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三春藩主秋田家祈願所「日乗山真照寺」初寅祭典 2020



三春藩主秋田家祈願所「日乗山真照寺」初寅祭典 2020


江戸期の三春五万石藩主秋田家の祈願所である日乗山真照寺で「初寅祭典」が開催されました。

本年の初寅の日が2月5日となっています。

この日が、今年初めての“寅の日”と云うことで、この日を初寅祭典となり、“寅の日”は「毘沙門天(多門天)」の縁日とされています。








当三春昭進堂髙橋家は、先々代の祖父より門前の信徒として初寅祭の世話人を務めておりました。

先代である父、そして、私と三春昭進堂の当主としてその世話人の職責を引き継いだ次第で、初寅祭に出頭いたしました。


毘沙門天は四天王の一人で、北方を護る神様で東北の守り神とされ、商売繁盛・家内安全・長寿・勝運など様々な御利益がある神様です。









この日に真照寺の毘沙門天に参拝すると、毘沙門天の無量の大福を授かることができるとされており、毎年初寅講中の各地区世話人の方々を中心に多くの檀信徒の皆様が多く参詣されています。

初寅とは、12日ごとに来る「寅の日」のその年の最初に来る日を「初寅」といって、虎(寅)は「千里を行って千里を帰る」特別な力を持つとされ、吉日の中でも最も金運に
縁がある日として、「金運招来日」ともいわれていると伝えられています。







特に、今年最初の寅に日である“初寅”は毘沙門天とご縁が結びやすいと言われています。



真照寺山内の古四王堂内にあった毘沙門天尊は、身にまとった甲冑は守護神であることを意味し、左手の宝塔は仏教の教えを、右手には宝物を出す如意宝棒(にょいほうぼう)を持ちます。

この毘沙門天は、「福徳毘沙門天(ふくとくびしゃもんてん)」と云われ“福徳”を司る神様で、七難を避け七福を与える北方の守護神で闘神としても厚く信仰されています。







上杉謙信も、毘沙門天を信仰していました。

戦いの際に使っていた旗印は刀八毘沙門の「毘」一文字の旗は「戦の加護と勝利」を、そして、懸かり乱れ龍の「龍」一文字の旗は敵に総攻撃を仕掛ける時に本陣に立てられました。

尚、「龍」の文字は不動明王を表しているそうです。





この日は、古四王堂を模した本堂内の安置場所から、本堂中心の須弥壇に安置されます。


法要では、三春城下清水の天澤寺新保住職、そして、須賀川白山寺松木住職を副僧に迎えて、商売繁盛、家内安全等々の諸願成就の護摩焚き御祈祷があり、梵天にて参列者をお祓いしてもらいます。

このとき梵天を授けていただき(手で引っこ抜く)、お守りとします。



そして、直会。










古四堂内の須弥壇には、大日如来像と四天王・東の持国天,南の増長天,西の広目天,北の多聞天 (→毘沙門天 ) がありました。


大日如来像は、現在はありません。


他の四天王は本堂内に保管されています。









古四王堂は、鎌倉期から戦国末期にかけて「日ノ本将軍」「蝦夷探題」として青森から蝦夷にかけて覇を唱えた海将阿倍安東氏の直系三春藩主秋田氏が、三春国替えの際に祈願寺真照寺とともに建立したものです。

本拠地である青森十三湊時代は、出羽柵(後に秋田城)に近く、城の守りとして創建されたと見られる四天王寺と習合し、中世を通じて古四王大権現として崇敬されていました。







今年は檀家役員の手代木さんが明治37年に作成された真照寺絵図の模写を奉納されました。

現在はないお堂や石碑などが描かれており往年のお姿に檀家の皆様も感心しておられました。







2月3日の節分会、そして初寅祭、お寺の行事ということで先に52歳の若さで旅立った仲間・若松屋若旦那を偲び、そのご冥福を祈りながらお手伝いさせていただきました。

心よりご冥福をお祈りいたします。







春陽郷三春城下御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍


| ryuichi | 05:31 | comments (x) | trackback (x) | 三春藩主秋田家祈願所 真照寺::節分会・初寅会 |
三春藩主秋田家祈願所 真照寺節分会 2020




三春藩主秋田家祈願所 真照寺節分会 2020


一昨夜、三春城下の旧三春藩主祈願所日乗山東門院真照寺の節分会が盛大に開催されました。


三春昭進堂も、イワシの頭と柊、そして豆の木で拵えた魔除けを設え、真照寺節分会奉賛お接待「お汁粉振る舞い」の準備も完了し、節分の準備万端です。








令和初の節分会とあって、山内には、多くの方々が福を拾いに詰めかけました。

今年も、暖冬です。

山岸住職も、雪もなく、その時間に雨粒が数的落ちてきましたが節分会豆まきの会場となる山内が乾いている状態での節分は初めてだそうです。








古いお札や正月飾りを「御焚き上げ」する紅蓮の炎で、節分会山内の夜を、幻想的に厳粛な雰囲気に演出しています。






朝から、檀家や近所のお手伝いの方々や、ご祈祷を受ける方々や福授け豆まきの景品を奉納する方々、そして古いお札や正月飾りのお焚き上げの方々などが、行き交う参道。


早めの夕食を済ませた方々が、三々五々境内に参集してきます。

豆まき開始は午後八時ごろから、二回に分けて行います。








厄年の方、年男の方、各種祈願成就祈願の方などが、所願成就の祈願に、豆やみかん、お菓子など、さらに各種景品を献納しています。

これを、住職や年男の方々に、厄を託した豆(景品)を撒いてもらい、参詣者の方々にその厄を拾ってもらいます。



また、祈願者には「節分福銭」が授与され一年の金運を上げてもらえます。


尚この福銭は、来年返納してまた新しい福銭を頂いてパワーアプです!








皆さん、お焚き上げの炎で体を温め無病息災を祈願しながら、豆まきの時を待ちます。



また、この火にあたると風邪などひかなくなり、病魔が退散すると云われています。


裃姿の年男がお焚き上げの炎にあたり、邪気を払い豆まきの準備万端!










豆まきです。


福は内! 福は内!  福は内!  福は内! 福は内!



真照寺では、鬼は外とは言いません。

何故かって?

御本尊の不動明王さんは、改心すれば鬼をも助けるということです。

心の中にいる鬼も改心すれば・・・「罪を憎んで、人を憎まず!」です。





豆まきには、災いや病気といった不幸の要因は、外からやってくるという考え方が表れています。



仏教では、この鬼を人間を迷わす煩悩に見立てまして、読経や護摩供を行い除災招福(じょさいしょうふく)を祈願します。








そして、いよいよ豆まき景品交換。

ペアの温泉宿泊券やお酒、魚、醤油や油、民芸品、任天堂3dDS,ソニーPSP等のゲーム、そして特賞の石油ストーブ等々豪華賞品を目指します。

福を拾うかたがたも、お菓子や豆やみかんがいろんな角度から飛んできます。

これは正に乱戦です。

山内に、こっち!こっち!と手を挙げて福を求める方々の声が響き渡ります。


今年も沢山の方々が来場していただきました。



”笑顔” ”笑顔” ”笑顔” ”笑顔” ・・・・笑顔が山内にあふれます。



一般の交換が終わった後には、祈願申込者の方々限定の大交換会が始まります。

この場合も、お札受け本人もしくは代理の方がいないと無効となりますので、皆様そのまま待機しています。


住職が大鐘の中から名前の記載された紙を見ながら当選者の名前を呼ぶたびに、ため息とともに歓声が上がります。

くじ引きに当たった福男、福女の方々は、豪華景品をゲットしてご満悦です!







その後は、不動明王さんに奉納されたお神酒の御下がりを頂き直会を行って撤収となります。



祈願成就のお札を申し込まれた方々には”福銭”が下されます。

この福銭を一年間財布やレジに入れておくとお金がたまるといわれています。

そして、一年後に本堂のさい銭箱にお礼の気持ちを込めてお返しください。













福拾いの帰りには、当店で振る舞っている御汁粉も、約200名のお客様が来店され、笑顔と共に戦果報告を楽しそうに話しながら食されていたそうです。

あれ、社長は?

私は、お寺で直会の真っ最中です!

立春前夜、節分の夜にお不動さんを囲んで般若湯を酌み交わしたものですから、心の中の鬼も退散してしまったようで、晴々とした新春を迎える事が出来ました。




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| ryuichi | 05:33 | comments (x) | trackback (x) | 三春藩主秋田家祈願所 真照寺::節分会・初寅会 |
三春藩主祈願所真照寺方丈庭園の初氷



三春藩主祈願所真照寺方丈庭園の初氷


先ごろ、真照寺方丈庭園にある池に氷が張りました。

初氷です。





地下水の取り入れ口周辺は水温の関係で凍りませんが、ご覧の通りです。


朝6時の気温がマイナス6度です。






いい感じの凍っていますが、地下水を取り入れているために人が乗れるほどの氷にはなりません。


もっとも、そこまでのマイナス気温までは下がりませんが…


冬将軍の足音が聞こえてきそうです。




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| ryuichi | 04:51 | comments (x) | trackback (x) | 三春藩主秋田家祈願所 真照寺::祈願所の四季 |
真照寺山内 宝篋印塔(ほうきょういんとう) 紅葉ライトアップとキノコ



三春城下新町 三春藩主祈願所である真照寺山内の紅葉ライトアップが始まっています。

紅葉や楓が色付き始めていますが、紅葉するのはもう少し先になりそうです。






山内の足元に目をやりますと、例年通りキノコたちが顔を出しています。






食べれるキノコではありませんが、秋の風物詩です。








真照寺山内 宝篋印塔(ほうきょういんとう)

宝篋印塔は「一切如来心秘密全身舎利宝篋印陀羅尼経(いっさいにょらいしんひみつぜんしんしゃりほうきょういんだらにきょう)」という長い名前のお経ですが、略して「宝篋印陀羅尼経(ほうきょういんだらにきょう)」といい、このお経を根拠とした塔で、内部にこのお経を納めることを目的としています。


宝篋印陀羅尼は罪障消滅・寿命長養の功徳がある、とされる陀羅尼です。


このお経を、仏像内や卒塔婆に納めれば、天災を免れたり、あの世で苦しんでいる先祖を極楽に導く事ができたり、この世で苦しんでいる人々、貧しい人々を救う事ができるなど、八つの功徳があるといわれていました。






三春藩主祈願所真照寺本堂の前庭に立つ宝篋印塔は、総高2メートル50位。

典型的な関東様式で、隅飾突起がほぼ垂直に立っています。


梵字の周りには円を刻みますが、これは月輪(がちりん)と言い、仏の知徳が欠けることなく円満であるということを示しています。






経曰若有末世四輩

弟子善男善女為無

上道盡力造塔

安置神咒所得

功徳説不可盡乃








至或見塔形或聞

鐸聲或聞其名或富或

其影罪障悉滅

所来如意現世安

穏後生極楽


「この陀羅尼を書写し読誦するか、この陀羅尼を納めた宝篋印塔を礼拝すれば、罪障を滅し、三途の苦を免れ、寿命長遠なることを得る。」








江戸後期の享保の年号と、願主である真照寺を示す日乗山住職の名前が刻まれています。



三春藩領でも未曾有の犠牲者を出した「享保の飢饉」

その犠牲者慰霊のための建立と考えられています。




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| ryuichi | 06:55 | comments (x) | trackback (x) | 三春藩主秋田家祈願所 真照寺::祈願所の四季 |
令和元年・秋 真照寺山内のキノコ



毎朝、散歩を兼ねて真照寺に参詣しています。

この時期、キノコを見つけます。






キノコに不案内なのも出その名前や食用かはわかりませんが、来ているだけで楽しいものです。






真照寺山内は人体や徐目には安全レベルの除草剤を散布していますので食せません。







季節を感じる趣向として鑑賞させていただきます。






この秋、当分楽しめそうです。







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| ryuichi | 05:39 | comments (x) | trackback (x) | 三春藩主秋田家祈願所 真照寺::祈願所の四季 |
三春城下真照寺の初秋 令和元年




暑さ寒さも彼岸まで~と申しますが、三春城下も秋の彼岸を迎えすっかり、蝉の声が鈴虫に代わり、秋めいてきたようにじゃんじられます。


城下新町にある旧三春藩主祈願所である真照寺山内にも、チラホラとキノコが見られるようになりました。






チチタケ属の一種でしょうか?

山内は効果的に除草剤を散布していますので食用には向きません。







季節感だけでも感じていただければ幸いです。







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| ryuichi | 05:10 | comments (x) | trackback (x) | 三春藩主秋田家祈願所 真照寺::祈願所の四季 |
祝落慶 奥州三春「古四王堂」震災復興再建 真照寺山内




奥州三春「古四王堂」震災復興再建“平成の大改修”真照寺山内

三春城下新町にある旧三春藩五万石安東・秋田氏祈願所「東門院日乗山真照寺」の山内に鎮座する「三春古四王堂」の“平成の大改修”工事が終わり落慶法要が行われました。








三春古四王堂は、正保2年(1645年)秋田俊季の奥州三春移封の際には旧領の常陸宍戸(茨木県笠間市友部)に残されますが、慶安3年(1650年)、三春二代藩主盛季によって祈願所真照寺と共に古四王を祀る御堂も三春に遷されます。真照寺は三春古四王堂の“別当(管理長官)”です。






三春移設当初は三春城下清水”天狗谷”にあった愛宕権現堂の地に移設して御借屋を建立したと記録されています。

現在の古四王堂は、正徳2年(1712年)に三代藩主秋田輝季によって再建されたもので、その御堂は、北面に建てられており建設当初は宝形造であったと思われ安東焼の流れを伝える丈六焼の宝珠が残されています。





また、正徳の再建では入母屋造となり縁が三方に廻されます。
その後、長い月日の中で数度の補修が加えられ、昭和30年代になって茅葺を現在のトタン葺きに改修されています。









この古四王堂も300余年という年月の中で風雨雪、そして先の東日本大地震にも耐え抜きましたが、老朽化と震災の影響により満身創痍、建っているのがやっとという状態で何年も耐えてきました。

今回、檀信徒の皆々様の復興への願いが叶い改修の運びとなりました。







古四王は、平安時代以降神仏習合の中で帝釈天とその守護四天王を祀り、特に北方を守護する毘沙門天を本地仏としていました。
また、招福息災の薬師如来として眼の仏様としても信仰されて北日本は新潟の下越から青森津軽にかけての日本海沿岸に多く見られます。








「日ノ本将軍」「蝦夷探題・管領」として津軽十三湊を拠点に北日本海沿岸から東南アジア一円に広大な航路経済圏を形成し繁栄していた三春秋田氏の祖である安東氏が「古四王」を篤く信仰したためと考えられています。







毎年、真照寺では旧暦の初寅には古四王堂のご本尊の一つである「毘沙門天(多聞天)」の初寅祭典が本堂で開催されています。
“寅の日”は「毘沙門天」の縁日です。商売繁盛・家内安全・長寿・勝運など様々な御利益、無量の“福徳”を授かることができるとされており、初寅講中の各地区世話人の方々を中心に多くの檀信徒の皆様が参詣されています。







尚、真照寺本堂内にある帝釈天とその守護四天王である「持国天」、「増長天」、「広目天」そして「毘沙門天(多聞天)」の木造立像は、秋田家の祖である「安倍貞任」の縁起を伝えていると云われており二代藩主秋田盛季が奉納したもので、本来は古四王堂内に安置されていました。








「誰が作詞か、作曲かが判らなくても、みんなが知っている歌。歌い続けられている歌。 
そんな歌を歌う歌手になりたい・・・」20年来、真照寺阿吽講でライブを行っている現代の吟遊詩人小川ロンさんから伺った言葉です。






300年前にこの古四王堂を建立した方々はこの世には居ません。300年後も私たちを知る人はいないでしょう。
しかし、改修後、時は流れても古四王堂の建物はここに存在し、法要などが営まれていることにロマンを感じます。





“仏教の修行とは一切の妄想、執着を断ち切って、人知れず捨て去られる一足の破れ草鞋のようにその存在すら知られずに修行することが僧の理想。それが真の「仏」の境涯になるということである”と仏教では説いています。












何もひけらかすことなく、自分の生き方を最後まで全うするための知恵の大切さを教示していると解していますが、ご縁がありこの古四王堂に係わるすべての人々の姿そのものなのだと改めて思います。














元大工の棟梁の増子勝義さん寄贈の手作り浄財箱


匠の技が生きています。

増子さんは、参道下の家を構えていますので寺男的な役割を果たしていただき、山内整備を布施されています。









春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍


| ryuichi | 04:35 | comments (x) | trackback (x) | 三春藩主秋田家祈願所 真照寺::古四王堂平成の大改修  |