2009-10-22 Thu
三春城下北方二里余、実沢の地蔵菩薩を本尊とする禅寺金剛山瑞祥寺
このふくよかな地蔵菩薩さまの石像は、凶作による餓死者を供養するため建立されたと伝えられています。
金剛山宇内
春にはきれいな桜の花がみれます
秋の瑞祥寺参道
六地蔵も村人を見守っています
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2009-09-14 Mon
三春城下より、北西二里あまり、実沢にある「久須斯神社」は、永作、北両部落の村氏神として祭祀していました。
明治初頭の神仏分離と廃仏毀釈がなされる前は、「薬師様」と称し、東方瑠璃光如来の応化した薬師如来が安置されています。
勧請は古く、戦国時代の天正年間より祭祀していたと伝わっています。
信ずれば、眼病が癒えると云われ、「目」の字を書いた絵馬や仮名文字の「め」の字を千枚書いた紙を祈願の折りに奉納し、完治のお礼には幕を奉納するなど、広く村人が信仰してきました。
尚、江戸期の「薬師堂修復勧進之帖」のは、正別当三乗院の名と、持主実沢村久左衛門の名前が見えますが、個人の氏神修復に、村人の協力を求めたものと考えられ、その霊験にを次第に聞き及んだ村人の尊崇を集めるようになったと伝わっています。
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2009-07-19 Sun
むかし、江戸の終わり頃、三春のお寺で、1匹の猫を飼っておりました。
そのころ、この地方が飢饉にみまわれ、人々の食料がとぼしくなってきていましたので、ある日、和尚さんは猫に向かって、 「人間でさえ、食べ物がなくて困っている。本当に気の毒だが、このままではみんなの手前、食べ物をやることもできなくなりそうだ。今のうちに、どこか食べ物のあるところへ行きなさい。」
というと、和尚さんの顔をじっと見ていた猫は、うなずいて、
「和尚さん、長い間かわいがっていただいてありがとうございました。この御恩は一生忘れません。いつか必ず恩返しをします。」
それから何年かたったころ、名主の娘さんが亡くなり、そのお葬式をしておりましたが、その時、突然、空から黒い雲が降りてきて、あらよあれよという間に娘さんの棺をつつみこみ、また空に昇っていきました。
すると、棺の中は不思議なことにからっぽで、娘さんは煙のように消えて無くなり、お葬式は大騒ぎになってしまいました。
その時、どこからともなくあの猫が現れ、 「娘さんを取り戻すには、三春に御利益のある寺があります。そこの和尚さまにお願いするしか方法はありません。この和尚さまは、人並みすぐれて修行をつんだ、たいへん徳の高い情け深いお人で、お願いすれば、必ず娘さんを取り戻してくださいます。皆さん、迷っている場合ではありません。」
と、それだけ言うと、その場から立ち去っていきました。
名主さんたちは、和尚さんにお願いしました。
和尚さんは無言で祭壇の前に進み、正面に着座すると静かにお経を唱えはじめました。
その声は、次第に高まってすみずみまでよく伝わり、すると不安だった人々の気持ちもだんだん安らいできました。
どのくらい時間がたったのでしょうか。
ふたたびもとの静けさに戻るように、お経が終わりました。
すると、不思議なことに娘さんの亡骸は、もとの姿のままで安らかに棺の中に戻っていたそうです。
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