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三春物語500番「西方六地蔵尊冥供養塔」
西方六地蔵尊冥供養塔


地蔵菩薩は悪世において救済活動を行う菩薩です。菩薩とは大乗仏教では仏陀となるための修行中のもののことをいい、地蔵菩薩は仏陀となることを延期して菩薩状態にとどまり、衆生の苦悩の救済を本願としました。



六地蔵とは六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上)のそれぞれにあって、衆生の苦悩を救済する地蔵菩薩のことです。その名称・形像は典籍によって異なりますが、一般には、地獄道を化す金剛願、餓鬼道を化す金剛宝、畜生道を化す金剛悲、修羅道を化す金剛幢、人間道を化す放光、天上を化す預天賀地蔵の総称とされます。日本では平安中期以来、六地蔵の信仰が盛んになり、六地蔵には、寺院・路傍・墓地などに祀(まつ)られた六体の地蔵や、あるいは地蔵堂に祀られたもの、六か所の寺院や堂に安置されるもの、また各所の地蔵尊のうちから六か所を選んだものなどがあります。



| ryuichi | 06:04 | comments (x) | trackback (x) | 旧中妻村::西方 |
三春物語507番「西方乳付け観音」


西方馬頭観音堂


西方の北面に安置されています。

祭礼は、旧三月十七日で、西方の各戸では、団子を持参して参拝後に参拝者に「団子撒き」をしていました。

馬頭観世音大菩薩を祀った二間四方堂内には、江戸期、馬画の名匠と云われた徳山研山の書かれた大絵馬をはじめ四十六面の親子絵馬が奉納されている。



この観音様は「乳付け観音」とも呼ばれ、馬産安全子孫繁栄にあらたかで、田村地方では小野の東堂山と並んで信仰され、その祭礼は大変賑わったと伝えられています。
御手洗の水に笹を浸して神前に供えておき、参拝者にこの笹と御札を配ります。
さらに、小さな板に馬の走る焼き印を押して配ります。
これは、馬が丈夫に育つようにと、たてがみに結んでいたと聞き及んでいます。



馬頭観音石碑をはじめ様々な石碑石仏が佇んでいます。




今は、地域の方々に護られて、訪れる人もなく閑かに時を刻んでいます。




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| ryuichi | 05:53 | comments (x) | trackback (x) | 旧中妻村::西方 |
三春物語503番「西方井戸と水かけ神事」


西方井戸と水かけ祭



戦国時代より継承されてきたという奇祭「西方水かけ神事」
この井戸で、塩竃神社先勝祈願の水垢離をとったことに始まったと考えられる厳寒正月の行事として現在も行われています。
この祭りは、部落息災繁栄と五穀豊穣を祈願して行われています。



| ryuichi | 05:53 | comments (x) | trackback (x) | 旧中妻村::西方 |
三春物語502番「鷹巣の平松庚申塔石割り桜」
「梅は咲いたか桜はまだか」という、冬と春の境目の中途半端のこの時期、北国三春は芽吹きの時期を迎えます。
雪解けを待って、暇を見ては寺社仏閣を巡っていますと、冬が長かった分の春への期待を含めて大地の木がみなぎる力を感じます。



三春城下の南西、三里余広域農道に面する、旧鷹巣村平松庚申塔石割り桜です。



巨石を割って山桜が自生しています。



この生命力には勇気さえ感じます。


庚申の厄をこの桜がはらってくれると云われています。


春が待ち遠しく思います。



| ryuichi | 05:36 | comments (x) | trackback (x) | 旧中妻村::西方 |
三春物語494番「西方六地蔵塔檀跡三階堂」


西方三階堂



三春城下の南、旧西方村の西方山頂に華麗な三階建てお堂があったと伝えられています。
今なお三階堂の地名が残されています。
御本尊は、阿弥陀如来です。



天明年間に怪火により堂宇焼失の祭に、この如来様は霊験によって自ら難を避けたという伝説も残ります。
現三階堂のあるこの辺り一帯は、地蔵尊をはじめ六地蔵塔檀跡と云われ、霊域とされています。




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| ryuichi | 05:11 | comments (x) | trackback (x) | 旧中妻村::西方 |
三春物語493番「西方霧舘守護神北辰妙見尊星王宮」


西方霧舘 北辰妙見尊星王宮


三春城下の南、旧西方村にある西方舘。
三春ダム展望台付近になりますが、
三春城主戦国田村氏時代の防御要塞田村四十八舘の一つ西方舘千葉紀伊守の居城がありました。
その舘の守護神として峰続きの高台に鎮座しています。



祭日を、旧二月十八日にとして、作神様といって参拝しています。

妙見信仰として有名なのは千葉県の字にもなっている千葉氏でありますが、妙見信仰が関東地方に伝わったのは、天智天皇の666年から霊亀(716年)に近畿・駿河・甲斐・相模などに住んでいた帰化人を、関東地方に移住させたことで、文化の1つとして伝わったようであります。
 そしてこの妙見信仰と、もともとこの地にあった八幡信仰とか習合して、下総の千葉氏の守護神となっていったようなのであります。
千葉氏は、戦国期に滅亡し全国に離散しますが、その一家が三春に住み着き、田村氏の配下となったと考えられています。



『妙見様(みょうけんさま)』とも呼ばれる主祭神・北辰妙見尊星王(ほくしんみょうけんそんじょうおう)は、天体の中で動かないように見える北極星は、方向を指し示す事から世界中で神格化されて来ました。
 北極星の化身としての妙見信仰が日本に渡来したのは紀元後500~600年代とものの本には書いてあります。伝来当初は渡来人の多い



南河内など辺りでの信仰であったようですが、次第に畿内などに広まって行ったようであります。
 しかし朝廷の統制下にない信仰であったため、延暦15年(796年)に妙見信仰最大の行事「北辰祭(妙見祭)」を禁止しました。
表だった理由は「風紀の乱れ」などであったようですが、実際は大衆とともに多くの官吏が信仰していたため、色々と政務に乱れを生じたためであるようです。



| ryuichi | 05:55 | comments (x) | trackback (x) | 旧中妻村::西方 |
三春物語108番 西方「水かけまつり」
 

西方「水かけまつり」泥かけ祭り
大滝根川に沿った三春町西方地区の塩釜神社で、子孫繁栄と五穀豊穣祈願のため、毎年元旦に行われている行事です。

西方地内に伝わる三百年余りの伝統を持つ小正月の行事で、以前は15日に行われていましたが、現在は元旦に行われています。
この祭りは、バケツで激しく水をかけ合い、無病息災・子孫繁栄・五穀豊穣を祈願する「みそぎ」の行事です。
神事は、村に疫病が流行ったとき水場(井戸)から霧が 立ち上り、まもなく疫病がおさまり一村全滅にもなりかねない 伝染病が霧のごとく消滅した喜びに、村人達は「これは鎮守塩釜 神霊の加護に相違ない」と感じて陸前の本社で行っている、水祝い の行事で水垢離(みずごり)をとったことに始まったと言われています。



また、天正年間(1573~1591)三春城にあった田村氏の武将として名をはせた田村四十八舘で、「霧舘」と呼ばれた「西方舘」城主千葉紀伊守が、与力や領民の士気を鼓舞するために始めた祭事といわれています。



まず、前祝いの酒宴がもたれ、頃合いを見て全員がまわし一つの裸となり、村を流れる大滝根川に入って禊ぎをします。続いて一同うち揃って塩釜神社に参拝し、一気に行井戸にかけおりると、桶やばけつで水をかけあいます。
井戸水はたちどころになくなるため、田の泥水まで汲み出し、前後の判別 のつかないほど泥まみれの者も出てきます。
やがて、区長の合図で止め、「万歳三唱」して終了します。
水かけまつりの本義は、若者仲間の婚姻承認の祝福であり、氏子のひとつの試練で、新しい年を迎えての厄払い、五穀豊穣、村内安全の祈願などが習合したものと思われる。



村内にある「西方不動堂」です。
この不動様は、「おてはんにゃ様」と呼ばれ、旧歴三月十五日の祭礼には「般若経」六百巻が転読され、参拝の村人のひたいには墨の角印を押してもらい無病息災を祈願します。

また、「ちちつけ観音」と呼ばれる観音様も鎮座し、祭礼に配られる「走る馬」の焼き印を押した小板は仔馬のたてがみに結ぶとその馬が丈夫に育つといわれています。
尚、「ちちつけ観音」とは、仔馬が乳を飲みつけないときに参詣すると乳を飲むようになる。




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| ryuichi | 04:43 | comments (0) | trackback (x) | 旧中妻村::西方 |