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平成版三春怪奇伝説  「久貝玄亭の屋敷跡」



三春城下 怪奇伝説 「久貝玄亭の屋敷跡」

これは、享保年間というから270年も昔のお話です。

三春城下山中(明王町)に、久貝玄亭という150石取りの秋田藩士の屋敷がありました。

久貝の屋敷には庄平という若党が住み込んでいました。
庄平は、鷹巣の出身で生来の実直者、主人や家族に忠実な下僕で、よく働き、近隣のほめ者でした。

ある年の春、主人玄亭は殿さま(秋田頼季)参勤のお供として江戸詰めを仰せつかり、屋敷を留守にすることとなりました。

その留守中に、庄平と久貝夫人との恋が芽生え、事件の発端となってしまいました。

庄平は、実直な下僕だったことから、この不義密通の色恋は、若い奥方から仕掛けたのであろうと想像されました。
とにかく、世間の噂にのぼる“わりない”中となってしまいました。

玄亭の江戸詰めは、二年余の月日が瞬く間に過ぎて、城下に無事帰還しました。

そして、知らぬは亭主ばかりなりの玄亭の耳にも家中の噂が伝わります。

玄亭は苦しみます。
悩み苦しんだ末に「不義密通はお家のご法度」の決断以外に手がなかった。





浸りに「お打ち」を申し渡し、まず庄平を切り捨てます。
忠実な庄平は素直に打てれて亡くなります。

しかし、奥方は泣きながら玄亭にすがりつき、助命を乞います。
玄亭は遂に手にかけることは出来ずに命は助けられました。

一方、奥方が助けられたことに、庄平の恨みが怨念としてこの世に残ったのでしょう、毎夜のごとく玄亭夫婦の枕元に庄平が亡霊となって現れるようになります。
そのせいか、奥方は間もなく、どこが悪いというわけでないのに病み細って死んでいった。

怨念とは恐ろしいもので、今もその屋敷跡には家が建たず、草に埋もれています。








昭和30年代の広報三春内コラム参照


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| ryuichi | 05:22 | comments (x) | trackback (x) | 🌸三春怪奇伝説::三春城下夜話 |
平成版三春怪奇説「佐塚様の老猫」



平成版「三春怪奇説」佐塚様の老猫


町役場の南、三春町民俗資料館付近は、桜谷と呼ばれています。
あの高台は、旧藩時代の武家屋敷で、佐塚(秋田)様と云われた秋田廣記500石の家老屋敷がありました。
 
佐塚家では、犬を二匹飼っていましたが、猫は絶対に買わないという家風でした。

これは、その因縁のお話です。

江戸中期元禄の頃、佐塚家には幾年重ねたかわからない老猫が飼われていました。
昼間はゴロゴロと昼寝姿ばかり見せていましたが、夜になると、どことなく姿が消えるようになりました。



守山山中

ある年の5月、佐塚秋田家の若党権助が、主用で江戸表に行っての帰途、磐城守山(現田村町守山)から赤沼、鷹巣を過ぎ、今の貝山古内集落に入ったのはとっぷりと日も暮れたころでした。

その道端に当時大きなモチの木があって、その繁った枝が道を覆いに中でも薄暗く気味の悪いところだったといいます。

気のせいか、急に暗さが増したと思ったら、前の方から無数の三毛猫の群れが、こちらの方を向いて押し寄せてくるではないか・・・



貝山分岐


驚いた権助は、逃げ場を失い、傍らのモチの木によじ登ります。
よく見ると、猫の群れの中程に、主家の御老母さまが居るではありませんか!
しかも、御老母様は、鋭い爪を立てて権助めがけて迫ってきます。

権助は、とっさに道中脇差を抜いて、老母の左肩を一突きします。
すると、「ギャー~!」と激しい一声を残して、老母も猫の群れも一瞬で跡形もなく姿を消してしまいます。

それから、半刻して桜谷の主家へ帰宅すると、今起こった恐ろしい出来事を主に打ち明けました。
主は、今しがた御老母様は「肩が痛む」と言っていたと告げられます。

よく朝、佐塚家の老猫が、姿を現すのを待って戸を開けたところ、老猫は物凄い形相で飛び出し行方をくらましてしまいました。

それからというもの、佐塚様では猫を飼わない家となったと伝わっています。

三春での化け猫伝説をこういう話の集大成ではなかったと想像力を膨らませています。


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| ryuichi | 05:10 | comments (x) | trackback (x) | 🌸三春怪奇伝説::三春城下夜話 |
平成版三春怪奇伝説 「白根屋事件」



三春怪奇伝説 その1 「白根屋事件」

三春の町は三百年来賑わった五万石の城下町です。

江戸時代の秋田藩政下以来、馬、葉タバコ、折り返し絹糸、羽二重などの集散地としても全国的に聞こえていました。

この話は、江戸中期の元禄から天保にかけて繁盛していた、三春城下の旅籠白根屋の物語です。

白根屋旅館は、三春城下中町にあって、大体出入りの激しい旅商人相手に、大変繁盛していました。

天保12年の頃、この物語の登場する白根屋の女将は淫奔多情で、用心棒に雇っていた若い浪人者と恋仲となり身を持ち崩すようになりました。





二人は、共謀してある夜宿泊していた絹商人の枕を探して莫大な金子を盗み取ります。

翌朝、その絹商人の客が騒ぎ出すと、永年召し使っていた実直者の女中に罪を擦り付け犯人に仕立て上げてしまいます。

挙句果てには、その女中をがんじがらめに縛り上げて松の根っこに据え付け、浪人者とともに責め苦を与え続けます。

三日目には失神した女中を藁菰で巻いて土蔵の床下に埋め、その客に「この通り懲らしめてやりましたと・・・」ひたすら詫びて、その場を何とか繕いました。

数日後、「白根屋の土蔵から怪しい唸り声が聞こえる!」という噂が城下に広まります。

噂は波紋のように広がり、町検断、与力同心の書留帳にも載り、奉行所の厳しい追及が始まり、白根屋の家宅捜査が進められました。

そして、遂に土蔵の床下から変わり果てた姿でしたが仮死状態の女中が掘り出され救出されました。


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寄進社名に白根屋の名前が残る愛宕神社二の鳥居




女中は、懸命の手当の結果、一命はとりとめることが出来ました。

この女中の証言により、犯人は女将とその若い浪人者であると真犯人が判明し、罪が明らかとなって女将は牢獄につながれます。

秋風肌寒い日、薄い肌着一枚の女将は、御城大手前の責め所お白洲の砂の上に引き出され、黒山の見物人の罵声と役人の責苦の中に狂い死んだということでした。

一方、若い浪人者はいち早く逃げて行方はついにわからなかった。

昭和30年代の広報三春内コラム「三春怪奇伝説 その1白根屋事件」参照


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| ryuichi | 04:53 | comments (x) | trackback (x) | 🌸三春怪奇伝説::三春城下夜話 |
平成版三春怪奇伝説 “美代淵” 旧山田村



三春怪奇伝説“美代淵の由来”


三春城下から西に約一里にある下山田停留所から、2百米ほど西で道路が大きく曲がる辺りに、川の流れが渦を巻く小さな淵があります。
晩春の頃になると、藤浪の花が川面に美しく揺れている場所で、何時しか「美代淵」と呼ばれるようになりました。

江戸中期の寛文の頃、鷹巣村に岩崎という庄屋があり、気立てが良く働き者の下女が住み込んでいました。

その下女が、この“美代淵”の名前の由来となる”美代”です。

当時、美代は、娘盛りの19歳の春を迎えました。

そしていつしか恋を知りました。

相手は、同じ岩崎家の下男作助です。
二人は人目を忍びながら、嬉しい逢瀬を楽しんでいました。

ところが、そこに美しい美代に恋を寄せるもう一人の男が現れます。

主である庄屋岩崎家の次男坊誠三です。

それとなく美代に言い寄りますが、美代はまったく靡かず、心すら許しません。

業を煮やした誠三は、「可愛さ余って憎さ百倍」とばかりに、手段を択ばず理不尽な仕打ちをしますが、それにも抵抗し続けて操を守り通します。


いつしか、誠三は作助と美代の間柄に感づきます。
そして、その年の暮れに、庄屋である父親に作助に、あれやこれやとありもしない罪を擦り付け、讒言し続けて、解雇してしまいます。

作助は、美代のことが気がかりで、後ろ髪を引かれる思いのまま庄屋を離れ、行方をくらましました。

取り残された美代は、誠三の露わな挑みと闘いながら、片時も忘れかねる作助への慕情を間やし続けていました。


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翌年5月初旬、美代は裏の水車小屋の傍らに立って、ぼんやりと川面に目をやっていた。

川岸には藤の花が真っ盛り、川水を薄紫に染めあげ、とろりと凪ぎていました。

すると、その川底に愛しい作助の面影がほのぼのと見えるではありませんか・・・・

美代は、一瞬身をひるがえして水底に見える恋人作助の抱きつきに行きます。

明治19年県道整備、大正3年磐越東線敷設、昭和になって国道288号線整備など、道路や河川整備工事が進み、“美代渕”の川の流れやその形も変わってはいますが、幾幾年川岸にある藤の花だけは、時節になると川面を薄紫に染めて、美代の悲しい恋色に咲きだしています。




古い広報三春内「怪奇伝説 美代淵の由来」参照


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| ryuichi | 05:05 | comments (x) | trackback (x) | 🌸三春怪奇伝説 |
平成版三春城下怪奇伝説 「庚申坂悲話」



三春城下怪奇伝説

「庚申坂秘話」

“三春庚申坂七色狐、わしの二、三度騙された”
この三春甚句が、風のように日本全国の巷を吹きまくったことがあります。


旧藩時代より、三春城下新町末の庚申坂の色街は有名でした。
大正・昭和となり、場所が庚申坂から新地(弓町)に移転してから最盛期を迎え5件の妓楼に約30名を超える遊女が在籍し、昼夜もない繁盛ぶりだったと伝わっています。





そして、その華やかさの陰には、花街につきもの事柄がたくさんあったことでしょう。
悲恋の恋の花が咲き、心中あり、駆け落ちあり、円満身請けあり、倒産あり・・・数々の秘め事話がを残しています。






今は、妓楼も朽ち果て、その面影をしのぶだけです。

これは、大正の中ごろのお話で、やや生々しいしい昔話ですがある妓楼(店名は秘す)に、越後白根在の小作農家出身の“大和(やまと)”という源氏名の遊女がいました。






越後美人で気立ても優しく、廓でも一二位を争う人気となっていました。

この遊女に入れあげた客の中でも、芦沢村の柏原という百姓いました。

分別盛りの五十を超えた男でしたが、最も足繁く通いつめます。





そして、一年も経たぬ間に、田畑山林まで人手に渡る始末になり果てました。

遊女大和は、この男柏原の身を案じて廓通いを諫めますが、糠に釘打ちでした。

柏原は、いよいよ最後の手段として北海道への駆け落ちを迫りますが、大和に強く拒まれます。






そして秋の色ずく頃でした。
いつもの様に登楼してきた柏原に対し、酒席の中で大和は素っ気なさを装って柏原を帰そうとして座がシラケてしまいます。

その翌朝、まだ夜の明けきらない早朝四時半ごろ、“恋心余って憎さ百倍”・・・柏原はかねてより用意していた出刃包丁をふるって寝ている大和の鼻柱に斬りつけます。

“無理心中”とばかりに、悲鳴とともに起き上がった大和に向かい柏原は執拗に斬りつけ、耳下、後頭部、背部と滅多突きにしてしまいます。

医者よ!警察よ!と早朝の花廓は大騒ぎとなってしまいます。





そのどさくさの中で、柏原は凶器の出刃包丁で自分の喉を突き、返す歯で男子のシンボルを切断し、流血の末に苦しみながら死んでいきました。

大和は、案外、傷が軽く、一命をとりとめますが、女の命といわれる顔に深い傷が残ってしまい、再び客前には出ることは出来なくなりました。

この無理心中があってから、この妓楼には不幸が続きますが、この柏原の祟りではと巷では噂が流れていました。




大正十四年発効「三春名所案内」には、遊郭の広告が掲載されています。


古い広報三春内コラム参照

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| ryuichi | 04:41 | comments (x) | trackback (x) | 🌸三春怪奇伝説::三春城下夜話 |
三春物語703番養蚕伝承「一人の娘と馬」
かつて、三春の里山、養蚕地帯では、初午に「蚕(かいこ)の神様」の祭りが行われていました。
 養蚕の始まりには「一人の娘と馬」の昔話として、田村・三春地方に伝わっています。
 おじいさんとおばあさんと娘が一頭の馬を飼っていました。
 娘は馬を大変かわいがり、年ごろになると馬と夫婦になってしまいました。
それを知ったおじいさんは怒って馬を殺し桑の木につるして皮をはいでしまいました。ところが、馬の皮は娘のところへ飛んできて娘をさらって天に昇っていきました。
 娘はおじいさんの夢に現れ、土間の臼の中に馬の形をした虫がいるから桑の葉を食わせ、虫の作った「まゆ」から絹糸をつむいでそれを売って暮らしてくださいと告げ、養蚕が始まったということです。
 蚕は馬によって生まれたとされ、初午の日に蚕神が祭られる事となったようです。
 日本では、蚕の守り神が「オシラ様」で、「お白祭文」を唱えて祭られます。


白岩高屋敷稲荷神社

続き▽
| ryuichi | 06:41 | comments (x) | trackback (x) | 🌸三春怪奇伝説 |
三春物語621番 遺失物回復呪文 『清水や音羽の滝は尽くるとも 失せたる物の出ぬはずはなし』
『清水や音羽の滝は尽くるとも 失せたる物の出ぬはずはなし』

・・と、唱えながら 探し物をすると見つかります。

私がこの和歌を初めて知ったのは数年前に、後輩が町の古老から聞いた話を又聞きしたのが始まりでした。
以来、かなりの頻度でお世話になっているのですが
繰り返しつぶやきながら探し物をすると・・不思議と見つかるんですね・・・これが。


詳細は替わりますが
『清水や音羽の滝はつくるとも 失せたる針の出でぬことはなし』
  針仕事中に針を見落としてしまったとき これを3回唱えると 失せ針が出てくる

『清水や音羽の滝が止まるとも この屋に失せし○○○(紛失物の名前)見えぬことかな』
  3回唱えて探すと ○○○が見つかる

等など、若干表現が変わって いろいろなバージョンがあるようですが言葉の内容は一緒です。

意味とすれば
  たとえ 京都の清水寺にある「音羽の滝」の流れが絶えることはあっても
    探し物が出てこないはずは ないのだから・・
ということだと思いますが、要は言霊呪文の一種だとおもいます。


| ryuichi | 04:39 | comments (x) | trackback (x) | 🌸三春怪奇伝説 |