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		<title>三春物語-春陽思ひ附阿津免草</title>
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		<item rdf:about="http://otarimanjyu.com/blog/index.php?e=5913"><link>http://otarimanjyu.com/blog/index.php?e=5913</link><title>塩沢医王寺の蒼龍窟の残骨埋墓所に、「塵壺」の福島民報出版文化賞正</title><description>越後長岡藩　軍事総督河井継之助　蒼龍窟　終焉の地　只見町塩沢　矢沢邸塩沢医王寺の蒼龍窟の残骨埋墓所に、「塵壺」の福島民報出版文化賞正賞受賞」を報告してまいりました。慶応4年(1868年)</description><content:encoded><![CDATA[<a href="http://otarimanjyu.com/blog/files/20260908173427.JPG" target="_blank"><img src="http://otarimanjyu.com/blog/files/20260908173427.JPG" width="320" height="240" alt="" /></a><br /><br /><br /><br />越後長岡藩　軍事総督河井継之助　蒼龍窟　終焉の地　只見町塩沢　矢沢邸<br /><br />塩沢医王寺の蒼龍窟の残骨埋墓所に、「塵壺」の福島民報出版文化賞正賞受賞」を報告してまいりました。<br /><br /><br />慶応4年(1868年)正月､鳥羽伏見の戦いで始まった戊辰戦争は､会津討伐の軍を編成して、東北、越後に拡大していきました。<br /><br />朝敵の汚名をうけた会津藩と幕府勢力である東軍は苦しい戦いを余儀なくされていました。<br /><br />この国難に際して、長岡藩の筆頭家老、軍事総督となった河井継之助は事を平和の裡に解決しようと奔走し､小千谷に陣をかまえた西軍の軍監岩村精一郎と慈眼寺において談判したが決裂します。<br /><br />ここにおいて長岡藩は参戦に踏み切りました。<br /><br />奥羽越列藩同盟を結び､善戦しますが、多勢部無勢、５月に長岡城が落ち､一度奪還しますが、再度落城し、その後7月25日の城下での戦いで負傷。<br /><br />継之助は、親藩会津に逃れ再起をはかるため､千数百名と共に八十里越を会津に向う。<br /><br />山越えは難渋を極め､山中に一泊して8月5日只見に着き､傷の手当を受けました。<br /><br />8月12日には、旧幕府御典師､松本良順の理療を受けます。<br /><br />途中、塩沢村の矢沢宗益宅に投宿する。<br /><br />継之助は､すでに死期を予感し､従者松蔵に死期の準備を命じ､その夜静かな眠りに入った。<br /><br />時に慶応4年(1868年)8月16日であった。<br /><br /><br /><br /><a href="http://otarimanjyu.com/blog/files/20260908174207.JPG" target="_blank"><img src="http://otarimanjyu.com/blog/files/20260908174207.JPG" width="320" height="240" alt="" /></a><br /><br /><br /><br />河井継之助の墓は、河井継之助かダビに附されたあと､遺骨は一時若松城下に埋葬、終戦後長岡に送られ長岡市内栄涼寺の若井家墓所に葬られた。<br /><br />塩沢医王寺の墓所は､ダビのあとで拾い残された細骨を村民が集めて建てたものである｡<br /><br />当時西軍の目が光っていたため､文字は刻まず、型式も祠の様式にして西軍の目をごまかすという細かい配慮がはらわれていた。<br /><br />現在の墓は､昭和12年(1937年)一部補修され､昭和53年(1978年)7月長岡市の篤志家により再補修し整備されたものである。<br /><br />昭和58年4月1日､只見町の史跡に指定されている。<br /><br />毎年8月16日塩沢医王寺で墓前祭が行われる。<br /><br />河井継之助は名を秋義と云い､蒼龍窟と号した。<br /><br /><br /><br /><a href="http://otarimanjyu.com/blog/files/20260908174320.JPG" target="_blank"><img src="http://otarimanjyu.com/blog/files/20260908174320.JPG" width="320" height="240" alt="" /></a><br /><br /><br />越後長岡藩牧野家家臣<br /><br />１７歳の時に文武に秀で陽明学を修める誓いを立てる。<br /><br />27歳の時､江戸に学び斎藤拙堂､古賀茶溪に師事すると共に福地源一郎らとの交流を深め､佐久間象山の門をたたくなど勉学に励みます。<br /><br />その後一時帰国して藩政に参与するが､安政5年(1858年)ふたたび江戸に赴き､さらに備中松山の山田方谷の教えを受け､横浜､長崎等に遊学して広く世界の動きを見聞していきます。<br /><br />文久2年(1862年)8月､藩主牧野忠恭が京都所司代および幕府老中となったときには､内外の情勢を説いて献言したが聞き入れられませんでした。<br /><br />この時、藩の役人を辞職しますが、この際の辞表の理由には「痔が迫り候」と皮肉を込めた時評だったと伝わっています。<br /><br /><br /><a href="http://otarimanjyu.com/blog/files/20260908174458.JPG" target="_blank"><img src="http://otarimanjyu.com/blog/files/20260908174458.JPG" width="320" height="240" alt="" /></a><br /><br /><br />慶応元年(1865年)39歳の時､郡奉行となり藩内はもちろん、幕僚だった新潟（現新潟市）及び新潟港や阿賀川流域の水運事業も併せて管理して、藩内でもその非凡な才能は認められていきます。<br /><br />その後､御番頭､町奉行､御年寄役を歴任し同4年には家老上席となり政務を担当しました。<br /><br />継之助は､この間大いに藩政を改革し､藩財政を確立すると共に兵制を改革するなど長岡藩をして新式銃やガットリング砲など近代的な装備と調練された軍隊を背景に武装中立を図りました。<br /><br /><br /><br /><br />三春城下御菓子三春昭進堂　100年　]]></content:encoded><dc:subject>🌸三春昭進堂菓匠蒼龍　::福島民報出版文化賞正賞受賞「塵壺～春陽郷三春思ひ附阿津免草～」　</dc:subject><dc:date>2026-09-10T03:34:03+09:00</dc:date><dc:creator>ryuichi</dc:creator><dc:publisher>BlognPlus</dc:publisher><dc:rights>ryuichi</dc:rights></item>
		<item rdf:about="http://otarimanjyu.com/blog/index.php?e=5911"><link>http://otarimanjyu.com/blog/index.php?e=5911</link><title>第４９回福島民報出版文化賞正賞　高橋龍一さんを祝う会  日時：令和8年9</title><description>第４９回福島民報出版文化賞正賞　高橋龍一さんを祝う会日時：令和8年9月6日（日）午後３時～場所：三春町字尼ケ谷『三ツ美屋旅館』&lt;a href=&quot;http://otarimanjyu.com/blog/files/20260907064246.JPG&quot; t</description><content:encoded><![CDATA[<a href="http://otarimanjyu.com/blog/files/20260907064207.JPG" target="_blank"><img src="http://otarimanjyu.com/blog/files/20260907064207.JPG" width="320" height="240" alt="" /></a><br /><br /><br /><br />第４９回福島民報出版文化賞正賞　高橋龍一さんを祝う会<br /><br />日時：令和8年9月6日（日）午後３時～<br /><br />場所：三春町字尼ケ谷『三ツ美屋旅館』<br /><br /><br /><br /><a href="http://otarimanjyu.com/blog/files/20260907064246.JPG" target="_blank"><img src="http://otarimanjyu.com/blog/files/20260907064246.JPG" width="320" height="240" alt="" /></a><br /><br /><br /><br /><br />　　民報出版文化賞受賞お祝い会の謝辞　　髙橋龍一<br /><br />はじめに、このお祝い会の発起人の内藤忠さん、そして田中金弥さんには、身内の様に親身になってご配慮いただき　心より感謝申し上げます。<br /><br />本日は、「塵壺～春陽郷三春思ひ附阿津免草～」の第４９回福島民報社出版文化賞正賞受賞のお祝い会に際しまして、ご多用中にも関わらず福島民報社安斎社長、坂本三春町長はじめ沢山の方々にご<br />臨席を賜り、温かくも過分なるご祝辞ならびにご厚情を賜り誠にありがとうございます。<br /><br />　「塵壺」が「出版文化賞正賞」の栄誉をいただきましたことも、これも一重に、皆様方の長年にわたるご指導とご支援の賜物と深く感謝し、御礼を申し上げます。<br /> <br />今年、手前どもが営む三春昭進堂が100年目を迎えた時に「正賞」をいただきましたことは何よりの記念となりました。<br /><br /><br /><a href="http://otarimanjyu.com/blog/files/20260907064305.JPG" target="_blank"><img src="http://otarimanjyu.com/blog/files/20260907064305.JPG" width="320" height="240" alt="" /></a><br /><br /><br /><br />さらに、過去の受賞者には、第4回受賞に大叔父、髙橋哲夫の名前もあり、大叔父の受賞も私と同年というのも何か因縁めいたものを感じ、ご先祖様、そして神仏という天からのご褒美かなと思っているところです。<br /> <br />「一冊の本が人生を変えることがある」と聞いたことがありますが、平成2年、当三春昭進堂に入社して間もない頃、カネサン書店さんで一冊の本と出合いました。<br /><br />司馬遼太郎さんの「峠」です。主人公の河井継之助の生き方・考え方が知りたくてボロボロになるまで読み漁りました。<br /><br />今でもことあるごとに読み返しています。<br /><br />この本をきっかけとして教科書には乗らない歴史、そして郷土三春や田村の歴史に興味を持つようになりました。<br /><br /><br /><a href="http://otarimanjyu.com/blog/files/IMG_E2819.JPG" target="_blank"><img src="http://otarimanjyu.com/blog/files/IMG_E2819.JPG" width="320" height="170" alt="" /></a><br /><br /><br /><br /> 本日、ご臨席賜りました田村大元神社さまや真照寺さまなど、三春城下の寺社仏閣はもちろん、歴代の三春城主、そして滝桜。塵壺や様々な場面で話の中で、たぶん歴民さんの次にお名前を使わせていただいているような気がいたします。<br /> <br />また、新聞や雑誌、そしてテレビなどで紹介されることが多くございますが、小さな三春だからこそ、引き立てていただいているものかとも思っています。<br /><br />この場を借りて三春に感謝し、御礼申し上げます。<br /><br />還暦を過ぎても「今日は、どんな面白いことあるのかなぁ」とワクワクしながら目覚めています。「夢見るころは終わった歳だろう」と云われますが、まだ、“トキメキの木は枯れていない”ということなのでしょう。<br /><br /><br /><a href="http://otarimanjyu.com/blog/files/20260907064330.JPG" target="_blank"><img src="http://otarimanjyu.com/blog/files/20260907064330.JPG" width="320" height="240" alt="" /></a><br /><br /><br /><br />この塵壺は、新聞折り込チラシの塵壺が原点ですので、私の三春商人人生と常に共にありました。<br /><br />思い返しますと、和洋菓子と商人修業、三春帰郷、新町睦会、経営塾、新町若連、田村大元神社別火講中、結婚、禅修行、三春分団長、三春小学校学校運営協議会長、そしてチラシや製本での塵壺発行等々、人生の節目となった出来事が多々ありました。<br /><br />それで潰えればそれまでの運、乗り越えればまた別の運が開けるんだろうと考えながらも、そのたびに周りの方々に支えられ援けられて乗り越えてきたように思います。<br /> <br />今回のお祝い会にご臨席をいただい方々は、その節目々で出会った方々ばかりです。<br /><br />そして今後の人生を左右するような「ご縁」であり、とても大きな意味がある事だと思っています。<br /> <br />「我以外皆わが師」ということなのでしょう、周りを見渡せば三春商人の発起人内藤忠さんはじめ、商売だけではなく、三春の発展に寄与しまちづくりにも参画し、お手本とする先輩方がたくさんいます。<br /><br />また、金弥さんのお話にもありましたが、故伊藤寛元町長を要した「三春のまちづくり」で金弥さん、坂本町長をはじめとする職員の方々のがんばりなど、官民一体となったオール三春のまちづくりを、商工会青年部や経営塾、そして消防団等を通じて、目の前で長期的なスパンで見聞きして、その空気感も一緒に肌身で感じれたことはとても有意義だだったと感じています。<br /><br /><br /><a href="http://otarimanjyu.com/blog/files/20260907065007.JPG" target="_blank"><img src="http://otarimanjyu.com/blog/files/20260907065007.JPG" width="320" height="240" alt="" /></a><br /><br /><br />　この受賞を励みに、今後も三春城下の商人の一人として和菓子屋や塵壺を通じて地域の文化の向上に寄与していきたいと考えています。<br /><br />そしてもう一つ、これからの未来を担う子供たちへ「見たことのあるオンちゃんが本を出した」ということで、本そのものに親しむことはもちろんですが、「自己表現の一つの形として本の出版」というものを頭の片隅に残ってくれれば幸いです。<br /><br /><br /><a href="http://otarimanjyu.com/blog/files/20260907065112.JPG" target="_blank"><img src="http://otarimanjyu.com/blog/files/20260907065112.JPG" width="135" height="240" alt="" /></a><br /><br /><br />そして、古い三春町教育委員会のスローガンから「三春で学んだことを、子供たちが大人になっても誇れる教育」　三春小学校学校運営協議会長当時、何回使ったかわからない言葉ですが“学びとは、学校だけではなく家庭、そして地域の方々から教わることの大切さ”を改めて認識しているところです。<br /> <br />結びに、我が町三春の益々の発展と本日ご臨席の皆様のご多幸とご健勝、商売繁盛を祈念しまして御礼の言葉といたします。<br /><br /><br /> 　本日はありがとうございました。<br /><br /><br /><br /><a href="http://otarimanjyu.com/blog/files/20260903140841.JPG" target="_blank"><img src="http://otarimanjyu.com/blog/files/20260903140841.JPG" width="320" height="240" alt="" /></a><br /><br /><br /><br />【式 次 第】　　　　　　　　　　　　　　司会進行：　田中金弥<br /><br />１、開　会<br /><br />２、発起人代表あいさつ　内藤忠さん<br /><br />３、来賓あいさつ　　１）福島民報社代表取締役社長　安斎康史　様<br /><br />　　　　　　　　　　　　  ２）三春町長　　　坂本浩之　様<br /><br /><br />４、受賞者ご夫妻への花束贈呈<br /><br />贈呈者：相川義朗さん・多田広司さん<br /><br /><br />５、受賞者・高橋龍一さん　あいさつ<br /><br />６、乾杯のご発声　　　発声者：郡山市雲龍堂店主　阿部尋子さん　　　　　<br /><br /><br />＝＝＝＝　懇　　　親　＝＝＝＝<br /><br /><br />＊1～4テーブルごとに受賞者と一緒に記念写真撮影、その後<br /><br />７，テーブルごとの代表者によるテーブルスピーチ<br /><br />８、受賞者への記念贈呈　　贈呈者：元代表区長　大内長久さん<br /><br />９、お開きの万歳三唱　　　発声者：友人　村田信一さん　<br /><br /><br /><br />＝＝＝＝　お　開　き　＝＝＝＝<br />]]></content:encoded><dc:subject>🌸三春昭進堂菓匠蒼龍　::福島民報出版文化賞正賞受賞「塵壺～春陽郷三春思ひ附阿津免草～」　</dc:subject><dc:date>2026-09-09T03:04:46+09:00</dc:date><dc:creator>ryuichi</dc:creator><dc:publisher>BlognPlus</dc:publisher><dc:rights>ryuichi</dc:rights></item>
		<item rdf:about="http://otarimanjyu.com/blog/index.php?e=5907"><link>http://otarimanjyu.com/blog/index.php?e=5907</link><title>津軽三味線　三絃廣光会第１４回発表会</title><description>津軽三味線　三絃廣光会第１４回発表会三絃廣光会(さんげんひろみつかい)は、郡山を中心に活動している津軽三味線と民謡の団体です。⁡会員には、10代から70代までと幅広い年齢層で参加されてい</description><content:encoded><![CDATA[<a href="http://otarimanjyu.com/blog/files/20260808072101.JPG" target="_blank"><img src="http://otarimanjyu.com/blog/files/20260808072101.JPG" width="320" height="240" alt="" /></a><br /><br /><br />津軽三味線　三絃廣光会第１４回発表会<br /><br /><br />三絃廣光会(さんげんひろみつかい)は、郡山を中心に活動している津軽三味線と民謡の団体です。<br />⁡<br />会員には、10代から70代までと幅広い年齢層で参加されています<br />⁡<br />当日は深みのある絃の音色と迫力のある演奏を皆さんにお届けしますので楽しみにしていてください☺️🎶<br /><br /><br />ゲスト出演　山本けんじ　（民謡歌手）ビクターエンタテイメント<br /><br /><br /><br />令和８年９月２１日（祝・月）<br /><br />開場　１３：００<br /><br />開演　１３：３０<br /><br />終演予定　１６：００<br /><br /><br />場所　郡山市冷蔵製氷中央公民館<br /><br /><br />入場無料<br /><br />主催　三絃廣光会]]></content:encoded><dc:subject>🌸春陽郷三春 日暮硯</dc:subject><dc:date>2026-09-08T17:33:48+09:00</dc:date><dc:creator>ryuichi</dc:creator><dc:publisher>BlognPlus</dc:publisher><dc:rights>ryuichi</dc:rights></item>
		<item rdf:about="http://otarimanjyu.com/blog/index.php?e=5881"><link>http://otarimanjyu.com/blog/index.php?e=5881</link><title>本日の火曜日は定休日となっております</title><description>本日の火曜日は定休日となっております又のご来店をお待ちしています。お陰様で１００年　三春城下御菓子三春昭進堂　菓匠蒼龍</description><content:encoded><![CDATA[<a href="http://otarimanjyu.com/blog/files/20260730161027.JPG" target="_blank"><img src="http://otarimanjyu.com/blog/files/20260730161027.JPG" width="320" height="240" alt="" /></a><br /><br /><br /><br /><br />本日の火曜日は定休日となっております<br /><br />又のご来店をお待ちしています。<br /><br /><br /><br /><br />お陰様で１００年　三春城下御菓子三春昭進堂　菓匠蒼龍]]></content:encoded><dc:subject>🌸春陽郷三春 日暮硯</dc:subject><dc:date>2026-09-08T03:44:09+09:00</dc:date><dc:creator>ryuichi</dc:creator><dc:publisher>BlognPlus</dc:publisher><dc:rights>ryuichi</dc:rights></item>
		<item rdf:about="http://otarimanjyu.com/blog/index.php?e=5895"><link>http://otarimanjyu.com/blog/index.php?e=5895</link><title>敬老の日  「祝・寿　ありがとう」の短冊をご用意しました。</title><description>敬老の日「祝・寿　ありがとう」の短冊をご用意しました。各種どら焼き、豆大福等単品やパックに無料でお付けいたします。”「祝・寿　ありがとう」の短冊をお願いします”と、お声がけく</description><content:encoded><![CDATA[<a href="http://otarimanjyu.com/blog/files/IMG_0649.jpg" target="_blank"><img src="http://otarimanjyu.com/blog/files/IMG_0649.jpg" width="320" height="240" alt="" /></a><br /><br /><br /><br />敬老の日<br /><br />「祝・寿　ありがとう」の短冊をご用意しました。<br /><br /><br />各種どら焼き、豆大福等単品やパックに無料でお付けいたします。<br /><br />”「祝・寿　ありがとう」の短冊をお願いします”と、お声がけください。<br /><br /><br />店頭でも結構ですが、予約の際にご用命いただきますと商品の御引き渡しがスムーズです。<br /><br /><br /><br /><br /><a href="http://otarimanjyu.com/blog/files/IMG_0651.jpg" target="_blank"><img src="http://otarimanjyu.com/blog/files/IMG_0651.jpg" width="320" height="240" alt="" /></a><br /><br /><br /><br />もちろんその他の商品の詰め合わせにもお付けいたします。<br /><br /><br /><br /><a href="http://otarimanjyu.com/blog/files/IMG_0654.jpg" target="_blank"><img src="http://otarimanjyu.com/blog/files/IMG_0654.jpg" width="320" height="240" alt="" /></a><br /><br /><br /><br />その他、お月見、秋桜、ハロウィン等の秋の商品も取り揃えています。<br /><br /><br /><br />皆様のご来店をお待ちしています。<br /><br /><br /><br /><br />三春城下真照寺参道　御菓子三春昭進堂菓匠蒼龍<br />]]></content:encoded><dc:subject>🌸春陽郷三春 日暮硯::季節のお菓子　</dc:subject><dc:date>2026-09-07T03:37:27+09:00</dc:date><dc:creator>ryuichi</dc:creator><dc:publisher>BlognPlus</dc:publisher><dc:rights>ryuichi</dc:rights></item>
		<item rdf:about="http://otarimanjyu.com/blog/index.php?e=5908"><link>http://otarimanjyu.com/blog/index.php?e=5908</link><title>「三春舞鶴城」 　栗入りのどら焼き</title><description>「三春舞鶴城」 　栗入りのどら焼き北海道小豆を使った自</description><content:encoded><![CDATA[<a href="http://otarimanjyu.com/blog/files/IMG_1014.jpg" target="_blank"><img src="http://otarimanjyu.com/blog/files/IMG_1014.jpg" width="320" height="240" alt="" /></a><br /><br /><br /><br /><br /><br />「三春舞鶴城」 　栗入りのどら焼き<br /><br /><br /><a href="http://otarimanjyu.com/blog/files/IMG_1144.JPG" target="_blank"><img src="http://otarimanjyu.com/blog/files/IMG_1144.JPG" width="320" height="240" alt="" /></a><br /><br /><br /><br />北海道小豆を使った自家製あんに"渋皮栗の甘露煮"を丸ごと一個入れて、ふわふわの手焼き生地で挟みました。<br /><br />渋皮の栗と小倉餡のマッチングは良好で、栗を一個入れるだけで食べた時の贅沢感と幸福感はただのどら焼きとは違います。<br /><br /><br /><br /><a href="http://otarimanjyu.com/blog/files/20231025155952.JPG" target="_blank"><img src="http://otarimanjyu.com/blog/files/20231025155952.JPG" width="320" height="240" alt="" /></a><br /><br /><br />永正のころ、戦国大名田村義顕公は、三春郷の中心部にある大志多山に三春城を築き移り住むことになった。<br /><br />入城の日、城の上空に1羽の丹頂鶴が現れ、輪を描いて飛んだので、この吉兆を喜び、舞鶴城と名づけた。 <br />　<br />また、田村公が見張るに築城するとき、人柱にする美しい娘を探した。<br /><br />領内の光大寺村にお鶴という娘がいて大変美しかったので、人柱として山頂に埋められた。それで娘の名をとって舞鶴城と名づけたという。今でも光大寺には美人が多く、光大寺美人といわれている。 <br /><br />急峻な岩山の上に築かれた三春城は、容易には攻めがたい要害堅固な山城でした。<br /><br /><br /><a href="http://otarimanjyu.com/blog/files/IMG_1015.jpg" target="_blank"><img src="http://otarimanjyu.com/blog/files/IMG_1015.jpg" width="320" height="240" alt="" /></a><br /><br /><br /><br />江戸時代には三春藩の政庁が置かれ明治維新を迎えます。<br /><br />現在の城跡には、本丸や二ノ丸、そして、東舘とする三ノ丸跡があり、土塁や石垣の一部などが残っており、遊歩道が設けられた城山公園として整備されています。<br /><br /><br /><br /><br /><a href="http://otarimanjyu.com/blog/files/20231025160130.JPG" target="_blank"><img src="http://otarimanjyu.com/blog/files/20231025160130.JPG" width="320" height="213" alt="" /></a><br /><br /><br /><br />三春舞鶴城　舞鶴城築城秘話<br /><br />戦国時代田村義頭公は富久山村（日和田三丁目）から本拠を三春に移し築城する事になった。<br /><br />そこで三春郷で築城に最適と思われる大志田山（現・三春城址、御城山）と、貝山村の白山の山（現・白山比咩神社様）の何れかにする事なった。<br /><br /><br /><br />このお城の築城場所選定の話は、たちまち近在の村々に伝わり、地元貝山村では白山様にお城が出来る事を願っていたが、果してどちらの山が高いのか話が持ち上がり人々の一番の話題になっていた。<br /><br /><br />そんな騒ぎの最中、1人の娘が大志田山の方が白山機より草履一枚分高いと自信有り気に言ってしまいその事が徒になり、田村義頭公の耳に入り白山の山にお城が出来なくなり、その一声の張本人が貝山村の“おつる”であった。<br /><br /><br /><a href="http://otarimanjyu.com/blog/files/20230318183818.JPG" target="_blank"><img src="http://otarimanjyu.com/blog/files/20230318183818.JPG" width="320" height="213" alt="" /></a><br /><br /><br />そのため、おつるは村八分になり村から追放される。<br /><br />その後、貝山村ではおつると言う名は禁がられ生まれた女の子にも付けなくなった。<br />近代に入り大正時代の頃、実際につると称した2人の方が貝山村に嫁に来る時、（古内の人はケサ）に名を変えて来た。<br /><br /><br /><a href="http://otarimanjyu.com/blog/files/20230323181955.JPG" target="_blank"><img src="http://otarimanjyu.com/blog/files/20230323181955.JPG" width="320" height="240" alt="" /></a><br /><br /><br />この伝説は現今より500年前水正元年（1504）頃の物で城を築く際に人柱（生き埋め）を立てて城の安全を願う風習があり、前記述の貝山村のおつるさんは女ながら気丈夫な人だったから白羽の矢が立ったがその後どうなったかは伝説に表われていない。<br /><br /><br /><br /><a href="http://otarimanjyu.com/blog/files/20230318183954.JPG" target="_blank"><img src="http://otarimanjyu.com/blog/files/20230318183954.JPG" width="320" height="240" alt="" /></a><br /><br /><br /><br />三春臥牛舞鶴城<br /><br /><br />宝暦九（１７５９）年に記された領内の名所旧跡を集めた『松庭雑談』には三春臥牛舞鶴城との記載が見えます。<br /><br />本丸にあった牛石の伝説ともに、『吉事有事、鶴来て城上に舞、故に領内ニ而鶴を殺さず。また不食・不買と云う』という記述があります。<br /><br />明治になってから往時の城を偲んで画かれた舞鶴城の図には、『臥牛の城』と記されており、本丸の牛石と舞鶴を併せた名で記されている。<br /><br />三春城下真照寺参道　御菓子三春昭進堂菓匠蒼龍<br /><br /><br /><br /><br /><br /><a href="http://otarimanjyu.com/blog/files/IMG_E0727.JPG" target="_blank"><img src="http://otarimanjyu.com/blog/files/IMG_E0727.JPG" width="206" height="240" alt="" /></a><br /><br /><br /><br /><br />三春城下真照寺参道　御菓子三春昭進堂菓匠蒼龍<br />]]></content:encoded><dc:subject>🌸春陽郷三春 日暮硯::季節のお菓子　</dc:subject><dc:date>2026-09-06T03:20:10+09:00</dc:date><dc:creator>ryuichi</dc:creator><dc:publisher>BlognPlus</dc:publisher><dc:rights>ryuichi</dc:rights></item>
		<item rdf:about="http://otarimanjyu.com/blog/index.php?e=5912"><link>http://otarimanjyu.com/blog/index.php?e=5912</link><title>明日９月６日（日）は、当社店主　髙橋龍一著「塵壺～春陽郷三春思ひ</title><description>明日９月６日（日）は、当社店主　髙橋龍一著「塵壺～春陽郷三春思ひ附阿津免草」の第４９回福島民報出版文化賞正賞受賞の祝う会のために営業時間が午前中となります。発起人の方々が、わたくし”</description><content:encoded><![CDATA[<a href="http://otarimanjyu.com/blog/files/20260903141000.JPG" target="_blank"><img src="http://otarimanjyu.com/blog/files/20260903141000.JPG" width="320" height="240" alt="" /></a><br /><br /><br />明日９月６日（日）は、当社店主　髙橋龍一著「塵壺～春陽郷三春思ひ附阿津免草」の第４９回福島民報出版文化賞正賞受賞の祝う会のために営業時間が午前中となります。<br /><br /><br /><br />発起人の方々が、わたくし”髙橋龍一を祝う会”を主催していただきました。<br /><br /><br />ありがとうございます。<br /><br /><br /><br /><a href="http://otarimanjyu.com/blog/files/20260903140841.JPG" target="_blank"><img src="http://otarimanjyu.com/blog/files/20260903140841.JPG" width="320" height="240" alt="" /></a><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br />三春城下「磐城商会」　御菓子三春昭進堂100年　菓匠蒼龍<br /><br /><br /><br /><br />]]></content:encoded><dc:subject>🌸春陽郷三春 日暮硯</dc:subject><dc:date>2026-09-05T03:52:50+09:00</dc:date><dc:creator>ryuichi</dc:creator><dc:publisher>BlognPlus</dc:publisher><dc:rights>ryuichi</dc:rights></item></rdf:RDF>