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妓楼の解体 三春城下弓町 新庚申坂”新地”





三春昭進堂の向かい側の道を入ったところが弓町です、この一番奥が「新地」とも「新庚申坂」とも呼ばれた、遊里遊郭跡があります。


“三春庚申坂七色狐、わしの二、三度騙された”


この三春甚句にも歌わるほど、旧藩時代より、三春城下新町末の庚申坂の色街は有名でした。

大正・昭和となり、場所が庚申坂から新地(弓町)に移転してから最盛期を迎え5軒の妓楼に約30名を超える遊女が在籍し、昼夜もない繁盛ぶりだったと伝わっています。





そして、その華やかさの陰には、花街につきもの事柄がたくさんあったことでしょう。

悲恋の恋の花が咲き、心中あり、駆け落ちあり、円満身請けあり、倒産あり・・・数々の秘め事話を残しています。







その遊郭の一軒の取り壊しが始まりました。

老朽化のために傷みがひどく、取り壊しとなったんでしょう。

以前、知人が借家として借りていたこともあり、一度だけ座敷で宴会をしたことがあります。

この時には、妓楼の建物内部を探検させていただきました。






2階へ通る階段が2か所あり、一方通行になっていました。
これは客同士が会わない仕掛けなんだと聞いたことがあります。

トイレに行くにも入り組んでいて複雑な構造の大きな建物です。

二階には小さな部屋がいくつもあり、いろいろと想像を膨らませていました。

郡山駅前アーケードの一角にあった旧妓楼跡が自宅という郡山商業の同級生がいまして、遊びに行った時の建物の構造と同じだったことを覚えています。




取り壊し前の風景



今は、妓楼も朽ち果て、その面影をしのぶだけです。

三春の歴史が、また一つ消えていきます。




春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍


| ryuichi | 04:49 | comments (x) | trackback (x) | 三春城下新町 |
「私は、おたりまんじゅうです」 三春昭進堂




昭和初期戦前の三春昭進堂


尚、最後列右から4番目のメガネの方は、私からは大叔父にあたる髙橋哲夫さんです。



昭和20年代



小さな城下町三春で「三春昭進堂」の四代目として和菓子屋を営んでいます。



昭和30年代


当店は、三春城下旧磐城海道沿いの水芭蕉の咲く寺として知られる藩主祈願寺真照寺の門前、そして三春駒の名で知られる三春産馬や牛の「競り市場」の目の前に立地しています。



昭和50年代 

画面左の真照寺参道側に、左折れの松の古木があるのが見えますか?

店内の一部を真照寺参道を拝借していたものですから、この松の木が店内から生えているように見えていました。

この下り松は江戸時代から生えている老木で苔が生えています。
幹の太さは根元で1メートルは超えていました。

子供の頃は、よく幹に乗って遊んでいましたが、今思うとネバーエンディングストーリーにあった龍に乗って空を駆け巡っていたかに見えたのかもしれません。
敬慕する河井継之助にあやかり、今雅号としている「三春蒼龍」を彷彿つさせてくれます。
これも何かのご縁なのでしょうね〜〜。



昭和56年

新築した現店舗です。


商売の始まりは、明治の終わり頃、私の曾祖父の初代民四朗の妻おたりが、競り市に集まる博労(畜産農家)達に、売ろうと作った素人饅頭が美味いと評判になり、おたり婆さんが造る三春名物「おたりまんじゅう」として三春内外の方々に親しまれています。



そして、現在の店舗です。
  
 私は おたりまんじゅうです
 
砂糖や甘いものがまだ貴重品であった頃 三春に産声を上げました

私を造ってくれた おたりばあさん に似たのでしょう 

色黒で、ちょっと不細工の私ですが 私に出会った人たちが笑顔になってくれます

いくつもの時代を超えても その笑顔が忘れられなくて 

元気な笑顔のお客様にお会いしたくて

そして 愛され続ける存在でありたい・・・

そう願い続けて 毎日蒸気の中で生まれています

お客様から 愛する方々へ 

幸せを届けて行きたいと願っています。

そう思いながら、今日もそして明日も元気に産声を上げつづけます


 創業明治中期 三春名物「おたりまんじゅう」本舗 











三春昭進堂 髙橋龍一


| ryuichi | 05:37 | comments (x) | trackback (x) | 三春城下新町 |
~マジシャン プチ☆レディー ここあマジックshow!~祝・三春大神宮秋季例大祭 新町睦会花車奉納記念「新町大宴会」 



祝・平成29年度三春大神宮秋季例大祭 新町睦会花車奉納記念「新町大宴会」 

奉納 ~マジシャン プチ☆レディー ここあマジックshow!~






毎度お馴染みNAVIステーション憲ノ介プロディユース!






三春大神宮祭礼を祝って、国際マジック大会第3位・ストリートマジックユニット「プチ☆レディー」のここあチャンのマジックshowが、三春城下新町の旧三春畜産セリ市場二て華やかに開催されました!






事前に、高齢となった演者と憲ノ介さんとの”チャッカリ記念写真大会”があり、三春昭進堂店内にて”おたりまんじゅう神輿”と永ちゃん語録”前向きな己惚れ”をバックに記念撮影です!







実はこれで3回目となるここあちゃん。

以前に、ピンで一回、プチレディーで1ッ回、そして今回のソロで3回目の出演です。

初めて見てからファンになった子供たちも沢山いまして、ここあマジックに酔いしれていました!





前座のビンゴ大会も大盛り上がりです!






DJ憲ノ介も舌好調!







子供たちに向けた、手作り感満載の地元のおまつりです。


三春を巣立っていく子供たちが心のどこかにこの光景を留め置いてもらって、いつか懐かしむ、そして自分が大人になったとkに先人たちのガンバリを少し手も判ってもらえたらいいなあと考えています。

何はともあれ、孫子の代まで続けていきたいものです!





春陽郷三春城下御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍



| ryuichi | 05:35 | comments (x) | trackback (x) | 三春城下新町::新町睦会 |
萬年山天澤寺山門修復



三春城下清水にある曹洞宗萬年山天澤寺の山門の修復が無事終了し、その落慶式が地蔵盆「身代わり地蔵尊祭典」の日に合わせて執り行われました。





永年風雨に寄よって、屋根や柱が朽ちてきていました。



(修復前の写真)


その修復が檀家の願いでした。





使える部材はそのまま使用し新しく生まれ変わりました。






修復落慶記念に配られた手拭です。





これは洒落てますよね!


早速店内に配させていただきました。





さあ、お盆も終わり、そろそろ少しずつ秋の気配が来るんでしょうか?





春陽郷三春城下御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍




| ryuichi | 05:23 | comments (x) | trackback (x) | 三春城下新町::萬年山天澤寺 |
「三春城下 曹洞宗萬年山天澤寺のツツジ」



春陽郷三春城下では、初夏の眩い日差しの中で新しい若葉が芽吹き、美しい緑のコントラストが楽しめるこの時期となりました。

「夏が来た!」と思えるような暑い日も続き、帽子や日傘、日焼け止めクリームなど紫外線対策に追われる日々が続いています。


今、城下清水の曹洞宗旧録所萬年山天澤寺のツツジが見ごろを迎えています。


身代わり地蔵堂とツツジです。






禅寺らしく純白の花が咲き誇っています。

昭進堂さんは、どこの檀家?と聞かれることがあります。

この天澤寺は、三春昭進堂高橋家の檀家寺です。






説明文によると、室町時代に丹伊田村(現在の郡山市西田町)に開かれ、江戸時代初期に三春会下谷、そして、江戸時代中期に現在地に移りました。

江戸時代には、三春領内18の末寺を束ねた曹洞宗寺院となっていました。

その伽藍は壮麗な彫刻で飾られ、宇内には安寿と厨子王の伝説にまつわる身代わり地蔵堂や、四軒丁の修験常楽院から移された西国三十三観音巡りの石塔が立ち並んでいます。






いつ来ても、お寺・禅寺云うのは隅々まで掃き清められていて、清々しい気持ちと共に、心が休まります。

ご先祖様と会える場所なんでしょうか・・






春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂



| ryuichi | 05:08 | comments (x) | trackback (x) | 三春城下新町::萬年山天澤寺 |
弓町鉄砲操練所跡出土大筒(大砲)の弾



先の塵壺で、江戸末期の安政の頃にあったという並松末の大砲場での三春藩士熊田嘉膳(くまだかぜん)淑軒指揮、町田貢指令による大筒(大砲)試射を記載させていただきました。

この砲弾は、当店の東、弓町のどんづまりにある庚申坂弓町新地遊郭跡の奥の畑から出土したものです。




当店の東。弓町奥にある庚申坂弓町新地遊郭跡は幕末の頃には、三春藩鉄砲操練所があり、熊田嘉膳指揮の元、町田貢が主となって製造した鉄砲の試射をしていたと伝わっています。

この頃、先の塵壺に記載した並松の大砲場にて大砲の発砲訓練をしますが、その前にこの操練所にて試射した時の弾丸ではないかと考えています。






錆や土に紛れていますが、よく見ると歴史書や博物館にある幕末に砲弾に似ていますね。

早速店に飾ってみました。

ずっしりとして歴史の重みを感じます。







春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂


| ryuichi | 06:52 | comments (x) | trackback (x) | 三春城下新町 |
三春町消防団三春分団第六部新屯所落成式 



三春町消防団三春分団第六部新屯所落成式

三春分団三春分団第6部(新町消防)の新屯所落成式がありました。

県道の拡幅工事に伴っての移設新築です。

私も第6部出身の元分団長として”むらさき会”名でお招きを受け、喜んで出席してまいりました。





旧屯所は、現役時代16年、そして正副分団長として4年間お世話になった思い出深い消防屯所でした。


三春城下新町では、消防団と別火講中(お祭り)、そして若連(盆太鼓)の3つはワンセットだといわれ、このセオリー通りもれなくこの”フルセット”に加入です。





現役当時、三春の和菓子屋として仕事がら、三春の商人が一年で一番忙しい花見の最盛期に開催されていた、春季検閲式にはほとんど出たことがない不良消防団員でしたが、火災現場出場は三春で一番ではないかと思います。

もっとも、副分団長就任時には私たちの意見をもとに4月から5月に時期が移されました。

災害現場での若いころの失敗した経験をもとに、三春分団内の商工会青年部の先輩でもある他の部諸先輩方から火災防御消火活動の手ほどきを現場で徹底的に叩きこまれました。

組織論を八幡町の洋菓子屋さん、町内火災防御論を大町のお茶屋さん、火災防御のテクニックを中町の役場職員から等々といった具合で、良き先輩に恵まれました。

当時の先輩方は、プロ級の消火隊を形成していました。




厳冬期、真夜中、各種建物火災。

山を越えての一線延長放水。

水利が無く、放水後の戻り水をせき止めての放水。

小川を土のう、シート、はしご、さらには外皮など様々な部材を使っての水利確保。

夜通しの火災現場保持。

一日3回の火災現場出場。

林野火災での、8時から17時までの放水。

水害での2泊3日屯所泊まり込みでの対応。

人探しの12時間徹夜体制対応等々・・・・・。

経験と閃きをもとに様々な工夫をしながらの消火活動。

まさに、多くの旗下団員の方々に支えられました。

そして、現場の有事対応指揮官として、様々な火災現場を体験する中で、人生に必要ないろんなことを学んでまいりました。





部長時の一年間では火災はもとより、水害も含めた有事出動回数が70数回を超えました。

また、分団幹部である正副分団長時の4年間でも有に100回は超えていました。

その中で、現着一番もざらにあり、第6部の指揮者が広域消防も含めた全出場消防隊へ火災防御体制構築の支持を出す・・・・


火災現場に出場途中に様々なことを想定しながら、出場団員の安全確保を最優先に、火災現場へ出場指令を出します。

現着後、水利にポンプ吸水管をブッコミホースを延ばして放水し、火災鎮圧を目指す・・・・たったこれだけの単純なことなんです。

しかし、100の現場があれば100通りのアプローチがあり、水利確保が難しい。


有事の現場に於いて、どれだけ冷静に分析、判断、即決、そして実行できるかが勝負でした。


よくやっていたなあと思います。

また、消防団に入っているから商売が疎かになっては本末転倒です。

商売にも身が入りました。

しかし、私たちのような消防団活動は、当時商工会青年部員が100名を超えていた時代。

そのほとんどが消防団員で、三春分団6部体制(後7部体制)で、平日日中の出動率が最大7割、夜間でも8割出場可能といった、今では考えられないような出動率を誇っていた分団という恵まれたな事情があります。




時代は変わり、消防団に入ったころに生まれた子供が部の幹部となって司会進行、挨拶をつとめ、大勢の来賓を迎えて滞りなく新屯所落成式をこなしている姿に、時を感じると共に新町消防として”町火消マインド”が受け継がれているんだろうなあと安堵した次第です。





ちょっと当店のマスコットも乗車させていただきました!


三春町からの無火災無災害をご祈念申し上げます。


福島民報 民報サロン 
「一隅を照らすもの是国宝なり 髙橋龍一」


春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂








| ryuichi | 05:06 | comments (x) | trackback (x) | 三春城下新町 |