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三春物語558番「大峰の天神様」


 「天神信仰」とは、神さまとして崇められた菅原道真公の神霊に対する信仰をいいます。本来は、天神とはは地神(くにつかみ)に対する「あまつかみ」で、特定の神さまをさすものではありませんでしたが、菅原道真公が火雷天神と称され、雷神信仰と結びついたり、「天満大自在天神」の神号を賜わったことにより、菅公の神霊への信仰を、「天神信仰」と一般的に呼ぶようになりました。

 菅公が、藤原時平の讒言により左遷された大宰府で亡くなった後、京都では、藤原時平を助けて菅公の左遷に努めたといわれる藤原菅根が落雷によって死去し、さらに日蝕・地震・彗星、落雷などの天変地異、干ばつ、洪水などの災害等による農作物の被害をはじめ、疫病などが次々に起きて、世の人々は不安になりました。
 延長八年(930)には、宮中の清涼殿で雨乞いの協議をしているときに、にわかに黒雲がわいて落雷し、藤原清貫は死亡し、平希世は負傷するという事が起りました。その当時は、怨霊に対する御霊信仰や雷神信仰が盛んであったので、菅公の怨霊の仕業ではないかとのうわさが広まりました。

 

菅公の怒りが雷の形で現れると信じた人々の信仰は、藤原氏をはじめとする都の貴族たちには恐怖と畏怖の念でとらえられましたが、一般農民には水田耕作に必要な雨と水をもたらす雷神(天神)として、稲の実りを授ける神、めぐみの神となって、広く全国に崇敬されていったのです。

 

やがて、道真公の学問に対する偉大な事績やその人柄から、天神信仰は文道の大祖、文学・詩歌・書道・芸能の神、あるいは慈悲の神として崇められるようになりました。
そして、その天神信仰を中心に各地に天神講などが普及して、全国の津々浦々に、天神さま、天満宮として建立され、今の世に、学問の神・誠心の神として崇拝されています。



| ryuichi | 03:57 | comments (x) | trackback (x) | 旧岩江村::上舞木 |
三春物語509番「大峰稲荷大明神」




大峰の稲荷様です。



戦国大名田村氏の要害、田村四十八舘大峰舘の跡と考えられています。


村の鎮守の神様の
今日はめでたいお祭り日
どんどんひゃらら どんひゃらら
どんどんひゃらら どんひゃらら
朝から聞こえる笛太鼓

子どものころ、こんな歌をよく歌った。
氏神や産土神を祠った森、鎮守の森。
かつて、コミュニティは自分たちの住んでいるまわりのさまざまな物の 霊や魂を信仰し、これらの神を核としてつくられてきた。
今は静まりかえった森のなかにも人々の歓声がこだまする賑わいがあった。
地域がいかに変ろうとも、ここだけは動かない。




| ryuichi | 04:19 | comments (x) | trackback (x) | 旧岩江村::上舞木 |
三春物語506番「大峰地蔵様」


上舞木地区大峰にある地蔵様です。


祠に入っています。
様々な石碑も祀られています。


大峰・寺山・小峰集落は、旧江戸海道の分岐・追分け旧道沿いに点在しています。

如意林観音

オンバサマ



| ryuichi | 05:39 | comments (x) | trackback (x) | 旧岩江村::上舞木 |
三春物語274番「上舞木寺山、大峯界隈」







虫歯の痛み鎮めの御利益がある、寺山の真言宗延命寺
紙に虫と書き、細く折って柱に打ち付けると痛みが治まるとされています。








大峯の天神様

| ryuichi | 20:12 | comments (0) | trackback (x) | 旧岩江村::上舞木 |
三春物語29番 「三春の石塔婆(板碑)」


三春の石塔婆(板碑)

三春の石塔婆は、三春城下を除く全域で確認  されています。
平安末期の弘安年間に造られた、上舞木を最古として鎌倉期から室町そして南北朝の動乱期である応安年間のものまで、約百年にわたる貴重な資料です。
梵字によって人々の信仰と所願、そして精神文化のあり方がわかり、筆法によって時代を表しています。
また、願文や偈文(仏の功徳を褒め称える詩)から、信仰宗派や時代の書法が紀年銘・造建者名からは、その土地の支配階級者や寺院と僧侶などが推測されます。
さらに、石塔婆は中世の交通路を示し交易場跡である可能性も示唆しています。
石塔婆たちは、積年の中で、路傍や山林の泥に埋もれ、木の葉に隠れ、または、人為的に土留めや石垣や橋の材料にされたり受難の年月を送ったことでしょう。
時代を超えて現存するまでには戦火や長年の風雪に耐えてきました。

下舞木蛇田 種子金剛界大日如来
北山    種子胎蔵界大日如来
上舞木   胎蔵界阿弥陀如来「過去慈父幽霊 出離生死往生極楽也」
下山田寺作 阿弥陀如来
熊耳    金剛界大日如来
庄司    阿弥陀如来と金剛界不空成就・胎蔵界天皷雷音
斎藤場上田 阿弥陀如来、観音菩薩、勢至菩薩、金剛界大日如来、阿弥陀如来
      不動明王結衆石塔婆
斎藤新田  阿弥陀如来、双式阿弥陀如来・天皷雷音仏
斎藤戸ノ内 二尊塔婆は、戦乱の渦中で、生きる苦しみ老少不定の現実を体験した場合、あらかじめ死後の仏事を生前におこない修することを逆修と云われていますが、極楽に往生する仏果を得るとして造られたもので、中世の世相と人々の信仰観念がうかがわれます。 
 




鎌倉期建立の斎藤場上田の石塔婆
付近には、和尚壇の地名が残り、法院屋敷跡や豪族舘跡などがあります。



| ryuichi | 04:21 | comments (0) | trackback (x) | 旧岩江村::上舞木 |
三春物語119番 「寺山観音堂のツブ」


  「寺山観音堂のツブ」



上舞木寺山の観音堂の境内に不動尊が祀られています。
このお不動様は目の神様と言われ、古より目を患っている人々が参詣に訪れていました。境内には、田村三十三清水にかぞえられる観音清水があります。とても澄み切った清水でこの水で目を洗えば、その患いが早く直るというもので、お参りの人が絶えなかったといいます。




 この清水が注ぐ棚池には、ツブ(タニシ)がおおく生息していますが、他のツブとは少し形が違います。どちらから見ても、タニシ特有の尖っている部分が無ありません。
これは、その昔、近くに火事があったとき、池のツブが観音堂の屋根一杯に上がってこのお堂に降りかかる火の粉から護り、観音堂は類焼を免れました。このとき屋根一杯のツブたちは尖ってる部分が焼けて三角形になったと云われ、それ以後、尖っている普通のツブを池へ放しても、いつしか三角に変わり、「観音様のツブ」と呼ばれるようになったと云う言い伝えが残っています。



現代は、世の中の仕組みや価値観も、新しいものへと転換して行く激動の時代です。
 そんな時代の激流の中で、自分を見失う事なく生き、なおかつ夢を叶えるのは、とても大変な事です。 多くの人々が何か、自分を見失わないでいられる心の拠り所と、夢を実現させる力強いバックアップが欲しいと思っているのではないでしょうか。
 その両方の目的を同時に果たし、しかもそのパワーは史上最大級と言えるのが“観音菩薩”です。 観音菩薩は“慈悲”に溢れた菩薩で、数ある仏尊の中で最も広く親しまれて信仰されて来ました。
 



それは、功徳と守護力を示してきた、強力な現世利益的性質によります。観音菩薩は、あらゆる悩みや苦しみを、その名を称えるだけで無条件で迅速に救ってくれる万能の救済者であると説かれており、実際に観音菩薩の功徳で救われた実例が数え切れないぐらい存在するのです。 また、観音菩薩には、様々な姿に変身して私達衆生を救うという性質もあります。そのため、歴史上に多種多様な変化観音が造り出される事になりました。
 



そういう衆生のニーズに対応できる柔軟さも、観音菩薩が広く親しまれた理由の一つなのでしょう。
 

かつて、寺山観音の祭礼には、近所の子供たちが棚池払いと称し「願掛けの為に棚池に反しに米を包みお供えしたものを拾い、お宿のお宅に持参しご飯や、お菓子などを頂くのが楽しみだったと聞き及びましたが、その子供らが今では消防団の一員として、寺山観音のツブに成り代わり寺山地区、上舞木はもちろん三春全域を守っています。
     

蒼龍謹白            合掌


オブスナさま



| ryuichi | 17:01 | comments (0) | trackback (x) | 旧岩江村::上舞木 |