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三春城下新町の天翁山州伝寺の「子育一時地蔵尊」 2020 御霊まつり 本年度は、新型コロナウイルスの影響で規模を縮小して、役員の実の法要で執り行います。



三春城下新町の天翁山州伝寺の「子育一時地蔵尊」 2020 御霊まつり


本年度は、新型コロナウイルスの影響で規模を縮小して、役員のみ臨席して法要で執り行います。


子育て地蔵として、我が子を健やかに育てと願う親御さんたちの信仰を集め、八月二十四日には“御霊まつり“が開かれます。

わが子が、災いを被るようなとき一時お地蔵さんに、親代わりとなってわが子を守ってくださいとの願いを込めて参詣するといわれています。

やはり、戦前には出征するわが子を間もてくれることを願う、親御さんたち家族の参拝が絶えなかったといいます。


一時地蔵さんの由来には、いくつかの説があります。

親に先立って亡くなった子供達が、三途の川の”賽(さい)の河原”で、両親や兄弟たちを恋しがり、小石を積み上げ石の塔を築いてきます。
しかし、日が暮れると鬼達がやってきてそれを壊してしまいます。

それを哀れんだ地蔵菩薩が、子供たちを抱いて錫杖(しゃくじょう)の柄に取り付かせ、自分が子供たちの一時の親となって救ってくれると云れています。





私たちが子供のころの夏休みには、州伝寺の山内はラジオ体操の会場となっていました。

その頃は、一旦家に帰って朝食を食べ、その後に州伝寺の本堂に再度集まり、夏休みの宿題をみんなでしていた記憶があります。

そして、この一時地蔵尊祭典の時には、新町の盆踊りがあり、州伝寺の山内で盆踊りをしていたこともありました。

後に、盆踊りは弓町遊郭跡でも開催したこともありますが、本来のせり市場での盆踊りなります。

その頃になると、せり市場での盆踊りも、同24日でしたので、一時地蔵尊祭典に参拝し、綿あめと花火をもらったりしていました。






地蔵菩薩の縁日である8月24日に、死後に餓鬼道に堕ちた衆生のために食物を布施しその霊を供養する法要です。

お盆の施餓鬼とは、釈尊の弟子である阿難尊者が、一切の餓鬼に食物を布施し供養して、死を逃れ長寿を得たことに由来しています。





「賽の河原和讃」にうたわれるように、この世とあの世との境にあって、特に哀れな幼児を助けてくださるので、賽神(サエノカミ)や道祖神信仰と結びついているんでしょう。





春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂

| ryuichi | 04:35 | comments (x) | trackback (x) | 三春城下新町::天翁山州傳寺 |
三春物語176番 「三春州伝寺第三十二世住持 大地玄亀大和尚」
 



三春州伝寺第三十二世住持 大地玄亀大和尚
 
「最後の説法」大地玄亀  前州伝寺住職故石龍正孝老師著(非売品)


  この本は、即妙玄亀大和尚の接心での最後の説法を故石龍木堂老師がまとめられた貴重な本です。

前住職石龍和尚ご存命であったころ、塵壺に州伝寺を掲載するための資料集めにお邪魔した折に、頂戴したものです。

「最期の説法」は老師が東京都台東区浅草松葉町曹源寺内曹玄窟で遷化される直前に門弟のために病重症の所をおして行った提唱です。

それは、側に綿に水を浸して唇をうるおし、時に、声がかれ、とぎれ、欺息して休み且つ続けるという提唱であった。







大地玄亀和尚は東北の地に「禅」を根つかせた位という想いから、三春でも檀用の少い州伝寺を選ばれて掛錫された太地老師。


タイトル通り、石龍和尚の師匠である大地玄亀和尚の最後の説法を録音テープなどから編集して本にまとめられたものです.









玄亀老師発願の書(原文は血書)からはじまり

・ 総参の話(この接心会の直後に胃癌の診断を受ける)

・ 臨終の時の法話(門弟一同への経誨)

・ 最後の説法(浅草曹源寺での遷化直前の接心 綿に水を浸し唇を潤しながらの提唱)

・ 無門関提唱

・ 玄亀和尚示衆

・ 出家の本懐

・ 菩提心と無常観

・ 托鉢印施

・ 策励句集と続きます。





「総参の話」は昭和二十七年八月二日より一週間福島県田村郡三春町州伝寺において催された大接心会の時の総参の話である。
会衆七十余名、過半は在家の方で、特に初心者の方のために語られたものである。



尚、老師はこの接心会の直後、胃癌という診断を受けられたのである。




州伝寺晋山式修行することになりましたが、要するに私は東北の地方に真の禅風を一拳揚したい念願からであります。

私は超州和尚が六十歳で出家なされて八十歳迄行脚せられた尊い勝麗を慕って私も六十歳再出家の気持であります。

しかも此の寺は州伝寺というのですから、超州の禅風を伝えるというように解釈して、転任の機会に一切の名利を捨てて真の納僧として上求菩提下化衆生の誓願を樹てましたが、菩提心の未熟にて未だ実行が出来ません。実に慣憶に堪えません。

ほんとうに良寛さまや乞食桃水和尚のように名利をなげ捨てた真の出家児になりたい心はありますが、なかなか容易ではありませんけれども衆生無辺誓願度の四弘誓願文に鞭うって、生々世々勇猛精進する覚悟であります。

大地玄亀和尚の言葉より






曹洞宗天翁山州傳寺は、江戸初期悲劇の三春城主松下石見守長綱が三春入府の際、二本松より移した寺で、重綱公、長綱公、豊綱公と松下家三代の位牌所です。
 
松下石見守長綱公は三春在籍十七年の間に、最後の戦国大名として三春城や城下町を整備して、現在の城下町三春の基礎を築いたと言われます。

 長綱公は豊臣秀吉が日吉丸と名乗る十六の頃、最初に使えた松下加兵衛之綱の孫で、初期徳川幕府にとっては、他の豊臣恩顧の大名と同じく目障りな存在であり、理不尽な理由を徳川幕府より押し付けられ、改易の憂き目に合いました。






 その後、江戸時代秋田家藩政下では先の領主菩提寺として厚遇され、全国的に有名な名僧高僧が在籍し、歴代住職への曹洞宗永平寺・総持寺両本山並びに関三箇寺から要職の下命等があり、管内の由緒ある寺院として「録所」を勤めました、また歴代住職の下へ、徳を慕いその教えを乞いに全国から雲水が参禅し、片法憧(格地)、東北の禅修業道場として名を馳せました。

近年に於いても、先の住職大地玄亀老師や、その弟子現住職石龍木童和尚が在籍し、この三春で禅宗の要として人々を導いておられます。




 
また丈六仏と呼ばれる御本尊の木像阿弥陀如来坐像は、坂上田村麻呂東夷追討に由来し、鎌倉期作とみられます、その昔郡山赤沼に安置され、戦国期田村氏三春入府に伴い、三春町丈六、廃寺万徳寺へ移り、その後丈六堂へ移り、明治期に州伝寺に移された仏像で、その長い歴史の中で、火災や様々な災難に遭遇しながらも、現存するその福与かな御姿に心が和み、自然と手を合わせます。




 州傳寺の玄関に「照顧脚下」の墨跡を見つけました、「脚下を照顧せよ」自分の足元を見よ、つまり自分自身をよく見つめなさいと言う教えです。

 山内には一時地蔵があり、子育て地蔵として、我が子を健やかに育てと願う親達の信仰を集め、八月二十四日には“みたま祭り“が開かれます。

 「拝む手から 一家円満の ひかりかがやく」  州伝寺立て札より






合掌


春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂


| ryuichi | 13:25 | comments (0) | trackback (x) | 三春城下新町::天翁山州傳寺 |
橋長魚店さんでは、火曜日と土曜日が「店主男気お刺身デイ!」となっています❣️




三春城下新町の橋長魚店さんでは、ステイホーム・コロナ自粛の中で、火曜日と土曜日が「店主男気お刺身デイ!」となっています❣️

#橋長特製刺身盛り合わせです。


どれでも一皿980円税込です!







隣に生まれて早56年の私の体は、9割が橋長の食材で出来上がっています。


仲人さんも、橋長の前会長夫妻です。



今宵はコロナ自粛の慰安でセルフ宴会です。

こんな贅沢〜至福の時 
#乾杯~!






 #アジたたき #海鮮5点盛り合わせ #帆立 、アワビ 、ウニ、タコ、ホッキ貝、タイ、カツオ〜〜

三春の台所 橋長魚店の侠気です







もちろんですが、火曜日、土曜日以外も刺身の盛り合わせはできます。







住宅街に2軒並んだ三春城下新町の商店街です。

駐車場は旧競市場跡新町駐車場へお願いします



春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍


| ryuichi | 04:56 | comments (x) | trackback (x) | 三春城下新町 |
旧三春藩領内堂鎮守・大元帥明王に新型コロナウイルスの撃退を祈願!



旧三春藩領内堂鎮守である大元帥明王に新型コロナウイルスの撃退を祈願!

古より大元帥明王は「外寇からの防衛」「敵国降伏」を祈願し国土を護り敵や悪霊の降伏に絶大な功徳を発揮すると言われ、御上斎主にて「必勝祈願」や「敵国粉砕」「国土防衛」の祈願として宮中では古くから大元帥明王の秘法(大元帥法)が盛んに厳修されて来ました。





様々な職種で影響が出ています。


ここはひとつ神頼!。


旧三春藩領内総鎮守大元帥明王社であり、現在は私の地元三春城下新町鎮守・田村大元神社です!







幕末は慶応4年に完成した八脚の仁王門から見た🌸と新町縦町の風景は最高です!


多分、伊達政宗もこの光景を見ながら地侍のあいさつを受け、饗応されたことでしょう~





この角度は、この社がお城の一角だと再認識させてくれる構図です!







そして、神社の裏手は三春城東館です。


: 2020.04.07
三春滝桜観光受け入れの中止について

首都圏等を対象とした国の緊急事態宣言を受け、4月8日から滝桜への観光客受け入れを中止します。

これにともない、観光客の方々への対応業務は終了し、観桜料も頂きません。

満開の滝桜ですが、観光集客業務は~本日で終了するそうです…
誘導看板は交通規制関係以外全撤去と成りました。
警備員は配置しますが、迷惑路駐対策で駐車場を開ける為らしいです。
事実上の、三春の春は終了です。


春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍





| ryuichi | 04:05 | comments (x) | trackback (x) | 三春城下新町 |
三春城下 真照寺節分会 2020



   真言宗日乗山真照寺

暦も、いつのまにか、もう立春。

春準備の木立の中、静かに佇む真言宗日乗山真照寺。

三春藩安倍安東秋田家五万石の祈願所として隆盛を極めた古刹です。

春には水芭蕉が咲く寺として有名です。


本日は、三春藩主祈願所真照寺の節分会が開催されます。

当店では、夕方より、豆まき終了の午後九時頃まで「お汁粉」を無料で配布しています。


豆拾い(福拾い)の行き帰りにお立ち寄りください。








裏庭は、水芭蕉ばかりではなく、藩主来寺の時、休息に使う、「御成りの間」の、借景として造営された庭があります。

祈願所時代は、噴水のある池や、池中央に立つ弁天堂などがあったそうで、三春五万石別格寺真照寺の、往年の隆盛ぶりが偲ばれます。

現在も、磐梯造園様の匠の技にて整備され、四季を通じて訪れる人々の心を魅了しています。


私も、日々の忙しさや、苛立ちに、忘れがちな心のやすらぎをもとめ、その美しい庭に、足を運び、四季の表情を、楽しませていただいています。

本堂の外側に、絃川会による様々な墨字の額が掛けてあります、その時どきの、自分の心境により,目につく額が違います。


「傳芳」、「端虚」、「如是」と、まさに自分自身の心を文字に表し,励ましや、戒めとして語りかけているような気がします。

本堂の中には、化け猫騒動、天明大火後、時の藩主秋田千季公が納めた弘法・興教大師像があります、これは、夜毎、猫の怨霊にうなされた千季公が、その霊を鎮めるために納めたもので、中に腹切梅の滋野多兵衛の位牌が納められていると聞きました、又、ご本尊の不動明王像や,帝釈天、四天王の立像が在り、邪気を払わんと睨みを利かせています。 

子供の頃,悪い事をしたときなど,母に「お寺につれていくよ」と叱られ,その恐い顔をおもい出だし反省しておりました。

最近は、四歳と,二歳の子供を連れて、お寺へ行きますが,子供の頃に叱られたように自分のこどもにも、同じ口調で叱る、自分にきがつき、墨字の文字額と伴に,他界して随分時が経つ、母の享受が思い出されます。  
                      





かつては「大日堂」そして、「古四王堂」として信仰を集めていました。 

堂内の須弥壇には、大日如来像と四天王・東の持国天,南の増長天,西の広目天,北の多聞天 (→毘沙門天 ) がありました。

大日如来像は、現在はありません。


他の四天王は本堂内に保管されています。







当店では、節分会に協賛して夕方よりお汁粉の御接待をしております。


福拾いの行帰りにお立ちよりください。




春陽郷三春城下御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍



親の恩、歯が抜けてから噛み締める    合掌





| ryuichi | 05:09 | comments (x) | trackback (x) | 三春城下新町 |
「身代り地蔵尊祭礼」 御供物の菊落雁 天澤寺山内 令和元年




例年、三春城下清水の天澤寺様よりご用命いただいている「身代り地蔵尊祭礼」御供物の菊落雁です。


紅白の菊落雁です。







地蔵盆「身代り地蔵尊」祭礼


平成26年8月24日(日) 午前十時30分より







安寿と厨子王伝説の残る「身代り地蔵尊」堂です。



当日は、法要とご詠歌があります。








地蔵盆の由来には、いくつかの説があります。

親に先立って亡くなった子供達が、三途の川の”賽(さい)の河原”で、両親や兄弟たちを恋しがり、小石を積み上げ石の塔を築いてきます。
しかし、日が暮れると鬼達がやってきてそれを壊してしまいます。

それを哀れんだ地蔵菩薩が、子供たちを抱いて錫杖(しゃくじょう)の柄に取り付かせ、自分が子供たちの親となって救ってくれると云れています









この話に元基づいて、地蔵菩薩を建立し、こどもの幸福を祈る民間信仰としてで広まったといわれています。

また、地蔵菩薩の縁日である8月24日に、死後に餓鬼道に堕ちた衆生のために食物を布施しその霊を供養する法要です。

お盆の施餓鬼とは、釈尊の弟子である阿難尊者が、一切の餓鬼に食物を布施し供養して、死を逃れ長寿を得たことに由来しています。







尚、三春城下の地蔵盆は、この天澤寺身代り地蔵尊の他に、新町の州伝寺「一時地蔵尊 御霊まつり」、「丈六地蔵尊祭礼」も行われ、子どもたちの無病息災を願い町の方々が、参拝に出かけています。





春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍

| ryuichi | 04:59 | comments (x) | trackback (x) | 三春城下新町::萬年山天澤寺 |
天翁山州伝寺の「子育一時地蔵尊」 御霊まつり



三春城下新町の天翁山州伝寺の「子育一時地蔵尊」 御霊まつり

子育て地蔵として、我が子を健やかに育てと願う親御さんたちの信仰を集め、八月二十四日には“御霊まつり“が開かれます。

わが子が、災いを被るようなとき一時お地蔵さんに、親代わりとなってわが子を守ってくださいとの願いを込めて参詣するといわれています。

やはり、戦前には出征するわが子を間もてくれることを願う、親御さんたち家族の参拝が絶えなかったといいます。


一時地蔵さんの由来には、いくつかの説があります。

親に先立って亡くなった子供達が、三途の川の”賽(さい)の河原”で、両親や兄弟たちを恋しがり、小石を積み上げ石の塔を築いてきます。
しかし、日が暮れると鬼達がやってきてそれを壊してしまいます。

それを哀れんだ地蔵菩薩が、子供たちを抱いて錫杖(しゃくじょう)の柄に取り付かせ、自分が子供たちの一時の親となって救ってくれると云れています。





私たちが子供のころの夏休みには、州伝寺の山内はラジオ体操の会場となっていました。

その頃は、一旦家に帰って朝食を食べ、その後に州伝寺の本堂に再度集まり、夏休みの宿題をみんなでしていた記憶があります。

そして、この一時地蔵尊祭典の時には、新町の盆踊りがあり、州伝寺の山内で盆踊りをしていたこともありました。

後に、盆踊りは弓町遊郭跡でも開催したこともありますが、本来のせり市場での盆踊りなります。

その頃になると、せり市場での盆踊りも、同24日でしたので、一時地蔵尊祭典に参拝し、綿あめと花火をもらったりしていました。






地蔵菩薩の縁日である8月24日に、死後に餓鬼道に堕ちた衆生のために食物を布施しその霊を供養する法要です。

お盆の施餓鬼とは、釈尊の弟子である阿難尊者が、一切の餓鬼に食物を布施し供養して、死を逃れ長寿を得たことに由来しています。





「賽の河原和讃」にうたわれるように、この世とあの世との境にあって、特に哀れな幼児を助けてくださるので、賽神(サエノカミ)や道祖神信仰と結びついているんでしょう。





春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂

| ryuichi | 04:42 | comments (x) | trackback (x) | 三春城下新町::天翁山州傳寺 |