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平成版三春怪奇説「佐塚様の老猫」



平成版「三春怪奇説」佐塚様の老猫


町役場の南、三春町民俗資料館付近は、桜谷と呼ばれています。
あの高台は、旧藩時代の武家屋敷で、佐塚(秋田)様と云われた秋田廣記500石の家老屋敷がありました。
 
佐塚家では、犬を二匹飼っていましたが、猫は絶対に買わないという家風でした。

これは、その因縁のお話です。

江戸中期元禄の頃、佐塚家には幾年重ねたかわからない老猫が飼われていました。
昼間はゴロゴロと昼寝姿ばかり見せていましたが、夜になると、どことなく姿が消えるようになりました。



守山山中

ある年の5月、佐塚秋田家の若党権助が、主用で江戸表に行っての帰途、磐城守山(現田村町守山)から赤沼、鷹巣を過ぎ、今の貝山古内集落に入ったのはとっぷりと日も暮れたころでした。

その道端に当時大きなモチの木があって、その繁った枝が道を覆いに中でも薄暗く気味の悪いところだったといいます。

気のせいか、急に暗さが増したと思ったら、前の方から無数の三毛猫の群れが、こちらの方を向いて押し寄せてくるではないか・・・



貝山分岐


驚いた権助は、逃げ場を失い、傍らのモチの木によじ登ります。
よく見ると、猫の群れの中程に、主家の御老母さまが居るではありませんか!
しかも、御老母様は、鋭い爪を立てて権助めがけて迫ってきます。

権助は、とっさに道中脇差を抜いて、老母の左肩を一突きします。
すると、「ギャー~!」と激しい一声を残して、老母も猫の群れも一瞬で跡形もなく姿を消してしまいます。

それから、半刻して桜谷の主家へ帰宅すると、今起こった恐ろしい出来事を主に打ち明けました。
主は、今しがた御老母様は「肩が痛む」と言っていたと告げられます。

よく朝、佐塚家の老猫が、姿を現すのを待って戸を開けたところ、老猫は物凄い形相で飛び出し行方をくらましてしまいました。

それからというもの、佐塚様では猫を飼わない家となったと伝わっています。

三春での化け猫伝説をこういう話の集大成ではなかったと想像力を膨らませています。


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| ryuichi | 05:10 | comments (x) | trackback (x) | 平成版三春怪奇伝説::三春城下夜話 |
平成版三春怪奇伝説 「白根屋事件」




三春怪奇伝説 その1 「白根屋事件」

三春の町は三百年来賑わった五万石の城下町です。

江戸時代の秋田藩政下以来、馬、葉タバコ、折り返し絹糸、羽二重などの集散地としても全国的に聞こえていました。

この話は、江戸中期の元禄から天保にかけて繁盛していた、三春城下の旅籠白根屋の物語です。

白根屋旅館は、三春城下中町にあって、大体出入りの激しい旅商人相手に、大変繁盛していました。

天保12年の頃、この物語の登場する白根屋の女将は淫奔多情で、用心棒に雇っていた若い浪人者と恋仲となり身を持ち崩すようになりました。






二人は、共謀してある夜宿泊していた絹商人の枕を探して莫大な金子を盗み取ります。

翌朝、その絹商人の客が騒ぎ出すと、永年召し使っていた実直者の女中に罪を擦り付け犯人に仕立て上げてしまいます。

挙句果てには、その女中をがんじがらめに縛り上げて松の根っこに据え付け、浪人者とともに責め苦を与え続けます。

三日目には失神した女中を藁菰で巻いて土蔵の床下に埋め、その客に「この通り懲らしめてやりましたと・・・」ひたすら詫びて、その場を何とか繕いました。

数日後、「白根屋の土蔵から怪しい唸り声が聞こえる!」という噂が城下に広まります。

噂は波紋のように広がり、町検断、与力同心の書留帳にも載り、奉行所の厳しい追及が始まり、白根屋の家宅捜査が進められました。

そして、遂に土蔵の床下から変わり果てた姿でしたが仮死状態の女中が掘り出され救出されました。





女中は、懸命の手当の結果、一命はとりとめることが出来ました。

この女中の証言により、犯人は女将とその若い浪人者であると真犯人が判明し、罪が明らかとなって女将は牢獄につながれます。

秋風肌寒い日、薄い肌着一枚の女将は、御城大手前の責め所お白洲の砂の上に引き出され、黒山の見物人の罵声と役人の責苦の中に狂い死んだということでした。

一方、若い浪人者はいち早く逃げて行方はついにわからなかった。

昭和30年代の広報三春内コラム「三春怪奇伝説 その1白根屋事件」参照


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| ryuichi | 04:53 | comments (x) | trackback (x) | 平成版三春怪奇伝説::三春城下夜話 |
平成版三春城下怪奇伝説 「庚申坂悲話」



三春城下怪奇伝説

「庚申坂秘話」

“三春庚申坂七色狐、わしの二、三度騙された”
この三春甚句が、風のように日本全国の巷を吹きまくったことがあります。


旧藩時代より、三春城下新町末の庚申坂の色街は有名でした。
大正・昭和となり、場所が庚申坂から新地(弓町)に移転してから最盛期を迎え5件の妓楼に約30名を超える遊女が在籍し、昼夜もない繁盛ぶりだったと伝わっています。





そして、その華やかさの陰には、花街につきもの事柄がたくさんあったことでしょう。
悲恋の恋の花が咲き、心中あり、駆け落ちあり、円満身請けあり、倒産あり・・・数々の秘め事話がを残しています。






今は、妓楼も朽ち果て、その面影をしのぶだけです。

これは、大正の中ごろのお話で、やや生々しいしい昔話ですがある妓楼(店名は秘す)に、越後白根在の小作農家出身の“大和(やまと)”という源氏名の遊女がいました。






越後美人で気立ても優しく、廓でも一二位を争う人気となっていました。

この遊女に入れあげた客の中でも、芦沢村の柏原という百姓いました。

分別盛りの五十を超えた男でしたが、最も足繁く通いつめます。





そして、一年も経たぬ間に、田畑山林まで人手に渡る始末になり果てました。

遊女大和は、この男柏原の身を案じて廓通いを諫めますが、糠に釘打ちでした。

柏原は、いよいよ最後の手段として北海道への駆け落ちを迫りますが、大和に強く拒まれます。






そして秋の色ずく頃でした。
いつもの様に登楼してきた柏原に対し、酒席の中で大和は素っ気なさを装って柏原を帰そうとして座がシラケてしまいます。

その翌朝、まだ夜の明けきらない早朝四時半ごろ、“恋心余って憎さ百倍”・・・柏原はかねてより用意していた出刃包丁をふるって寝ている大和の鼻柱に斬りつけます。

“無理心中”とばかりに、悲鳴とともに起き上がった大和に向かい柏原は執拗に斬りつけ、耳下、後頭部、背部と滅多突きにしてしまいます。

医者よ!警察よ!と早朝の花廓は大騒ぎとなってしまいます。





そのどさくさの中で、柏原は凶器の出刃包丁で自分の喉を突き、返す歯で男子のシンボルを切断し、流血の末に苦しみながら死んでいきました。

大和は、案外、傷が軽く、一命をとりとめますが、女の命といわれる顔に深い傷が残ってしまい、再び客前には出ることは出来なくなりました。

この無理心中があってから、この妓楼には不幸が続きますが、この柏原の祟りではと巷では噂が流れていました。




大正十四年発効「三春名所案内」には、遊郭の広告が掲載されています。


古い広報三春内コラム参照

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| ryuichi | 04:41 | comments (x) | trackback (x) | 平成版三春怪奇伝説::三春城下夜話 |
三春物語376番「旧藩主祈願所「宝来寺」狸の怪」
 

三春城内にあった旧藩主祈願所「宝来寺」に伝わる、のはなしです。



三春城郭の東側に宝来寺という藩主祈願所に、人々が集まって連歌の会を催した。
一人がなかなか出来ず。丑(うし)二つ頃になると火桶を埋めた板敷の下で笑い声がし、黒い獣(けもの)が飛び出した。
朝になると仏の頻羅果(びんらか)を開いて笑ったので、勇気ある者が竿(さお)で叩こうとすると、螺髪(らはつ)が黒い獣に変わって逃げた。
これは狸だという。





| ryuichi | 05:52 | comments (0) | trackback (x) | 平成版三春怪奇伝説::三春城下夜話 |
三春物語346番「魂呼ばい(たまよばい)」
「魂呼ばい(たまよばい)」
西方や御祭では、人が亡くなりそうな時に塩竃神社でお千度を踏みます。
これは、魂呼ばいと言われる行為で、民間信仰における死者の魂を呼びかえす呪術行為とされています。
死も仮死もともに肉体から霊魂の離れた状態であるとして、その遊離した霊魂を再び肉体に戻すという観念が働き、復活の可能性が信じられたところから来ていると考えられています。
現代日本では死体は火葬に付され、一般的で復活の観念は生じにくいものです。
それは後世になって火葬が完全に定着するまでには長い時間を要し、それまでは土葬が主流でした。特に古代では埋葬する前に殯(もがり)という一定期間を設け、復活への望みを託したとされ、具体的なものとしては、死者の出た家の屋根に登って、大声で死者の名を呼んだりする風習があったと伝えられています。




| ryuichi | 06:12 | comments (0) | trackback (x) | 平成版三春怪奇伝説::三春城下夜話 |
平成版三春城下怪奇奇談「観音堂の遺書」
観音堂の遺書

恨みを残して死んだ人間の怨念ほど怖いものはないと度々思います。
感情と言ってもいろいろありますが、怨念こそ人間の深い業に一番起因している感情ではないでしょうか。
恨み、怒り、嫉妬と言った感情が怨念に変化する時、人間の持つ底知れぬ恐ろしさを感じてしまいます。

三春城下に伝わる古い話です。
材木問屋に、体の弱い和助という一人息子が居ました。

和助に、いつの頃からか近所に住む次一と呼ばれる男がまとわりつくようになりました。酒癖が悪く、遊ぶ金ほしさに強請やたかり、さらに付け火するなど城下では評判の男でした。

次一は、遊ぶ金ほしさに目をつけたのが和助で、人のいいことを良いことに、金品を巻きあげていました。
それに気づいた材木屋のおかみは、息子近づけまいと次一を遠ざけていました。

しかし、ずる賢い野良犬のように次一は、女将の目を盗んでは、「悩みを聴くから」「嫁を世話するから」と言葉巧みに再び和助に近づき、連れだしては、飲み屋にある自分の借金も払わるなど、度々銭をむしり取り、遊び金に使っていました。

周囲の者も、二人のことは知っては居ましたが、次一に関わるのが嫌で見て見ぬふりです。
それに落胆の差した和助は、救いを求めてはお寺の和尚さんに相談に行くようになりましたが、世をはかなんで、遺書をお寺に預け首をくくってしまいました。

遺書には、次一からの仕打ちがしたためられ、現世では怖くて出来ないが、死んで怨霊に変化して恨みをはらすと言うことが書かれていたそうです。

葬式の日、何食わぬ顔でお寺に現れた典次をみた母親は、発狂し息子を亡くした悲しみと相まって病にかかり、程なく亡くなったそうです。

後に、次一には、父親の変死や母親の失明、子供の発狂など次々と災難がつきまとうようになり、自らも狂い死にしてしまいました。

 現在でも、この遺書は、母親が和助供養のために、お寺の境内に建立した観音堂に納められています。

憎しみに燃えた執念ほど恐ろしいものはありません。
その人間は、恨み故にそのかたきを殺し、それにも満足せずにその子孫を次々と殺し尽くし、ついにかたきを根絶やしにしてしまいます。
しかし、そこまでしても、憎悪の炎は消えるどころか、怨念となってますます激しく燃え盛る一方で、ついには恐ろしい鬼の姿に成り果ててしまいます。

鬼になった怨霊は、自らの呪われた運命をしきりに泣いて悔いるが、いつまでも消えることがない怨念ゆえに、永久に生き続けていかねばならないといわれますが、死ねば生まれ変わることも出来るが、それすらも出来ないのでしょう。


| ryuichi | 22:13 | comments (x) | trackback (x) | 平成版三春怪奇伝説::三春城下夜話 |
三春物語238番 「三春の戻橋」
生活の場、いつも見慣れたおなじみの風景、そこには日常があります。
しかし、その日常の場所が、時として非日常である異界に変わってしまうことがあります。
 まだ、役場の隣、桜川沿いに警察署があった明治の初め頃の話です。
早朝、ある少年が警察署の武道場で行われていた剣道の寒げいこに向かう途中、櫻川沿い裏通りにある「桜谷橋」という橋が二つに増えていた。
石を投げると右からは石が水中に落ちる音が、左からは石が木に当たる音がした。
左の橋を渡ると右は消えたという。
また、同じ裏町の「小金橋」という橋では、川底の石があります。
通行人が深夜これに笑われると必ず異変があると言われていた。
ある士族が石に笑われたので自分も石に笑い返して引き返すと、何事もなかったという。



| ryuichi | 07:08 | comments (0) | trackback (x) | 平成版三春怪奇伝説::三春城下夜話 |