催します。




日増しに寒さが身にしみるようになりましたが、皆様お変わりありませんか。

12月の「ちょっくら市」は『遊の丘』で12/16〜18の3日間開催します。


遊の丘


福島県郡山市西田町三町目大明116‐10

☏024-971-3687 (lunchの予約は前日まで)


出展者

⚘  安里窯

⚘ ANGEL LADDER

⚘ 個個色 kokoiro 革鞄

⚘  Chigusa

⚘  2v 🌙つぶ つむらやしのぶ
       16・17日出展

⚘  nounours bear

⚘ 濱津農場✕Lapin 17日出展

⚘ mucaca

⚘  百香

⚘  わたなべあずさ


寒さがより強くなると思いますが、丘の上のcafeでほっこりしながらお気に入りの作品を見つけて下さい。

皆様のお越しをお待ちしております。

| ryuichi | 04:07 | comments (x) | trackback (x) | 三春ちょっくら市 |
本日、火曜日は定休日となっています。





本日、火曜日は定休日となっています。


またのご来店をお待ちしています。






店内に三春人形を配し好評を博しています。


ご来店の際にごゆっくりご鑑賞してみて下さいませ。


やはり三春人形は三春城下に在ってその輝きを増すものですね!






三春城下真照寺参道 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍

| ryuichi | 05:11 | comments (x) | trackback (x) | 春陽郷三春 日暮硯 |
少女歌劇団「スターダム」郡山大会2021、女子プロレスです💕




少女歌劇団「スターダム」郡山大会2021、女子プロレスです💕

初女子プロレスへ臨場しました。







新日本ポプロレス傘下となった「スターダム」です。








友人がプロモーターをしていますので、お付き合いでの観戦ですよ💖


レスラーのご要望で、特注でいちご大福と柿大福「仄々」を差し入れしてみました。







イヤー、それにしても、おじさんは目のやり場に困る位照れながらの観戦です。



そして、予算もないということで選手全員がスタッフ掛け持ちです。



試合の合間にセコンドに付いたり、リングの清掃消毒、試合に出る選手の身の回りの世話・・・・自分の試合が終わるとその逆作業!


当日入りで、リング設営はもちろんですし、試合終了後はリング及び客席など撤収作業で今夜のうちに東京へ帰還です。


我が子に娘が居たら同じくらいだなぁ~と思いながら見てしまいます・・・と胸が熱くなります。







ポスターを配ったり、試合会場へ臨場などの応援しかできませんが・・・

若い人達が一生懸命に、もしくは全てを掛けて何かに没頭してるのを見るのは応援したくなりますよ。見てる自分も気持ちが入ります。

頑張って「夢」をつかんでください!





三春城下真照寺参道 御菓子三春昭進堂菓匠蒼龍



| ryuichi | 04:43 | comments (x) | trackback (x) | 春陽郷三春 日暮硯 |
鷹巣の鎮守様の歴史について



鷹巣の鎮守様の歴史について

部落の鎮守「八雲神社」の右側、本殿の社の横の所より、山道を上り裏の小高い所に、先祖の方々が鎮守様として奉っていた社があります。

今も石の宮様とお呼びして、大勢の人がお参りをしております。

十坪ほどの広さの所に、間ロ二尺 奥行き四尺の総石造りのお宮が二社並びて祀られ、さらに周りに十三体の小さな祠が奉られています。






石のお宮に、奉られている神様は、

鷹巣神社、祭神 国之常立命『クニノトコタチノミコト」

五龍神社 祭神 大綿積見命『オオーワダッミノミコト」

神の名祥が板札に記されており、日本の神々の辞典に書き記すところによれば、「大綿積見命」とは、伊邪那岐神、伊邪那美神二神の御子で、家宅の守護神であり又農の神であると記されております。

「国之常立命』とは、神の名の国とは天に対する地の意味で、浮脂の如く漂よう水のに固まった所が十地となり、国土となり、その国をお守りする神であり、神世七代の第一代の神と記されています。

部落でこの神様を勧請建立し奉り始めた年代は、弘仁十年と記されて、『嵯峨天皇の時代」その後社を改築、石のお宮の裏の壁には文政五年九月吉日建立村惣氏子と刻まれ読むことが出来ます。





鷹巣村 総鎮守「大元帥明王」 明治維新により鷹巣神社と改称

祭神 国常立命 (旧 大元帥明王)

由来
當社勧請之儀者 弘任十己亥年二月二十五日
磐城守山より奉還、同藩管内山中村神主柳沼市太夫神勤仕、己亥歳毎に営来
是即ち、一天泰平国家平穏之神事に御座候

その後、文明十七巳年、藩記山中村神主柳沼玄蕃、神人柳沼山ノ守、同民部代則、祭の折に鷹巣村近郷より寄付方控左書綴奉するとの記しあり。


今般(明治三年頃)
王政御一新に付き、柳沼安芸方を明治二年に譲って以来、田村大和、そして、鷹巣村鷹林和泉の両神主を神勤仕して鷹巣神社頭往右勤請


明治三年 庚牛 鷹巣村 神主 田村大和 (威徳院賢晃改名、さらに大和を経て清見と再度改める)田村清見氏は鷹巣小学校初代校長

※明治新政府が神仏分離令を副布告した際の答弁書とおもわれます。


然る處に、嘉元乙己年 再造立之遷宮式








十三体の小さな祠 詳細

・三渡神社 天牟良雲命 琴平様
・熊野神社 伊邪那岐命 伊邪那美命 鎮護社地
・天 神社 天穂日之命 鎮護所
・愛宕神社 火産霊命  鎮護所
・山神神社 大山津見命 鎮護所
・地 神社 埴山毘賣命 鎮護所
・荒 神社 久延比呂神 鎮護所
・地 神社 埴山毘売命 鎮護所
・戸隠之神社 磐戸別命 鎮護所
・神明社  撞賢木厳之御魂天疎向津媛命 北之内
・稲荷神社 宇迦之御魂命 鎮護所
・熊野神社 伊邪那岐命 伊邪那美命 鎮護所
 威徳院賢晃 傳錦汝  右之通御座候也  明治三年 鷹巣村神主 田村大和(威徳院賢晃改名)








時代が明治となり、明治四年、政府は「神仏判然の令』を下し、神道国家の教化の政策を進めて、国中の神々の社格の律令制を確立し、官幣社、国幣社、府県社、郷社、村社、無格社等のよっての定めにより、部落の鎮守神としての、格付の申し渡しが有ったと記されています。

右の様な世代の流れの中で、鷹巣地区の石のお宮の鎮守様が、国の定めによる村社としては認められず、その筋より、鷹巣地区では、沼沢部落の鎮守様「春日神社」を沼沢と一緒に奉るように、との申し渡しがあったと記録に記されています。

この様な神社の移り変わりのなかで、鷹巣の部落では、部落単独の鎮守の建立の会議を重ね、字瀬山にお奉りされていた「牛頭天王様』を部落の鎮守と定め、泉田地区に社を建立し、明治九年牛頭天王を分霊して「八雲神社」と名祥祭神 は『健速須佐男命』

遷座遷宮して、同十年に奥の院本殿を建立、総工費七百拾四円参拾弐銭五厘をもって完一成と書き記されております。また、明治二十二年御輿を買入し代金 五十七円六十二銭と記され、以て村中の渡御を行なって、明治三十五年には猿田彦装束一通りを整えて、金額武十八円と記されています。

その後、昭和四年十月改築工事により、奥の院の覆社、拝殺の屋根を銅版葺に、改築され、工費二千八百八十五円也と記されております。
さらこ、昭和十四年参道の敷石布設工事を行なっており、以上のことが神社記録に記入されております。

瀬山地区の牛頭天王様の勧請は、七竈の首長橋本刑部左ェ門が、尾恊津島より勧請し奉ると記されていますが、尾恊津島の場所とは、愛知県津島市で、八雲神社の総本社は津島神社と推測されます。


津島神社の祭神は、『健速須佐男命』、「津島牛頭天王」社と奉じ、今日でも「津島の牛頭天王様」と尊称され、全国牛頭天王の総社として三千社の御分社があります。

この様に、鎮守様の歴史を知り、建立、改修工事にと、さらに本殿回りの彫刻のあまりにも見事な荘厳さ、拝殿の銅板葺屋根等の工事記録を見聞した時、先人たちが村中一丸となって完成された神殿造にまことに深い感銘を受けます。

昭和の時代になり、私たち(本年齢90)小学生の頃、春のお祭りの時には小学校四年生より以上の人たちによりお祭りの奉納剣道を行っていました。



鷹巣菖蒲作 影山勇氏文書 参照




三春城下真照寺参道 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍



| ryuichi | 04:53 | comments (x) | trackback (x) | 旧中妻村::鷹巣 |