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三春物語634番「三春城下北野神社「撫で牛」


三春城下北町にある北野神社境内の「撫で牛」は、慶応元年(1865)に近江の商人が、美濃の石工に作らせ奉納したものです。
天神信仰の中でも、天神さまと牛とは切っても切れないものがあり、古くより様々な縁起・伝承を見られ神使とされています。
それで「神牛・随牛」とも呼ばれます。
後年、親しみを持って撫でたり擦ったりするようになり、「撫で牛」として信仰されています。



道真公は承和十二年六月二十五日乙丑の年に、ご生誕になり、延喜三年二月二十五日の丑の日に薨ぜられ、また「菅家聖廟略伝」には、菅公自ら遺言をされ、「自分の遺骸を牛にのせて人にひかせずに、その牛の行くところにとどめよ」とあり、その牛は、黙々と東に歩いて安楽寺四堂のほとりで動かなくなり、そこを御墓所と定めた、と書かれています。
ほかにも、天神さまと牛との関わりについて数多く見られ、道真公がいかに深く牛を慈しんでいたかも窺われます。
このようなことから北野神社の境内には石造りの臥牛があり、牛の角をなでていく方、手を合わせていく方、鼻が悪いといって鼻をなで、足が悪いのでと足をなでていく方、・・・・・と多くの方々から「撫で牛」として信仰されています。



| ryuichi | 04:15 | comments (x) | trackback (x) | 三春城下北町::北野神社 |
三春物語437番「北野神社の撫で丑」


北野神社境内には”撫牛(なでうし)”と呼ばれる臥牛の像があります。



境内の撫で牛は、慶応元年(1865)に近江の商人が美濃の石工に作らせ奉納したもので、 子供が生まれた時、よだれかけを奉納し、これを子供に掛けると健康に成長するという言い伝えが残っています。





北野神社よりお城山を望む

| ryuichi | 06:03 | comments (x) | trackback (x) | 三春城下北町::北野神社 |
三春物語164番 三春城下 北町 「北野神社」
   

三春城下 北野神社
天神様と親しまれている北野神社は、古くは「北野天満大自在天神宮」として菅原道真公を祀り「学問の神様」として知られています。
由来は、戦国時代に京都の北野天満宮を三春城内に勧請し鎮座していましたが、秋田公入部の際に現在地へ遷座して、北町の鎮守として、そしてまた合格祈願の神様として町民の方々に親しまれています。境内には、近江商人寄進の「や撫で牛」末社秋葉神社、稲荷神社、御舘神社の祠があります。
天神様の手まり唄
「とおりゃんせ、とおりゃんせ ここは、どこのほそみちじゃ
天神様の細道じゃ ちょっと、とおしてくだしゃんせ・・・」
という童謡をご存知の方も多いはずです。
川越城内の天神様を唄ったとされていますが、三春人としては、三春発祥でもいいと思っています。
歌の中に「御用のないもの 通しゃせぬ」とあります。南北朝末期から江戸期初頭にかけて、大志田山山頂にあった三春城内に天神さまがあり、「この子の七つの お祝いに お札を納めに まいります」との歌にある通り、その頃庶民が城内に入り、参詣できたのは年一度の大祭の時に「七五三の祝い」御礼の時だけだった云われています。
「行きはよいよい 帰りはこわい」ようやく城内に入ったのに、見張りの侍の監視の目が鋭く、庶民がおそるおそる帰っていった様子なのかもしれません。
 




近江商人奉納の「なでうし」です。
角をなでると頭がよくなり、腹をなでると、体が丈夫になると云われています。


境内末社の稲荷様



境内末社火雷様

| ryuichi | 06:28 | comments (0) | trackback (x) | 三春城下北町::北野神社 |
三春物語167番 北野神社境内末社 火雷神社
   北野神社境内末社 火雷神社
小社ですが延喜式内の古社で、国内に多発する雷害を鎮めるために造られたとされ、祭神に火雷神を祀っています。
北野権現天満宮の祭神が菅原道真公ですので、天神も雷を落とす雷神として恐れられていたことに関連しているのでしょう。

尚、同境内には稲荷神社



および御舘神社があります。

| ryuichi | 10:40 | comments (0) | trackback (x) | 三春城下北町::北野神社 |