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三春物語561番「山田村栃久保稲荷神社と種蒔桜」


栃久保稲荷神社と種蒔桜



三春城下の南西一里余、旧山田村栃久保集落、影山家の氏神さまの稲荷神社の小祠です。


境内には、「栃久保種蒔桜」と呼ばれる古木が御神木のように自生して、春の桜花は見事です。


人間は古来、厄という闇を避け自然を怖れてくらしてきました。
闇の中にはどんな魔物が潜んでいても不思議ではないし、日照り、強風、大雨、雷、地震、そして疫病など、自然がもたらす様々の厄災は、人知をこえた恐怖であり、神の怒り・魔界の祟りとしか考えようがありませんでした。


| ryuichi | 04:37 | comments (x) | trackback (x) | 🌸旧岩江村::山田 |
三春物語558番「大峰の天神様」


 「天神信仰」とは、神さまとして崇められた菅原道真公の神霊に対する信仰をいいます。本来は、天神とはは地神(くにつかみ)に対する「あまつかみ」で、特定の神さまをさすものではありませんでしたが、菅原道真公が火雷天神と称され、雷神信仰と結びついたり、「天満大自在天神」の神号を賜わったことにより、菅公の神霊への信仰を、「天神信仰」と一般的に呼ぶようになりました。

 菅公が、藤原時平の讒言により左遷された大宰府で亡くなった後、京都では、藤原時平を助けて菅公の左遷に努めたといわれる藤原菅根が落雷によって死去し、さらに日蝕・地震・彗星、落雷などの天変地異、干ばつ、洪水などの災害等による農作物の被害をはじめ、疫病などが次々に起きて、世の人々は不安になりました。
 延長八年(930)には、宮中の清涼殿で雨乞いの協議をしているときに、にわかに黒雲がわいて落雷し、藤原清貫は死亡し、平希世は負傷するという事が起りました。その当時は、怨霊に対する御霊信仰や雷神信仰が盛んであったので、菅公の怨霊の仕業ではないかとのうわさが広まりました。

 

菅公の怒りが雷の形で現れると信じた人々の信仰は、藤原氏をはじめとする都の貴族たちには恐怖と畏怖の念でとらえられましたが、一般農民には水田耕作に必要な雨と水をもたらす雷神(天神)として、稲の実りを授ける神、めぐみの神となって、広く全国に崇敬されていったのです。

 

やがて、道真公の学問に対する偉大な事績やその人柄から、天神信仰は文道の大祖、文学・詩歌・書道・芸能の神、あるいは慈悲の神として崇められるようになりました。
そして、その天神信仰を中心に各地に天神講などが普及して、全国の津々浦々に、天神さま、天満宮として建立され、今の世に、学問の神・誠心の神として崇拝されています。



| ryuichi | 03:57 | comments (x) | trackback (x) | 🌸旧岩江村::上舞木 |
三春物語567番 山田の天王桜



三春城下の南、一里余旧芦沢村上山田にある「山田の天王桜」と「鷲峰山」の扁額があるお堂です。






牛頭天王の石額のある鳥居があります。







旧新号牛頭天王で、現在は薬師如来か?が祀られているんだろうと思います。


また、宇内には、大神宮の小さな祠ですが祀られています。

大神宮側の参道には鳥居があり、御堂正面の参道には、彼岸と此処岸を分けるとされる池があり、神仏習合を垣間見れます。


また、桜の古木は見事で「山田の天王桜」として人気があります。




山内には、享保飢饉で亡くなった方々を追悼する石碑があります。







奉読誦大乗妙典千部供養塔




 


御堂を飾る彫り物も立派です。








春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍

| ryuichi | 04:23 | comments (x) | trackback (x) | 🌸旧岩江村::山田 |
三春物語498番「平石地蔵堂」


現上舞木、平石集落にある「平石の地蔵堂」です。


小さな集落の田圃の縁に、優しく佇んでいます。


お地蔵様は、我々人間の苦しみを代わって受けてくれるという仏様で、今でも多くの人々に信仰されています。平石の人々は、このお地蔵様を「子育て地蔵」として大切にしています。
昔は、医学もあまり進んでおらず病気などで死んでしまう子どももたくさんいました。
人々は、子どもたちがじょうぶに育つようお地蔵様にお参りしたのでしょう。



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| ryuichi | 04:38 | comments (x) | trackback (x) | 🌸旧岩江村 |
三春物語509番「大峰稲荷大明神」




大峰の稲荷様です。



戦国大名田村氏の要害、田村四十八舘大峰舘の跡と考えられています。


村の鎮守の神様の
今日はめでたいお祭り日
どんどんひゃらら どんひゃらら
どんどんひゃらら どんひゃらら
朝から聞こえる笛太鼓

子どものころ、こんな歌をよく歌った。
氏神や産土神を祠った森、鎮守の森。
かつて、コミュニティは自分たちの住んでいるまわりのさまざまな物の 霊や魂を信仰し、これらの神を核としてつくられてきた。
今は静まりかえった森のなかにも人々の歓声がこだまする賑わいがあった。
地域がいかに変ろうとも、ここだけは動かない。




| ryuichi | 04:19 | comments (x) | trackback (x) | 🌸旧岩江村::上舞木 |
三春物語505番「石花薬師堂」


下舞木石花に鎮座する薬師様です。


舞木から阿久津へ通じる道にあります。
下舞木南部地区集会所の隣接です。



様々な石碑が集められています。



仏教が日本に伝来する六世紀以前、人々の信仰の対象は自然だったのでしょう。
山や木、そして巨石、さらには風や雷といった自然現象をも神として崇め、祈りを捧げてきました。
その古代信仰の上に、神道や仏教が重なり合い、神仏習合が行われてきた日本の信仰。
明治以後、国策によって神仏離反、そして廃仏毀釈と言った過剰解釈のうえに仏像廃棄が行われましたが、三春の里山では今なお神と仏が共存する姿に出会えます。



閻魔大王石像がありました。


これは十王信仰に由来します。
 十王は死後の人々を審判する十人の冥界の王である。各王の審判を受け、生前の罪によって行き先が決められる。まず初七日に「秦広王」の審判を受け、罪が決まらなければ、次は十四日に「初江王」の審判を受ける。二十一日目に「宋帝王」、二十八日目は「伍官王」、三十五日目の「閻魔王」四十二日目の「変成王」、四十九日目の「太山王」と七日毎に順に審判が行われ、そのあと百ヶ日の「平等王」、一周忌の「都市王」と続き、三回忌の「五道転輪王」で終わる。中国で成立したが日本でさらに発達し、十王のそれぞれに本地仏を配し、閻魔王には地蔵が配されている。地蔵は地獄の救い主であり、罪を裁く閻魔王でもある。


| ryuichi | 05:16 | comments (x) | trackback (x) | 🌸旧岩江村::下舞木 |
三春物語504番「下舞木雷神様」


郡山との境、下舞木集会所にある雷神様の祠です。


天明年間の刻があります。
飢饉の多かった年代で、特に東北地方では200万人の餓死者が記録されています。


激しい夕立ちとともに耳をつんざく雷鳴に、思わず肩をすくめてしまう人も多いのではないでしょか。
雷は現在でこそ科学的に解明され、怖さも薄らいだ感がありますが、古代から“天の原ふみとどろかし鳴る神”……なるかみ、といわれ、その威からさまざまな形で神格化されてきたようです。





| ryuichi | 05:08 | comments (x) | trackback (x) | 🌸旧岩江村::下舞木 |