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平成版三春古蹟漫歩「農民芸術」 農民芸術社



「農民芸術」 農民芸術社

三春城下を中心とする旧三春領は、藩政時代より藩校の門を庶民にまで広げ、各村々には寺子屋が充実しており、教育や文化のレベル、所謂“民度”が高い地域です。

明治維新を迎え、明治、大正、昭和と時代は変わっていきますが、この民度の高さには変わりはありませんでした。

これは、三春城下だけではなく農村部もしかりです。

その一例を三春町史では以下のように伝えています。

昭和初期、沢石村の富田吟秋 と要田村の遠藤時雄が中心になって「農民芸術社」を結成し、「農民芸術』を出して農村青年たちに作歌指導を行なっていた。

同人は富田、遠藤のほか市原正、面川正一 、和宗重吉、佐久間美治、飛田登、橋本一郎で、途中から天野多津雄が加わった。

大正末から昭和初期にかけて、中郷村の「一人社」が文芸雑誌『鉄拳』を出している。

三春地方では、俳句は早くから農村に普及し、地域ごとに 俳旬会が開かれていた。

沢石村双岩吟社の社員は、沢石、要田、御木沢、文珠、二瀬の各村に及び、昭和十三年まで「くさぶえ」を、十四年から「双岩句集」を出している。

三春町史参照


春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂




| ryuichi | 05:30 | comments (x) | trackback (x) | 旧沢石村::実沢 |
三春物語813番“大御神の徳實恩澤の利益”實澤村鎮守「高木神社」~旧帝爵天皇宮・鶏足山豊前寺


戦国大名三春城主田村氏領内総鎮守「高木神社」~旧帝爵天皇宮・鶏足山豊前寺
~大御神ノ徳實恩澤ノ利益~

♪村の鎮守の神様の 今日はめでたい御祭日 ドンドンヒャララ ドンヒャララ 朝から聞こえる笛太鼓~

先日、旧三春領田村ノ庄の村々の鎮守では、豊作を神様に感謝する秋祭りが繰り広げられました。

三春城下の北部、旧澤石村実沢の鎮守の高木神社もその一つです。
岩崎宮司、各地区の総代や宮世話、氏子青年会、三匹獅子保存会、そして子供神輿会の方々が奉仕されていました。




高木神社の歴史は古く、社伝によれば、「奈良時代末の桓武天皇御代・延暦年間中、坂上田村麻呂が東国を鎮圧して斎き奉ると言う」と記載され、田村麻呂の東征祈願に由来しています。

平安時代初頭の大同二年、開山に徳一大師を招いて、霊域“高野ヶ岡”に小祠を建立し、高木神勝軍地蔵の二社を勧請、「鶏足山豊前寺」を建立して、高野郷の鎮守としたとされています。



鎌倉時代末の南北朝期、南朝方の皇子義良親王(後の後村上天皇)を奉じた、奥州鎮守府将軍北畠陸奥守顕家公が、白河結城氏と共に多賀国府へ下向の時、当地を通過する際、“村司・佐久間右京太夫が村人を集めて、御仮屋を造り郷食を奉じます。

義良親王は、御礼として御宸筆の御歌を下さり、以後この御歌を祭祀、御宮社を「帝爵天皇宮」としています。

その後も、神徳は継承され、戦国期南北朝動乱の初頭に戦国大名として勢力を広げていた平姓三春田村氏の信仰厚く、奥州田村ノ庄の総鎮守として領内の崇敬を集めたとされています。

江戸期の秋田藩政下では、実沢村鎮守として継承され、明治維新後の廃仏毀釈で、高木神勝軍地蔵尊は金剛山瑞祥寺へ移し、新たに、高皇産霊命(高木神)を祭神して實澤村鎮守“高木神社”と改称されます。



先日、高木神社宮世話の佐久間様よりいただいた画像です。
拝殿内に設置してある、高木神社の由来を明記した檜の看板です。



尚、詳細は、高木神社拝殿内に奉納した欅板寄書「高木神社由緒・社掌岩崎嘉門・明治三十五年各神社由緒調査書(沢石村役場)」を参照ください。



社殿に施された彫刻は稀に見る力作揃いで、拝殿外壁の欄間にはめ込まれた明治期の彫り物は、“日清・日露戦争や昭和初期の日独(第一次大戦)そして大東亜戦争での“武運長久”を祈念して奉納されたものです。
拝殿内にも、大東亜戦争時に奉納された軍艦の絵馬が飾られてあります。




社宝としては、南北朝時代の貞治元年(1362年)三春平姓田村右京太夫輝定公が寄進・奉納した、大陸渡来の“華鬘”や“胡州鏡”。

田村隆顕公の寄進した“金銅透彫寶相華文一対二面。

田村清顕公の奉納した金銅透彫蓮華文一面。

鑼等の仏具や鰐口(亡失)などがあり、県内有数の中世金工品として町の重要文化財に指定されています。



実沢には、室町時代から戦国期には三春田村氏の出城である“田村四十八舘”の一つ、北方守護与力五十騎を統括する“実沢館”があり、城主実沢山城守が治めていました。

後に、北方守護は富沢舘の富沢氏となり、実沢佐久間氏が名主として治めます。



今でも沢石には佐久間姓が多く居住しています。
この佐久間氏の由来には諸説あります。
佐久間という文字からの由来としては、舘・城郭にある小窓を”狭間”と表しますが、この狭間が転じて佐久間となったという説、これは北方守護として敵を見張るための役割を与えらたこの一族にぴったりの由来です。
また、山に囲まれた谷間の狭い地域でを表した、これまた“狭間(さま)”という字が転じて“佐久間”となったという説。





一方、歴史的背景からの由来としては、本姓は藤原姓を名乗り、播磨国(兵庫県)守護赤松氏に仕えて、知行地の播磨国佐久間郷から佐久間姓を称し、赤松滅亡後に三春田村氏に仕官したとする説。

もう一つ、柴田勝家の麾下与力佐久間盛政二男で、柴田家滅亡に、三春田村氏仕官し、田村の重臣田村隼人の養子となった佐久間盛安の一族とする説等々・・・



   
戦国期、三春田村氏は、同じ仙道地域の小豪族である、会津葦名、二本松畠山義継、須賀川二階堂、そして小浜城の大内定綱らも反田村氏となったため、四方を敵に囲まれることとなります。

それに対する備える三春領の中でも最重要拠点とみえて、戦国期の田村領で五十騎以上、足軽百名以上の与力侍が常駐した舘は、10舘位だと記録されていますが、その中でも最大規模といわれています。

いづれにしても、三春田村氏が、戦国時代を乗り切るために、最も信頼する最強の精鋭部隊である佐久間一族を北方守護として配置したことには変わりはありません。

戦国期の終末、太閤秀吉による「奥羽仕置き」にて田村家の改易後は、知行地に帰農し、代々実沢村の名主・村司としてを勤めてきました。



地名である実沢の由来として、“大御神(義良親王・後の後村上天皇)の徳實恩澤の利益”を感謝する意味を込めて實澤(実沢)としたと伝えられ、毎年この由来のとおり、徳實恩澤によって、五穀豊穣と世界平和があることへの、祈願と感謝で、村人総出の春秋の祭礼が挙行されています。




 
 蒼龍謹白  さすけねぇぞい三春!   拝





氏子青年会の奉納した手水舎です。



今回、記事を書くにあたっては、菊川屋に勤務の宮世話佐久間様や島屋商店様にも、ご協力を頂きました。

島屋さんは、先代の社長佐久間島久さんが当方の祖父の弟子という関係で、親戚以上のお付き合いをさせていただいています。
そんな関係もあり沢石は私にはより近くに感じる地区でもあります。




この沢石という地区は、旧三春藩秋田氏領の実沢、青石(旧塩松(四本松)城主石橋氏領)、そして旧三春秋田家の分家・旗本秋田氏所領の富沢の三地区で行政区となっています。

注・上記へご案内した多高木神社由来調書に記載された、帝爵天皇宮の記載を尊重して、高木神社の旧神号を帝釈天皇ではなく、帝爵天皇と表記させていただきました。

三春昭進堂 髙橋龍一

| ryuichi | 17:58 | comments (x) | trackback (x) | 旧沢石村::実沢 |
三春物語577番「実沢鎮守 高木神社」


三春城下の北部、旧実沢村の鎮守高木神社です。
旧天王宮と称し、祭神を帝釈天として祀っていました。


実沢村は、戦国期には田村四十八舘の一つ北方守護実沢館があり、城主実沢山城守が治めていました。

明治初頭の廃仏毀釈で高皇産霊命(高木神)を祭神して高木神社と改称されました。
南北朝動乱の戦国期初頭に戦国大名として勢力を広げていた平姓三春田村氏の信仰厚く、奥州田村庄の惣鎮守として領内の崇敬を集めたとされています。



帝釈天とは、梵天とならび称される仏教の守護神です。
十二天の一で、また、八方天の一として東方を守るとされています。
また、天上界の王といわれます。




天衆をひきいて阿修羅を征服し、常に使臣をつかわして天下の様子を知らしめ、万民の善行を喜び、悪行をこらしめます。
欲界六天中の”とう利天”の主、須弥山の頂上の中央にある殊勝殿ともいう喜見城に住み、四天王を従えます。本生話(釈迦生前物語)や釈迦誕生の場面、釈迦が、とう利天で母の摩耶夫人に説法した際に付き従っていて釈迦の緊密な擁護者でもあるされています。



三春田村氏が奉納した銅鏡や銅鑼等の仏具は、県内有数の中世金工品として町の重要文化財にしていされています。

立派な彫刻が社殿を飾ります。




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| ryuichi | 04:41 | comments (x) | trackback (x) | 旧沢石村::実沢 |
三春物語571番「実沢現人神社」


三春城下の北部二里余、旧実沢村にある現人神社です。




一言主命(ヒトコトヌシノミコト)という神様をお祀りしています。
この御祭神は、人々が普段口にする言葉を叶える神様で、特に一言で言った言葉に対して強い霊力を持ち、この地方の人々の間では「何事でも一言で聴き届けていただける」という根強い信仰があります。



この神さまは「一言(いちごん)さん」と地元のひとには親しまれているそうで、さらに、「一言」にあやかって、1度にひとつだけのお願いごとなら叶えてくれるのだと言われています。困ったことが起きた時には、神前で一つの言葉に願いを込めてお参りするのが習わしです。


古代の人々にとって、信仰の対象は自然界における事象や事物すべてでした。
「八百万の神」というほど日本の神が多いのはそのためです。
人間の力ではどうすることもできない自然の出来事に神の姿を見たのでしょう。
巨石、滝、川、巨木などが神の宿るところとみなされていたので、山は霊域として信仰の対象になり、多くの神社や仏閣が創設されました。
季節の移り変わりも、人生の節目も、鎮守の神様とかかわりながら体験していたといってもよいでしょう。
そこは、暮らしのごく身近にある「祈りの場」でした。



大黒様や巳待供養等などもあります。




| ryuichi | 04:35 | comments (x) | trackback (x) | 旧沢石村::実沢 |
三春物語570番「実沢の阿弥陀堂」


三春城下の北部、旧実沢村にある阿弥陀堂です。
その名のとおり、阿弥陀如来を納めるお堂です。

この山々に抱かれた奥深い山里にはかつて、中世以前から盛んだった修験道の行場や、庶民信仰の跡を物語る数多くの神社仏閣、祠、石仏、板碑など宗教遺蹟が多いことに気づかされます。



西方極楽浄土の主である阿弥陀如来は、別名 無量寿如来ともいわれ、その寿命は限りないとされ、その光明は十方国を照らすとも言われています。
  弥陀の四十八願により「南無阿弥陀仏」と唱えれば、如何なる者であっても、死後、阿弥陀様の極楽浄土へ人々を導き、生まれ変わらせてくださるという、大変ありがたい仏様です。
  阿弥陀如来の功徳は、極楽浄土、現世安穏、先祖供養、家内安全、戌年・亥年生まれのお守り本尊などです。


2002年の10月に封切られた「阿弥陀堂だより」
ご覧になった方も少なくないのではないでしょうか。
黒澤映画「阿弥陀堂だより」
東京で暮らす熟年の夫婦、孝夫と美智子。医師として大学病院で働いていた美智子は、ある時パニック障害という心の病にかかってしまう。東京での生活に疲れた二人が孝夫の実家のある長野県に戻ってきたところから映画は始まる。二人は大自然の中で暮し始め、様々な悩みを抱えた人々とのふれあいによって、徐々に自分自身を、そして生きる喜びを取り戻していく。



物質社会にまみれた今の世にあっては「神道の潔さ」、あるいは「仏教のもつ謙虚さ、慈悲深さ」など、現代人にはむしろ学ぶべき事の方が多いのではないでしょうか。
「物質的な豊かさと精神的な豊かさは、必ずしも正比例はしないよ。」
路傍のお地蔵さまが私達に、そう語っているような気がしてなりません。


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| ryuichi | 04:19 | comments (x) | trackback (x) | 旧沢石村::実沢 |
三春物語329番「実沢金剛山瑞祥寺」




三春城下北方二里余、実沢の地蔵菩薩を本尊とする禅寺金剛山瑞祥寺



このふくよかな地蔵菩薩さまの石像は、凶作による餓死者を供養するため建立されたと伝えられています。


金剛山宇内


春にはきれいな桜の花がみれます


秋の瑞祥寺参道


六地蔵も村人を見守っています


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| ryuichi | 06:01 | comments (0) | trackback (x) | 旧沢石村::実沢 |
三春物語280番「実沢 久須斯神社」


三春城下より、北西二里あまり、実沢にある「久須斯神社」は、永作、北両部落の村氏神として祭祀していました。
明治初頭の神仏分離と廃仏毀釈がなされる前は、「薬師様」と称し、東方瑠璃光如来の応化した薬師如来が安置されています。



勧請は古く、戦国時代の天正年間より祭祀していたと伝わっています。
信ずれば、眼病が癒えると云われ、「目」の字を書いた絵馬や仮名文字の「め」の字を千枚書いた紙を祈願の折りに奉納し、完治のお礼には幕を奉納するなど、広く村人が信仰してきました。



尚、江戸期の「薬師堂修復勧進之帖」のは、正別当三乗院の名と、持主実沢村久左衛門の名前が見えますが、個人の氏神修復に、村人の協力を求めたものと考えられ、その霊験にを次第に聞き及んだ村人の尊崇を集めるようになったと伝わっています。





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| ryuichi | 05:57 | comments (0) | trackback (x) | 旧沢石村::実沢 |