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三春物語437番「北野神社の撫で丑」


北野神社境内には”撫牛(なでうし)”と呼ばれる臥牛の像があります。



境内の撫で牛は、慶応元年(1865)に近江の商人が美濃の石工に作らせ奉納したもので、 子供が生まれた時、よだれかけを奉納し、これを子供に掛けると健康に成長するという言い伝えが残っています。





北野神社よりお城山を望む

| ryuichi | 06:03 | comments (x) | trackback (x) | 🌸三春城下北町::北野神社 |
三春物語3番 仁井町「平石不動尊」(現在は龍穏院に移設)




仁井町 平石山不動尊

三春城郭境の黒門外にある、烏帽子石という地名が残ります。

これは、烏帽子に似た石があることから付いた地名です。


この付近は、烏帽子石と、六升撒そして足軽組の屋敷があった御旗町が交差しています。

その一角にある町立三春病院北側に「平石不動尊」があります。

三春藩士森沢監物が、諸病回復に効くと云われる、越後菅谷の不動尊を勧請しました。



平石不動尊は、裏山巨石があり、平石山とよばれて、その平石山から湧き出る清水が、滝となり不動井戸に注がれ、この清水で目を洗うと眼病に効くと云われています。


現在は、旧足軽御旗組の屋敷街であった「御籏町」の方々がお堂を守り、龍穏院が受持院として毎年秋に「平石不動尊祭」を営んで所願成就、無病息災を祈願している。








不動清水の井戸


越後菅谷不動尊は、源頼朝の叔父にあたる護念慈応上人が開基したと伝えられています。本尊の不動尊像は印度の仏師「ビシュカツマ」とされています。


この不動像は、唐に修業していた最澄大師が比叡山に持ち込み、平治の乱の混乱を避ける為に、護念慈応上人が持ち出した事から三国伝来の霊仏として、成田不動尊、目黒不動尊、木原不動尊、中野不動尊と並び、日本三大不動尊の一つとして信仰を集めています。







烏帽子石の不動参道入り口




足軽屋敷「御籏組町」界隈





平成20年当時の画像




以降は、平成26年塵壺9月号より訂正加筆した文章と画像です。





三春城下北町末相馬海道口 仁井町「平石不動尊」(現在は龍穏院に移築)



三春城下北町外、相馬海道口の郭境付近に“烏帽子石(えぼしいし)”という地名が残ります。これは、烏帽子に似た石があることから付いた地名とされています。


また、この付近には、”仁井町”、“烏帽子石”の他に、“六升蒔(ろくしょうまき)”、そして足軽組の屋敷があった“御旗町(おはたまち)”という地名が混在しています。

その分岐点にある、三春城下正徳六地蔵の一つ“烏帽子石正徳地蔵”の対面を、国道から現町立三春病院の北側下へ通じる細い旧道の小路を”仁井町”へと進んで行くと、木立に包まれたに、「平石不動尊」がありました。

案内板によれば、この平石不動尊は、三春田村氏が活躍した戦国時代の天正年間(1573年頃)に森次監物(もりつぎけんもつ)が、諸病回復に効くと云われる、日本三大不動尊の一つ越後の菅谷不動尊を勧請し建立されたと記録されています。
以後、四百数十年にわたり、森次家によって代々守られてきました。



明治三十六年、森次家十九代の和呈氏没後、近隣の御旗町の方々がお不動講中を組織して、城下荒町の龍穏院さまが受持院として、毎年秋に「平石不動尊祭」を営んでお祀りして、人々の諸願成就、無病息災を祈願していましたが、お堂本体の老朽化と東日本震災による建物の被害の為に、現在は龍穏院の敷地内へ移築(平成23年11月移築落慶法要)してお祀りしています。

尚、毎年11月の第三日曜日には、この平石不動様の祭典を行っています。



この「菅谷不動尊」とは、新潟県北蒲原郡菅谷(現新発田市)にある明玉護国寺(みょうぎょくごこくじ)のご本尊で、源頼朝の叔父にあたる護念(慈応)上人が開山、開基したとされ、上杉謙信も祈願された不動明王として、現在でも、家内安全、諸願成就、とくに眼疾に霊験あらたかといわれて各地より参詣者が訪れ信仰を集める古刹です。




かつての、平石不動尊の社地は、簡素なつくりのお堂ながら、高い梢から柔らかな光がそそぎ、とても清々しく気持ちのいい空間が広がっていました。
境内の裏山に“平石山”とよばれている巨石が鎮座し、その平石山から、年中涸れることのなく湧き出る清水がありました。
その清水が一筋の小さな滝となり、その境内にある“平石の不動井戸”に注がれていて、この清水で目を洗うと眼病に効くと伝えられてきました。

古より、人々は生きていく上でのさまざまな願いや希望を、身近な神や仏などへ託してきました。
それは生活の主体であった地域の安全や繁栄、また家族の健康など多岐にわたる複雑な祈りの世界でした。特に、健康については如実に現れています。
これは当時の医学の未発達で、怪我や病気での死亡率も高かったことに由来しています。
それに伴い、当時の人々は病を恐れ“藁(わら)をもすがる思い”で神頼みし、何とか無事を得ようとするのは、ごく自然のことだったのでしょう、古来より各地にさまざまな民間療法と土俗信仰が結合した社殿が見られます。

 このような人々の祈りという内面の世界は、長獅子や天狗、そしてお札等、三春城下に伝わる寺社の祭礼や、四季折々に模様される各種歳時等々様々な場面で具体的な形として見ることができます。
例えば、悪霊などから村の安全を守るために、人々は地蔵や道祖神といった石仏を配し、巨石や巨木等の異形のものや異常で尋常ではないものを村や家の入口に掲げ、不都合をもたらすものたちを威嚇してその進入を防いできました。


秋田山龍穏院

人々が何を願い、何を恐れ、それらとどのように関わってきたか?
それは、村に災いが訪れないことを願い、村人の病気の治癒を神仏に頼んだことも、また、死後の極楽往生を願ったこと等もあったかもしれません。
このように、様々な願いを共有しながら、かつての人々は村という地域社会を作ってきました。
そして、ここ三春では現在にも脈々と受け継がれています。

    
 さすけねぇぞい三春!   蒼龍謹白  拝


| ryuichi | 06:56 | comments (0) | trackback (x) | 🌸三春城下北町 |
三春物語73番 「北町、亀井界隈」


三春小学校裏門から北町へ抜ける

北町は、戦国期より江戸期末まで、三春城の腰回りとして武家屋敷が建ち並んでいました。


かつて、竹下夢二も逗留したという「旧山田屋旅館」


三春町交流館「まほら」





和食「山惣」


北野天神神社参道



旧三春城登城口「天神橋口」
かつては、ここに防火用水と城防御のための、堀があり、この場所に橋がかかっていました。
天神橋とは、昔北野天満宮(現北野神社)が、城内にありこの橋を通って領民がお参りに行ったところから名付けられました。



「亀井清水」 かつて、少し上に、郭境相馬海道口黒門があり、その行き帰りにのどを潤したといわれます。




旧三春藩主松下家初代長綱公が母を弔うために建立した「正覚山光岩寺」の跡です。


戦国大名田村家重臣田村月齋入道の館「椿舘」跡を、消防署三春分署から望みます。




| ryuichi | 06:14 | comments (0) | trackback (x) | 🌸三春城下北町 |
三春物語16番 「三春城下正徳六地蔵」
平安時代、命は六道を転生するという「六道輪廻」の思想が広まると、人界だけではなく、六道全てにおいて救済してくれる存在として、地蔵菩薩が六道それぞれに現れる(これを「六道能化」という)という六地蔵信仰が盛んになりました。
これらの六体の地蔵にはそれぞれ名前がついています。
 文献によって相違点があるようですが、『覚禅鈔』の例を出せば、先の六道の順番で、大定智悲・大徳清浄・大光明・清浄無垢・大清浄・大堅固のお地蔵さまがあります。
また、これらのお地蔵様は、持ち物などで姿からも区別されます。
 
六地蔵が見られるのは、城下町、お寺、墓地の入り口が圧倒的に多く建立されていますが、これは、これから六道に旅立つ死者を守るためと考えられています。
また、六地蔵信仰と直接の関係はないが、死者の世界と現世との境である墓地に立って悪霊などの侵入を防ぐという、地蔵の「塞の神」的な性格も窺われると思われます。
  三春にも、田村公以前から続く城下町として、各寺院の他各所に六地蔵さんが見受けられますが、城下の入り口に当たる各主要海道の分岐点に、城下入り口六地蔵として地蔵堂が立っています。
 その建立は、秋田藩政時代の正徳五年(1715年)時の秋田藩庁に、民衆の代表として浄土宗紫雲寺の住職から、六地蔵建立の願いが出され、藩の許可を得て三春城下の主要海道入り口に建立したそうです。
一、 江戸海道若松海道口は八幡町末、踊場角。
二、 小浜海道本宮海道口は、荒町末小浜海道と平沢道の分岐点、申地蔵付近。
三、 相馬海道口は、北町末相馬海道から平石不動へ分かれる海道右側烏帽子石付近。
四、 入清水口は、清水にある現在地付近。
五、 磐城海道口は、新町末磐城海道と化粧坂(気色坂)の分岐点。
六、 馬場口は、百二十間の馬場があり、その奥の木戸外付近。
三春城下の各海道入り口に建立されました。現在は、荒町末地蔵は龍穏院地内に移転、八幡町末地蔵は雁木田橋(江戸橋)際に移されています。
  この六地蔵の六体という数は、六道(地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天の六界のこと)から来ています。

| ryuichi | 21:47 | comments (0) | trackback (x) | 🌸三春城下北町 |
三春物語164番 三春城下 北町 「北野神社」
   

三春城下 北野神社
天神様と親しまれている北野神社は、古くは「北野天満大自在天神宮」として菅原道真公を祀り「学問の神様」として知られています。
由来は、戦国時代に京都の北野天満宮を三春城内に勧請し鎮座していましたが、秋田公入部の際に現在地へ遷座して、北町の鎮守として、そしてまた合格祈願の神様として町民の方々に親しまれています。境内には、近江商人寄進の「や撫で牛」末社秋葉神社、稲荷神社、御舘神社の祠があります。
天神様の手まり唄
「とおりゃんせ、とおりゃんせ ここは、どこのほそみちじゃ
天神様の細道じゃ ちょっと、とおしてくだしゃんせ・・・」
という童謡をご存知の方も多いはずです。
川越城内の天神様を唄ったとされていますが、三春人としては、三春発祥でもいいと思っています。
歌の中に「御用のないもの 通しゃせぬ」とあります。南北朝末期から江戸期初頭にかけて、大志田山山頂にあった三春城内に天神さまがあり、「この子の七つの お祝いに お札を納めに まいります」との歌にある通り、その頃庶民が城内に入り、参詣できたのは年一度の大祭の時に「七五三の祝い」御礼の時だけだった云われています。
「行きはよいよい 帰りはこわい」ようやく城内に入ったのに、見張りの侍の監視の目が鋭く、庶民がおそるおそる帰っていった様子なのかもしれません。
 




近江商人奉納の「なでうし」です。
角をなでると頭がよくなり、腹をなでると、体が丈夫になると云われています。


境内末社の稲荷様



境内末社火雷様

| ryuichi | 06:28 | comments (0) | trackback (x) | 🌸三春城下北町::北野神社 |
三春物語167番 北野神社境内末社 火雷神社
   北野神社境内末社 火雷神社
小社ですが延喜式内の古社で、国内に多発する雷害を鎮めるために造られたとされ、祭神に火雷神を祀っています。
北野権現天満宮の祭神が菅原道真公ですので、天神も雷を落とす雷神として恐れられていたことに関連しているのでしょう。

尚、同境内には稲荷神社



および御舘神社があります。

| ryuichi | 10:40 | comments (0) | trackback (x) | 🌸三春城下北町::北野神社 |
三春物語193番 「田村月斎舘”椿舘”」
 田村月斎椿舘
三春の防災の要、郡山広域消防三春分署の裏手に、月斎館址があります。
この館は現在の三春町の基礎を築いた田村三代(義顕、隆顕、清顕)その初代義顕の弟、田村月斎入道顕頼の館址です。
田村月斎顕頼は、田村梅雪斎顕定(二代隆顕の弟)とともに田村家では重きをなし、兄義顕亡き後、甥である隆顕を立てて田村家中を纏め上げ、その子清顕(愛姫の父)そして愛姫の義弟宗顕と四代にわたり田村家を支え続けました。
父子叔父甥でも戦いを繰り広げた戦国乱世の時代には珍しく、月斎の人柄が伺えます。
また月斎は武勇に優れたため、近隣の豪族から「畠に地縛り、田に、蛭藻、田村に月斎なけりゃよい」と詠われ、怖れられたといいます。また、月斎は、文化面でも六芸、和歌の道にも秀で教養人でもあったと云われます。
月斎館の立地は、ちょうど三春城の北西側にあり、仮想的国からの防御の要として重要な役割を果たしていました。伊達政宗も三春を訪れたとき、この月斎館でもてなしを受けたと古文書は伝えています。
田村家の家臣達は、田村庄及び小野保(現在の小野町)に、後に云う田村四十八舘を築き、それぞれ本拠として防備の為に領していたが、三春城下にも屋敷を与えられ、三春城の一郭を成し非常時に備えていました。月斎以下重臣屋敷が城近くに配置され三春城の防御の要を成し、常に田村家に近侍する直属の旗本不断衆千騎の屋敷も城近くに集中していました。
田村月斎が生きた時代、それは正に戦国乱世、相馬氏、芦名氏、二階堂氏、伊達氏そして佐竹氏などの戦国武将が割拠し田村領を狙い、四面楚歌的状況でした、また風潮として下向上が罷りと通る世の中にあって月斎顕頼は主家を立て、内紛による田村家分裂を嫌い、自分は補佐役として晩年に到までの生涯を懸けて、田村本家を守り抜いた。
戦国期三春防備の要月斎館跡下に、現在の三春防災の拠点三春分署があり、現代の不断衆とも言うべき三春町消防団が非常時に備えていて、月斎の安心した顔が目に浮かぶようです。
冬は特に火を使う事が多くなる時期です、火の用心をお願いします。
                 合掌


| ryuichi | 22:03 | comments (0) | trackback (x) | 🌸三春城下北町 |