2010-06-04 Fri

山があって、神様がいて、川が流れて、そしてそれらにやわらかく、厳しく包まれて、ここで生きる。生きてきた人たちから出る生の言葉に私たちは、大いなるものに自分の生を委ねる、そのことの豊かさを垣間見る。

三春城下の南西一里余にある、旧磐城守山藩領山田村の松ヶ作集落の氏神さまです。

小さな祠ですが、集落でお祀りしています。
私たちは意識していなくても、人の家や神社を訪れる際
一礼をして鳥居や門をくぐり
履き物を脱いで建物に上がり、敷居や畳の縁をまたいでいく。
それに伴い、その空間の気配を察し、その空間に意識を合わせ
気持ちを新たにし、作法を変えていく。
それだけ私たちは、結界に区切られた空間を尊重している。

八幡様です。

稲荷神社の祠
結界は、神道や仏教から来る思想であり
一定範囲の空間を区切るもので
生活には直接必要ではないものを配したり
意図的に段差を設けるなどをして、作られています。

2010-02-21 Sun

三春城下の南西、旧山田村にある村社沫蕩神社

祭神を、神代紀上にも記載されている「沫蕩尊(アワナギノミコト)」とあります。
沫蕩尊とは、詳細が不明の神様で、名前の意味としては「蕩」は平らかな、の意で、ここでは「和ぎ(凪)」に当たります。

「沫那美の神」(泡が波立つ)とともに、河口(陸地の側)の水面のさまの神格化さてら者と考えられています。

また、神代紀上の「沫蕩尊」は伊奘諾尊の親となっている。
これは伊奘諾尊が水泡から生れたとする海人族の伝承によるものだと考えられます。

それに対して、記では岐・美二神の所生としているのは「別天つ神」と「神世七代」の神々以外の神々を、すべて岐・美二神の所生として系譜づけをしようとしたものであることを示すと思われます。


如意林観音や大黒様も集まっています。

境内の入り口にある地蔵尊
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