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三春物語436番「斉藤松樹神社」


斉藤松樹神社

三春城下の南、斉藤村安養寺の裏山松樹山の山頂に鎮座します。




元亀元年、松樹山上館の城主斉藤大善の軍中勝利を祈願して、嫡子藤原頼位が月見崎に勧請したと伝えられている。





祭神は、妙見大菩薩であったため妙見様と呼ばれています。
近くには、五輪塔があり城主の墓地と推測されています。
 
社殿には、木片の祈願札が多数貼られていますが、先の大戦出兵時の安全祈願が見て取れます。





竹林の風情が雰囲気を創っています




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| ryuichi | 06:08 | comments (x) | trackback (x) | 旧中妻村::斉藤 |
三春物語432番「斉藤鹿島神社」


斉藤鹿島神社





鹿島神宮は武甕槌命(たけみかづちのみこと)を中心に、併せて
経津主命(ふつぬしのみこと)と天児屋根命(あめのこやねのみこ
と)をお祀りしています。


 
 武甕槌命は経津主命とともに、出雲の大国主命に国譲りを求め、
反対した建御名方命を諏訪に服従させ、天孫降臨を無事に成し遂
げたとされる神様です。このために軍神や武神として崇められ、
時代劇などで剣道場の正面に祀られているのが、鹿島、香取(経津
主命)の神様です。

 
 

武甕槌命は稲妻を神格化したものと考えられ、香取神宮の祭神
の経津主命のフツヌシは、いわいぬし(祀主)のことですので、鹿
島の神の斎主ではなかったと考えられます。この事から、一般に
「鹿島、香取」と一つのように云われています。



社殿には、木片の祈願札が多数貼られていますが、先の大戦出兵時の安全祈願が見て取れます。




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| ryuichi | 06:06 | comments (x) | trackback (x) | 旧中妻村::斉藤 |
三春物語430番「斉藤安養庵の如意輪観音」
斉藤安養庵の如意輪観音石仏群



三春城下、浄土宗紫雲寺方丈の隠居寺、安養寺は、城下南二里余りの斉藤村にあります。



江戸時代になると民間に「月待ち」という宗教行事が爆発的に流行した。



満月(十五夜)を観賞して楽しむ
「お月見」という行事は、現代でも風流人に
受け継がれ、まだ根絶はしていないが、さらに江戸時代には十五夜を過ぎて
徐々に欠けていく月が出るのを待ち、その月を「講」と呼ばれるグループで
拝んで無病息災を祈るという「月待ち」が盛んに行なわれた。



月は二十二夜、二十三夜、二十六夜などの月齢になると、その光は仏様の慈悲を帯びると
いう俗信から生まれた民間の宗教行事である。



二十二夜の月待ちの本尊として供養塔に彫られたのが如意輪(にょいりん)観音である。


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| ryuichi | 06:18 | comments (x) | trackback (x) | 旧中妻村::斉藤 |
三春物語391番「斉藤村社三渡権現」




斉藤村社「三渡権現」



宝亀二年(771年)、土地の豪族、伊藤氏の遠祖藤原頼豊が、松樹山と呼ばれる現地に勧請したと伝えられています。
平安期に創られた古社として古い行事を今に伝えています。





祭神は天弁羅雲命で夏季祭礼には「お湯立て」の神事が行われます。

また、奉納される太々神楽は古式をとどめる出雲流で町の無形民俗文化財に指定されています。






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| ryuichi | 05:27 | comments (0) | trackback (x) | 旧中妻村::斉藤 |
三春物語113番 「斉藤大多鬼川の銀魚淵」
西方の方から斉藤の方さ流れる大滝根川に、淵が7つあって、銀魚淵は一番上で西方屋敷のすぐ近ぐにある。
川のそばを通る道は細い山道で、石の間をくぐってやっと歩いていて、川の水は石にぶつかってずない渦巻きになっていたので、渦巻淵とゆうていた。
 昔、この村に左衛門という釣りの名人がいて、いつも釣りをしていたが、今日は夏祭りで天気がいいのだが魚は1匹も釣れねえで昼飯になった。お祭りの赤飯(あかまま)を食うべと思って弁当を開けたとき、白髪の爺さまが出てきて「赤飯をもらいてえ」と言うので、くれたら喜んで食うてしもうと、姿が見えなくなってしもうた。
 左衛門は暑いので笠を顔の上に載せて昼休みしていると、「左衛門、左衛門」と誰かの声がする。笠の間から目を開けてみると、ずない狐が石の上に座って、尻尾を石にぶっつけると、「左衛門」と音が出てる。
 左衛門は「畜生、人を馬鹿にして赤飯を食いに来た狐畜生だったな。今に見ていろ、たまげらかしてくれっから。」と、「畜生」とずない声をあげて狐めがけて笠をぶっつけたら、狐はたまげて、淵さ落ちて、あっちむがいに逃げてってしもうた。
 今日はとんだ目にあった日だと、がっかりしてわげさ帰ろうと釣竿を上げべとしたら、なんぼ引っ張っても上がらねでいたとき、ちょうど西方の方から八兵衛というきこりどのが来たので、手伝ってもろうて、やっと上げたら、今まで見たことも聞いたこともねぇ6尺もあるずない銀魚が上がってきた。
 村中の人が聞きつけて、大勢集まって大騒ぎ。夏祭りが銀魚祭りに変わってしまい、みんなで銀魚の腹をわっつぁいたら、腹の中から赤飯が出てきたので、みんなたまげた。 左衛門は、「昼飯に赤飯を食いにきた白髪の爺さまは、淵の主の銀魚が化けたんだ。」と、大銀魚の頭を淵の近所さ埋めて、みんなで供養したんだ。 それからここを銀魚淵というようになったと。



| ryuichi | 06:43 | comments (0) | trackback (x) | 旧中妻村::斉藤 |
三春物語114番 斉藤「花立て地蔵」
   斉藤「花立て地蔵」
 新学期が始まり、真照寺の水芭蕉が見ごろを迎えると、三春の町に桜の開花を待ちわびて観光で訪れる方を見かけようになります。
観光で訪れる方は、当然三春に不案内で、町民の皆様も道を尋ねられる機会が多いことと思いますが、三春に来たお客様です、笑顔で道案内をしたいものです。
中妻の斉藤に、「花立て地蔵」があります。案内板によると、「この「花立て地蔵」がある場所は、変則十字路になっていていました。道に不案内で困っていた旅人を見ていた村人たちは、文化二年にお地蔵様を建て、その台座となる蓮座に道案内を刻み「導き地蔵」として道しるべとしました。
旅人達は、お地蔵さま温和で優しいお顔と蓮座の道しるべをみて喜び、野の草花を供え、それ以来、お地蔵様の前には、四季折々の花が絶えたことはなく、誰言うとはなしに、「花立て地蔵」と呼ばれるようになりました。」とありました。
そのお地蔵様の温和なお顔を拝見していますと。「人の世は、鏡のようなもので、多くは、こちらが笑えば向こうも笑い、こちらが怒ればむこうも怒るといわれます。」という語を思い出しました。
 どうせ泣いても笑っても一回限りの人生を生きていくのですから、できれば明るく楽しんで生きていたいものです。
しかも、それはただ相手に求めるだけではなく、まず自分からそう努めて方が近道であり賢明です。ことにこれは、なんとしても家庭の雰囲気の中心になる女性にとっては、何よりも大事なことの一つです。
 母の微笑み一つで面白くない気分も和らぎ、むしゃくしゃした気持ちが落ち着くとすればこれほど有り難いことはありません。
 平らでない鏡で見ると、美しい顔も美しくは見えず、長くなったり短くなったり、歪に見えます。心の鏡を明るく、平らなものにしなければなりません。世の中には
些細なことで起こったり、悲しんだりする人が少なくありませんが、そういう場合よく考えてみると、問題は必ずしも相手側だけにあるのではなくて、こちら側にあるもので、よい心の鏡を持つということは、人のためよりも自分のためになるものです。
 怒ったり悲しんだりする心の動き一つが、内分泌の様子を変え、体に害を与えることを思うと、怒って損をするのは自分自身なので大いに心せねばなりません。
 心一つで見るものも聞くものも美しくなり、心の曇りの被害者が、誰よりもまず自分だということを思うと、自分の幸福のためにも、また、周囲の幸福のためにも、何とか自分の心の鏡はいつも綺麗にしておきたいものです。
                   蒼龍謹白・・・・・合掌


| ryuichi | 22:01 | comments (0) | trackback (x) | 旧中妻村::斉藤 |
三春物語115 番斉藤安養寺(庵)と「中妻文化財を守る会」
 斉藤安養寺(庵)と「中妻文化財を守る会」
山里を紅葉で賑した秋も盛りを過ぎ、木枯らしが二度三度と吹きすぎると、落葉樹もすっかり落葉して、梢越しに深い紺青の空が光り、道の辺りを彩っていた草紅葉も、今はすっかりきらめきを失い、渋い色合いとなって目を慰めてくれます。
そんな晩秋の晴れ間をぬい、今年の春に斉藤地区の方々のご厚意により再建されたという「花立て地蔵(みちびき地蔵)」の東にある安養寺(庵)を訪ねてみました。
この安養寺は、寛永二年、三春城下大町にある浄土宗紫雲寺方丈の隠居寺として、良編岌誉上人により開山された小さなお堂で、御本尊は、如意輪観音で、三十三観音、子安観音、三光地蔵尊を祀っています。
まだ木の香りの残るお堂は、小さな質素な作りながら、境内もきれいに整備されていて、並んでいる石仏の表情も、どこか温和で誇らしげです。
三春でも肥沃な土地といわれる中妻の土地柄のせいか、温和な方々が多く、このお堂にも人々の温もりを感じます。
また、案内板には、その昔の縁日には説法会が開かれ、浄土宗ということもあり、町人が近郷近在の参拝者で賑わい茶店が軒を連ねたと云われます。
 中妻一帯で、史跡の案内板が各所に立てられていること気付きますが、これは「中妻文化財を守る会」の方々が、地区にある史跡を後世に伝えようと立てているもので、中妻地区住民の地元に対する想いには、頭が下がります。
 すぐ近くの月見崎には戦国期の三春城主田村氏の重臣で、田村四十八館の一つ松樹山上館の主斉藤大善の軍中勝利を祈願して、嫡子藤原頼位が建立した妙見様と呼ばれる、松樹神社があり、近くには五輪塔がありますが、その案内板には松樹山上館の主の墓と思われるとありました。
 さらに鷹巣には、集会所の西側に、三春城下後免町の福聚寺の末寺として、元禄二年翁宗印主座により開山されたといわれる、臨済宗円通山善應寺があります。
 ご本尊は、聖観世音菩薩で、田村三十三観音の第三十二番札所として、鷹巣のみならず、中妻地区の人々の信仰を集めました。
また、明治期に現中妻地区の方々や、近郷に住むその縁のある方々により納経された大般若経が六百巻納められおり、年に一度文化財を守る会の方々により御開帳されています。
 近年の社会情勢や就業体系の変化により、地元を省みない風潮が蔓延する中、この「中妻文化財を守る会」の方々のような、自分が生まれ育った町の歴史文化を誇りとして、孫子の代まで大切に守り残していくことが、明るい町つくりの真の姿なのでしょう。
                        蒼龍謹白・・・・・合掌





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| ryuichi | 17:05 | comments (0) | trackback (x) | 旧中妻村::斉藤 |