2012-05-15 Tue
江戸期から明治大正昭和初期にかけて、三春町の商店街は田村郡内随一の商店街であり、福島県でも代表的な商店街であったが、現在はその面影はなく、優良商店もありますが、寂れた商店街の見本とも言えるのが現状です。かつて「三春城下に行けば、何でもそろう」と言われるほど栄えた旧三春城下だが、 今は街を歩くと街頭だけが明るいく、街としては暗くなっています。
商店街や小さなお店の灯りが消えてしまったからです
往々にして言われるのは、かつて全盛を誇っていた商店街が衰退をしていくと、「なんとなく寂しい」から、中心市街地を活性化しなければならないということですが、この問題の背景には、日本経済の根幹に抵触する大きな問題が控えています。
「都市計画」とはいったい何なんでしょうか。
それはなんのためにあるのか。
「地域の時代」に都市計画はどういう役割を果たすのか。
とくにコメの自由化に揺れて、大きく変貌しようとする農村系の地域を眼前にしながら「都市計画区域」という囲った区域を対象としたノウハウである都市計画法。
それで事は済むのかといえば、それは明らかに「否」ということは周知のとおりです。
中心市街地の空洞化が問題視されて久しくなりますが、
この衰退の大きな要因は、お客が商店街から大型店に向かったことにあります。
商品の豊富さ・安さ、買いやすい商品の配置、駐車場の完備、多くのサービスおよび施設、エアコンの効いた快適な店舗、ワンストップショッピングの便宜性など、既存の商店街は大型店に圧倒されてきました。
さらに別な見方をすれば、大型店が進出したから商店街が壊滅したんじゃなくて、商店街が自滅したから大型店が流行ってるという見方・・・
今から20年前位前でしょうか、まだバブルの名残が残っていたころわが三春町では中心市街地活性化なんチャラとかいう事業が始まりつつありました。
有名大学の教授先生や通産省や建設省のお偉いさんそしてコンサルタントとかいう横文字の名刺を持った輩が三春を舞台に時代遅れの持論を展開し、はたまたそのコバンザメのような取り巻きがこぞって「三春町中心市街地活性化街並整備事業なんチャラマスタープラン」とかいうものをぶら下げてこの田舎町の乗り込んできた時期があります。
当時の行政や商工会、町内会などのお偉いさんが、その肩書や補助金目当てにこぞって参ってしまい、補助金での各種研修というなの物見遊山の旅行がはじまりました。
しかし、その研修は全くというほど後の「中心市街地・・・・なんチャラ」には活用されず、役場の書棚に眠っているものやら道路拡張できれいになった住宅兼店舗の倉庫に埃を被って眠っています。
そうです、当時の学者先生の「中心市街地・・・」の理論は、当時大都市部の近郊で失敗策の烙印を押され、すでに役に立たないといわれていた学説をそのままもっと地方にもて行けば通用するという安易な学者と官のの保身のための政策に過ぎなかったのは承知の事実です。
バブル崩壊の波が5年たった三春にも到達して、壮大な夢物語本当に夢物語だったと認識し始め、「中心市街地・・・」が終息を迎えたころ「あのハイエナのような学者先生やコンサルタントの先生が言ったことの逆なことをすれば成功する」とささやかれたのはこの三春だけではないでしょう。
しかし、田舎とはもっと恐ろしいもので、身代わりの早い大学で、”失敗の事例”としてあげられるようなその頓挫した屍態の計画を現代に蘇らせ中身のないまま実行に移すという”すご技”を使って「中心市街地なんチャラ」を実行してしまいました。
さながら当時の学者や官僚が死んだり退官してパテント料が消滅したから「とりあえず食いついた」感が否めません。
本来は 商店街のある場所というのは、町の中心部にあり基本的に人が集まるいい場所なんです。
なのになぜ人が来ないのか、それはお店に魅力がないからです。
魅力のあるお店をつくれば絶対に人が来ます。
また、商店街自身が 「さびれています。国でなんとかしてください」 という姿勢でいるかぎり絶対改善できません。
市や県や国がやってくれるのを待っているというのではなく、自分たちも努力と汗と犠牲を払う考えで臨まなければいけません。
一生懸命取り組んでもなかなか効果が出ないという背景には、郊外に魅力的な大型商業施設ができ集客するような、別なところに吸引力が働いてしまうことによる影響もあるでしょう。
全国の中心市街地は壊滅状態になっていますが、そもそも中心市街地が壊滅状態になると何が困るのでしょう?
中心市街地には必ず商店街があり、その再生に国や自治体をあげて取り組んでいるわけですが、一般市民の方からすれば「衰退した商店街を公費で再生していったい何になるのか?」と思われるのも周知のとおりです。
中国の古典の言葉に「山中の賊を破るは易く、心中の賊を破るは難し」というのがあります。明代の思想家で陽明学の祖 王陽明の言葉ですが、山の中に潜む賊を負かすことは武力をもってすれば済むことだが、心の中に潜む邪心、迷い、打算という賊を破ることはなかなか難しい、ということを言っています。
人間の外的問題に対応することは意外とできるものですが、自分の心に潜む邪心、迷い、打算に打ち勝ち、冷静になるのはなかなか難しいものです。
人生には黙っていてもいろいろな儲け話や裏話への誘いが多いものです。
人の心理をくすぐる甘い話もしょっちゅうあります。
そういったたぐいの話にのって”痛い目”にあったという話しをよく見聞きます。
「心中の賊」とはこのような”うまい話”に動かされる心ではないでしょうか。
目の前の利益に、危ないと思いつつ心が動いたり、慎重にと思いつつ短絡的な判断をしてしまうことがよくあります。先のバブルにのって失敗した人がいかに”うまい話”にのっていたかということを物語っています。
王陽明のいう「心中の賊」を破り、自らの心に勝つには、自らの心をコントロールすることしかないと思います。
そして、心の中にしっかりとした拠り所を持つことだと思います。
商人の心の拠り所とは、自らの人生哲学としての人生観や、経営にかける情熱や信念である”経営理念”にあります。
人生観や経営理念こそが「心中の賊」から経営者を守るもっとも大事なバイブルではないでしょうか。
目の前の利益に走ったり落胆したり心焦らせたり環境に悲観したりする事なしにひたすら、自分の経営の目標に向かって進みたいものです。
2012-05-08 Tue
旅立ちの春にぴったりのエネルギッシュなダンスです。
見ていると元気が湧いてきます。
ダンサーで振付師の康本雅子さん
コンテンポラリーダンス界で大きな注目を集めているダンサー・振付家です。
とてもチャーミングな方で躍動感あるエネルギッシュなダンスを見せてくれます。
Mr.Childrenや一青窈など有名ミュージシャンのプロモーションビデオ、松尾スズキの舞台振付など、その才能を多方面で発揮しています。
お会いしたことはないのですが、何とも素敵なコンテンポラリーダンスを見せてくれます。
また、彼女の生き方が実に面白い!
実は、ダンスを見るのが好きなんです。
もちえろん自分では無理なのは十分承知しています。
見るだけなんです。
生きているということは、何かを表現しているということだと思っています。
ただ食う・寝る・遊ぶだけではないもんですよね。
仕事や趣味での成果や充実感というのは、その表現方法の一つであって自己表現の過程なんだと思います。
そして、その自己表現を人前で演じるというのは、人生そのものです。
そんな中、芝居や大道芸、唄そしてダンスも自己表現という意味においては見ていて楽しいです。
この映像は『茶番ですよ(旧加賀藩百万石前田家駒場中屋敷77周年記念バージョン)』は2006年の番組、「HAPPY DANCE~今、日本のダンスがカワイイ!」のために撮り下ろされたものです。
曲は椎名林檎のアルバム「加爾基 精液 栗ノ花」収録の「ポルターガイスト」。
撮影した場所が、目黒区駒場にある昭和初期に建てられた大きな旧加賀藩前田家の中屋敷があった洋館旧前田侯爵邸で、何とも言えないいい雰囲気を醸し出してくれます。
え?踊り?誰が・・・私ですか?
こりゃーいけねーや!
そりゃーできたことに越したことはないんでしょが、こちとら餓鬼の時分のホークダンスか場末のスナックでの引っ付きチークダンス位なもんです。
とてもとても世間様に見せられる芸当じゃありゃしません。
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2012-05-05 Sat
第一回 三春 春まつり
「風雲 三春城下の戦い」
「端午の節句・子供の日」の5月5日
「第一回 三春 春まつり」開催
「端午の節句・子供の日」の5月5日
旧三春城下では「三春春まつり」が開催されます。
戦国期の三春城主田村清顕率いる田村勢と伊達正宗率いる伊達勢、そして田村清顕の正室於北の方の実家である相馬義胤(そうまよしたね)率いる相馬勢の三組による、戦国武者行列と、田村清顕亡き後田村家内の内紛に端を発し三春城揚土門まで相馬義胤が攻め挙げた「揚土門の戦い」を模した合戦絵巻を繰り広げます。
田村清顕・・・・三春町長
伊達政宗・・・・富岡町長
相馬義胤・・・・葛尾村長が努めます。
総勢250名の大行列で、戦国絵巻を繰り広げます。
それに田村歴史協議会の田村麻呂平安武者行列も合わせて行進します。
戦国武者行列、合戦絵巻演武、そして郷土芸能奉納では
葛尾村からは三匹獅子
富岡町からは麓山神社の御神楽
そして、三春町からは史上初となる八雲神社の荒獅子
八幡神社の長獅子
田村大元神社の長獅子
が三躰同時に獅子舞を奉納して復興を祈願いたします。
三躰の長獅子奉納・ユーチューブ動画より

大津実行委員長(三春町区長会長)のあいさつ

さらには、田村清顕亡き後、重臣田村宮内少輔月斎顕頼や橋本刑部少輔顕徳など清顕の嫁ぎ先伊達家を頼ろうとする一派と、
田村右馬頭梅雪斎顕基や大越紀伊守顕光など清顕夫人の実家相馬家を押す一派との確執から発生した田村家内の内紛で、
三春城揚土門まで相馬義胤が攻め挙げた「揚土門の戦い」を模した合戦絵巻を繰り広げます。
甲冑に身を固めた騎馬武者が居並ぶ、豪華絢爛の戦国絵巻は、天下無比の圧巻です。

田村勢
三春田村家惣領 三春城主 田村清顕公
田村家重臣 椿舘主 田村月斎聖休顕頼公
田村家重臣 小野城主 田村梅雪斎顕基公
以下の田村勢 三春町民で構成
伊達勢
伊達家当主 米沢城主 伊達藤次郎政宗公
伊達家重臣 亘理要害主 伊達藤五郎成実公
伊達家重臣 白石舘主 片倉小十郎景綱公
以下の伊達勢 葛尾村民と三春町民で構成
相馬勢
相馬家当主 小高城主 相馬義胤公
相馬家重臣 中村城代 相馬隆胤公
相馬家重臣 中之郷泉館主 泉胤政公
以下の相馬勢 富岡町民と三春町民で構成
総勢250名の大行列で、威風堂々戦国絵巻を繰り広げます。

尚、特別出演として相馬野馬追・相馬大田神社に供奉する中之郷(南相馬市原町区)勢から15馬頭をお借りしての行列です。
「風雲 三春城下の戦い」日程(予定)
日時 5月5日
場所 三春城下一円
1, 出陣式 10:15 三春小学校校庭
2, 武者行列行進 11:00~12:00 三春城下一円
(行程表)三春小学校ー役場駐車場(隊列整頓)-四つ角ー三つ角ー荒町法蔵寺下ー龍穏院下相模屋前ー渋池ー三春中学校ー切り通しー北町ーまほら着
3, 合戦演舞 13:00~13:40 大町四つ角交差点
田村勢、相馬勢、伊達勢の鉄砲組・槍組、抜刀武者組による合戦絵巻を繰り広げます。
4, 富岡町麓山神社御神楽
・葛尾村三匹獅子
・三春町長獅子三躰競演
郷土芸能競演会 13:45~14:45
5, お開き撤収 15:00 通行止め解除
参加者は、三春町民だけではなく本震災によって三春町で避難生活を送る富岡町民と葛尾村の方々も参加します。
沿道からのご声援をよろしくお願いします。

それに田村歴史観光協議会の田村麻呂平安絵巻行列70名、舞団連100名も合わせて行進します。
また、同日開催といたしまして三春仏教和合会による「はなまつり ちごぎょうれつ」は例年通り開催いたします。

実行委員会の末席の名があります、私三春昭進堂店主髙橋龍一の武者姿です
2012-05-03 Thu
おたりまんじゅうを造った「おたりさん」は、滝桜の先にある根本集落の出身です。

この根本には、「根本八王子神社」や「笠石八幡宮」、そして田村三十三観音霊場の札所「光谷東光寺」があり、信仰の厚い郷です。
東光寺観音堂
春には、至る所で枝垂桜、八重桜、染井吉野、山桜が咲き乱れます。
笠石八幡宮
柳橋海道から黒木に行く途中の集落の裏山にあります。
集落の庭先を抜けて山腹を登ったところに石の鳥居があり、うっそうとした杉木立に覆われた境内には、本殿を取り囲むように巨岩が累々と積み重なっています。
社殿の横から上方に掛けて、数体の岩が顔を出しています。
岩には横に亀裂が入っているものがあり、それが結果的に「積み重ねた」ように見えます。
これを、笠をかぶせた様子に形容したのでしょう。
その参道に昭和十四年改築記念の寄付芳名石版があり、高橋タリの名前が読み取れました。
おたりさんが、五番目の息子の出征に無地を祈願して生まれ育った根本にある笠石八幡宮に寄付したものでしょう。
また皇紀二千六百年大慶記念の石碑には、母親の信仰を受け継いだのでしょう、おたりばあさんの長男で当店の先々代高橋伝造の名前も見えます。
根本の笠石八幡
昔、八幡太郎源義家が安倍一族討伐の時、根本村に立ち寄ったところちょうど村では麻疹が大流行で村人たちは大変困っていた。
これを聞いた義家は、「それは大変だ。その悪魔を征伐してやる」と、笠石八幡の場所より南西の天目がけ、馬上より鋼弓に一矢をつがえて射放した。
麻疹の悪魔もその威勢に恐れて退散したのか、重い麻疹も急に快復した。
今も射放した場所には、馬蹄の跡が石についており、放たれた矢は、遠く堀越村の井堀に落下して井戸となったという。
この間を「一矢間(ひとやま)」と伝えられている。
笠石八幡の祠に至る前に、二つに割れた石の胎内くぐりがあって、笠石と呼ばれる巨大な石が載っているところから、笠石八幡と呼んでいたという。
その巨石には
「はしかとて 折ればかろし 笠石の蹄の址や 八幡の家」と刻まれている。

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2012-05-01 Tue
先日、久々の法蔵寺我聞会の会合がありました。我聞会とは、法蔵寺住職のイベントのお手伝いをする会で、私のような檀家以外のものもお手伝いで参加しています。
久しぶりのイベントは三春法蔵寺寄席「出前演芸会」と題しまして、
江戸時代に花開いた日本の大衆芸能
その中から今宵は幇間(ほうかん)芸・太鼓持ち、落語、そして漫才といったしょみんの“お笑い芸”を出前いたします。

お座敷芸 悠玄亭玉八(ゆうげんてい たまはち).
江戸時代を中心に花開いた、日本の大衆芸能(歌舞伎、寄席芸、音曲舞踊等)をベースに、現代に生きる粋で、酒脱で、艶っぽいお座敷芸をご披露致します。
落語真打 春風亭柳之介
漫才 ニードル
の皆さんが出演します。
日時 平成24年6月2日(土)
午後6時 開場
午後6時30分 開演
場所 法蔵寺本堂
席料 2500円(震災復興義援金含む)
主催 問い合わせ
我聞会(法蔵寺内)
三春町荒町169
℡ 0247-62-2637

一昨年前に行われた笑福亭鶴瓶師匠の公演の様子

昨年の、復興支援イベント「カート&ブルース 尺八と琴コンサート」集合写真より
2012-04-24 Tue

三春滝桜の開花(咲き始め) 昨日(4月23日)午後1時25分に開花宣言がでました。
今後の天気状況にもよりますが、26日から29日頃にかけて見頃をむかえるのではないかと思われます。
車で通りすぎれば、簡単に見過ごすような集落だったが
その地の里人と関わると、いろんなものが見えてくる。

結界は、神道や仏教から来る思想であり
一定範囲の空間を区切るもので
生活には直接必要ではないものを配したり
意図的に段差を設けるなどをして、作られている。

里山に居ると、いろいろな結界が見えてくる。
集落の境にある道祖神や結界石、神社の鳥居、寺院の本堂に至る石段
家屋の門、玄関の扉、土間からの上がりかまち、敷居や畳縁など。

私たちは意識していなくても、人の家や神社を訪れる際
一礼をして鳥居や門をくぐり
履き物を脱いで建物に上がり、敷居や畳の縁をまたいでいく。
それに伴い、その空間の気配を察し、その空間に意識を合わせ
気持ちを新たにし、作法を変えていく。
それだけ私たちは、結界に区切られた空間を尊重している。

「郷に入れば郷に従え」という諺も、結界の思想から来たものだろう。
この結界によって区切られた空間を結びつけるのが
「縁」というものである。

2012-04-22 Sun
本日の真照寺の枝垂れ桜です。
蕾が赤みを帯びてきましたが、ここに三日の寒さではもう少しかかりそうな気配です。
例年ですと、枝垂れ桜花のカーテン越しに見える本堂ですが今年はまだご覧の状態です。
庭園の水芭蕉は見ごろを過ぎて葉っぱが勢いを増してきそうな気配です。
今年は閏年で、三月と四月の間に「閏三月」という月があります。
旧暦では、三月が2回あるんです。
春の始まりが遅かったのと関係あるのでしょう。
日本の四季の移り変わりは旧暦の方がしっくりくることがあります。
どおりで桜の開花が遅いはずです。
「天候は旧暦でみるとよくわかる」といわれますが、桜の開花状況を見ると、そのとおりかもしれません。
江戸時代の暦を旧暦と呼びますが、この暦は、旧暦の明治五年十二月三日が、新暦の明治六年一月一日になって終演します。
明治の新暦は太陽暦に基づき、江戸の旧暦は太陰太陽暦に基づいています。
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