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平成版三春今昔物語「天沢寺炎上 恵下谷(現会下谷)」



天沢寺炎上

三春城下清水にある天沢寺は、江戸初期の三春城主松下石見守長綱の時代には恵下谷(現三春城下南町の会下谷)にありました。

或る時、松下家の行く末を案じた忠臣が、殿様の常軌を逸脱した日頃の言動を諫めようとして進言します。
しかし、松下石見守は、家来の無礼を憤り、之れを手打にしようとして刀を抜きはらいます。




其臣は、周囲の者に引き立てられ、慌てて逃れ、菩提寺である天沢寺に匿れ、時の和尚は、これを庇護します。

和尚に、引き渡しを下命しますが、これを拒否し、石見守の態度を戒め、政務を批判します。

石見守、益々怒って手勢を率いて天澤寺の伽藍を焼払ってしまいます。

この暴挙に対し、曹洞宗本山総持寺や永平寺ともつながりの強い和尙は、“城主狂乱”と公儀幕府に訴えでます。

早速公儀取り調べがあり、その他暴政も含めて乱心の廉で松下家の御家継断絶となります。





現在の天沢寺は、慶安年間に三春城下清水の創建されます。

影山常次著「田村小史」参照

 
かつてこの天澤寺があった場所の南の高台に、葛尾村住宅「恵下越団地」が整備されています。国道288号バイパスにも看板が立っていますが、恵下越?と三春の方でも初めて目にする地名ではないかと思います。

この恵下越の地名は、上記の天澤寺に由来します。

”恵下(えげ)”とは高名なお坊さんに教えを乞うために会(参禅)するという意味。

恵下(会下)する天澤寺を超えた場所という意味




春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂

| ryuichi | 05:15 | comments (x) | trackback (x) | 三春城下新町::萬年山天澤寺 |
三春城下曹洞宗寺院冬のライトアップ2016 「天翁山州傳寺」



三春城下曹洞宗寺院冬のライトアップ2016 「天翁山州傳寺」

三春城下曹洞宗寺院冬のライトアップが始まりました。


12月25日(日)まで


曹洞宗天翁山州傳寺は、江戸初期悲劇の三春城主松下石見守長綱が三春入府の際、二本松より移した寺で、重綱公、長綱公、豊綱公と松下家三代の位牌所です。
 
松下石見守長綱公は三春在籍十七年の間に、最後の戦国大名として三春城や城下町を整備して、現在の城下町三春の基礎を築いたと言われます。

 長綱公は豊臣秀吉が日吉丸と名乗る十六の頃、最初に使えた松下加兵衛之綱の孫で、初期徳川幕府にとっては、他の豊臣恩顧の大名と同じく目障りな存在であり、理不尽な理由を徳川幕府より押し付けられ、改易の憂き目に合いました。




 その後、江戸時代秋田家藩政下では先の領主菩提寺として厚遇され、全国的に有名な名僧高僧が在籍し、歴代住職への曹洞宗永平寺・総持寺両本山並びに関三箇寺から要職の下命等があり、管内の由緒ある寺院として「録所」を勤めました、また歴代住職の下へ、徳を慕いその教えを乞いに全国から雲水が参禅し、片法憧(格地)、東北の禅修業道場として名を馳せました。

近年に於いても、先の住職大地玄亀老師や、その弟子現住職石龍木童和尚が在籍し、この三春で禅宗の要として人々を導いておられます。
 
また丈六仏と呼ばれる御本尊の木像阿弥陀如来坐像は、坂上田村麻呂東夷追討に由来し、鎌倉期作とみられます、その昔郡山赤沼に安置され、戦国期田村氏三春入府に伴い、三春町丈六、廃寺万徳寺へ移り、その後丈六堂へ移り、明治期に州伝寺に移された仏像で、その長い歴史の中で、火災や様々な災難に遭遇しながらも、現存するその福与かな御姿に心が和み、自然と手を合わせます。




 州傳寺の玄関に「照顧脚下」の墨跡を見つけました、「脚下を照顧せよ」自分の足元を見よ、つまり自分自身をよく見つめなさいと言う教えです。

 山内には一時地蔵があり、子育て地蔵として、我が子を健やかに育てと願う親達の信仰を集め、八月二十四日には“みたま祭り“が開かれます。

 「拝む手から 一家円満の ひかりかがやく」  州伝寺立て札より





三春州伝寺第三十二世住持 大地玄亀大和尚
 
「最後の説法」大地玄亀  前州伝寺住職故石龍正孝老師著(非売品)

  この本は、即妙玄亀大和尚の接心での最後の説法を故石龍木堂老師がまとめられた貴重な本です。

前住職石龍和尚ご存命であったころ、塵壺に州伝寺を掲載するための資料集めにお邪魔した折に、頂戴したものです。




タイトル通り、石龍和尚の師匠である大地玄亀和尚の最後の説法を録音テープなどから編集して本にまとめられたものですが、
玄亀老師発願の書(原文は血書)からはじまり

・ 総参の話(この接心会の直後に胃癌の診断を受ける)

・ 臨終の時の法話(門弟一同への経誨)

・ 最後の説法(浅草曹源寺での遷化直前の接心 綿に水を浸し唇を潤しながらの提唱)

・ 無門関提唱

・ 玄亀和尚示衆

・ 出家の本懐

・ 菩提心と無常観

・ 托鉢印施

・ 策励句集と続きます。




合掌


尚、お参りの代は足元に気を付けて参拝ください。


春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂

| ryuichi | 05:30 | comments (x) | trackback (x) | 三春城下新町::天翁山州傳寺 |
三春城下曹洞宗寺院冬のライトアップ2016 「萬年山天澤寺」


三春城下曹洞宗寺院冬のライトアップが始まりました。

天澤寺、州伝寺、そして龍穏院がライトアップされています。




夜空に浮かび上がる、天澤寺の伽藍

曹洞宗独特の禅宗様式寺院建築が綺麗に見えます。




安寿と厨子王伝説の身代わり地蔵どうです。

ため息の出る美しさです。




天澤寺は、室町中期開山の古刹です。
戦国時代の三春城主田村家から江戸時代幕末まで三春藩主だった秋田家の時代を通じて三春領内に末寺十カ寺を数えました。

江戸初期、三春城主松下家の時代に藩主松下長綱の短慮な言行を諫めたことにより、会下谷にあった伽藍を焼かれてしまい、後の清水の現地に再建されました。




以後も、三春藩のご意見番的役割を務めたと云われ、御領内曹洞宗之録所として隆盛を極めます。

その面影は今も室町禅様式建築の本堂や、境内に在る安寿と厨子王伝説に因む地蔵堂に見ることが出来ます。





  境内の柿の木に地蔵の様なこぶがあり、いつの頃からか柿の木地蔵と呼ばれています。

現在は移転してありませんが、三春町立第二保育所へ通う子供たちを温かく見守っていました。


春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂



| ryuichi | 05:24 | comments (x) | trackback (x) | 三春城下新町::萬年山天澤寺 |
「新町大宴会」28 マジシャン瞳ナナさんとNAVi・STATION憲ノ介さんご来店!



祝三春大神宮祭礼 新町睦会 花車奉納記念「新町大宴会」28

表記の新町大宴会に出演される魔女っ娘マジシャン瞳ナナちゃんと、ナビゲートするNAVi・STATIONの憲之介さんがあいさつのためにご来店いただきました。

憲之介さんとはもう二十年来の付き合いになりますが、新町大宴会の演出家としてその才能を発揮していただいています。





ちゃっかり、当店スタッフの豪栄道も一緒にパチリ!







ナナちゃんは、ご覧のとおりとてもキュートな方で、可愛いだけではなく、どこか妖艶で、美魔女的な妖艶な怪しさを醸し出してくれています。

新町っ子のリクエストにお応えしての二回目の出演となります。






今から、出演が楽しみです。

今年も大勢の方々にご来場いただきました。






瞳ナナマジック・ショーや婦人会の催しの合間に売店は大混雑です。


瞳ナナ姐さんによるマジックショーも大人気です。







おばちゃん受けの良い、憲ノ介兄貴の司会もいいアクセントです。

さすがです。





何気に、憲ノ介兄貴のファンもいたりして・・・・






当日、記念撮影した写真は、25日以降に三春昭進堂で無料配布します。

ナナ姐さんの魔力で、すっかり新町っ子も大はしゃぎです。
これもマジックですかね?

餓鬼んちょパワー全開でした。




瞳ナナさんと記念写真です。

子供の時のこういった一コマが、思い出だけではなく、生来の人生を構成していくんだろうと思います。

みんな~取りに来てくださいね。





ナナ姐さん、そして憲ノ介兄ィ、お世話になりました。


録画しておいた、BS朝日[お笑い演芸舘]のナナ姐さん出演コーナーを見させていただきました。。

ナイツさんのと掛け合いばっちりで、マジックもトークも面白かったですぅ~!




ここ数年、チンドン「東北夢の屋」さんの興行が見れなくて寂しい限りです・・・・



春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍


| ryuichi | 05:15 | comments (x) | trackback (x) | 三春城下新町::新町睦会 |
「子育一時地蔵尊 」 御霊まつり28 天翁山州伝寺山内



三春城下新町の天翁山州伝寺の「子育一時地蔵尊」 御霊まつり

子育て地蔵として、我が子を健やかに育てと願う親御さんたちの信仰を集め、八月二十四日には“御霊まつり“が開かれます。

わが子が、災いを被るようなとき一時お地蔵さんに、親代わりとなってわが子を守ってくださいとの願いを込めて参詣するといわれています。

やはり、戦前には出征するわが子を間もてくれることを願う、親御さんたち家族の参拝が絶えなかったといいます。


一時地蔵さんの由来には、いくつかの説があります。

親に先立って亡くなった子供達が、三途の川の”賽(さい)の河原”で、両親や兄弟たちを恋しがり、小石を積み上げ石の塔を築いてきます。
しかし、日が暮れると鬼達がやってきてそれを壊してしまいます。

それを哀れんだ地蔵菩薩が、子供たちを抱いて錫杖(しゃくじょう)の柄に取り付かせ、自分が子供たちの一時の親となって救ってくれると云れています。





私たちが子供のころの夏休みには、州伝寺の山内はラジオ体操の会場となっていました。

その頃は、一旦家に帰って朝食を食べ、その後に州伝寺の本堂に再度集まり、夏休みの宿題をみんなでしていた記憶があります。

そして、この一時地蔵尊祭典の時には、新町の盆踊りがあり、州伝寺の山内で盆踊りをしていたこともありました。

後に、盆踊りは弓町遊郭跡でも開催したこともありますが、本来のせり市場での盆踊りなります。

その頃になると、せり市場での盆踊りも、同24日でしたので、一時地蔵尊祭典に参拝し、綿あめと花火をもらったりしていました。






地蔵菩薩の縁日である8月24日に、死後に餓鬼道に堕ちた衆生のために食物を布施しその霊を供養する法要です。

お盆の施餓鬼とは、釈尊の弟子である阿難尊者が、一切の餓鬼に食物を布施し供養して、死を逃れ長寿を得たことに由来しています。





「賽の河原和讃」にうたわれるように、この世とあの世との境にあって、特に哀れな幼児を助けてくださるので、賽神(サエノカミ)や道祖神信仰と結びついているんでしょう。





春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂

| ryuichi | 05:10 | comments (x) | trackback (x) | 三春城下新町::天翁山州傳寺 |
三春城下新町修験 康正寺(光照寺?)跡 石塔婆


明治維新の廃仏毀釈まであった三春城下新町の修験康正寺(常照寺?)跡です。

今は、旧三春家畜市場跡となっている新町お買い物駐車場の真照寺側の小高い丘です。

今は、康正寺(常照寺?)稲荷と呼ばれる小さな祠がたっていますが、その麓となるなる場所、たぶん新町倉庫のあたりに社があったのではないかと考えています。




最近、近所の長老がこのあたりの木を伐採してさっぱりしました。

お話をしていると、「ここは昔お寺(康正寺or常照寺?)だった場所だから、あの上に石碑・石板が二つ建っている。昔は五塔ぐらいあったと思うんだが・・・」




早速土手をよじ登り、示された場所まで斜面を這い上がってみると、ちょっとした平場に石碑(石板)二塔ありました。




梵字とお祀りする神仏が刻まれているんだと思いますが、風化が激しく読めません。




もう一塔は、二つに折れていますが、やはり梵字と感じらしき文字が見えます。




この修験の寺も、三春藩領内総鎮守「大元帥明王社(現三春城下新町鎮守田村大元神社)」別当真照寺の配下の修験が居住した場所なのか?

調べガイがあります・・・・

しかし、この石塔はご覧のように三春城、そして旧大元帥明王社である田村大元神社を見渡す場所にひっそりと建てられていました。





三春城下には数多くの寺院や神社があり、それぞれが歴史的な遺産を守り伝えています。

静けさと歴史の重みをたたえたこれらの寺社は、人々の信仰を集める祭祀の場であるとともに、歴史的な建物,地域に根ざした文化活動自体が独自の価値を持つだけでなく、郷土への誇りや愛着を深め,古来より住民共通のよりどころ、そして地域のコミュニティの場として機能してきました。


これらは、歴史を背景に、生活との関わりの中で生み出され、現在まで守り伝えられてきた町民の財産です。

寺社仏閣の修復、周辺の歴史的街並みや、地域の特色ある文化を活かした継承・活用を考えることも大切です。


また、子どもや青少年が、我が国の伝統と文化に対する関心や理解を深め、尊重する姿勢を育むことは、豊かな人間性や国際社会に生きる日本人としての意識を醸成する上で、重要なことなんだろうと思います。






子供の頃に良く聞いた話ですが、かつての三春では、修験の祈祷師の人が蟲切りや蟲封じをしていました。

蟲切り 蟲封じなど、いわゆる「疳の蟲」というもので、そのまじないは手のひらに筆や指で真言や呪いを唱えながら蟲の字を書き最後に塩水や茶殻で手を洗い数分明かりに照らしてみると細かい糸状のものが出てきます。

これがいわゆる蟲です。
日常的に、よく泣いたり、奇声を上げたり、人に噛みつく、爪をかむ、指をしゃぶる、落ちつきが無いなどの、子供の行動や、病弱なども疳の蟲の症状としているそうで・・・・

不思議ですよね。



三春城下はまだまだ面白いですよ!

三春城下の修験には、時代とともに変化していきますが以下のような記録が三春町史には示されています。

1、華正院(荒町)
2、普明院(荒町)
3、大聖院(荒町)
4、若王寺(大町王子権現)
5、般若寺(北町天満宮別当)
6、陽正寺(北町切通し)
7、吉祥院(切通し)
8、宝来寺(亀井三春藩主秋田公祈願所)
9、泰平寺(山中大元帥明王別当)
10、文殊院(新町)
11、光照寺(新町)
12、常楽院(新町)
13、専修院(荒町)
14、来光院(裏町)
15、清水寺(御免町)
16、宝憧寺(御免町)
17、智法院(裏町)
18、大桂寺(丈六)
19、明王院(丈六)
20、万徳院(丈六)
21、西福寺(中町)
他に、所在不明
 和合院(荒町)
 成就院(新町)
 一条院(八幡町)

がありましたが、荒町のある華正院さんだけが、天台宗寺門寺院として現存しています。






春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍


| ryuichi | 05:21 | comments (x) | trackback (x) | 三春城下新町 |
「奥州三春城下 数珠巡り」 曹洞宗萬年山天澤寺の数珠巡り捺印所


三春城下清水の曹洞宗萬年山天澤寺の数珠巡り捺印所です。

寺院を巡って数珠玉を集める「奥州三春城下 数珠巡り」です。


 この数珠巡りは、三春まちづくり公社が通年型の観光事業として企画しました。

三春城下の散策に楽しみを加えてみました。




三春城下の参加10寺院を巡り、祈願された各寺院名入りの数珠玉を集めるイベントです。

参加するには、同公社が運営する三春なかまち蔵の物産店「花かご」でスタンプ台紙と親玉セットを購入してからのスタートとなります。



 その後、各寺院に設置された寺紋スタンプを集め、「花かご」にて各寺院の数珠玉を購入する仕組みです。

春夏秋冬の小さな城下町三春の散策を楽しみながら、思い思いに寺院を巡っていただければ幸いです。



 問い合わせ 三春まちづくり公社(電話0247・62・3690)




天澤寺は当家の菩提寺となっており、春秋の彼岸やお盆、そして葬儀法要等も含め五十年来、かなりの数で足しげく通っています。

上の画像をご覧ください。
本堂唐破風前の小さな石橋です。

毎回見かける、何気ない光景なんですが、この春彼岸のかたずけの際に、何やらその石橋の横に文字が刻まれていることに気が付きました。



よく見ると「傳光院橋」と読めます。

傳光院?聞かない名称です。

早速調査に取り掛かります・・・と言いたいところですが、現在花見商戦の真っただ中です。

五月の連休明けのお愉しみとしておきます。



こちらは、新町の修験常楽院から移設の西国三十三観音さんです。


春陽桜郷三春 三春昭進堂 菓匠蒼龍

| ryuichi | 05:25 | comments (x) | trackback (x) | 三春城下新町::萬年山天澤寺 |