CALENDAR
S M T W T F S
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31       
<<  2017 - 12  >>
CATEGORIES
ARCHIVES
PROFILE
    k1
OTHERS




三春物語611番「七草木地神講」


三春郊外、旧七草木村にあった講中に「地神講」がありました。
春と秋の「彼岸の社日」に地域の男衆だけが集まる講でした。
宿に宵から集まってお籠りをします。
宵と朝に水垢離をとって体を清め、地神様の掛け軸をかけて拝みます。
夜、朝、昼の三食とも餅を食します。
食事の時には、参集者一人ひとりが餅と大根漬を地神様にお供えしてから食事をしていました。



講は、生活の全ての互助機能を果たし、教育的機能も果たし、血縁よりも契約兄弟の堅い契りで結ばれていたのですが、権現講の寄り合いに当時の講の存在を垣間見ることができます。
すなわち、講長などの世話役は世襲制であること、席順も家の格式などで決まっていることです。
根底にあるのは、昔ながらの「家意識」でしょう。
寄り合いの会食で使われている食器類も、自分の祖先が使ったものであり、昔のことを確かめ合うと同時に、「家」を思い、祖先を思う役割を果していたと考えられます。


| ryuichi | 04:32 | comments (x) | trackback (x) | 旧御木澤村::七草木 |
三春物語534番「七草木殿作天神桜」


「天神信仰」とは、神さまとして崇められた菅原道真公の神霊に対する信仰をいいます。本来は、天神とはは地神(くにつかみ)に対する「あまつかみ」で、特定の神さまをさすものではありませんでしたが、菅原道真公が火雷天神と称され、雷神信仰と結びついたり、「天満大自在天神」の神号を賜わったことにより、菅公の神霊への信仰を、「天神信仰」と一般的に呼ぶようになりました。

 

菅公が、藤原時平の讒言により左遷された大宰府で亡くなった後、京都では、藤原時平を助けて菅公の左遷に努めたといわれる藤原菅根が落雷によって死去し、さらに日蝕・地震・彗星、落雷などの天変地異、干ばつ、洪水などの災害等による農作物の被害をはじめ、疫病などが次々に起きて、世の人々は不安になりました。
 延長八年(930)には、宮中の清涼殿で雨乞いの協議をしているときに、にわかに黒雲がわいて落雷し、藤原清貫は死亡し、平希世は負傷するという事が起りました。その当時は、怨霊に対する御霊信仰や雷神信仰が盛んであったので、菅公の怨霊の仕業ではないかとのうわさが広まりました。



 菅公の怒りが雷の形で現れると信じた人々の信仰は、藤原氏をはじめとする都の貴族たちには恐怖と畏怖の念でとらえられましたが、一般農民には水田耕作に必要な雨と水をもたらす雷神(天神)として、稲の実りを授ける神、めぐみの神となって、広く全国に崇敬されていったのです。

 やがて、道真公の学問に対する偉大な事績やその人柄から、天神信仰は文道の大祖、文学・詩歌・書道・芸能の神、あるいは慈悲の神として崇められるようになりました。
そして、その天神信仰を中心に各地に天神講などが普及して、全国の津々浦々に、天神さま、天満宮として建立され、今の世に、学問の神・誠心の神として崇拝されています。


| ryuichi | 04:48 | comments (x) | trackback (x) | 旧御木澤村::七草木 |
三春物語462番「七草木村山口のお堂」


三春城下の北西、七草木村から北成田へ向かう十文字ふきんにある小さなお堂です。





「氏神(うじがみ)様」は本来は氏の祖先の霊を神として祀ったものですが、その人の住む土地を守る神様としても扱われます。
個人邸内に祀ることが多いようです。
氏神様=氏族(例えば、藤原氏、源氏、平氏など)の祖先の神や氏族ゆかりの神。
というのが基本ですが、時代が過ぎるに及んで、産土神(うぶすなのかみ=土地の守り神)と鎮守様や氏神様が同一視されるようになって現在に至っています。
今でも寺院によっては、寺院を守護する鎮守の神ということで、寺院境内の鬼門の方角に神社形式のお社を祀っているところがありますが、神仏習合の名残を垣間見ることが出来ます。



鎮守様(ちんじゅさま)=その土地・建物を加護する神様
また、兵士を駐在させて、その土地を守り鎮めることを意味しています。
さらに、その国や城、土地を鎮護する神様が「鎮守の神」。
鎮守様とはその神様のこと、または鎮守の神を祀った社のこと。
そして、今は少なくなったけれどその社は村はずれの森に祀ることが多かったので、その森を「鎮守の森」といった

| ryuichi | 06:10 | comments (x) | trackback (x) | 旧御木澤村::七草木 |
三春物語393番「「七草木休み石」


三春城下から小浜へ向かう、七草木奥にある「七草木休み石」です。
徳川幕府二代将軍秀忠公が、この地に検地のために来たときに、この石に腰(こし)を下ろして休息(きゅうそく)したといわれています。
「休み石の由来(やすみいしのゆらい)
徳川将軍秀忠公東北地方御検地ノ節 コノ石に越ヲ掛ケ休ミシトイフナリ 左右草原ナリ 亦(また)大笠松(おかさまつ)アリテ 旅人コノ下ニテ 休息セシ処(ところ)ニシテ コノ石ヲ休石トイフナリ ナホ笠松ハ暴風ニテ倒レ 惜シムベシ 七草木七ツ石ノ一ツナリ
昭和56年 渡辺正男(七草木の人 故人)」
これは、御木沢村七草木に在住した、渡辺さんが七草木の歴史を後世まで残したいという一年で私財を投じて、七草木および御木沢村全域の史蹟に看板を立てたと聞き及んでいます。
この偉大なる先輩に敬意を表したいと思います。





| ryuichi | 05:35 | comments (0) | trackback (x) | 旧御木澤村::七草木 |
三春物語369番「七草木塩の道」




三春城下北西の七草木地区に残る、塩の道石標識です。



御木沢まちつくり協会で、史実発掘を行い新しい案内柱を建立しました。









| ryuichi | 05:40 | comments (0) | trackback (x) | 旧御木澤村::七草木 |
三春物語363番「七草木虚空蔵尊」


三春城下の北東一里余りの七草木田畑にある虚空蔵尊です。
丑年・寅年の一生一代の守り本尊であり、また十三仏の最後三十三回忌の本尊です。



虚空蔵尊は「智恵と福徳」の仏様で、智恵の欲しい物、人々から愛されたい者、名声を上げたい者は、虚空蔵菩薩の真言を唱え名前を念じれば願いが叶えられると記されております。


また、智恵・記憶をつかさどる菩薩であり、空暗記 空んじるの語は虚空蔵尊の空からきていると云われます。




虚空=虚空のそら



空虚(なにもない)



虚空(目にはみえないが満ち満ちている)




| ryuichi | 06:27 | comments (0) | trackback (x) | 旧御木澤村::七草木 |
三春物語349番「七草木 草木山阿弥陀院」




春陽郷三春の晩秋。
冬の眠りにつく前の里山は、その年最期の輝きに染まります。



紅葉色の鮮やかな赤。
黄櫨色の強い黄色。
色鮮やかな橙から明るい茶色までの色みを持つ枯葉色。
三春の里人が季節の移ろいを感じ、愛した色なのでしょう。



三春城下より北西一里余。
田村四十八舘の一つ、七草木舘の下にある、草木山阿弥陀院
本尊を阿弥陀如来として天和三年に創設された真言宗の寺院です。



本来の仏教は「生・老・病・死」という人間の持つ根元的な悩みを解決していく教え、つまり、病や死といった苦しみをそのまま受け止め、その上でそれを乗り越えていく教えであると考えますと、権力の側に立ち、民衆の悩みにこたえようとしない国家仏教は、本当の仏教とは呼べないのではないでしょうか。
本来の仏教の「救い」とは、悩みの解決を奇跡に頼るのではなく、悩みをありのままに受け入れることからはじまるものだったのです。






| ryuichi | 04:01 | comments (0) | trackback (x) | 旧御木澤村::七草木 |