CALENDAR
S M T W T F S
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31       
<<  2017 - 12  >>
CATEGORIES
ARCHIVES
PROFILE
    k1
OTHERS




旧三春藩領内総鎮守大元帥明王(現田村大元神社)夏季例大祭 2017



旧三春藩領内総鎮守 大元帥明王社(現三春城下新町鎮守田村大元神社)の夏季例大祭が斎行されました。

祭礼の一切を取り仕切るのは「別火講中」です。

心身を清めて精進生活のなかで、つまり宵祭りから俗世を離れ、清浄な火を使うことから「別火」と呼ばれてまいりました。


祭典掛は、宵祭りから直会まで2泊3日の御奉仕となります。

年直しの数えで40歳までは講中としての資格があり、最後は大世話人として祭礼を仕切り退講ということになります。





別火、古くは別の日と書きましたが、別火とは文字の如く、家と釜戸の火を別ける、特別なハレの日を意味し、三春の伝統文化の継承者として家庭や社会から離れて、正月から始まる別火講中の一連の年間行事、二泊三日に及ぶ七月の田村大元神社祭礼の中で、正に寝食を供にして、「田村大元神社」の行事を司っています。






時に楽しく、時に厳しく、実社会では体験出来ないような、様々な役割を通して思慮分別を養い、新町の男、さらには「真の三春人」となっていきます。

また、実社会においてこの発展に寄与する人として成長するようにと、先輩たちから、脈々と受け継がれてきた、胸を張って誇れる人材教育のための組織だと思います。

仲間がいることで「切磋琢磨」、互いに良い影響を与え、様々なことを学び合います。

人は一人では生きられない、支え合う人・喜びや悲しみを分かち合う人達がいてこそ、自分自身も成長してゆくんだろうと思います。

この祭礼、そして別火講中を通じて、花形である「長獅子」掛、そして裏方の「祭典」掛の役割の中で、言葉ではなく生きた実学として学んでいただければと心より思います。





上記の人数不足から退講した先輩が、お手伝いをしている姿を見ますと、人と人の結びつきの大事さ、そしてありがたさが見えてきます。


わたしたちの人生は芝居の舞台だと言われることがありますが、それぞれに、男の役割、女の役割、金持ち、貧乏・・・・と無限の役割の中の一つを果たしています。

いい役もあれば損な役もあります。


「縁の下の力持ち」という言葉がありますが、縁の下のような陽の当たらない、人目につかないところで、大切な役に立つことをしている人と解されています。

役割で言えば、損な役割の人かもしれませんが、自分に与えられた役を務めなくてはなりません。






本祭りの、御神体神輿渡御は、触れ太鼓を先頭に、青天狗・白天狗を前備えにした長獅子の先払い、五色旗・神社旗・錦旗、御神体神輿、神官に続き三匹獅子舞の奉納が続き、新町町内を巡幸します。


新町縦町の当店までくれば渡御は、もうすぐひと段落です。

そして、夕食後の還御・宮入です。

夕食後、旧化粧坂城下境を出立した還御の行列は、夕やみ迫る新町縦町を神社に帰還します。


長獅子がよりアラブリ力強く獅子舞を奉納して行きます。


これは、「獅子が、また一年神社で眠るのを嫌がって、御神体宮入の時間ぎりぎりまで、現世に居たいと哀願し、さらに決まりを解っていながら抵抗して荒々しく先払いをしながら進んで行くんだ」と古老から教わっていました。





この祭礼を司どる別火講中の現役の頃は判りませんせんでしたが、退講して15年も経ちますと、自分で力説していた”祭礼とは、斎行者がいて、準備する者がいて、見る者がいて初めて存在する”という意味を、己自身が噛み砕入れ呑込めるようになった気がします。

獅子の外でガードする役を”警護”と呼んでいますが、ガードレルを支えに踏ん張って獅子を止めています。






祭礼の夏の一日。

猛暑の中を還御に随行し、別火講中の仲間や、神社総代・宮司や神職、さらには三匹獅子や旗・楽人の楽器持ちの子供たちと艱難を共にするということで、夕方には連帯感を持ち始めるような気がします。

これが、一年続きこの新町と云う町内の固い絆を構築しているんだろうなぁと思います。





三匹獅子の舞う子供たちもなおさらです。

兄妹でもない。

親でもない。

ぱっと見には恐いお兄さんや、のん兵衛のおじさん、そして幼い子供たち・・・

世代も、住む環境もまったく違う異なる、様々な人々と仲良くなるという不思議な人間関係が、気が付いたら出来上がっています。






人の成長には、親の庇護を離れ”世間の荒波”と云えば大袈裟ですが、綺麗なものや汚いもの、時には危険なことなどに触れ、そこで感じたものを人生の糧として将来に役立てるということも必要な事ですよね。

これが今後の人生に、どれだけ役に立つか計り知れませんよね。






宵祭り、新町芸能祭が毎年行われています。






今年は三瓶正栄県会議員も飛び入りで参加です。





春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂



| ryuichi | 05:08 | comments (x) | trackback (x) | 三春総鎮守大元帥明王(田村大元神社)::明王様御祭礼 |
田村大元神社の仁王尊二像(旧三春藩領内総鎮守の大元帥明王社の仁王様)



田村大元神社の仁王尊二像(旧三春藩領内総鎮守の大元帥明王社の仁王様)

江戸期、秋田藩政下では大元帥明王社・三春藩領内総鎮守として三春五万石の領民の崇敬を受けてきました。
しかし、明治維新の神仏離反や廃仏毀釈から影響で、久しい間旧三春藩主祈願所だった真照寺の仁王さまで通っていた「仁王尊二像」は、戦後に田村大元神社の随身門とされていた「仁王門」に戻りました。



金剛像 「あ」

明治維新により、神仏混淆(しんぶつこんこう)が禁止されていたため、廃棄の憂き目を見た仁王さまが、真照寺に拾われて仮の宿を借りていたということになるんでしょうか。



那羅延金剛像 「うん」


大東亜戦争終戦後は、信仰の自由解放となり、神仏混淆の禁も解けたので、三春城下の新町の氏子信徒の熱望と、文化財保護の施策とが実を結んで、昭和三十六年に真照寺より氏子に担がれて、この仁王尊二像の「仁王門」への約百年ぶりの帰還となりました。

当時の三春町民、そして三春町長以下町職員の方々の文化・知識レベルのの高さ、そして所謂ところの民度の高さがうかがえます。





さて、この仁王尊二像ですが、大元神社は、寛文10年7月晦日に火災に見舞われ炎上消失してしまいます。
後に、本殿拝殿は再建され、仁王門は、幕末の慶応元年の竣工で、その時は仁王像はこの門に安置されていました。

尚、大元帥明王社として建造された仏教色の強い本殿、拝殿は上記の明治維新の廃仏毀釈、神仏分離の影響により、明治二年に取り壊されます。
現在の社殿は大元神社として明治32年に再建されたものです。

仁王像の作者は、伊東光雲、伊東九賀之助と伝えられていますが、一説には芹ケ沢の西尾官吉だともいわれます。

光雲の監督で、官吉が彫ったのかもしれません。用材は常葉産の広葉樹。

光雲は、石森の人で久我之助観吾と称し、父は観正院の法印でした。

木工に秀で、三春大神宮の神馬や大元神社神門梁彫刻等の作品が残っています。




この仁王様は、東大寺仁王尊二像の象徴されるような筋肉隆々で胸を反らし威を張るような姿ではなく、体のラインが全体的にふくよかで、少し前かがみの姿勢をとっています。

まるで参道上がってきた参拝者に、「悪いことはしてはいねがー!」と子供を”諭している”ようにも見えます。

三春藩主秋田氏の出身が青森、そして秋田の沿岸部となれば、「佞武多祭り」や「なまはげ」を想像したくなりますね。





また、仁王像の下絵は三春城下の絵師中村寛亭だとも伝えられている。



仁王二尊は、金剛力士とも云い、仏法の守護神とされています。

左には金剛、右には那羅延金剛で、ともに裸体で腰に布をまとい勇猛な相をしている。

左は口を開き、右は閉じていて、「あ」「うん」の対をなしています。


この「阿(あ)」「吽(ん)」は、「阿吽の呼吸」などと普段から使われている阿吽です。

仏教的な、意味で説明すれば、

人は生まれたときに「あ」と口を開いて生まれるといいます。

赤ちゃんがすぐに泣きなしますよね・・・

これは、亡くなれば「天上界」、いわゆる”天国”というあの世に往くとされています。

天国は、楽園であり、大変心地よい素晴らしい世界とされ、そので楽しく暮らしていましたが、ある時、第六天の魔王によって、修業の場である「この世」に、”あ”っという間に”産み落とされる”からだと云われています。

そして、亡くなるときには、自分の人生という修業に納得して、再び天上界へ赴くべく「ん」と口を閉じて、満足してあの世に旅立たれるそうです。

つまり、人の始まりと終わりの間の大切さを説いています。





この仁王尊二像が、政治の犠牲となり明治21年からおよそ80年に亘って真照寺の軒下で風雨にさらされていました。

かつては鮮やかであったであろう丹青の色も消え、半ば朽ちた巨体を再び本来おわすべき仁王門に戻って鎮座されました。




平成になって、尼ケ谷の影山組・やわらぎの湯社長の影山様の篤志寄進により、仁王尊二像の修復がなされ現在のお姿となっています。






昭和30年代の広報三春内コラム参照



春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍


| ryuichi | 05:10 | comments (x) | trackback (x) | 三春総鎮守大元帥明王(田村大元神社)::三春藩領内総鎮守大元帥明王社(田村大元神社) |
田村大元神社夏季例大祭 28


旧三春藩領内総鎮守「大元帥明王社」で、現田村大元神社の夏季例大祭が斎行されました。





今回も、日本大学工学部に通う長男の友人とその友達4名を助っ人として参加してもらいました。

ん!長男は?実はちょうどこの頃は夏休み前に試験日が重なっています。
おまけに、チーム共同で作成のレポート提出などが多数あり、今回のお祭りは急きょキャンセルとなった次第です。

しかし、息子のような息子の友達S君がいます。

そのS君が友人3名を引き連れて長獅子の参加してくれました。


宵祭りから、翌本祭りまで一泊二日の獅子舞三昧です。

初めてなのに、翌日にはもう頭を振っていました。
しかも、御輿掛けまで、バクバクと・・・・

大したものです。

どこの町内でも同じだと思いますが、私たちのころと違って、人不足は深刻です。

こうした若い力が必要になってきています。

すっかり、別火講中の皆さんとは打ち解けて仲良くなっていたみたいです。

祭礼終了後、家まで送っていきましたが、疲れた様子ながら楽しんでくれたようです。








御神体神輿渡御は、触れ太鼓を先頭に、青天狗・白天狗を前備えにした長獅子の先払い、五色旗・神社旗・錦旗、御神体神輿、神官に続き三匹獅子舞の奉納が続き、新町町内を巡幸します。





新町縦町の当店までくれば渡御は、もうすぐひと段落です。
そして、夕食後の還御・宮入です。

夕食後、旧化粧坂城下境を出立した還御の行列は、夕やみ迫る新町縦町を神社に帰還します。




これは、「獅子が、また一年神社で眠るのを嫌がって、御神体宮入の時間ぎりぎりまで、現世に居たいと哀願し、さらに決まりを解っていながら抵抗して荒々しく先払いをしながら進んで行くんだ」と古老から教わっていました。



この祭礼を司どる別火講中の現役の頃は判りませんせんでしたが、退講して10年も経ちますと、自分で力説していた”祭礼とは、斎行者がいて、準備する者がいて、見る者がいて初めて存在する”という意味を、己自身が噛み砕入れ呑込めるようになった気がします。

獅子の外でガードする役を”警護”と呼んでいますが、ガードレルを支えに踏ん張って獅子を止めています。


祭礼の夏の一日。
猛暑の中を還御に随行し、別火講中の仲間や、神社総代・宮司や神職、さらには三匹獅子や旗・楽人の楽器持ちの子供たちと艱難を共にするということで、夕方には連帯感を持ち始めるような気がします。
これが、一年続きこの新町と云う町内の固い絆を構築しているんだろうなぁと思います。




三匹獅子の舞う子供たちもなおさらです。
兄妹でもない。
親でもない。
危ないお兄さんや、怖いおじさん、そして幼い子供たち・・・
世代も、住む環境もまったく違う異なる、様々な人々と仲良くなるという不思議な人間関係が、気が付いたら出来上がっています。




人の成長には、親の庇護を離れ”世間の荒波”と云えば大袈裟ですが、綺麗なものや汚いもの、時には危険なことなどに触れ、そこで感じたものを人生の糧として将来に役立てるということも必要な事ですよね。




これが今後の人生に、どれだけ役に立つか計り知れませんよね。



春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂



| ryuichi | 05:10 | comments (x) | trackback (x) | 三春総鎮守大元帥明王(田村大元神社)::明王様御祭礼 |
三春城下新町の初夏の風物詩28



三春城下新町の鎮守田村大元神社(旧三春藩五万石領内総鎮守「大元帥明王」)の祭礼を、今週末に控えて、その祭礼に奉納する「長獅子」と「三匹獅子」の練習にも熱がこもってきました。




梅雨の時期独特の湿った気候、夕方の蜩、楽内のホタル、真照寺下セリ場の旗や大元神社山内の提灯、そして、この三匹獅子や長獅子の太鼓や笛の音を聞こえると「夏が来るんだなあ~」と思います。




300年は続いてきたんであろう、正に初夏の三春城下を彩る風物詩です。





三匹獅子掛では、年長者が後輩に教えるという新町では当たり前の光景ですが、他では中々見られなくなった光景です。

長獅子舞の練習風景です。





田村大元神社の祭礼には、別火講中の一番組と二番組が各年交替で、獅子掛と祭典掛に分かれて奉仕しています.

今年の獅子掛は、二番組が担当します。

祭典掛は、一番組担当となります。






やはり、先輩が後輩に口伝にて教授しています。

私が現役の頃と同じ風景です。





自分の子供のような年代の者たちが主力となり、この伝統芸能である長獅子舞や三匹獅子舞を引率している光景は力強いものを感じます。





春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂



| ryuichi | 05:15 | comments (x) | trackback (x) | 三春総鎮守大元帥明王(田村大元神社)::明王様御祭礼 |
田村大元神社明治30年社殿新築寄附受帳及同社昭和3年屋根銅板葺寄付受帳


田村大元神社明治30年社殿新築寄附受帳及同社昭和3年屋根銅板葺寄付受帳

20年くらい前になりますが、田村大元神社別火講中世話人当時、梅雨時のシトシト雨の降り続くしがない一日、祭典掛の準備のために社殿の方付けをしていました。
拝殿内の倉庫を方付けていたところ、天井板がずれているのに気が付きました。




直そうと、恐るおそる上がってて天井裏を見渡しますと、古い風呂敷包が出てまいりました。
ほこりを払いながら中を見てみますと古い帳面の束になって入っていました。




表紙を見ると、明治30年の田村大元神社社殿新築の時の寄付受帳約100冊と、昭和三年の屋根替え改築の寄付受け帳20冊でした。


当時はまだ、軍事色が強く戦意高揚としての神道が健在な時代でしたので、旧三春藩領六十六郷の村々からの寄付徴収でした。




県知事からの寄付集め許可証が添付され、神社檀信徒総代の発揮人名簿、賛同者名簿には三春町の時の名士の方々が名を連ね、三春領六十六郷にある各村長の方々の名前も明記されています。




筆頭は、三春藩秋田家当主秋田重季公です。




三春昭進堂 菓匠蒼龍






| ryuichi | 05:17 | comments (x) | trackback (x) | 三春総鎮守大元帥明王(田村大元神社)::三春藩領内総鎮守大元帥明王社(田村大元神社) |
田村大元神社初詣 28


三春城下、新町鎮守である田村大元神社に初詣です。

新町住民、そして田村大元神社の氏子として、毎年お参りしています。



本殿横の「熊野宮」と



八幡様にも参詣します。

若いころ、同神社の祭礼を司る「別火講中」の現役時代は、1月の15日に正月別火講中の祭礼があったせいか、初詣というと郡山の安積国造神社や開成山大神宮などにお参りしていたように記憶しています。


しかし、現役を退いてみると、やはり町内の崇敬神社としてこの田村大元神社に参拝するようになります。



参道にかかる明王石橋です。

参道の住す元教員の方がこの石橋の案内板を建立されています。



日常私たちが住む俗界と、神様の世界である聖界を結ぶ石橋です。

一礼して進みたいものですね。

三春昭進堂 菓匠蒼龍


| ryuichi | 05:13 | comments (x) | trackback (x) | 三春総鎮守大元帥明王(田村大元神社) |
三春物語940番「田村大元神社夏季祭礼還御’27」



田村大元神社夏季祭礼還御




藩政時代の大元師明王社の御神輿渡御・還御は、別当職真照寺住職の監督指揮により、三春藩明王奉行の下、旧三春藩領内(現小野町以外の田村郡全域と郡山の一部等五万石)六十六郷が、頭屋制を布き、当番の六十六郷中三十三郷を持って奉仕し、資金は明王講の積み立てにより工面していました。




その祭礼行列も三日間を掛け三春旧町内を渡御し、近隣より、大勢の祭り見物のお客さんが三春を訪れ、その監視と整理のために役人を出し、櫓を立て寝ずの番をしたと言いますから、大変な賑わいだったと思います。       




 その様は、絵図が示す通り荘厳で、神馬―槍持ち役人―世話人―母衣―万燈―お神楽(牛頭天王宮長獅子)に警護と使番が付きー禰宜―笛―大小太鼓―木馬の跨った子供の行列―日天坊―月天坊―甲冑行列―太鼓台―ささら・三匹獅子と続き、その後に「通り者」と呼ばれる祭礼踊り一行が従い、扇子踊り、槍踊り、太平奴の三番踊り他、が踊りを奉納したと言います。



明治維新後、廃藩置県、神仏分離に伴い規模が縮小されました。
同時に仏教色が払拭され、名称も国常立之命を祭る田村大元神社となり、祭礼行事一切を神職及び、新町字民、別火講中に引き継がれました。
 



今年、初参加の長男坊とその友達です。

こどもの頃は三匹獅子をしていましたが、大人としての初参加でした。

日大工学部の友達、高校時代からの友人の菜根の添田君も楽しそうです。



三春の夏を彩っていただきました。




真夏の一日、新町町内を、朝十時出立~午後九時帰還という、丸一日かけて神輿渡御・還御に随行し、別火講中の仲間や、神社総代・宮司や神職、さらには三匹獅子や旗・楽人の楽器持ちの子供たちと艱難を共にするということで、夕方には連帯感を持ち始めるような気がします。
これが「新町」と云う町内の固い絆を構築しているんだろうなぁと思います。




旗持ちや、楽器持ちの子供達、そして三匹獅子の舞う子供たちもなおさらです。
兄妹でもない。
親でもない。
危ないお兄さんや、怖いおじさん、そして幼い子供たち・・・
世代も、住む環境もまったく違う異なる、様々な人々と仲良くなるという不思議な人間関係が、気が付いたら出来上がっています。



人の成長には、親の庇護を離れ”世間の荒波”と云えば大袈裟ですが、綺麗なものや汚いもの、時には危険なことなどに触れ、そこで感じたものを人生の糧として将来に役立てるということも必要な事ですよね。

これが今後の人生に、どれだけ役に立つか計り知れませんよね。





三春昭進堂 髙橋龍一

| ryuichi | 05:00 | comments (x) | trackback (x) | 三春総鎮守大元帥明王(田村大元神社)::明王様御祭礼 |