CALENDAR
S M T W T F S
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
<<  2022 - 12  >>
CATEGORIES
ARCHIVES
PROFILE
    k1
OTHERS




小社 稲荷神社 御由緒調査書 






小社 稲荷神社 御由緒調査書 

祭神  蒼稲魂神 

社掌 飛田昭辰調進 (筆者 現代文訳・修正加筆)

往古、鎮座の由緒不詳

中古、文歴元年(鎌倉時代1234年)鎌倉幕府将軍藤原頼経、執権北条泰時 

三春城主 田村利顕の二男 田村刑部少輔則顕が富澤橋本舘に住居す。

右宅地内の氏神社なり。

その玄孫顕道の代に至り、国主北畠顕家公(南朝従二位権中納言兼陸奥大介鎮守府大将軍)に従って上洛、建武合戦に参戦しますが討ち死にし後倅顕盛の代に及んで字北の内二百六十二番地に遷坐す。


其の後天正十七年四月九日、伊達政宗と戦って橋本舘は落城してその子孫帰農となる。

然りと現子孫の○四戸存在して右社の祀りを不絶繁栄するなり。

明治三十五年十二月 社掌 飛田昭辰


※ 藤原 頼経は、鎌倉幕府の第4代征夷大将軍。摂政関白を歴任した九条道家の三男で、摂家から迎えられた摂家将軍。九条頼経とも呼ばれる。

三春城下真照寺参道 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍

| ryuichi | 04:09 | comments (x) | trackback (x) | 旧沢石村::富沢 |
村社 稲荷神社御由緒調査書 青石   



明治三十六年六月 社掌 岩崎嘉門 内務省神社局御中  

村社 稲荷神社御由緒調査書   青石

磐城国田村郡澤石村青石石坂鎮座

村社 稲荷神社
祭神 宇賀魂之命

古老傳説
當社は、天正八年中 陸奥国青石の舘主佐久間伊勢の信仰により、山城国伏見大神の御分霊を迂し奉りて村の鎮守と勧請しました。

明治維新に際して村社の列せられました。

社掌 岩崎嘉門
氏子惣代 佐久間左十
氏子惣代 佐久間利源氏治


三春城下真照寺参道 御菓子三春昭進堂菓匠蒼龍

| ryuichi | 04:45 | comments (x) | trackback (x) | 旧沢石村::青石 |
田村四十八舘  澤石村(三春町沢石)五舘跡




田村四十八舘 

澤石村(三春町沢石)五舘跡



正楽舘 

舘主 渡邊雲龍斎




御舘

舘主 橋本玄蕃




長根舘 


舘主 佐久間伊勢守 後、青石舘に居住





臺(むろ)舘

舘主 佐久間豊後




新舘

舘主 某氏若狭








春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍



| ryuichi | 04:18 | comments (x) | trackback (x) | 旧沢石村 |
旧澤石村實澤  小社 古舘神社 御由緒  



旧澤石村實澤 

小社 古舘神社 御由緒   社掌 岩崎嘉門 

磐城國田村郡澤石村大字實澤字開寶山鎮座

小社 古舘神社
祭神 蒼稲魂神(うかのみたまのみこと)

古老傳説
往昔、延元年中 村内に宥永と云う者がおり、学術修行の学志の者にして厚く神祇を敬い快時安信清明の教えを基き、開寶山に社を建てて蒼稲魂神を祭り白狐稲荷大明神を勧請します。

後に永和年中に至って實澤舘主岩崎山城守の崇敬によって新たに社殿を建立して五穀豊穣を祈願しています。

今日においても村内の産土神として信仰し岩崎山城守の子孫が相続しています。
明治維新に際して至追十四代本山修験の旗を奉じて・・・

太刀一振 三尺五寸 銘は然とも業物 
鑓一本  銘は然とも業物 
湯釜 山城が奉納

社掌 岩崎嘉門
氏子惣代 佐久間忠三郎




三春城下真照寺参道 御菓子三春昭進堂菓匠蒼龍

| ryuichi | 04:13 | comments (x) | trackback (x) | 旧沢石村::実沢 |
青石稲荷神社
青石稲荷神社



大字青石は藩政時代青石村となって、三春藩では一番小さな村でした。


稲荷神社の祭神は『宇迦魂之命』 古刺伝説によれば『大正年間京都伏見稲荷大明神ノ分霊を奉り、明治維新の際 村社二列せらる』と伝へラレルと言い伝えられています.

又社殿には実沢の彫刻師佐々木幸七が彫った、中国の古事をモチーフにした見事な彫り物が余すところ無く展開されています。


その彫刻は瓶に転落した子供の命を助けるために大切な瓶を壊し命を救ったと言うもの、又年老いて体の弱った母のために自分の母乳を飲ませたと言うものなど。





三春城下真照寺参道 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍

| ryuichi | 04:20 | comments (x) | trackback (x) | 旧沢石村::青石 |
富澤村石田 小社 生田神社 御由緒調査書 社掌 飛田昭辰 参照




三春城下の北、富沢村石田にある

生田神社は、「こじらさま」と呼ばれ、蚕養神を祀っていました。

現在は、豊受姫神・稚産霊神、そして埴安姫神を合祀して祭神としています。








富澤村石田 小社 生田神社 御由緒調査書 社掌 飛田昭辰 参照

祭神 豊宇気姫神(豊受姫神) 埴山姫神(埴安姫神)

往古鎮坐の由緒不詳

中古 弘活永禄年間、三春城主田村家の幕下に武田隼人と云う者がこの地の住居していました。
右武田氏の氏神社です。

然るに、我国慶仁以来七道分離し争乱相踵(そうらんあいつぐ)いでいる天正年中に及び伊達政宗東北の屈強し安達郡小濵(岩代小浜)城に在りて諸国を略取せんとす故に、我が村里の如きは郡境接近の地にして、その衝路に当たり、田村家の幕下皆攻め、滅さる。

田村家救ふ能わず。

茲(ここ)に於いて武田隼人は浪人となる。


天正十八年、太閤秀吉公が小田原城の北条氏政を退治に御發向有之此時、奥州一国御攻めに相成り政宗をして藎押領地厭納めを命ぜられ、奥羽鎮厭の為会津仙道十一郡を蒲生氏郷に封ぜられ、伊達政宗は旧領米沢長井庄に退城する。


時に、田村郡も会津蒲生領となる。


此の時に及んで四隣安堵無事の日に及び、武田隼人浪人中は浮浪中に死亡しますが倅の武田隼津と云う者は富沢に帰国して弓矢を捨てて帰農して農民となります。

以後、氏神社を修繕し子孫相続して元和三年に病死す。


右隼津の墓標は富澤平生田八升蒔田にありその子孫が現在迄八戸相続して二十四戸の氏神として在り上古の通り繁栄するなり。

明治三十五年十二月二十四 社掌 飛田昭辰(宸)







三春城下真照寺参道 御菓子三春昭進堂菓匠蒼龍


| ryuichi | 04:12 | comments (x) | trackback (x) | 旧沢石村::富沢 |
旧富沢村社 天日鷲神社 御由来緒 調査書





旧富沢村社 天日鷲神社 御由来緒 調査書

御祭神 天日鷲神 社掌 飛田昭辰調進 (筆者現代文に調整・加筆)

往古由来鎮座の由緒不詳

但し明治十二年社書上の由緒によれば、「延暦年間中、坂上田村麻呂が東国を鎮圧して斎き奉ると言う」と記載され、田村麻呂の東征祈願の建立とされています。

旧神号を、鷲妙見大菩薩(鷲大明神)とされています。

其の後、延元三年 富沢舘主 富沢伊賀と云う者、神官にして武官を兼務し奥州鎮守府国主北畠顕家公に従って上洛致し、同年五月足利軍と激闘の末に顕家公は泉州阿倍野に於いて敗
戦、戦死す。


以後、富沢伊賀は流離潜伏し遂に阿州名東郡に至れり忌部神社の神官方に寄宿する事数年、然るに右社祭神天日鷲命奉斎に依って常に神事を賛助す。


然るに其の崇神篤志を賞して帰國の際に右社々蔵の水晶石を祖道とする。


以来、本国に携へ来り、「傳家ノ實器」と称せし所、遂に三春藩所の聞に達し、天保中覧に供せし所、その秀麗を称し来歴を思へ常に坐右を放○す。


然るに藩主世子数々夭折し遂に右水晶石を以て神に祭り子育て神と禰し、朝夕尊敬懈怠参る。


然る所、世子健全に成長し遂に万延元年の至り子育大神と書たる幟旗一流に金三両を添えて下附さられたり。


明治元年 天日鷲神社と改称す。


明治七年より同十五年迄 田村郡旧荒和田村、全青石村々社に列せられたり

明治三十五年十二月二十四

社掌 飛田昭宸(辰)








天日鷲命は、諸国の土地を開き、開運、殖産、商賣繁昌に御神徳の高い神様としてこの地に祀られました。

神話で知られているのは天照大神が天之岩戸に入られたとき岩戸の前で神々の踊りがはじまり、この神が弦楽器を奏でると弦のさきに鷲が止まった。

多くの神々が、これは世の中を明るくする吉祥をあらわす鳥といってよろこばれ、この神の名として鷲の字を加えて、天日鷲命とされた。




三春城下真照寺参道 御菓子三春昭進堂菓匠蒼龍

| ryuichi | 04:35 | comments (x) | trackback (x) | 旧沢石村::富沢 |