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三春物語750番「三春影山氏」
三春の影山氏

現三春町で、影山姓は、三春城外の旧舞木村や旧鷹巣村に多く見られます。
その由来は、
昔、上舞木にある権現さまと呼ばれる二社大明神(現直毘神社)の境内に大きな神木がありました。
夕方になると、このご神木の影が十町も延びた。
木の影が届いたところ(現三春茶屋付近)は、「日影」と名付けられた。
明治期の磐越東線の開通に伴い、日影付近よりさくら川を渡って鷹巣村へ向かう橋を「日影橋」と名付けられます。

三春での一般論になりますが、三春の影山姓は、明治8年の平民苗字必称義務令により、つけられた家々が多く、この二社大明神の大きなご神木に由来し、二社大明神のある舞木集落や、日影の裏手の鷹巣集落に多く存在しています。
特に、二社大明神の御膝元にある上舞木集落と下舞木集落では、その過半数の家が影山姓を名乗っています。

「日影」という言葉の意味はもともと「太陽の光」とか「日差し」の意味で、神社の日影=神の光が届く=大明神の庇護の下=神域・氏子の住む場所、を意味しているんだろうと考えています。

稲作農業に適した、太陽の日が当たる場所と云った地形・土地、さらには稲作の裕福な米農家(百姓)に関連する姓ではないかと思っています。



因みにですが、伊達政宗によって落城した須賀川城主二階堂家家臣に、影山与惣六郎、影山長三郎、影山又一郎の名前を見ることが出来ます。
また、同じ二階堂氏の旗本衆に、三春の影山氏の本拠地とみられる現三春町舞木の名前にもなっている、舞木助右衛門の名前も、見ることが出来ます。
この辺りから推測しますと、当家の名字である高橋家と同じ経路が見えてきます。

三春昭進堂当家の祖先である三春在込木の柳作髙橋氏もこの時期に二階堂家家臣の髙橋氏(髙橋菊阿弥(時衆)、髙橋右衛門の名前が見えます)が、伊達氏組下の三春田村氏(二階堂氏同様伊達とは婚姻関係・政宗の大叔母在家)の家臣である、柳作髙橋氏が、家名存続の手法として分家して、その分家を、二階堂氏へ下し、下級武士として合算・与力したのではないかと考えています。

三春の影山氏も、これに倣いで同じ系図ではないかと推測します。
戦国大名田村氏は、御存じのとおり伊達家へ吸収されますが、その折に田村家の家臣より橋本氏、田母上氏、真田氏、貝山氏など数家が伊達家への仕官が叶いました。

それ以外は、農兵分離以前の戦国時代当時の不変の慣習として帰農し先祖伝来と土地を守る土豪に戻りました。
戦国当時は、家名存続の為に分家して、敵味方へ帰参し与力して分かれて戦うというのは常套手段とされていました。

“武士は二君に仕えず”とは、江戸期の江戸幕府(徳川八代吉宗の頃か?)による儒教・朱子学での、思想統制の産物でしたよね。

三春昭進堂 髙橋龍一



| ryuichi | 05:42 | comments (x) | trackback (x) | 旧岩江村 |
三春物語563番「松ヶ作八幡神社といなりさま」


山があって、神様がいて、川が流れて、そしてそれらにやわらかく、厳しく包まれて、ここで生きる。生きてきた人たちから出る生の言葉に私たちは、大いなるものに自分の生を委ねる、そのことの豊かさを垣間見る。


三春城下の南西一里余にある、旧磐城守山藩領山田村の松ヶ作集落の氏神さまです。


小さな祠ですが、集落でお祀りしています。

私たちは意識していなくても、人の家や神社を訪れる際
一礼をして鳥居や門をくぐり
履き物を脱いで建物に上がり、敷居や畳の縁をまたいでいく。
それに伴い、その空間の気配を察し、その空間に意識を合わせ
気持ちを新たにし、作法を変えていく。

それだけ私たちは、結界に区切られた空間を尊重している。



八幡様です。


稲荷神社の祠

結界は、神道や仏教から来る思想であり
一定範囲の空間を区切るもので
生活には直接必要ではないものを配したり
意図的に段差を設けるなどをして、作られています。




| ryuichi | 04:03 | comments (x) | trackback (x) | 旧岩江村::山田 |
三春物語562番「旧巖江村岩本の八坂神社」


三春城下の南西二里余にある旧巖江村岩本集落に鎮座する岩本八坂神社です。

水戸黄門でご存じの御家門水戸徳川家の支藩旧磐城守山藩徳川家の所領地でした。


岩本集落の一三件の氏子(影山・鈴木・新田姓)で守っています。



旧神号を牛頭天王で、石造鳥居の扁額には、牛頭天王が刻まれています。
祭日を、旧6月15日として安久津村田村神社の宮司を招いて祭礼を挙行しています。



境内には、江戸期の二十三夜講の供養塔や、古峰神社参拝の石碑、そして石造灯籠などがあります。
この奉納品には、現在の氏子とは違う姓の寄進名が刻まれています。

多くの「庚申塔」や「地蔵」等が残され、近年までは集落の入口には「辻切」を奉る風習も残っていました。
庚申塔とはかつて集落の重要行事であった庚申講の記録だと思います。

「講」には主婦だけの講である十九夜講(お念仏)等もあるが、講に共通する意識には、この 集落の一員となり、運命を共有する者同士が、代々受け継がれてきた田畑を守り、自然の恵みに対する感謝と畏敬の営みにより培われてきた伝統を絶やす まいとする気持があったのでしょう。



「鎮守の神様」とは、その地域をつかさどり、守ってくれる神様のことです。
人々は、鎮守の神様にお参りすることで一日を始め、様々な祭りを催して豊作を祈願し、地域の安全を願いました。
季節の移り変わりも、人生の節目も、鎮守の神様とかかわりながら体験していたといってもよいでしょう。
そこは、暮らしのごく身近にある「祈りの場」でした。


| ryuichi | 04:46 | comments (x) | trackback (x) | 旧岩江村::下舞木 |
三春物語561番「山田村栃久保稲荷神社と種蒔桜」


栃久保稲荷神社と種蒔桜



三春城下の南西一里余、旧山田村栃久保集落、影山家の氏神さまの稲荷神社の小祠です。


境内には、「栃久保種蒔桜」と呼ばれる古木が御神木のように自生して、春の桜花は見事です。


人間は古来、厄という闇を避け自然を怖れてくらしてきました。
闇の中にはどんな魔物が潜んでいても不思議ではないし、日照り、強風、大雨、雷、地震、そして疫病など、自然がもたらす様々の厄災は、人知をこえた恐怖であり、神の怒り・魔界の祟りとしか考えようがありませんでした。


| ryuichi | 04:37 | comments (x) | trackback (x) | 旧岩江村::山田 |
三春物語558番「大峰の天神様」


 「天神信仰」とは、神さまとして崇められた菅原道真公の神霊に対する信仰をいいます。本来は、天神とはは地神(くにつかみ)に対する「あまつかみ」で、特定の神さまをさすものではありませんでしたが、菅原道真公が火雷天神と称され、雷神信仰と結びついたり、「天満大自在天神」の神号を賜わったことにより、菅公の神霊への信仰を、「天神信仰」と一般的に呼ぶようになりました。

 菅公が、藤原時平の讒言により左遷された大宰府で亡くなった後、京都では、藤原時平を助けて菅公の左遷に努めたといわれる藤原菅根が落雷によって死去し、さらに日蝕・地震・彗星、落雷などの天変地異、干ばつ、洪水などの災害等による農作物の被害をはじめ、疫病などが次々に起きて、世の人々は不安になりました。
 延長八年(930)には、宮中の清涼殿で雨乞いの協議をしているときに、にわかに黒雲がわいて落雷し、藤原清貫は死亡し、平希世は負傷するという事が起りました。その当時は、怨霊に対する御霊信仰や雷神信仰が盛んであったので、菅公の怨霊の仕業ではないかとのうわさが広まりました。

 

菅公の怒りが雷の形で現れると信じた人々の信仰は、藤原氏をはじめとする都の貴族たちには恐怖と畏怖の念でとらえられましたが、一般農民には水田耕作に必要な雨と水をもたらす雷神(天神)として、稲の実りを授ける神、めぐみの神となって、広く全国に崇敬されていったのです。

 

やがて、道真公の学問に対する偉大な事績やその人柄から、天神信仰は文道の大祖、文学・詩歌・書道・芸能の神、あるいは慈悲の神として崇められるようになりました。
そして、その天神信仰を中心に各地に天神講などが普及して、全国の津々浦々に、天神さま、天満宮として建立され、今の世に、学問の神・誠心の神として崇拝されています。



| ryuichi | 03:57 | comments (x) | trackback (x) | 旧岩江村::上舞木 |
三春物語498番「平石地蔵堂」


現上舞木、平石集落にある「平石の地蔵堂」です。


小さな集落の田圃の縁に、優しく佇んでいます。


お地蔵様は、我々人間の苦しみを代わって受けてくれるという仏様で、今でも多くの人々に信仰されています。平石の人々は、このお地蔵様を「子育て地蔵」として大切にしています。
昔は、医学もあまり進んでおらず病気などで死んでしまう子どももたくさんいました。
人々は、子どもたちがじょうぶに育つようお地蔵様にお参りしたのでしょう。



大きな地図で見る

| ryuichi | 04:38 | comments (x) | trackback (x) | 旧岩江村 |
三春物語509番「大峰稲荷大明神」




大峰の稲荷様です。



戦国大名田村氏の要害、田村四十八舘大峰舘の跡と考えられています。


村の鎮守の神様の
今日はめでたいお祭り日
どんどんひゃらら どんひゃらら
どんどんひゃらら どんひゃらら
朝から聞こえる笛太鼓

子どものころ、こんな歌をよく歌った。
氏神や産土神を祠った森、鎮守の森。
かつて、コミュニティは自分たちの住んでいるまわりのさまざまな物の 霊や魂を信仰し、これらの神を核としてつくられてきた。
今は静まりかえった森のなかにも人々の歓声がこだまする賑わいがあった。
地域がいかに変ろうとも、ここだけは動かない。




| ryuichi | 04:19 | comments (x) | trackback (x) | 旧岩江村::上舞木 |