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「宇賀神様(うがじんさま)」 ~福の神~ 鷹巣・宇賀石




「宇賀神様(うがじんさま)」 鷹巣・宇賀石地区


祀られている旧鷹巣村宇賀石にある「宇賀神(うがしんさま)」は、「幸運や金運、財運、智恵、五穀豊穣」など、多くの御利益をもたらしてくれる神様「福の神」と言われ、中世室町時代以降に民間信仰として、さらには、時には武家の出世をかなえてくれるとして、武家の奥方様方の信仰の対象でもありしていました。


宇賀神様の、そのお姿は、蛇神・龍神の化身と言われるように、頭は、女性や老人、そして、体には龍(蛇)がとぐろを巻くというおどろおどろしい姿であらわされているとされています。





下記は、上記の「田村の庄・鷹巣の里を辿る」橋本吉正(ペンネーム橋本史紀)著(非売品・自費出版)内、「宇賀神様」の項からの引用です。

宇賀神様は、鷹巣の農免道路と国道二人八号の高架橋の交差する農免道路沿いにあります。

古来より霊験あらたかな「福の神」として信仰を集めた民間執行の神様ですが、時代の推移に伴い今は目立たない場所にひっそりと鎮座されています。

さかのぼれば、室町期より鷹巣村の庄屋であった松崎氏(現松崎一郎氏宅)の氏神であったとのこと。


元庄屋松崎氏の子孫の方から聞いた話によれば、生来、病弱だったことを心配した家人が宇賀神様の桜の葉を数枚いただき煎じて飲ませ続けたところ、とても丈夫になったとの事(本人の弁)。

また、ある方が桜の枝が年々成長し続けたので、農作業の支障になると枝を少し切り払ったところ、その後ケガに見舞われ、以来、どんなに枝がのびようと一切、ふれないよう大事にされている等々・・・

聞けば偶然とも片づけられない不思議な霊力を感じたものであるが、昨今は訪れる人も少なくなっている。

古老(複数)日く、「昔はカマス(米俵のようなもの)でお養銭を背負って運ぶほどの信仰が厚い神様として大盛況だったそうだよ」とのことだった



私も、前々から気になっていましたが、農免道路沿いで交通量も多く、その場所が鬱蒼としていることや、車を止められないということで遠慮していた場所です。







コロナ騒ぎの最中である今年5月の連休明けに、三春の歴史を記している当店発行の塵壺、そして、ホームページの読者からこの宇賀神様について問い合わせがありました。


問い合わせをいただいた時には、私は「桜の老木の下に何かの祠がある・・・」程度の認識しかなかったので、その時には、鷹巣地区の神様の事なので、近くの白岩の高屋敷稲荷の鈴木宮司が詳しいだろうとそちらを紹介しました。


以来、高屋敷稲荷神社に集う方たちが草刈りをして整備し始めたというところです。



因みに、宇賀神様の御縁日はというと、弁財天の御縁日と同じ「己巳(つちのとみ)」の日と伝わっています。


己巳(つちのとみ)の日は、60日に一回巡ってきます。

今年2020は、9月23日(水)、と11月22日(日)曜日です。


巳の日は、弁財天に縁のある日のことで、十二支の1日で、12日ごとに巡ってきます。







巳(み)の日に弁財天の遣いである白蛇(巳とは蛇の事)に願い事をすれば、その願いが弁財天に届けられると言われており、金運・財運にまつわる縁起のいい吉日のひとつとされています。

また、宇賀神様の縁日、己巳(つちのとみ)の日という日は、巳の日のなかでもさらに縁起の良い縁日です。


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| ryuichi | 04:24 | comments (x) | trackback (x) | 旧中妻村::鷹巣 |
中妻今昔物語の巻





中妻今昔物語の巻

中妻村は、明治22年4月、鷹巣、沼沢、斎藤、蒲倉、西方が合併した村であった。

明治の初めには、荒井、蒲倉は、旧磐城守山藩松平領2万石の一部だったが、先年の町村合併でまた別れて郡山市に合弁して行った。

三春西部18カ村の戸長役場が鷹巣にあった。

歴代村長を見ると、
①橋本順平
②新田義太郎(山田出身)
③五十川左平次(北町の人)..
④大和田二郎(美山の菅村太事の弟で大和田広治の養子)
⑤上石金五郎(西方名主)
⑥神山孝信(沼沢名主)
⑦影山由吉
⑧千葉芳蔵
(9)村上義治 ここで三春町合併となっている。

大和田広治は、明治1 9年1月から3 6年まで県会議員に選出されていた。

県参事会員をつとめ、土木通として知られていた。

斎藤下の湯の入口、大滝根川にかかる永久橋は、明治36年大和田広治翁の.運動でできた橋である。

学区は、昔から鷹巣と斎藤の二区に別れ、今日に至っている。

この学窓から巣立った人材に、福島,等女学校長を勤め、大正2年福島成蹊女学校-今の)女子高校を創立した熊田子四郎がある。

どういうがけか軍人が多い。

松崎今朝松大佐、柳沼今朝治二等主計正、それに松本敏夫、渡辺直隆の両中佐がある.

昔は、三春の城下からこの村を縦貫して江戸街道(現在の旧道)があった。

これは、寛永の頃というから松下3万石が三春を領していた、約400年も前にできた道である。

この街道筋には、首切場、畳石、白蛇石、御休場、天狗橋、一里塚などという、由緒ある名所があった。

しかし、里道から郡道、更に県道と移管される毎に改修)工事が行なわれて、原形が失われてしまった。

なお未調査の文化財として、斎藤新田のキリシタン寺、鷹巣の弘法壇、般若壇、御陵稲場、狐塚などの古噴がある。

※古い三春広報より参照


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| ryuichi | 05:30 | comments (x) | trackback (x) | 旧中妻村 |
「沼澤往来」と「沼澤往来の俗名」




いつもお世話になっているお客様、沼澤の清水田さまにご来店いただきました。

先の発行した塵壺340号に斎藤の沼澤のことが書かれていたので、以前先輩から頂いた「沼澤往来」と「沼澤往来の俗名」と題されたお手製の冊子を拝領しました。





「これらを塵壺の参考にして」ということでした。

中を拝見しますと沼澤の地名の由来をはじめ、寺屋敷、加護田、古関板、送り檀、和尚檀、細窪、谷地ノ前などなど沼澤の小字由来が詳細に記されています。






遠藤様のお名前と昭和六十三年戊辰の年号の入った「沼澤往来」


同じく平成二年の年号の「沼澤往来の俗名」







執筆者の遠藤様はもう他界されているとのことでしたが、地名や耕作地の由来が詳細に記されています。



ちょうど、青山氏関連の調べものをしている矢先の事でしたので大変参考になります。


これこそ「資料が向こうからやってくる」ということなのでしょうか?






清水田様、本当にありがとうございます。

有難く頂戴します。




春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍



| ryuichi | 05:26 | comments (x) | trackback (x) | 旧中妻村::沼澤 |
三春物語564番「鷹巣子安観音堂」


三春城下の南一里余、旧鷹巣村にある「鷹巣の子安観音堂」です。


子安観音は本尊・如意輪観音(にょいりんかんのん)です。
意の如く願いがかなう観音様です。


妊婦さんの安産祈願、そして子供の無事の成長に御利益があるとされています。


密教の変化観音の一つで、六観音の一つであり、天道を担当します。


思うがままに宝を取り出し、苦しみを取り除くという如意宝珠(にょいほうじゅ)と、輪宝(りんぽう)と呼ばれる転輪聖王が持つ第一の宝、あらゆる迷いを破砕する車輪型の密教法具を持物とします。
 

日本では江戸中期以降、二十二夜の月待信仰に取り入れられ女性の厚い信仰を受けました。現在でも女性の墓石の多くに二臂の如意輪観音像が刻まれます。




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| ryuichi | 04:12 | comments (x) | trackback (x) | 旧中妻村::鷹巣 |
三春物語508番「鷹巣平松三渡権現」

旧鷹巣村平松鎮守三渡権現


広域農道白岩高屋敷稲荷手前に鎮座します。
普段は気がつかず、探しきれませんが、草木の落ちたこの時期だから見つけることが出来ました。



仏教が日本に伝来する六世紀以前、人々の信仰の対象は自然だったのでしょう。
山や木、そして巨石、さらには風や雷といった自然現象をも神として崇め、祈りを捧げてきました。
その古代信仰の上に、神道や仏教が重なり合い、神仏習合が行われてきた日本の信仰。
明治以後、国策によって神仏離反、そして廃仏毀釈と言った過剰解釈のうえに仏像廃棄が行われましたが、三春の里山では今なお神と仏が共存する姿に出会えます。





やはり様々な祠や石仏が集められています。


祠に入る般若の面ですが、さすがに不気味です




すっかり農村にとけ込んでいます。


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| ryuichi | 05:09 | comments (x) | trackback (x) | 旧中妻村::鷹巣 |
三春物語500番「西方六地蔵尊冥供養塔」
西方六地蔵尊冥供養塔


地蔵菩薩は悪世において救済活動を行う菩薩です。菩薩とは大乗仏教では仏陀となるための修行中のもののことをいい、地蔵菩薩は仏陀となることを延期して菩薩状態にとどまり、衆生の苦悩の救済を本願としました。



六地蔵とは六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上)のそれぞれにあって、衆生の苦悩を救済する地蔵菩薩のことです。その名称・形像は典籍によって異なりますが、一般には、地獄道を化す金剛願、餓鬼道を化す金剛宝、畜生道を化す金剛悲、修羅道を化す金剛幢、人間道を化す放光、天上を化す預天賀地蔵の総称とされます。日本では平安中期以来、六地蔵の信仰が盛んになり、六地蔵には、寺院・路傍・墓地などに祀(まつ)られた六体の地蔵や、あるいは地蔵堂に祀られたもの、六か所の寺院や堂に安置されるもの、また各所の地蔵尊のうちから六か所を選んだものなどがあります。



| ryuichi | 06:04 | comments (x) | trackback (x) | 旧中妻村::西方 |
三春物語507番「西方乳付け観音」


西方馬頭観音堂


西方の北面に安置されています。

祭礼は、旧三月十七日で、西方の各戸では、団子を持参して参拝後に参拝者に「団子撒き」をしていました。

馬頭観世音大菩薩を祀った二間四方堂内には、江戸期、馬画の名匠と云われた徳山研山の書かれた大絵馬をはじめ四十六面の親子絵馬が奉納されている。



この観音様は「乳付け観音」とも呼ばれ、馬産安全子孫繁栄にあらたかで、田村地方では小野の東堂山と並んで信仰され、その祭礼は大変賑わったと伝えられています。
御手洗の水に笹を浸して神前に供えておき、参拝者にこの笹と御札を配ります。
さらに、小さな板に馬の走る焼き印を押して配ります。
これは、馬が丈夫に育つようにと、たてがみに結んでいたと聞き及んでいます。



馬頭観音石碑をはじめ様々な石碑石仏が佇んでいます。




今は、地域の方々に護られて、訪れる人もなく閑かに時を刻んでいます。




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| ryuichi | 05:53 | comments (x) | trackback (x) | 旧中妻村::西方 |