Warning: eregi() expects parameter 2 to be string, array given in /home/users/0/lolipop.jp-dp34252825/web/blog/index.php on line 1895

Warning: eregi() expects parameter 2 to be string, array given in /home/users/0/lolipop.jp-dp34252825/web/blog/index.php on line 1895

Warning: eregi() expects parameter 2 to be string, array given in /home/users/0/lolipop.jp-dp34252825/web/blog/index.php on line 1895

Warning: eregi() expects parameter 2 to be string, array given in /home/users/0/lolipop.jp-dp34252825/web/blog/index.php on line 1895

Warning: eregi() expects parameter 2 to be string, array given in /home/users/0/lolipop.jp-dp34252825/web/blog/index.php on line 1895

Warning: eregi() expects parameter 2 to be string, array given in /home/users/0/lolipop.jp-dp34252825/web/blog/index.php on line 1895

Warning: eregi() expects parameter 2 to be string, array given in /home/users/0/lolipop.jp-dp34252825/web/blog/index.php on line 1895

Warning: eregi() expects parameter 2 to be string, array given in /home/users/0/lolipop.jp-dp34252825/web/blog/index.php on line 1895

Warning: Cannot modify header information - headers already sent by (output started at /home/users/0/lolipop.jp-dp34252825/web/blog/index.php:1895) in /home/users/0/lolipop.jp-dp34252825/web/blog/index.php on line 1626

CALENDAR
S M T W T F S
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31    
<<  2023 - 05  >>
CATEGORIES
ARCHIVES
PROFILE
    k1
OTHERS




天正13年 四家氏 天澤寺住職 儀岩行信=天澤寺二十一世悦岩海信




清酒「又兵衛」で知られる、いわき市の酒蔵四家酒造の四家社長より「四家家に伝わる幕末に写された系図の中に、先祖が三春の天澤寺の住職に入ったり、落隠したとありました。なにぶん系図なので信憑性に欠けますが、何か手掛かりでもありましたら〜」という問い合わせがありました。





天澤寺は当髙橋家の菩提寺でもあります。



早速、古い資料を引っ張り出したり歴代住職墓所に参って墓石を調べてきました。

四家氏から天正13年三春天澤寺住職に入ったのは儀岩和尚という法名です。

資料や墓跡には当該のお名前はありませんでした。





しかし、二十一世住職「悦岩海信大和尚」が年代的にも名前的にも該当しています。というのも天正13年というのは、田村家も娘婿伊達政宗の伊達家も戦国乱世の戦いの真っ最中。

天澤寺も高野村鹿島(現郡山市西田町)から三春平沢村に移転し、さらに会下谷(三春城下会下谷)に移転している頃です。

後に時の城主松下石見守長綱によって焼き討ちされ現在の場所である城下清水に再々度の移転しています。








清水建立以前の資料が焼けて残っていません。

また、清水移転後も江戸末期には火災に遭っています。

その中で写し違い書き違いがあったと想像されます。





「悦岩海信」と「儀岩行信」...字が似てませんか?  崩し文字ならなおさらです。






尚、境内に安寿と厨子王の物語りを伝える身代わり地蔵を安置した地蔵堂があります。

当寺開創の栄峰と同門下の青岑珠鷹禅師が岩城氏菩提寺龍門寺を開いており、この辺に地蔵堂建立物語り発展の素因が考えられます。





尚、三春田村氏初代田村義顕公の正室は岩城常隆の娘です。



曹洞宗 萬年山天沢寺

室町時代の嘉吉(かきつ)3年(1443)丹伊田村(現在の郡山市西田町)に開かれ、戦国時代に三春会下谷、江戸時代初期には城下清水の現在の地に移転しました。
領内18の末寺を束ねていた古刹です。

天沢寺本堂の豪壮華麗な禅宗様式は地方に珍しいものである。 境内に安寿と厨子王の物語りを伝える身代わり地蔵を安置した地蔵堂がある。

天澤寺山内 「身代わり地蔵尊」
安寿と厨子王の祖母が、三春城下に居たと伝えられて、その子孫がこのお堂を建立して身代わり地蔵尊を安置しました。
現在の本堂は、文化13年(1816)から6年かけて完成したもので、大きく美しい彫物で飾られています。境内には安寿と厨子王の伝説にまつわる身代わり地蔵堂や、四軒丁の修験常楽院から移された西国三十三観音巡りの石塔が立ち並んでいます。

開創の栄峰と同門下の青岑鷹禅師が、岩城氏菩提寺龍門寺を開いており、この辺に田村氏と岩城氏の関係性から身代わり地蔵堂の建立にかかわる事柄があるように見受けられます。


龍門寺は岩城の国主岩城家の菩提寺で、初代朝公氏が施主で建造に着手して間もなく亡くなり、二代目常朝公が石を継ぎましたが工事半ばで死亡、三代目清胤公が完成させて応永17年頃(1,409年)に青岑鷹禅師を開山主に迎え開創されたといわれている。


岩城氏については、水戸の佐竹氏と同郷に関ヶ原の戦いでに参戦せず曖昧な態度であったことから、田村家同様その仕置きとしていわきを追われることとなり、最終的には現在の秋田県由利本荘市(旧亀田町)の国替えとなってしまいます。

国替えの際、岩城の龍門寺の和尚を秋田に招いて龍門寺を再建しており亀田藩主(岩城氏)の菩提寺となっています。実際、由利本荘市の龍門寺は市の「史跡」に指定されており、岩城氏ゆかりの土地となっています。



三春城下真照寺参道 御菓子三春昭進堂菓匠蒼龍

| ryuichi | 03:26 | comments (x) | trackback (x) | 三春城下新町::萬年山天澤寺 |
三春城下曹洞宗萬年山天澤寺 晋山式 「結制 首座法戦式」



三春城下曹洞宗録所萬年山天澤寺

「結制 首座法戦式」

当家菩提寺の新住職をお迎えする晋山式です。





おめでとう御座います。











三春城下真照寺参道 御菓子三春昭進堂菓匠蒼龍

| ryuichi | 03:13 | comments (x) | trackback (x) | 三春城下新町::萬年山天澤寺 |
三春城下曹洞宗天澤寺「カワガンジョウ」




三春城下曹洞宗天澤寺「カワガンジョウ」

カワガンジョウには「南無三曼多没駄南梵」と彫りこんであります。

この経木は春秋の彼岸会とお盆のときに、志300円で配布されています。

「南無三曼多 没駄喃梵 (なむさまんだー ほどなんばん)には、「あまねく諸仏に帰命いたします」という意味があります。

施餓鬼会【せがきえ】とい法要では開甘露門【かいかんろもん】というお経をお唱えしますが、その一説と教えていただきました。




 
当家では、カワガンジョウ経木をお寺から迎えて自宅の仏壇に安置・供えして供養しています。

それぞれの仏事期間が終わると家の中の納経袋に入れて年末寺処分しています。

三春城下の「カワガンジョウ」という習俗の由来や謂れははっきりとは見いだせていません。







三春城下真照寺参道 御菓子三春昭進堂菓匠蒼龍



| ryuichi | 04:58 | comments (x) | trackback (x) | 三春城下新町::萬年山天澤寺 |
「身代り地蔵尊祭礼」 御供物の菊落雁 天澤寺山内 令和元年




例年、三春城下清水の天澤寺様よりご用命いただいている「身代り地蔵尊祭礼」御供物の菊落雁です。


紅白の菊落雁です。







地蔵盆「身代り地蔵尊」祭礼


平成26年8月24日(日) 午前十時30分より







安寿と厨子王伝説の残る「身代り地蔵尊」堂です。



当日は、法要とご詠歌があります。








地蔵盆の由来には、いくつかの説があります。

親に先立って亡くなった子供達が、三途の川の”賽(さい)の河原”で、両親や兄弟たちを恋しがり、小石を積み上げ石の塔を築いてきます。
しかし、日が暮れると鬼達がやってきてそれを壊してしまいます。

それを哀れんだ地蔵菩薩が、子供たちを抱いて錫杖(しゃくじょう)の柄に取り付かせ、自分が子供たちの親となって救ってくれると云れています









この話に元基づいて、地蔵菩薩を建立し、こどもの幸福を祈る民間信仰としてで広まったといわれています。

また、地蔵菩薩の縁日である8月24日に、死後に餓鬼道に堕ちた衆生のために食物を布施しその霊を供養する法要です。

お盆の施餓鬼とは、釈尊の弟子である阿難尊者が、一切の餓鬼に食物を布施し供養して、死を逃れ長寿を得たことに由来しています。







尚、三春城下の地蔵盆は、この天澤寺身代り地蔵尊の他に、新町の州伝寺「一時地蔵尊 御霊まつり」、「丈六地蔵尊祭礼」も行われ、子どもたちの無病息災を願い町の方々が、参拝に出かけています。





春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍

| ryuichi | 04:59 | comments (x) | trackback (x) | 三春城下新町::萬年山天澤寺 |
身代り地蔵尊祭礼 天澤寺山内 安寿と厨子王伝説



三春城下清水にある萬年山天澤寺山内にある、安寿と厨子王伝説の残る「身代り地蔵尊」堂です。

地蔵盆「身代わり地蔵尊祭礼」


地蔵尊祭典では、大数珠繰りが行われます。
参集した方々が大数珠を手繰ります。

大きな房が自分の前に来るまでの間は、お地蔵様の御真言「オン・カカカビ・サンマエイ・ソワカ」を一心にお唱え致します。

古来より地蔵盆の大数珠を体に当てると、邪気を払い除け、身を清めてくれると言い伝えられています。





天澤寺山内 「身代わり地蔵尊」

安寿と厨子王の祖母が、三春城下に居たと伝えられて、その子孫がこのお堂を建立して身代わり地蔵尊を安置しました。
 
物語は、平将門の子孫で、相馬藩相馬氏と縁のある岩城判官平政氏は、康保4年に賊将が朝廷に背いたときに、それを討伐した恩賞として奥州の津軽郡、岩城郡、信夫郡を賜って岩城に国守として着任してきました。
 
政氏には2人の子があり、姉は家臣・村岡重額の妻となり、弟の政道は父の後を継ぎました。




この政道が、安寿と厨子王の父親です。

しかし、家臣である村岡の陰謀によって父正道が無実の罪を着せられ西国に流罪となります。

安寿と厨子王、母、乳母の4人は、朝廷に無実を訴えようと京へ向かいますが、越後の直江津にたどり着いた一行は、人買いにだまされ、安寿と厨子王が丹後に、母と乳母は佐渡に売られてしまいます。

 丹後の由良で"山椒太夫"に買い取られた2人は、つらい労働を強いられます。

安寿は、弟の厨子王を密かに逃がしますが、ひどい拷問の末に命を落とします。

一方、厨子王は姉から渡された地蔵菩薩の霊験により身を守られ、無事京都にたどり着きます。




後に、父の無実が晴らされ国守に再任された厨子王は、長い苦難の末、母と再会するというお話ですが、お話の中に2人の災難を身代わりとなって救うお地蔵さまが出てきます。

それは、安寿と厨子王が山椒太夫の屋敷で仕置きを受け、やけどを負ったときのこと。母から預かった家宝の地蔵尊像に祈りを捧げると、不思議や痛みや傷は消えたそうですが、その代りこのお地蔵さまにやけどの傷があったと伝えられています。




 
この話に出てくる地蔵尊像が、天澤寺境内「身代わり地蔵尊」です。

 かつては1月24日の初地蔵と8月24日の地蔵盆には、多くの参拝者でにぎわい、地蔵和讃や御念仏を唱えてお地蔵さまに感謝し、家族の安全を祈願していました。



 


また、戦前には出征兵士の武運長久を願う家族の参拝が絶えなかったといいます。

 今でも参拝する方々やご家族のその身に降りかかる病気や怪我などの災難を身代わりとなって負っていただけるという有り難いお地蔵さまです。







春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂




| ryuichi | 04:38 | comments (x) | trackback (x) | 三春城下新町::萬年山天澤寺 |
萬年山天澤寺 扁額




寺院には山号と寺号があります。

天澤寺の山号の「萬年山」は、万年もの長い繁栄を祈念してつけられました。





寺号の「天澤寺」は“天地御佛の深いお恵みによって世の人が幸せに”との御心から嘉吉3(1443)年、開山の栄峰覚秀(えいほうかくしゅう)禅師初代住職がつけたものです。






この額は、二代山口文太郎氏が明治百年を記念し先祖菩提供養のために寄進されたものです。

書は大本山総持寺貫主独住第19世・岩本勝俊禅師揮毫であります。

寺号の記 昭和四十四年 山主記之







春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍



| ryuichi | 05:12 | comments (x) | trackback (x) | 三春城下新町::萬年山天澤寺 |
「身代り地蔵尊祭典」 天澤寺山内



三春城下清水にある萬年山天澤寺山内にある、安寿と厨子王伝説の残る「身代り地蔵尊」堂です。

地蔵盆の昨日、「身代わり地蔵尊祭礼」が開催され、法要と大数珠繰り、そして、ご詠歌がありました。


地蔵尊祭典では、大数珠繰りが行われます。
参集した方々が大数珠を手繰ります。

大きな房が自分の前に来るまでの間は、お地蔵様の御真言「オン・カカカビ・サンマエイ・ソワカ」を一心にお唱え致します。

古来より地蔵盆の大数珠を体に当てると、邪気を払い除け、身を清めてくれると言い伝えられています。





天澤寺山内 「身代わり地蔵尊」

安寿と厨子王の祖母が、三春城下に居たと伝えられて、その子孫がこのお堂を建立して身代わり地蔵尊を安置しました。
 
物語は、平将門の子孫で、相馬藩相馬氏と縁のある岩城判官平政氏は、康保4年に賊将が朝廷に背いたときに、それを討伐した恩賞として奥州の津軽郡、岩城郡、信夫郡を賜って岩城に国守として着任してきました。
 
政氏には2人の子があり、姉は家臣・村岡重額の妻となり、弟の政道は父の後を継ぎました。




この政道が、安寿と厨子王の父親です。

しかし、家臣である村岡の陰謀によって父正道が無実の罪を着せられ西国に流罪となります。

安寿と厨子王、母、乳母の4人は、朝廷に無実を訴えようと京へ向かいますが、越後の直江津にたどり着いた一行は、人買いにだまされ、安寿と厨子王が丹後に、母と乳母は佐渡に売られてしまいます。

 丹後の由良で"山椒太夫"に買い取られた2人は、つらい労働を強いられます。

安寿は、弟の厨子王を密かに逃がしますが、ひどい拷問の末に命を落とします。

一方、厨子王は姉から渡された地蔵菩薩の霊験により身を守られ、無事京都にたどり着きます。




後に、父の無実が晴らされ国守に再任された厨子王は、長い苦難の末、母と再会するというお話ですが、お話の中に2人の災難を身代わりとなって救うお地蔵さまが出てきます。

それは、安寿と厨子王が山椒太夫の屋敷で仕置きを受け、やけどを負ったときのこと。母から預かった家宝の地蔵尊像に祈りを捧げると、不思議や痛みや傷は消えたそうですが、その代りこのお地蔵さまにやけどの傷があったと伝えられています。




 
この話に出てくる地蔵尊像が、天澤寺境内「身代わり地蔵尊」です。

 かつては1月24日の初地蔵と8月24日の地蔵盆には、多くの参拝者でにぎわい、地蔵和讃や御念仏を唱えてお地蔵さまに感謝し、家族の安全を祈願していました。



 
また、戦前には出征兵士の武運長久を願う家族の参拝が絶えなかったといいます。

 今でも参拝する方々やご家族のその身に降りかかる病気や怪我などの災難を身代わりとなって負っていただけるという有り難いお地蔵さまです。







春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂




| ryuichi | 04:10 | comments (x) | trackback (x) | 三春城下新町::萬年山天澤寺 |