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 田村大元神社境内御神楽殿 大林賢四郎氏寄進




三春城下 田村大元神社境内にある大阪市大林賢四郎三春町と刻まれた御神楽殿寄進記念石碑があります。



文字通り、昭和7年寄進の御神楽殿奉納を祈念した石碑です。






大林組の元社長・会長の大林賢四郎さんです。




賢四郎さんは、二代社長大林義雄氏にその際を見出され、元田村大元神社神官藤泉家から大林家へ婿養子に入ります。


副社長として、激動の大正13年12月〜昭和10年3月まで勤め、大企業大林組の発展に寄与されました。







藤泉家は、旧三春藩領内総鎮守「太元帥明王社」だった「田村大元神社」の神職を務められた家系です。



住居は新町にありました。

現在そのお宅は「大林文庫」として保存されています。








夏季大祭礼の際は、宵祭りには「歌謡大会」の舞台、そして、当日は御神楽が奉納されています。






御神楽殿の右に立つ大谷石で造られた「宝物殿」も、大林組寄進となっています。







そのような経緯がありますので、先の「平成の屋根替え」でも大林組さんにお世話になり無事工事完了となりました。












春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍

| ryuichi | 04:34 | comments (x) | trackback (x) | 三春藩総鎮守 大元帥明王(現・田村大元神社) |
田村大元神社・三春大神宮 戦前のポストカード 初オークション



田村大元神社の古い写真のポストカードです。


西村商店発行、そして、三春名所の案内があります。









屋根は杮葺き(こけらぶき)のように見えます。


これが銅板葺だと昭和三年以降ですが、それ以前の写真が使われていると思われます。







また、大正14年発行の三春名所案内では今も残る境内の植木が写っていますが、これにはありません。


現社殿は明治32年再建ですので、再建直後の画像かとも考えられます。






常夜灯灯籠の位置も微妙に違うような~











同じく三春大神宮の古写真を使ったポストカードです。







お判りでしょうか、拝殿が茅葺のままです。

また、神楽殿が境内右にあります。


土砂崩れにより拝殿や神楽殿等が滑落崩壊します。


昭和6年に、その幣殿拝殿の再建が始めっていますので、昭和6年以降の写真が使われていると思われます。







西村商店発行、縣社三春大神宮の表記が見えます。


縣社の表記から戦前(昭和20年8月の終戦前)と判断しています。



実はこれらのポストカードは、ヤフーのオークションに偶然出ていたのを発見しまして、初めてオークションで買ってみました。










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| ryuichi | 04:13 | comments (x) | trackback (x) | 三春藩総鎮守 大元帥明王(現・田村大元神社) |
田村大元神社の御賽銭箱 銀杏(オス)の花



田村大元神社の御賽銭箱です。



明治32年10月の年号があります。







発起人はじめ寄進した方々の名前には、三春町はもちろん、芹ケ沢、込木、楽内、滝、柴原の方の名前も見えます。






明治三十二年(1899) 本殿拝殿を建立を祝しての寄進だと思われます。





明治4年、政府は神道を国家的祭祀と位置付け、太政官布告「官社以下定額・神官職制等規則」により、近代社格制度を制定しました。

神社は国家の管理・保護下に置かれ、神社に関するあらゆる事柄が法制度で定められることとなりました。





同12年、内務省は各府県に、統一した書式(社格・祭神・由緒・氏子数等)の神社及び寺院明細帳の作成を命じ、管理しました。









田村大元神社境内のいい銀杏も初夏を向かえてスッカリと青々してきました。

よく見ると、銀杏の木の下に、白っぽいモサモサした種のようなものが大量に落ちて一面を覆っています。

ちょうど、晩秋に銀杏の葉っぱが落ちているている辺りです。







これはオスの銀杏の花が落ちたものだそうです。
  

この大銀杏はこのオスで、ここから花粉が風に乗ってメスの銀杏の花に移って受粉するということらしいんです。


秋に、銀杏の実を落とすのはメスの木だそうです。





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| ryuichi | 04:57 | comments (x) | trackback (x) | 三春藩総鎮守 大元帥明王(現・田村大元神社) |
旧三春藩領内総鎮守大元帥明王社 (田村大元神社) 縁起





旧三春藩領内総鎮守太元帥明王社 (田村大元神社)

本来、太元帥明王は四天王·二十八部衆を従え、悪獣や兵火の災難を除き、国を守り人々を保護する明王であった。

国常立命は記紀神話の神で、日本書紀では天地開闘の最初に出現した国土生成の中心的神として位置づけられている。


八幡神社、能熊野神社、神明宮、秋葉神社に対する篤い信仰を持ち続け、例祭には神輿渡御があり、長獅子、三匹獅子舞を奉納し祭礼を行う。






祭儀は一月元旦歳旦祭、四月二十八日春祭り、例祭は七月二十日(現在は第三の日曜日)、十月二十八日秋祭り、秋葉講祭が四月二十日と十月二十日、他に正月別火講祭奈が行われる。


別火講一番組と二番組が祭りの準備と執行に当たっている。


田村大元神社から勤請された神社と思われる大元神社が大越と船引にある。







坂上田村麿公は、坂上苅田麿公の子として天平宝宇二年(758年))に生まれている。成長して蝦夷征伐に関係し、延暦十六年(797年)には征夷大将軍に任じられている。

田村麻呂は、観音への信仰もあつく、同十七年(798)には京都に清水寺を建立している。朝廷や天皇からの信頼あつく、正三位まで授けられるとともに、参議や大納言などの要職に任じられている。





また、武門に対する信頼もあつく、右近衛大将や兵部卿なども歴任している。
弘仁二年(811)五月二十三目、都にて没している。






延暦年間(782~805)
坂上田村磨、征夷大将軍として征討の途上、磐城国岩瀬郡小山田村今明王壇に図常立命を安置奉斎、武運長久治国平天下を祈願したことに由来する。(社伝による)

永仁三年(1295)
社宝銅製松喰鶴鏡にこの年の墨書銘がある。

歴応年間(北朝年号1338~1342)
坂上田村麻呂・田村将軍の裔田村輝定、之を三春雲集山古城跡に遷し、祠官を置く。
(社伝による)

永正元年(1504)
田村麻呂から26代目の子孫とする田村義顕、居城を田村郡守山字山中(現郡山市)より三春大志多山に移した時、太元明王をも併せ移し、その社殿を同じく大志多山に建立、之を奉遷。

三春城の東舘(後の三ノ丸)の南麓に社地を定め、社地及び門前の町名を守山山中を模して山中とし、守山の泰平寺を移して別当寺とする。

天文年間(1532~1554)
境内末社、八幡宮、熊野宮を勧請。

天文十八年 (1549)
田村氏の変遷により、この年まで田村家領内六十六郷の総鎮守とする。

天文十八年(1549)~慶長三年(1598)
会津蒲生氏による三春支配、景仰奉祀する。

慶長三年(1598)~慶長五年(1600)
会津上杉氏による三春支配、景仰奉祀する。

慶長五年(1600)~寬永四年(1637)
再び会津蒲生氏三春支配、景仰奉祀する。

寬永四年(1637)~寛永五年(1628)
会津加藤氏支配、景仰奉祀する。

寛永五年(1628)~正保元年(1644)
三春城主松下氏支配、景仰奉祀する。

正保二年(1645)
秋田俊季、常陸国宍戸城より三春に移り、本神社を尊崇。
別当を真照寺とする。

寬文十年(1670)
仏殿、本堂火災により焼失。

元禄二年(1689)
秋田輝季、大般若経六百巻を奉献。

天明八年(1788)
秋田倩季、神号額を奉納。

慶応三年(1867)
秋田映季、仁王門(後随神門・表門・八脚門)を建造。
金剛力士像完成(石森の彫工伊藤光雲.同九賀之助の合作)







明治元年(1868)
神仏分離令布告。


明治三年(1870)
大志多山神社と改称。
三月、御神体·突鐘·金剛力士像を真照寺に移し、社殿を破却。
六月一日遷宮

明治四年(1871)
三春藩社詞方より国常立命を祭神として、三春町の鎮守とし、当屋制廃止を命ぜらる。
旧三春藩の総鎮守であった大元帥明王が明治四年の廃藩置県の際に無格社となり、一方三春町の一地域の信仰であった神明社が明治三十三年に県社に列せられた。

明治十二年(1879)
社名を田村大元神社と改称。

明治三十二年(1899)
本殿拝殿を建立。

昭和三年(1928)7月18日、
郷社に列せられる。銅板屋根にする。

昭和十六年(1941)
銅製松喰鶴鏡、国指定重要美術品に認定される。

昭和二十年(1945)
太平洋戦争終結・GHQ、神道指令を出す。

昭和三十六年
阿吽仁王像が氏子によって真照寺からこの随神門に戻された。








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| ryuichi | 04:35 | comments (x) | trackback (x) | 三春藩総鎮守 大元帥明王(現・田村大元神社) |
田村大元神社夏季祭礼神輿渡御 2018





田村大元神社(旧三春藩五万石領内総鎮守大元帥明王)夏季祭礼~神輿還御






藩政時代の大元師明王社の御神輿渡御・還御は、別当職真照寺住職の監督指揮により、三春藩明王奉行の下、旧三春藩領内(現小野町以外の田村郡全域と郡山の一部等五万石)六十六郷が、頭屋制を布き、当番の六十六郷中三十三郷を持って奉仕し、資金は明王講の積み立てにより工面していました。








その祭礼行列も三日間を掛け三春旧町内を渡御し、近隣より、大勢の祭り見物のお客さんが三春を訪れ、その監視と整理のために役人を出し、櫓を立て寝ずの番をしたと言いますから、大変な賑わいだったと思います。       







大元帥明王祭礼絵巻 神馬 三春町史より




大元帥明王祭礼絵巻 長獅子 三春町史より



大元帥明王祭礼絵巻 三匹獅子・月天坊・日天坊 三春町史より



その様は、絵図が示す通り荘厳で、神馬―槍持ち役人―世話人―母衣―万燈―お神楽(牛頭天王宮長獅子)に警護と使番が付きー禰宜―笛―大小太鼓―木馬の跨った子供の行列―日天坊―月天坊―甲冑行列―太鼓台―ささら・三匹獅子と続き、その後に「通り者」と呼ばれる祭礼踊り一行が従い、扇子踊り、槍踊り、太平奴の三番踊り他、が踊りを奉納したと言います。






明治維新後、廃藩置県、神仏分離に伴い規模が縮小されました。






同時に仏教色が払拭され、名称も国常立之命を祭る田村大元神社となり、祭礼行事一切を神職及び、新町字民、別火講中に引き継がれました。
 







本祭り当日は、拝殿での神事があり、新町町内を午前10時宮出神輿渡御~午後9時宮入還御があります。

丸一日かけて祭礼参加者は、行列を組んで神輿渡御に随行します。






別火講中の面々や、神社総代・宮司や神職、さらには三匹獅子や旗・楽人の楽器持ちや子供神輿の子供たちと真夏の一日、艱難を共にするということで、夕方には連帯感を持ち始めるような気がします。

これが「新町」と云う町内の固い絆を構築しているんだろうなぁと思います。






旗持ちや、楽器持ちの子供達、そして三匹獅子の舞う子供たちもなおさらです。
兄妹でもない。
親でもない。






危ないお兄さんや、怖いおじさん、そして幼い子供たち・・・
世代も、住む環境もまったく違う異なる、様々な人々と仲良くなるという不思議な人間関係が、気が付いたら出来上がっています。






人の成長には、親の庇護を離れ”世間の荒波”と云えば大袈裟ですが、綺麗なものや汚いもの、時には危険なことなどに触れ、そこで感じたものを人生の糧として将来に役立てるということも必要な事ですよね。

これが今後の人生に、どれだけ役に立つか計り知れませんよね。






私も田村大元神社別火講中を対抗してから10年余年になりますが、やはり還御の時には血が騒ぎます。


新町っ子なんですね……











春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍

| ryuichi | 04:47 | comments (x) | trackback (x) | 三春藩総鎮守 大元帥明王(現・田村大元神社)::明王様御祭礼 |
鎮守田村大元神社夏季祭礼



三春城下新町の鎮守田村大元神社(旧三春藩五万石領内総鎮守「大元帥明王」)の祭礼を、今週末に控えて、その祭礼に奉納する「長獅子」と「三匹獅子」の練習にも熱がこもってきました。

本年の祭礼は、

7月14日(土) 宵祭り

7月15日(日) 本祭り







梅雨の時期独特の湿った気候、夕方の蜩、楽内のホタル、真照寺下セリ場の旗や大元神社山内の提灯、そして、この三匹獅子や長獅子の太鼓や笛の音を聞こえると「夏が来るんだなあ~」と思います。








300年は続いてきたんであろう、正に初夏の三春城下を彩る風物詩です。







三匹獅子掛では、年長者が後輩に教えるという新町では当たり前の光景ですが、他では中々見られなくなった光景です。

長獅子舞の練習風景です。





田村大元神社の祭礼には、別火講中の一番組と二番組が各年交替で、獅子掛と祭典掛に分かれて奉仕しています.

今年の獅子掛は、一番組が担当します。

祭典掛は、二番組担当となります。






やはり、先輩が後輩に口伝にて教授しています。

私が現役の頃と同じ風景です。




自分の子供のような年代の者たちが主力となり、この伝統芸能である長獅子舞や三匹獅子舞を引率している光景は力強いものを感じます。




戦国時代、田村義顕公によって三春城が築城されて約500年

以来、三春城下の神事は今も変わらずに受け継がれてきました。

古の三春城下では、夏は疫病がはやり台風や洪水などに見舞われ、生き抜くことが難しい季節でした。

私たちの先祖は、この危険な夏を無事に生き抜くことが出来ますようにと夏に祭礼を行い神さまにに祈りを捧げてきました。

医学科学が進歩した現代にあってもその信仰は変わらず、祭礼に際し疫病・災難・厄除け・縁結び・長寿・商売繁盛そして豊穣などの祈りを神様に捧げています。







春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍

| ryuichi | 04:46 | comments (x) | trackback (x) | 三春藩総鎮守 大元帥明王(現・田村大元神社)::大元帥明王社(田村大元神社) |
田村大元神社災害修復事業 御寄付の御礼と末社八幡神社、及び熊野神社の本殿遷座祭のご案内




田村大元神社(旧三春藩秋田氏五万石領内総鎮守大元帥明王)災害修復事業

御寄付の御礼と末社八幡神社、及び熊野神社の本殿遷座祭のご案内が届きました。


境内に鎮座する熊野宮(現熊野神社)、そして八幡宮(現八幡神社)の屋根吹き替え及び改修工事が終了しました。







この両社(柱)さんは江戸初期の秋田氏三春入部の頃に三春場内よりこの場所に移築再建されたものです。





熊野神社は、屋根の三角の方に入口を作る「妻入り」で、向拝が屋根の三角の方から出ている切妻造・妻の出雲系の大社造。







拝殿の向かって左手にある境内社、熊野神社







中世より三春を含む仙道・田村地方一帯は熊野新宮の荘園「田村荘」とされていました。






熊野新宮の田村荘司の滅亡後に、平姓三春田村氏が田村荘代官的な役割を得ていたとも考えられます。

この熊野神社(熊野宮)もその辺にルーツがあるのやもしてません。







熊野神社(境内社・町文化財)は、寛文10(1670)年消失後再建されたものです。






拝殿の向かって右手にある境内社、八幡神社。

八幡神社(境内社・町文化財)は寛文10(1670)年消失後再建されたもので、平入り一間社流造。







「田村郡郷土史」には、永正元年三春田村氏の初代田村義顕が居城を守山(現郡山市)より三春に移した際に、田村家祖先以来尊信してきた八幡大菩薩と大元帥明王を三春に移し、ともに三春城の大志田山の一郭(現田村大元神社境内)に勧請(分霊)したと記されてあります。



後に江戸時代の正保二年、安倍姓安東秋田家・初代俊季が、常陸宍戸より三春入府の際に、前の三春城主松下氏による近代城下町整備の継続として、八幡大菩薩宮を現在の場所(雁木田)である城下黒門外(現日蓮宗法華寺付近)に移しその門前を八幡町としました。






八幡様は、本源を九州の宇佐八幡といわれます。

この宇佐八幡という人(?)は、奈良時代に奈良東大寺造営など大和朝廷の国家建設に埒腕を発揮して、朝廷より大菩薩号を贈られ王城鎮護の神として崇められました。



後に征夷大将軍となる源義家が、宇佐八幡大菩薩の生まれ変わり八幡太郎と称したこともあり、甲州武田信玄をはじめ代々清和源氏系の氏神として崇められ、戦国時代の武家政権の発達とともに、武人的性格の中で武家に篤く信仰されるようになりました。

しかし、三春藩主安倍姓安東秋田氏は、その祖先安倍安東一族が「前九年の役」「後三年の役」で大和朝廷と源八幡太郎義家に敗れたと言う歴史があるためか、秋田氏からは冷遇されて、三春城下の境を示す黒門(現在も黒門遺構として桜川沿いに古い石垣が僅かに残っています)の外に移転されたと言われます。


上記の経緯から、江戸時代の正保二年、安倍姓安東秋田家・初代俊季が、常陸宍戸より三春入府の際に、前の三春城主松下氏による近代城下町整備の継続として、八幡大菩薩宮を現在の場所(雁木田)である城下黒門外(現日蓮宗法華寺付近)に移しその門前を八幡町としました。









水無月の候、皆様にはますますご清栄のこととお慶び申し上げます。

さて、東日本大震災田村大元神社災害修復事業につきましては、ご理解とご協力をいただき、誠にありがとうございました。

平成25年9月より募金活動を開始以来、皆様の心のこもった浄財をご寄付いただき、募金目標額を達成することができました。

皆様の真心に、重ねて感謝申し上げます。







お陰さまをもちまして、平成二十六年四月より進めて参りました社務所修復、本殿瑞垣新設、幣殿床鳴直し、末社八幡·熊野神社屋根修復工事が竣工いたしました。

つきましては、八幡·熊野神社の本殿遷座祭を左記により斎行いたしますので、ご参列の栄を賜りたくご案内申し上げます。

なお、各施設の修復状況をご覧いただければ、幸甚に存じます。

平成三十年六月吉日







日時 平成三十年七月二十一日(土)午前九時より十一時
場所 田村大元神社境内
式典 遷座祭午前九時より

田村大元神社社務所






社伝によると延暦年間(782~805年)に坂上田村麻呂が征夷大将軍として東夷征伐の途中、磐城國岩瀬郡小山田村今明王壇に国常立命を奉斎し、武運長久を祈願したというのがはじまりとされています。

永正元年(1504年)に田村義顕の三春移城に伴って、大元帥明王を三春城三ノ丸下に遷し、領内総鎮守とします。






時代は下がって、秋田氏時代からは城下新町の秋田氏祈願所真照寺が別当職を務めます。

明治進の廃仏毀釈・神仏離反までは神仏混習合であったため『明王さま』と呼ばれていたが、明治時代に入ると神仏分離令により、明治三年に『大志太山神社』、明治十二年に『田村大元神社』と改称。







春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍



| ryuichi | 04:28 | comments (x) | trackback (x) | 三春藩総鎮守 大元帥明王(現・田村大元神社) |