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三春物語534番「七草木殿作天神桜」


「天神信仰」とは、神さまとして崇められた菅原道真公の神霊に対する信仰をいいます。本来は、天神とはは地神(くにつかみ)に対する「あまつかみ」で、特定の神さまをさすものではありませんでしたが、菅原道真公が火雷天神と称され、雷神信仰と結びついたり、「天満大自在天神」の神号を賜わったことにより、菅公の神霊への信仰を、「天神信仰」と一般的に呼ぶようになりました。

 

菅公が、藤原時平の讒言により左遷された大宰府で亡くなった後、京都では、藤原時平を助けて菅公の左遷に努めたといわれる藤原菅根が落雷によって死去し、さらに日蝕・地震・彗星、落雷などの天変地異、干ばつ、洪水などの災害等による農作物の被害をはじめ、疫病などが次々に起きて、世の人々は不安になりました。
 延長八年(930)には、宮中の清涼殿で雨乞いの協議をしているときに、にわかに黒雲がわいて落雷し、藤原清貫は死亡し、平希世は負傷するという事が起りました。その当時は、怨霊に対する御霊信仰や雷神信仰が盛んであったので、菅公の怨霊の仕業ではないかとのうわさが広まりました。



 菅公の怒りが雷の形で現れると信じた人々の信仰は、藤原氏をはじめとする都の貴族たちには恐怖と畏怖の念でとらえられましたが、一般農民には水田耕作に必要な雨と水をもたらす雷神(天神)として、稲の実りを授ける神、めぐみの神となって、広く全国に崇敬されていったのです。

 やがて、道真公の学問に対する偉大な事績やその人柄から、天神信仰は文道の大祖、文学・詩歌・書道・芸能の神、あるいは慈悲の神として崇められるようになりました。
そして、その天神信仰を中心に各地に天神講などが普及して、全国の津々浦々に、天神さま、天満宮として建立され、今の世に、学問の神・誠心の神として崇拝されています。


| ryuichi | 04:48 | comments (x) | trackback (x) | 旧御木澤村::七草木 |
三春物語495番「谷戸の穴地蔵」


三春城下の西、旧平沢の谷戸集落に、穴地蔵さんとよばれる北向きのお地蔵さんが
ひっそりとたたずんでおられます。





谷戸の新墓地の一番奥への曲がり角の左手の土手の上に、切石で囲った岩室があってその中に二体の地蔵さんが納められています。
穴地蔵さんのご利益は、目、鼻,等々、穴という穴のすべての病気に霊験があるという  
有り難いお地蔵さんです。



かつては、谷戸集落から旧御木沢小学校へ通じる、鬱蒼とした木の生い茂る寂しい一本道でしたが、この地蔵様が優しく見守ってくれていたそうです。




尚、夏にはカブトムシやクワガタムシが多く出没する虫取りスポットとして人気があります。



大きな地図で見る


こちらは旧谷戸の慰霊碑

| ryuichi | 06:03 | comments (x) | trackback (x) | 旧御木澤村::平沢 |
三春物語482番「若草木神社」


若草木神社


三春城下の北西、旧七草木村の村社です。
旧神号を「若一王子大権現」としていました。



戦国田村氏の家臣七草木新介の祖七種木氏の居城七草木舘の病門のこの地に勧請したと伝えられています。
後に新介の再建となります。



かつての参道は、五丁の杉並木が小浜海道まで続いていたと伝えられています。


拝殿の、龍の彫りものは見事です。







| ryuichi | 05:39 | comments (x) | trackback (x) | 旧御木澤村::御祭 |
三春物語484番「五百田地蔵」


五百田の地蔵さま
三春城下より、岩代へ向かう岩代道平沢にある見守り地蔵さまです。



枝垂れ桜が植えられています。
数年後には、大きな桜に育つでしょう・。



| ryuichi | 06:26 | comments (x) | trackback (x) | 旧御木澤村 |
三春物語462番「七草木村山口のお堂」


三春城下の北西、七草木村から北成田へ向かう十文字ふきんにある小さなお堂です。





「氏神(うじがみ)様」は本来は氏の祖先の霊を神として祀ったものですが、その人の住む土地を守る神様としても扱われます。
個人邸内に祀ることが多いようです。
氏神様=氏族(例えば、藤原氏、源氏、平氏など)の祖先の神や氏族ゆかりの神。
というのが基本ですが、時代が過ぎるに及んで、産土神(うぶすなのかみ=土地の守り神)と鎮守様や氏神様が同一視されるようになって現在に至っています。
今でも寺院によっては、寺院を守護する鎮守の神ということで、寺院境内の鬼門の方角に神社形式のお社を祀っているところがありますが、神仏習合の名残を垣間見ることが出来ます。



鎮守様(ちんじゅさま)=その土地・建物を加護する神様
また、兵士を駐在させて、その土地を守り鎮めることを意味しています。
さらに、その国や城、土地を鎮護する神様が「鎮守の神」。
鎮守様とはその神様のこと、または鎮守の神を祀った社のこと。
そして、今は少なくなったけれどその社は村はずれの森に祀ることが多かったので、その森を「鎮守の森」といった

| ryuichi | 06:10 | comments (x) | trackback (x) | 旧御木澤村::七草木 |
三春物語443番「御祭諏訪神社」


「諏訪神社」
祭神「建御名方命」としています。
この神様は「大国主命」の御子神であり、「八坂刀売神」と共に夫婦神として、また、開拓神、農耕・風水・狩猟の神、夫婦円満の神、また鎌倉時代以降には、軍神・武士の神としても、信仰を集めました。



神社というもののルーツは、「神」の御霊の依代・盤座・神座として、社(やしろ)や宮(みや)や祠(ほこら)を、その土地に住む人々が建立し、尊い場所として境界線を引き、俗世界と隔絶したことが始まりと考えられます。
三春に鎮座する神社も、その原形は、その土地の守り神、産土の神様であり、と同時に、その土地を開拓した氏子の皆々様の遠き御親、先祖神であったことは想像に難くありません。




産土神社の本当の由緒とは、まさにこの事に尽きるとおもいます。
神社神道が古事記日本書紀に登場する神々を御祭神として明示するようになり、産土神社は、主祭神を諏訪大社から勧請し、「建御名方命」とし、社名を「諏訪神社」としました。




| ryuichi | 05:15 | comments (x) | trackback (x) | 旧御木澤村::御祭 |
三春物語440番「御祭の祠」




御祭村の高台山頂に建つ石の祠です。



大変見晴らしのよいところで、御木沢が一望できます。



戦国期、田村四十八舘御祭館の出城跡にたちます。





| ryuichi | 05:29 | comments (x) | trackback (x) | 旧御木澤村::御祭 |