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三春物語349番「七草木 草木山阿弥陀院」




春陽郷三春の晩秋。
冬の眠りにつく前の里山は、その年最期の輝きに染まります。



紅葉色の鮮やかな赤。
黄櫨色の強い黄色。
色鮮やかな橙から明るい茶色までの色みを持つ枯葉色。
三春の里人が季節の移ろいを感じ、愛した色なのでしょう。



三春城下より北西一里余。
田村四十八舘の一つ、七草木舘の下にある、草木山阿弥陀院
本尊を阿弥陀如来として天和三年に創設された真言宗の寺院です。



本来の仏教は「生・老・病・死」という人間の持つ根元的な悩みを解決していく教え、つまり、病や死といった苦しみをそのまま受け止め、その上でそれを乗り越えていく教えであると考えますと、権力の側に立ち、民衆の悩みにこたえようとしない国家仏教は、本当の仏教とは呼べないのではないでしょうか。
本来の仏教の「救い」とは、悩みの解決を奇跡に頼るのではなく、悩みをありのままに受け入れることからはじまるものだったのです。






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三春物語188番 「田村四十八舘七草木舘」



 田村四十八舘 七草木舘 舘主 七草木新助


旧七草木村は、鎌倉時代末には藤原姓田村氏の娘が地頭を勤めていました。

その代官は鎌倉幕府滅亡後に上洛し、後醍醐天皇の新政府に加わり、領地の安堵を受けています。

その後、彼女が相馬重胤に嫁いだため、七草木村は一時相馬領となったという記録が残されています。


舘主 七草木新助

寛平の頃、宇多天皇は、七種粥の節句をおこないました。

このとき、竹良某という人が、七種および擂り粉木を献上し、賞されて七種木の称を賜った。

後にその子孫の七種木新介という武将が此の地の築館山に舘を築いて移り住んで戦国大名田村候に仕えた。

このとき、田村家出仕を期に七種木を七草木と改称し地名も七草木と改めたと伝えられています。
 
 七草木氏については「田母神旧記」「田村家臣録」(片倉文書)「田村系譜」などの家臣団を記した史料にその名を見ることはできません。



 


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