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三春物語184番 「鷹巣橋本舘」


戦国期、三春城主田村義顕が築いた、出城田村四十八舘の一つ鷹巣橋本舘。
田村家家臣橋本某という城主がこの地を統治し、橋本舘として居城していました。
後に、橋本城主は「御舘(柳橋舘)」へ移籍し、代わって城主として佐久間氏が居を構えます。
現在、橋本館跡には、城主の守護神として祀られていた八幡宮が鎮座しています。
いまなほ土塁が残り、付近には馬場、馬場平などの舘に付随する施設の名称が地名として残っています。






これは貴重な、八幡大菩薩の石仏


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| ryuichi | 07:09 | comments (0) | trackback (x) | 旧中妻村::鷹巣 |
三春物語103番 堤屋敷の白山比咩神社「御千度参り」


 堤屋敷の白山比咩神社「御千度参り」
城下の南西へ一里余のところに鷹巣村堤屋敷があります。
約十戸の集落です。
戦国田村四十八舘の一つ「堤舘」の南中腹に、田村家臣佐久間盛安が加賀白山神社の分神を勧請した白山比咩神社が祀られています。
春は旧歴五月十七日、秋は旧暦九月十九日が祭礼で、それぞれ前日の宵に「御千度参り」が行われています。
夕食が済んだ午後七時過ぎ、部落の各家から、一人ずつ、男女は問わず各自ロウソクを手に、白山比咩神社の境内に集まります。
一同が揃ったところで、千を人数で割った数の箸を用意し、参拝者に配布します。
灯籠と社殿の四隅にロウソクが灯され、参拝者が各々手にロウソクと箸を持ち、宿の主人を先頭に御千度参りが始まります。
社殿を右廻りに廻りながら、口々に「六根清浄、南無阿弥陀仏」と唱えて社殿正面に来るごとに、拝殿の上がり口に箸を一本ずつ置いて行きます。参加者数ののべ回数で千回に達する少し前で終了します。
現在は、「御千度参り」が終了すると各々帰宅していますが、古くは社殿にお籠もりして夜を明かしたと云います。
「御千度参り」の翌日が、「本祭り」で、秋は「つつこ祭り」と称されています。
持ち回りの勤める宿では、各戸で必要とする「オキリカエ(御幣)」を神職から頂いて皆に配布します。
各家では、赤飯を炊き、新藁で作った「ツツコ」に入れ、オキリカエと供に、白山様や屋敷神である「オブスナさま」に供えます。




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三春物語104番 鷹巣佐久間舘(堤舘)と浮内地蔵堂


「鷹巣浮内地蔵堂」佐久間舘(堤舘)
 城下の南西へ一里余のところに鷹巣村浮内集落、佐久間舘(堤舘)の下にある地蔵尊です。二足四足は食さないという厳しい信仰で守られた地蔵尊です。
お堂には、絵馬や連歌の偏額が奉納されています。

堤舘とは、戦国田村氏築城となる田村四十八舘の一つで「佐久間舘」と呼ばれています。戦国期、田村家臣佐久間盛安が居城していましたが、後に「御舘舘」に移籍してからは、廃城となりました。
佐久間盛安は、羽柴秀吉と戦った「賤ヶ岳の役」で、柴田勝家の麾下与力として戦い、敗走した佐久間盛政二男で、この地に落ち延び、田村義顕の家臣田村隼人の養子となり、堤舘に居城したと伝えられています。

また、近くにある「ごりょう」と呼ばれる稲葉には、室町末期の五輪塔が三基建立されて戦国武将の館跡を今に伝えています。






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| ryuichi | 05:54 | comments (0) | trackback (x) | 旧中妻村::鷹巣 |
三春物語105番 「鷹巣 医王山瑠璃光院薬師寺」


三春城下の西、鷹巣村薬師堂という集落があります。



この薬師堂という地名は、集落にある医王山瑠璃光院薬師寺から着ています。
三春城下紫雲寺の末寺です。




薬師寺のご本尊は、木造阿弥陀如来聖衆来迎像です。
創建時は独尊であったと思われますが、阿弥陀二十五菩薩来迎像と呼ばれ阿弥陀如来の周囲に二十五菩薩が配置され、雲上に聖聚を従えて往生者を迎える様を描写した彫刻仏像です。
この様式の仏画は多数みられますが、木造は大変珍しいものです。
また、この図式は「観無量寿経」に説かれてはいませんので、中国に成立した「十往生経」から着ているものでしょう。





鷹巣村を含む旧中妻村は、板石供養塔婆が最も多い地域で、三春領内でも早くから開けていた地域です。



平安時代のはじめに法相宗徳一大師が、浜通から会津地方にかけて薬師信仰を布教したことが知られていますが、鷹巣に隣接する沼沢村にある子安薬師が、徳一大師開創と縁起が伝えられており、鷹巣薬師堂も徳一大師の流れをくむ旧蹟と考えられています。




寂という言葉が似合います。







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三春物語106番 「鷹巣円通山善応寺」
 

御本尊を「聖観音菩薩」であり、田村三十三観音第三十二番札所です。
三春城下、臨済宗福聚寺の末寺とされています。
大般若経六百巻が納められ、毎年春彼岸に開帳されています。
 


宇内に享保年間建立の庚申供養塔がありますが、珍しい造りで下部に三体の人影が刻印されています。



隣接にある、鷹巣八雲神社は、瀬山にあった天正十六年勧請の牛頭天王を明治初期に名前を改めこの地に移したもので、鷹巣の総鎮守です。





境内には、「鷹巣」の名前の由来となった大杉が今も境内にあります。
 


鷹巣の由来
 三春が会津上杉弾正景勝の所領期に、領地検分の役人がきて、この地は何という村かときかれた。中端(なかつま)村と答えたが、八幡神社の大杉に鷹が巣を造っていたので、以後、鷹巣と名付けられたと伝わっています。
 この大杉は、落雷で梢が焼けましたが、現在も境内にそびえ立っています。



境内から田村四十八舘跡を望みます。






木漏れ日の境内





善応寺の檀家さんは影山姓が多く、言い伝えによると「お陰」から由来し、殿様からいただいた苗字と伝わっています。



| ryuichi | 13:56 | comments (0) | trackback (x) | 旧中妻村::鷹巣 |