CALENDAR
S M T W T F S
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30     
<<  2019 - 04  >>
CATEGORIES
ARCHIVES
PROFILE
    k1
OTHERS




三春城下新町 真照寺下“幻の霊鉱泉 不動温泉”


  

三春城下新町 真照寺下“幻の霊鉱泉 不動温泉” (再)


三春城下新町にある古刹、藩主祈願所真照寺下に昭和初期から戦後まであった“幻の霊鉱泉 不動温泉”をつたえる昭和二年十一月十三日付の福島毎日新聞(現福島民報社)です。

新聞も、山サン渡邊商店さまから発見されたものです。








昭和14年4月の花まつり稚児行列での当店南側の旧セリ市場付近で撮られた写真です.

よく見ると写真右上に木造3階造りの不動温泉の建物が映っています。







郡山市ビックiにある昭和30年代の郡山駅前を再現したのジオラマにある「越後屋旅館」(もしかしたら木村屋旅館かな?)です。


旧不動温泉の三階楼建物を昭和25年ごろ移築。

一層と二層目の屋根の形状が、改築されている様子が見えます。

記事によると、






真照寺の奥ノ院参道に老杉が列なり、昼尚暗い谷間から湧出する薄茶色の天然温鉱泉が湧き出ていた。

昔この鉱泉の傍に掘った井戸の水が不治の難症に適するというもので、諸方より参詣が絶えなかった。


時の三春藩主秋田候も難症に悩んだ為一週間参籠してこの霊鉱泉で沐浴し満願の日に完治したと言い伝えられていた。






ビックiのジオラマ。


場所は旧丸井と旧寿泉堂病院の間付近でした。尚、手前の建物は郡山駅です。


時代は下って昭和初期。

この話を聞いた庚申坂新地、娼館島村楼主人飯村政太郎氏は、福島県衛生試験場で成分試験を依頼したところ難病を治癒するに足りる成分が含まれることを発見し試験証明を交付された。

さらに、その適応症について大原病院皮膚科長にして物理学の権威である坂本医学博士に研究を依頼し、婦人病、胃腸症、中風症、リウマチ、神経痛等の難症の治癒し得ることが証明されたので、飯村氏は当時珍しい木造三階楼の湯屋を開業するに至った。

このことを聞き伝えて諸方から入浴者が続々と押しかけ同温泉は非常な賑わいを見せていると伝えています。






不動温泉という名前は真照寺のご本尊の不動明王からとったものです。







昭和八年生まれの父も、この三階楼の湯屋のことは幼い心ながらうっすら覚えていて、物心ついた時には廃業していて、飯村のじいさん一人が住んでいて、一階以外はすべて雨戸が締め切ってあり、渡り廊下の先にある元の浴場は開け放たれていて、時折爺さんの留守を見計らっては探検気分でなかを探索していたそうです。








旧セリ市場での花まつり稚児行列の全体集合写真(セリ市場東手から真照寺参道方面に向かって撮影された。どこかに幼いころの父が映っています)


戦後になって郡山駅前再開発により、郡山駅前の現寿泉堂手前の三角地帯に移築し昭和40年代まで「越後屋?」という屋号で旅館をしていたそうです。




春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍


| ryuichi | 05:01 | comments (x) | trackback (x) | 三春藩主祈願所 真照寺 |
春の泡雪~ 真照寺山内



春の泡雪~ 真照寺山内 



季節外れのの大雪に見舞われた真照寺です。







三春城下では、各所で桜や梅などの老木の倒木や枝折れが発生していました。


真照寺の蒼龍紅枝垂れ桜は、磐梯造園様の普段からの養生もあって、外皮で支えられている老木ですが元気いっぱいですのでこれくらいの雪ではびくともしません!







湿気を含んだ春の雪です。


雪かきも重い!







水芭蕉もご覧の通り











なかなか雪に覆われている水芭蕉は見れません。







名残雪にしては多すぎました。


夕方には道路の雪はなくなりましたが・・・








方丈庭園の池も清らかです。


毎朝、この方丈庭園の回遊式池をみていますと、坐禅の“無心になる”ということ思い起こしています。


座禅をしていますと無心どころか、何やら~ 次から次に~ といった具合に頭に浮かんできてしまうものもがあります。
それを留めないと思えば思うほど現れては消えていきます。

禅では、それらを解決する方法として“留めない”と教えています。

留めると、どうしようかと考えてしまうので、浮かんだものを流す感覚だそうです。

例えるならば、鏡のような静かな水面に波紋が広がるというのが、物事を考えている状態だとします。

その水面にできた波紋を、鏡のような水面に戻そうと、手で押さえると新たな波紋を生じさせてしまいます。

しかし、何もせずにそのまま放っておけば、自然と鏡のような水面に戻ります。

禅で説くところの「非思量」

穏やかな水面が自然と戻ってくるということで、様々な雑念を受け流しなさいということで、心が穏やかな状態だからこそ集中できるという教えだと思います。


そんなことを雪景色の池から学んでいます。









水芭蕉は見頃です!


雪で長持ちしそうです~


尚、もう雪は有りませんので安心して入山、水芭蕉花見が出来ます🌸



春陽郷三春城下 御菓子司三春昭進堂 菓匠蒼龍

| ryuichi | 03:56 | comments (x) | trackback (x) | 三春藩主祈願所 真照寺::祈願所の四季 |
真照寺の庭園に咲く水芭蕉と座禅草が芽を出し始めています。



木の芽月とはよく言ったもので、寒さに負けじと芽吹く木々に生命の強さを感じます。

春彼岸の中日も過ぎ、陽射もずいぶん春めいて春の気配を感じ始めた北国の小さな城下町三春です。









そんな陽気に誘われるかのように、三春藩主秋田家の祈願所である真照寺の庭園に咲く水芭蕉と座禅草が芽を出し始め、白い蕾が開花し始めて可憐な花弁が顔を覗かせ始めました。








寒さに気を取られて見過ごしがちですけれど 確実に日も延びているんですね

しかし、まだ空気は冷たくて 春の訪れはもう少しかかりそうですが、それほど先のことでもないでしょう。


よく見ると座禅草も茶色い蕾がしっかりと立っていました。

こちらももうすぐ花を咲かせます。







水芭蕉のまっ白な花の芽の力強さに、心も洗われるような思いがしました

水芭蕉の漢字を眺めていると「素(直)な心で」と語りかけられているような気持ちにもなります。

ひねくれないで、真っ直ぐな心と瞳でちゃんと色々な物を見つめなければと日々反省です。





もうすぐ春ですね・・・・






作家でもあり俳人の清水基吉の句碑が真照寺の庭園にあります。

清水基吉は、昭和19年の芥川賞(第20回芥川賞・『雁立』)の受賞作家であり俳人です。


戦後は小説家として活躍する一方、俳句の世界で活躍しています。



その俳句が碑になって、真照寺の庭園にあります。

碑には

『見にも来よ 春の三春の 水ばせう』  基吉

の俳句が刻まれています。

碑の裏には、建立者である「昭和五十八年吉日  角田和子 山岸勝子 建立之」と刻まれています。



山岸勝子さんとは、現住職の御母堂さまとなります。


御詠歌に「古の 関を越えれば 日乗山 三春の寺に 阿弥陀草咲く」 
いにしえの せきをこえれば にちじょうさん みはるのてらに あみだそうさく」
とあります。

日乗山とは真照寺のことで、阿弥陀草とは水芭蕉のことを指しています。







春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍

| ryuichi | 05:16 | comments (x) | trackback (x) | 三春藩主祈願所 真照寺::祈願所の四季 |
成田山新勝寺節分会の「御福豆」と節分会福御守「剣守」 新勝寺寺庭食事処「い津美や」




三春城下新町、旧三春秋田氏五万石藩主祈願所である真照寺の「成田山講中」や出張の折に、時折休憩しによらせていただく食事処「い津美や」さんより、成田山新勝寺節分会の「御福豆」と節分会福御守「剣守」を頂戴いたしました。

これは、お坊さまや職員に配られる、特別なお豆だそうで、成田山新勝寺の脇参道ともいうべき寺庭にある「い津美や」さんが、ご縁のある方にお配りしているそうです。






節分の日に一般参拝者に撒かれるのとは違う、ありがたい御豆です。
わざわざ封書で送っていただきました。

ありがとうございます。

祖父の頃よりお世話になっています、真照寺の成田山講中。

当三春昭進堂髙橋は檀家ではありませんが、門前で商いをさせていただいているという関係から、二代目もこの成田山講中には毎年参加していたようですので、祖父の代から私へと三世代にわたってお世話になっています。









祖父の代には道路事情も今のように高速道路が整備されてはおらず、三春発・成田山新勝寺門前若松屋に宿泊して、翌朝、一番護摩祈祷を受けてから三春へ帰還というバス旅だったそうです。


その参拝の折には、時間を見て「い津美や」さんで、気の合った方々とおでんつまみに一献傾けていたそうです。

三春昭進堂当主三代での「い津美や」です。

今では、成田山新勝寺でお護摩の祈祷を受けた後、お昼を食べて関東一円、時には甲信越まで足を延ばす旅行行程となります。

今年は6月最初に日月で石和温泉宿泊の予定です。







私の「い津美や」デビューは、数年前に所用があり若松屋さんに宿をとったときのことです。

そういうご縁があるとは知らずに、ふらっとよらさせていただいたのが始まりです。

初めてなのにどうも居心地の良い店だなぁといった具合でした。

気さくな女将さんとお話をしていましたら「長寿箸」をいただきました。

家に帰ってから父にその長寿箸を渡しながら、「い津美や」で呑んだ話をしたら、父も常連だったみたいです。









実は、福豆が届けられた日というのは、この2日後に新年会を兼ねた当店スタッフの海外旅行激励会として成田山門前若松屋さんに宿泊する手配となっていた矢先でしたので、その驚き倍増でした。




これも御縁というものなのかと、しみじみと考えたことがありました








剣守は節分会福御守とあり、、開運招福の御利益があるとされています。



商売繁盛! 家内安全! 福和内 福和内








春陽郷三春城下 御菓子司三春昭進堂 菓匠蒼龍



| ryuichi | 05:45 | comments (x) | trackback (x) | 三春藩主祈願所 真照寺 |
三春藩主秋田家祈願所「日乗山真照寺」初寅祭典 2019




三春藩主秋田家祈願所「日乗山真照寺」初寅祭典

先(2月10日)、江戸期の三春五万石藩主秋田家の祈願所である「日乗山真照寺」では、初寅祭典が開催されました。

旧暦の初寅の日が2月10日となっています。

この日が、今年初めての“寅の日”と云うことで、この日を初寅祭典となり、“寅の日”は「毘沙門天(多門天)」の縁日とされています。








当三春昭進堂髙橋家は、先々代の祖父より門前の信徒として初寅祭の世話人を務めておりました。

先代である父、そして、私と三春昭進堂の当主としてその世話人の職責を引き継いだ次第で、初寅祭に出頭いたしました。


毘沙門天は四天王の一人で、北方を護る神様で東北の守り神とされ、商売繁盛・家内安全・長寿・勝運など様々な御利益がある神様です。









この日に真照寺の毘沙門天に参拝すると、毘沙門天の無量の大福を授かることができるとされており、毎年初寅講中の各地区世話人の方々を中心に多くの檀信徒の皆様が多く参詣されています。







初寅とは、12日ごとに来る「寅の日」のその年の最初に来る日を「初寅」といって、虎(寅)は「千里を行って千里を帰る」特別な力を持つとされ、吉日の中でも最も金運に
縁がある日として、「金運招来日」ともいわれていると伝えられています。








特に、今年最初の寅に日である“初寅”は毘沙門天とご縁が結びやすいと言われています。






真照寺山内の古四王堂内にあった毘沙門天尊は、身にまとった甲冑は守護神であることを意味し、左手の宝塔は仏教の教えを、右手には宝物を出す如意宝棒(にょいほうぼう)を持ちます。

この毘沙門天は、「福徳毘沙門天(ふくとくびしゃもんてん)」と云われ“福徳”を司る神様で、七難を避け七福を与える北方の守護神で闘神としても厚く信仰されています。


上杉謙信も、毘沙門天を信仰していました。

戦いの際に使っていた旗印は刀八毘沙門の「毘」一文字の旗は「戦の加護と勝利」を、そして、懸かり乱れ龍の「龍」一文字の旗は敵に総攻撃を仕掛ける時に本陣に立てられました。

尚、「龍」の文字は不動明王を表しているそうです。



この日は、古四王堂を模した本堂内の安置場所から、本堂中心の須弥壇に安置されます。








法要では、三春城下清水の天澤寺新保住職、そして、須賀川白山寺松木住職を副僧に迎えて、j商売繁盛、家内安全等々の諸願成就の護摩焚き御祈祷があり、梵天にて参列者をお祓いしてもらいます。

このとき梵天を授けていただき(手で引っこ抜く)、お守りとします。






そして、直会。








旧三春藩五万石秋田家主祈願所真照寺山内にある「古四王堂」の東日本大震災による被害からの復興再建工事が完了しました!




かつては「大日堂」そして、「古四王堂」として信仰を集めていました。 



堂内の須弥壇には、大日如来像と四天王・東の持国天,南の増長天,西の広目天,北の多聞天 (→毘沙門天 ) がありました。


大日如来像は、現在はありません。


他の四天王は本堂内に保管されています。







足場も、この30日には撤去され2月3日の初寅会に間に合いました。

そして、来月の引き渡しを待つばかりとなりました。








古四王堂


古四王堂は、鎌倉期から戦国末期にかけて「日ノ本将軍」「蝦夷探題」として青森から蝦夷にかけて覇を唱えた海将阿倍安東氏の直系三春藩主秋田氏が、三春国替えの際に祈願寺真照寺とともに建立したものです。

本拠地である青森十三湊時代は、出羽柵(後に秋田城)に近く、城の守りとして創建されたと見られる四天王寺と習合し、中世を通じて古四王大権現として崇敬されていました。









春陽郷三春城下御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍


| ryuichi | 05:20 | comments (x) | trackback (x) | 三春藩主祈願所 真照寺::節分会・初寅会 |
三春藩主秋田家祈願所 真照寺節分会 2019




三春藩主秋田家祈願所 真照寺節分会 2019


新年を迎えたとおもったら、あっという間に立春を迎えようとしています。

一昨夜、三春城下の旧三春藩主祈願所日乗山東門院真照寺の節分会が盛大に開催されました。


三春昭進堂も、イワシの頭と柊、そして豆の木で拵えた魔除けを設え、真照寺節分会奉賛お接待「お汁粉振る舞い」の準備も完了し、節分の準備万端です。








平成最後の節分会とあって、山内には、多くの方々が福を拾いに詰めかけました。

今年は、暖冬と小雨です。

山岸住職も、小雨の節分は初めてだそうです。








古いお札や正月飾りを「御焚き上げ」する紅蓮の炎で、節分会山内の夜を、幻想的に厳粛な雰囲気に演出しています。




朝から、檀家や近所のお手伝いの方々や、ご祈祷を受ける方々や福授け豆まきの景品を奉納する方々、そして古いお札や正月飾りのお焚き上げの方々などが、行き交う参道。


早めの夕食を済ませた方々が、三々五々境内に参集してきます。

豆まき開始は午後八時ごろから、二回に分けて行います。








厄年の方、年男の方、各種祈願成就祈願の方などが、所願成就の祈願に、豆やみかん、お菓子など、さらに各種景品を献納しています。

これを、住職や年男の方々に、厄を託した豆(景品)を撒いてもらい、参詣者の方々にその厄を拾ってもらいます。



また、祈願者には「節分福銭」が授与され一年の金運を上げてもらえます。


尚この福銭は、来年返納してまた新しい福銭を頂いてパワーアプです!





皆さん、お焚き上げの炎で体を温め無病息災を祈願しながら、豆まきの時を待ちます。



また、この火にあたると風邪などひかなくなり、病魔が退散すると云われています。


裃姿の年男がお焚き上げの炎にあたり、邪気を払い豆まきの準備万端!










本堂内で、ご祈祷です。

所願成就の祈願を申し込んだ参詣者や豆をまく今年の年男の方々が、”護摩焚き”によるご祈祷を受けています。


今年は、大先輩である元三春町史編纂室長の田中金弥が72歳の年男、そして、息子さんが後厄、さらに、孫さんが12歳の年男ということで田中家三世代での“厄払い豆まき”で参加されました。







豆まきです。


福は内! 福は内!  福は内!  福は内! 福は内!



真照寺では、鬼は外とは言いません。

何故かって?

御本尊の不動明王さんは、改心すれば鬼をも助けるということです。

心の中にいる鬼も改心すれば・・・「罪を憎んで、人を憎まず!」です。








豆まきには、災いや病気といった不幸の要因は、外からやってくるという考え方が表れています。



仏教では、この鬼を人間を迷わす煩悩に見立てまして、読経や護摩供を行い除災招福(じょさいしょうふく)を祈願します。








そして、いよいよ豆まき景品交換。

ペアの温泉宿泊券やお酒、魚、醤油や油、民芸品、任天堂3dDS,ソニーPSP等のゲーム、そして特賞の石油ストーブ等々豪華賞品を目指します。

福を拾うかたがたも、お菓子や豆やみかんがいろんな角度から飛んできます。

これは正に乱戦です。

山内に、こっち!こっち!と手を挙げて福を求める方々の声が響き渡ります。


今年も沢山の方々が来場していただきました。



”笑顔” ”笑顔” ”笑顔” ”笑顔” ・・・・笑顔が山内にあふれます。



一般の交換が終わった後には、祈願申込者の方々限定の大交換会が始まります。

この場合も、お札受け本人もしくは代理の方がいないと無効となりますので、皆様そのまま待機しています。


住職が大鐘の中から名前の記載された紙を見ながら当選者の名前を呼ぶたびに、ため息とともに歓声が上がります。

くじ引きに当たった福男、福女の方々は、豪華景品をゲットしてご満悦です!







私も、大きな干支イノシシの張り子人形が当たりました!

その後は、不動明王さんに奉納されたお神酒の御下がりを頂き直会を行って撤収となります。



祈願成就のお札を申し込まれた方々には”福銭”が下されます。

この福銭を一年間財布やレジに入れておくとお金がたまるといわれています。

そして、一年後に本堂のさい銭箱にお礼の気持ちを込めてお返しください。













福拾いの帰りには、当店で振る舞っている御汁粉も、約200名のお客様が来店され、笑顔と共に戦果報告を楽しそうに話しながら食されていたそうです。

あれ、社長は?

私は、お寺で直会の真っ最中です!

立春前夜、節分の夜にお不動さんを囲んで般若湯を酌み交わしたものですから、心の中の鬼も退散してしまったようで、晴々とした新春を迎える事が出来ました。




春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍


| ryuichi | 05:46 | comments (x) | trackback (x) | 三春藩主祈願所 真照寺::節分会・初寅会 |
三春城下真照寺節分会 2019



   真言宗日乗山真照寺

暦も、いつのまにか、もう立春。

春準備の木立の中、静かに佇む真言宗日乗山真照寺。

三春藩安倍安東秋田家五万石の祈願所として隆盛を極めた古刹です。

春には水芭蕉が咲く寺として有名です。


本日は、三春藩主祈願所真照寺の節分会が開催されます。

当店では、夕方より、豆まき終了の午後九時頃まで「お汁粉」を無料で配布しています。


豆拾い(福拾い)の行き帰りにお立ち寄りください。








裏庭は、水芭蕉ばかりではなく、藩主来寺の時、休息に使う、「御成りの間」の、借景として造営された庭があります。

祈願所時代は、噴水のある池や、池中央に立つ弁天堂などがあったそうで、三春五万石別格寺真照寺の、往年の隆盛ぶりが偲ばれます。

現在も、磐梯造園様の匠の技にて整備され、四季を通じて訪れる人々の心を魅了しています。


私も、日々の忙しさや、苛立ちに、忘れがちな心のやすらぎをもとめ、その美しい庭に、足を運び、四季の表情を、楽しませていただいています。

本堂の外側に、絃川会による様々な墨字の額が掛けてあります、その時どきの、自分の心境により,目につく額が違います。







「傳芳」、「端虚」、「如是」と、まさに自分自身の心を文字に表し,励ましや、戒めとして語りかけているような気がします。

本堂の中には、化け猫騒動、天明大火後、時の藩主秋田千季公が納めた弘法・興教大師像があります、これは、夜毎、猫の怨霊にうなされた千季公が、その霊を鎮めるために納めたもので、中に腹切梅の滋野多兵衛の位牌が納められていると聞きました、又、ご本尊の不動明王像や,帝釈天、四天王の立像が在り、邪気を払わんと睨みを利かせています。 

子供の頃,悪い事をしたときなど,母に「お寺につれていくよ」と叱られ,その恐い顔をおもい出だし反省しておりました。

最近は、四歳と,二歳の子供を連れて、お寺へ行きますが,子供の頃に叱られたように自分のこどもにも、同じ口調で叱る、自分にきがつき、墨字の文字額と伴に,他界して随分時が経つ、母の享受が思い出されます。  
                      







旧三春藩五万石秋田家主祈願所真照寺山内にある「古四王堂」の東日本大震災による被害からの復興再建工事が完了しました!




かつては「大日堂」そして、「古四王堂」として信仰を集めていました。 

堂内の須弥壇には、大日如来像と四天王・東の持国天,南の増長天,西の広目天,北の多聞天 (→毘沙門天 ) がありました。

大日如来像は、現在はありません。


他の四天王は本堂内に保管されています。





節分会に間に合いました。

そして、来月の引き渡しを待つばかりとなりました。








以前の古四王堂の使える部材を最大限に使用しました。








所々に色目の違う部材が見て取れます。






大工さんの腕の見せ所でした。







須弥壇下の文様は、解体前は護摩焚きの煤がこびり付き真っ黒になっていて判りませんでしたが、実は金箔が施されていました。


外の飾り部材も以前の部材を修復した逸品です。



堂版の屋根なども含めて、時間の経過とともに、色もなじんでくることでしょう。








柱や梁などの主要部分は度重なる修復歴があり、構造・強度の問題もあってすべて新品が使われています。

戸板も修復品です。









秋田家の家紋・裏家紋も健在です。








春陽郷三春城下御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍



親の恩、歯が抜けてから噛み締める    合掌





| ryuichi | 07:31 | comments (x) | trackback (x) | 三春藩主祈願所 真照寺 |