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青石稲荷神社
青石稲荷神社



大字青石は藩政時代青石村となって、三春藩では一番小さな村でした。


稲荷神社の祭神は『宇迦魂之命』 古刺伝説によれば『大正年間京都伏見稲荷大明神ノ分霊を奉り、明治維新の際 村社二列せらる』と伝へラレルと言い伝えられています.

又社殿には実沢の彫刻師佐々木幸七が彫った、中国の古事をモチーフにした見事な彫り物が余すところ無く展開されています。


その彫刻は瓶に転落した子供の命を助けるために大切な瓶を壊し命を救ったと言うもの、又年老いて体の弱った母のために自分の母乳を飲ませたと言うものなど。





三春城下真照寺参道 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍

| ryuichi | 04:20 | comments (x) | trackback (x) | 旧沢石村::青石 |
富澤村石田 小社 生田神社 御由緒調査書 社掌 飛田昭辰 参照




三春城下の北、富沢村石田にある

生田神社は、「こじらさま」と呼ばれ、蚕養神を祀っていました。

現在は、豊受姫神・稚産霊神、そして埴安姫神を合祀して祭神としています。








富澤村石田 小社 生田神社 御由緒調査書 社掌 飛田昭辰 参照

祭神 豊宇気姫神(豊受姫神) 埴山姫神(埴安姫神)

往古鎮坐の由緒不詳

中古 弘活永禄年間、三春城主田村家の幕下に武田隼人と云う者がこの地の住居していました。
右武田氏の氏神社です。

然るに、我国慶仁以来七道分離し争乱相踵(そうらんあいつぐ)いでいる天正年中に及び伊達政宗東北の屈強し安達郡小濵(岩代小浜)城に在りて諸国を略取せんとす故に、我が村里の如きは郡境接近の地にして、その衝路に当たり、田村家の幕下皆攻め、滅さる。

田村家救ふ能わず。

茲(ここ)に於いて武田隼人は浪人となる。


天正十八年、太閤秀吉公が小田原城の北条氏政を退治に御發向有之此時、奥州一国御攻めに相成り政宗をして藎押領地厭納めを命ぜられ、奥羽鎮厭の為会津仙道十一郡を蒲生氏郷に封ぜられ、伊達政宗は旧領米沢長井庄に退城する。


時に、田村郡も会津蒲生領となる。


此の時に及んで四隣安堵無事の日に及び、武田隼人浪人中は浮浪中に死亡しますが倅の武田隼津と云う者は富沢に帰国して弓矢を捨てて帰農して農民となります。

以後、氏神社を修繕し子孫相続して元和三年に病死す。


右隼津の墓標は富澤平生田八升蒔田にありその子孫が現在迄八戸相続して二十四戸の氏神として在り上古の通り繁栄するなり。

明治三十五年十二月二十四 社掌 飛田昭辰(宸)







三春城下真照寺参道 御菓子三春昭進堂菓匠蒼龍


| ryuichi | 04:12 | comments (x) | trackback (x) | 旧沢石村::富沢 |
旧富沢村社 天日鷲神社 御由来緒 調査書





旧富沢村社 天日鷲神社 御由来緒 調査書

御祭神 天日鷲神 社掌 飛田昭辰調進 (筆者現代文に調整・加筆)

往古由来鎮座の由緒不詳

但し明治十二年社書上の由緒によれば、「延暦年間中、坂上田村麻呂が東国を鎮圧して斎き奉ると言う」と記載され、田村麻呂の東征祈願の建立とされています。

旧神号を、鷲妙見大菩薩(鷲大明神)とされています。

其の後、延元三年 富沢舘主 富沢伊賀と云う者、神官にして武官を兼務し奥州鎮守府国主北畠顕家公に従って上洛致し、同年五月足利軍と激闘の末に顕家公は泉州阿倍野に於いて敗
戦、戦死す。


以後、富沢伊賀は流離潜伏し遂に阿州名東郡に至れり忌部神社の神官方に寄宿する事数年、然るに右社祭神天日鷲命奉斎に依って常に神事を賛助す。


然るに其の崇神篤志を賞して帰國の際に右社々蔵の水晶石を祖道とする。


以来、本国に携へ来り、「傳家ノ實器」と称せし所、遂に三春藩所の聞に達し、天保中覧に供せし所、その秀麗を称し来歴を思へ常に坐右を放○す。


然るに藩主世子数々夭折し遂に右水晶石を以て神に祭り子育て神と禰し、朝夕尊敬懈怠参る。


然る所、世子健全に成長し遂に万延元年の至り子育大神と書たる幟旗一流に金三両を添えて下附さられたり。


明治元年 天日鷲神社と改称す。


明治七年より同十五年迄 田村郡旧荒和田村、全青石村々社に列せられたり

明治三十五年十二月二十四

社掌 飛田昭宸(辰)








天日鷲命は、諸国の土地を開き、開運、殖産、商賣繁昌に御神徳の高い神様としてこの地に祀られました。

神話で知られているのは天照大神が天之岩戸に入られたとき岩戸の前で神々の踊りがはじまり、この神が弦楽器を奏でると弦のさきに鷲が止まった。

多くの神々が、これは世の中を明るくする吉祥をあらわす鳥といってよろこばれ、この神の名として鷲の字を加えて、天日鷲命とされた。




三春城下真照寺参道 御菓子三春昭進堂菓匠蒼龍

| ryuichi | 04:35 | comments (x) | trackback (x) | 旧沢石村::富沢 |
富澤 小社 宮代神社 御由緒調査書  社掌 飛田昭辰




富澤 小社 宮代神社 御由緒調査書  社掌 飛田昭辰

祭神 後醍醐天皇 御村上天皇(義良親王) 陸奥宮(大塔宮護良親王)

宮代神社鎮坐由緒の儀は、延元年中富沢伊賀が、国主北畠顕家公(南朝従二位権中納言兼陸奥大介鎮守府大将軍)に従って、上洛して建武の合戦に従軍するも、勤王官軍(南朝方)敗亡し、富沢伊賀は古里に帰り旧富沢村字宮ノ下百二十五番地に天皇を祀ると伝わっている。

明治三十五年十二月  社掌 飛田昭辰(宸) 









三春城下真照寺参道 御菓子三春昭進堂菓匠蒼龍

| ryuichi | 04:26 | comments (x) | trackback (x) | 旧沢石村::富沢 |
垢潜(あかしろ)集落の由来  




垢潜(あかしろ)集落の(桓武平氏流平将門一門・佐久間氏)由来  

鎌倉時代の末期で戦国時代、武士達の争いが続いた時代である。

その武将として関東に勢力を持っていた「平将門の乱」に敗戦、落人となり追われる身となる。

其の時、太平洋岸を今の浜通りを一族(佐久間氏)が奥州地えと逃れ、今日の平方面より阿武隈の山脈を越えて岩代國田村領に入り隠れる一族で、小野町辺りに一時舘を造り住んでいた様な話もあるが解らない。豊後舘の地名があるとか定かではない。(調査不足ママ)

それでも不安で山間の奥地を転々と流れ々現在の地(垢潜地区)に住み着いた佐久間伊勢守、豊後守と四郎兵衛兄弟十数の同志家来の一族共々「火雷神」を守護神にこの地に来たと伝わっている。

垢潜(あかしろ)の地名は、守護神一族共々にこの地を定めるに際し、武家を捨て武将としての今迄の懺悔を一切の垢を洗い落とすことでこの地に潜めた安住の地として垢潜と名付けた。守護神は今の在所に祠を造り安置した。

神様も墓地も開闢(かいびゃく)以来五百有余年の間移動していない。

でも、戦国の代であれば一族を守るため舘を造り一族を守りながら長寝舘(富澤舘とも云う)と名付けて畑道を造り生活しながら東西南北に開発したのである。








田村領主三春田村氏とも交誼をもたらすようになりて田村領北の守りに仕えた。

年代は不明だが長寝舘から移川を越して東方の守りに今の「青石」に出城として館を築き垢潜から分家、連絡を取りながら山を開き後世に杉沢村との境に青石の里青石村となる。

垢潜の里豊吾が長寝の舘より三春に通じる道路を切り開き富澤の里に通じる小道を開き生活セリ。

道は山の峯を虫送りの山なみを堂作の澤を下りて主幹道にした。

富澤村の中央と定め五本木集落に長寿山と名付け寶傳寺を建立、船引町昔の片曽根村の東光寺を本家寺として住職を迎えていたのである。

当時、協力せる郷族武田家、面川家なども協力した様子。

富澤村も和尚などの指導もあ加わり栄えたものと思われる。

垢潜集落は平地がなく山間の谷を開発し湧き水を利用して水田と成し田頭には至る処に池を造り米を作り畑は山なみの中腹を開墾し雑穀稗粟などにより生活した。

産業は江戸時代の初めより養蚕などをはじめ着物などを造り自活した。

時代は平和になり商いなども商人が出入りするようになり取引商売を出来て蚕を飼育繭を取り糸も自家で引えて絹織物も町に売り火雷神社を中心に一族の結束は固く互いに助け合ながら農
地を拡大し徳川時代は平和となりて、皆百姓にて身を立てた様子。当時屋敷戸数十五、六戸位。


世の進展に従い昭和の世には二十九戸となる。明治時代になって火雷神社の秋祭りには九反の大旗を立て垢潜部落雷神様の旗の音は實澤、青石、初森へと聞こえたそうで元来な豪傑も居たもので集落の団結力は察するに余りある。


垢潜集落の沿革 参照



佐久間氏は、桓武平氏流とする平将門(高望王良将系)一門の子孫としています。
佐久間氏の祖となる三浦氏は高望王良文流です。

佐久間氏は房総半島、安房国の佐久間郷に由来します。
三浦氏は、坂東八平氏の一氏で、三浦党とも呼ばれ、鎌倉時代に三浦氏の一族が佐久間郷の地を拝領して土地名の佐久間氏を名乗った事がはじまりとされています。




三春城下真照寺参道 御菓子三春昭進堂菓匠蒼龍

| ryuichi | 04:18 | comments (x) | trackback (x) | 旧沢石村::富沢 |
現人神社覚書 (あらひとじんじゃ おぼえがき) 小社 現人神社御由来緒 (寫)




現人神社覚書 (あらひとじんじゃ おぼえがき)


小社 現人神社御由来緒 (寫)

磐城国田村郡澤石村大字實澤字八龍山鎮座

小社 現人神社


祭神 後醍醐天皇 義良親王 護良親王

當社勧請の由来を原するに、佐久間遠江守盛清の後胤右京太夫が當郷に移り實澤上舘の屋形に住い 

御宗参議源(北畠)顕家公が奥州鎮守府へ下向の際、義良親王を奉じたりに、官軍の利を失い、遂に大塔宮と共に伊達霊山に籠城し御難渋なされ、帰京ましましの途中、安達郡菅ノ澤という所に掛けたる時しも雨天にて恐れ多くも十善萬乗の御玉体を田夫野人姿に替えさせ給いる。


玉は御歩行なれば一足に息し二足に立ち止まり給ふを見上げ奉じるに、実に感泣に堪えざるとて菅ノ澤(今の杉沢)の三瓶美濃と云う者、當村(實澤)迄案内を申す時に實澤村の北端を流れる移川と云う川があり(源流を美麗山とする川)、この川に掛り足る時、折からの雨の為に川が増水し洪水となり、其の架橋を渡ることが危険為るを以て御背負申せしに「我渡る」と仰せありたるを以て、此の処を「川渡」と呼ばれるようになった(我渡の義あり)。


此の時、三瓶美濃はこの地の八龍山迄御供を申し慈にて御休息ましまして御別れを申す。

この御休息の処として「御塔壇(大塔宮)」「御聖壇(義良親王)」「御参議壇(参議北畠顕家公)」と唱する遺跡を設ける。


茲(ここ)文中元年皇子の御尊影を崇し奉らんとしてこの山に祠を建立し、御尊像三体を造り現人神社と勧請する。


これが當現人神社の創立の濫賜(かんしょう)なり。


今に至るも甚だの御縁を以て安達郡杉沢村の三瓶家にては毎年歳初めに御幣束を納めることに怠りなく履行しています。


明治三十六年

社掌 岩崎嘉門

惣代 佐久間泰四郎

| ryuichi | 04:36 | comments (x) | trackback (x) | 旧沢石村::実沢 |
明治三十五年 旧澤石村 各神社御由緒調査 澤石村役場 他資料を拝借!





先ごろ行われた、講師の依頼があり、三春町生涯学習 沢石「さわやか学級」講話会でご一緒した佐久間さんより沢石の歴史を記した冊子数点をお借りすることが出来ました。


元沢石まちづくり協会長を務められた佐久間さんから「参考になれば・・・」ということで持参していただきました。



ありがとうございます。







明治三十五年 旧澤石村 各神社御由緒調査 澤石村役場






縣社加列願 高木神社





垢潜集落之沿革 (あかしろしゅうらく)


佐久間氏の由来明記


・平将門の乱に従軍

・垢潜三匹獅子由来

・三春藩御用造酒屋 「酒屋」







現人神社覚書 (あらひとじんじゃ おぼえがき)


小社 現人神社御由来緒 (寫)

磐城国田村郡澤石村大字實澤字八龍山鎮座
小社 現人神社
祭神 後醍醐天皇 義良親王 護良親王

當社勧請の由来を原するに、佐久間遠江守盛清の後胤右京太夫が當郷に移り實澤上舘の屋形に住い 

御宗参議源(北畠)顕家公が奥州鎮守府へ下向の際、義良親王を奉じたりに、官軍の利を失い、遂に大塔宮と共に伊達霊山に籠城し御難渋なされ、帰京ましましの途中、安達郡菅ノ澤という所に掛けたる時しも雨天にて恐れ多くも十善萬乗の御玉体を田夫野人姿に替えさせ給いる。


玉は御歩行なれば一足に息し二足に立ち止まり給ふを見上げ奉じるに、実に感泣に堪えざるとて菅ノ澤(今の杉沢)の三瓶美濃と云う者、當村(實澤)迄案内を申す時に實澤村の北端を流れる移川と云う川があり(源流を美麗山とする川)、この川に掛り足る時、折からの雨の為に川が増水し洪水となり、其の架橋を渡ることが危険為るを以て御背負申せしに「我渡る」と仰せありたるを以て、此の処を「川渡」と呼ばれるようになった(我渡の義あり)。


此の時、三瓶美濃はこの地の八龍山迄御供を申し慈にて御休息ましまして御別れを申す。

この御休息の処として「御塔壇(大塔宮)」「御聖壇(義良親王)」「御参議壇(参議北畠顕家公)」と唱する遺跡を設ける。

茲(ここ)文中元年皇子の御尊影を崇し奉らんとしてこの山に祠を建立し、御尊像三体を造り現人神社と勧請する。

これが當現人神社の創立の濫賜(かんしょう)なり。

今に至るも甚だの御縁を以て安達郡杉沢村の三瓶家にては毎年歳初めに御幣束を納めることに怠りなく履行しています。

明治三十六年
社掌 岩崎嘉門
惣代 佐久間泰四郎









沢石村内にある寺社仏閣


仰心ノ復興ヲ見ルニ至レリ現今村内ニ存スル寺社仏閣左ノ如シ








佐久間さんが協会長の時に作成された「沢石イラストマップ」




大変貴重な資料です。



有難く参考にさせていただき勉強いたします。








三春城下真照寺参道 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍



| ryuichi | 04:44 | comments (x) | trackback (x) | 旧沢石村 |