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三春城下新町鎮守「田村大元神社夏季祭礼」 KFB福島放送「シェア」 ふるさとリポート三春 三春担当 髙橋龍一(別火講中OB)








三春城下新町鎮守「田村大元神社夏季祭礼」 KFB福島放送「シェア」 ふるさとリポート三春

三春担当 髙橋龍一(別火講中OB)

放送日 2023.7.27(木) 午後3時48分~






三春城下新町鎮守「田村大元神社夏季祭礼」 

※ 旧三春藩五万石領内総鎮守「大元帥明王」のお祭り

※現在は城下新町の鎮守様 田村大元神社

旧三春藩の領内総鎮守の祭礼 起源は古く戦国末期より500年余続く祭礼

新町字民をはじめ城下を中心に三春の町民が広く氏子として奉仕しています。








7月15日(土) 宵祭 還御 新町縦町

7月16日(日) 夏季例大祭神事 社殿 
       町内神輿渡御 町内一円

還御(神輿が神社に還る) 新町縦町 

7月17日(祝・月) 直会




1. 宵祭り社殿前 仁王門にてオープニング 龍一・悠大 (宵祭)
2. 田村大元神社社殿に於いて出立前の神事、
神楽奉納・・・
3. 神輿渡御出立 境内及び門前での長獅子、三匹獅子 山中  (本祭)
4. 頭食い 獅子に頭を食べてもらうと頭痛がしないとか、病気をしないと言います    三春昭進堂前 悠大     (本祭)
5. 還御 御神輿行列 子供神輿いれる 
※ 随時、社総代・別火大世話人・三匹獅子世話人に話を伺う (宵祭)
6. 境内・長獅子奉納・三匹獅子奉納  (本祭)
7. 皆さんの平穏を祈念して、みんなでシェア! 






田村大元神社 宮司 田母野公彦
       
総代長 渡邊善二郎

       祭典掛 二番組大世話人 松井哲也

       長獅子掛 一番組大世話人 近内一彦

       三匹獅子世話人 橋本純一







◎ 御祭神が国土を守護する神さまである「国之常立神(国常立尊) (クニノトコタチノカミ)」、そして、旧祭神(藩政時代)が「大元帥明王(ダイゲンスイミョウオウ)」ということで、国を護り疫病退散、国家安泰を司る明王さまで、どちらも「国の安泰を司る」神様です。








田村大元神社 神輿渡御、及び還御 祭礼行列
・御触れ・御布令太鼓 渡御行列先導

・青天狗・白天狗 渡御行列の先払い

・長獅子 御神輿の露払い

・御神輿 御神体鎮座

・赤天狗 御神輿の警護

・神官、神社総代、字役員 奉仕官 御供奉

・三匹獅子 奉納

・子供神輿 奉納



町内一円を神輿が渡御して、宵になって神社に還る「還御」が行われ町内各所や社殿入口。そして、境内で各々舞を奉納します。








◎祭礼の実務は「別火講中」によって挙行
 
別火講中は、氏子・町内に居住する42歳までの男子

一番組・二番組の二つの組に分かれて組織され、それぞれ祭典掛(夏季祭礼の祭典全般を執行)と長獅子掛(文字通りの長獅子奉納)を隔年交代で奉仕

尚、祭典掛は、宵祭から2泊3日で神社に“お籠(おこもり)”(宿泊)して奉仕








◎長獅子

戦国期は、小山村(後の御祭村)の青年達が長獅子を奉納していました。

叉、獅子頭は、小山村(御祭村)の名工によって作られその地名を獅子造りと呼ばれています。


現城下荒町にある八雲神社の荒獅子が、秋田藩政期には領内総鎮守大元帥明王に露払い(悪魔祓い)として奉納されていました。

その様は、三春独特の獅子舞で、三春に在る長獅子の中では一番歴史が古く、現田村大元神社の長獅子は、これを明治期に伝授されたものと伝えられています。


※城下八幡町にある八幡神社の長獅子も同じ。


明治維新後の神仏離反、そして廃仏毀釈をうけた明治初期、大元帥明王社は、大志田神社を経て現田村大元神社に改宗改名した際に時の総代といざこざになり、荒獅子は八雲神社へ奉納、そして、三春大神宮へ隔年奉奉納となりました。






◎三匹獅子は

三匹獅子舞手3柱(太郎、花子、次郎)とササラ4体 同じく氏子・町内居住の中学生までの男子で構成

舞は、雄獅子が雌獅子を取り合う舞です。

長獅子とは違い、この獅子は鹿や猪(シシ)を表していると考えられ、田や畑に豊作祈願、そして、子孫繁栄などの家門繁栄を祈願したものと考えています。



三春町には田村大元神社の三匹獅子舞の他に、高木神社の三匹獅子舞、垢潜三匹獅子舞、蛇石の三匹獅子舞、樋渡の三匹獅子舞があります。







藩政時代の大元師明王社の御神輿渡御・還御


別当職として三春藩所祈願所真照寺住職の監督指揮により、三春藩明王奉行の下、旧三春藩領内(現小野町以外の田村郡全域と郡山の一部等五万石)六十六郷が、頭屋制を布き、当番の六十六郷中三十三郷を持って奉仕し、資金は明王講の積み立てにより工面していました。


祭礼行列も三日間を掛け三春城下を渡御し、その様は、絵図が示す通り荘厳で、神馬―槍持ち役人―世話人―母衣―万燈―お神楽(荒町八雲天王宮長獅子)に警護と使番が付きー禰宜―笛―大小太鼓―木馬の跨った子供の行列―日天坊―月天坊―甲冑行列―太鼓台―ささら・三匹獅子と続き、その後に「通り者」と呼ばれる祭礼踊り一行が従い、扇子踊り、槍踊り、太平奴の三番踊り他、が踊りを奉納していました。

近隣より、大勢の祭り見物のお客さんが三春を訪れ、その監視と整理のために役人を出し、櫓を立て寝ずの番をしたと言いますから、大変な賑わいだったと思います。
 

 明治維新後は、明治四年の三春藩庁の布令により、三春大神宮に祭事用具(御神体神輿以外)を引き継ぎ、旧暦の九月十五日から十七日を祭日として挙行され現在に伝わっています。







 祭礼の一切を取り仕切るのは「別火講中」。


心身を清めて精進生活のなかで、つまり宵祭りから俗世を離れ、清浄な火を使うことから「別火」と呼ばれてまいりました。

祭典掛は、宵祭りから直会まで2泊3日の泊りがけの御奉仕となります。

厄年を迎える年直しの数えで40歳までは講中としての資格があり、最後は大世話人として祭礼を仕切り退講ということになります。  





三春城下真照寺参道 御菓子三春昭進堂菓匠蒼龍

| ryuichi | 04:15 | comments (x) | trackback (x) | 🌸三春藩総鎮守 大元帥明王(現・田村大元神社)::明王様御祭礼 |
田村大元神社夏季祭礼神輿渡御 2018





田村大元神社(旧三春藩五万石領内総鎮守大元帥明王)夏季祭礼~神輿還御






藩政時代の大元師明王社の御神輿渡御・還御は、別当職真照寺住職の監督指揮により、三春藩明王奉行の下、旧三春藩領内(現小野町以外の田村郡全域と郡山の一部等五万石)六十六郷が、頭屋制を布き、当番の六十六郷中三十三郷を持って奉仕し、資金は明王講の積み立てにより工面していました。








その祭礼行列も三日間を掛け三春旧町内を渡御し、近隣より、大勢の祭り見物のお客さんが三春を訪れ、その監視と整理のために役人を出し、櫓を立て寝ずの番をしたと言いますから、大変な賑わいだったと思います。       







大元帥明王祭礼絵巻 神馬 三春町史より




大元帥明王祭礼絵巻 長獅子 三春町史より



大元帥明王祭礼絵巻 三匹獅子・月天坊・日天坊 三春町史より



その様は、絵図が示す通り荘厳で、神馬―槍持ち役人―世話人―母衣―万燈―お神楽(牛頭天王宮長獅子)に警護と使番が付きー禰宜―笛―大小太鼓―木馬の跨った子供の行列―日天坊―月天坊―甲冑行列―太鼓台―ささら・三匹獅子と続き、その後に「通り者」と呼ばれる祭礼踊り一行が従い、扇子踊り、槍踊り、太平奴の三番踊り他、が踊りを奉納したと言います。






明治維新後、廃藩置県、神仏分離に伴い規模が縮小されました。






同時に仏教色が払拭され、名称も国常立之命を祭る田村大元神社となり、祭礼行事一切を神職及び、新町字民、別火講中に引き継がれました。
 







本祭り当日は、拝殿での神事があり、新町町内を午前10時宮出神輿渡御~午後9時宮入還御があります。

丸一日かけて祭礼参加者は、行列を組んで神輿渡御に随行します。






別火講中の面々や、神社総代・宮司や神職、さらには三匹獅子や旗・楽人の楽器持ちや子供神輿の子供たちと真夏の一日、艱難を共にするということで、夕方には連帯感を持ち始めるような気がします。

これが「新町」と云う町内の固い絆を構築しているんだろうなぁと思います。






旗持ちや、楽器持ちの子供達、そして三匹獅子の舞う子供たちもなおさらです。
兄妹でもない。
親でもない。






危ないお兄さんや、怖いおじさん、そして幼い子供たち・・・
世代も、住む環境もまったく違う異なる、様々な人々と仲良くなるという不思議な人間関係が、気が付いたら出来上がっています。






人の成長には、親の庇護を離れ”世間の荒波”と云えば大袈裟ですが、綺麗なものや汚いもの、時には危険なことなどに触れ、そこで感じたものを人生の糧として将来に役立てるということも必要な事ですよね。

これが今後の人生に、どれだけ役に立つか計り知れませんよね。






私も田村大元神社別火講中を対抗してから10年余年になりますが、やはり還御の時には血が騒ぎます。


新町っ子なんですね……











春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍

| ryuichi | 04:47 | comments (x) | trackback (x) | 🌸三春藩総鎮守 大元帥明王(現・田村大元神社)::明王様御祭礼 |
旧三春藩領内総鎮守大元帥明王(現田村大元神社)夏季例大祭 2017



旧三春藩領内総鎮守 大元帥明王社(現三春城下新町鎮守田村大元神社)の夏季例大祭が斎行されました。

祭礼の一切を取り仕切るのは「別火講中」です。

心身を清めて精進生活のなかで、つまり宵祭りから俗世を離れ、清浄な火を使うことから「別火」と呼ばれてまいりました。


祭典掛は、宵祭りから直会まで2泊3日の御奉仕となります。

年直しの数えで40歳までは講中としての資格があり、最後は大世話人として祭礼を仕切り退講ということになります。





別火、古くは別の日と書きましたが、別火とは文字の如く、家と釜戸の火を別ける、特別なハレの日を意味し、三春の伝統文化の継承者として家庭や社会から離れて、正月から始まる別火講中の一連の年間行事、二泊三日に及ぶ七月の田村大元神社祭礼の中で、正に寝食を供にして、「田村大元神社」の行事を司っています。






時に楽しく、時に厳しく、実社会では体験出来ないような、様々な役割を通して思慮分別を養い、新町の男、さらには「真の三春人」となっていきます。

また、実社会においてこの発展に寄与する人として成長するようにと、先輩たちから、脈々と受け継がれてきた、胸を張って誇れる人材教育のための組織だと思います。

仲間がいることで「切磋琢磨」、互いに良い影響を与え、様々なことを学び合います。

人は一人では生きられない、支え合う人・喜びや悲しみを分かち合う人達がいてこそ、自分自身も成長してゆくんだろうと思います。

この祭礼、そして別火講中を通じて、花形である「長獅子」掛、そして裏方の「祭典」掛の役割の中で、言葉ではなく生きた実学として学んでいただければと心より思います。





上記の人数不足から退講した先輩が、お手伝いをしている姿を見ますと、人と人の結びつきの大事さ、そしてありがたさが見えてきます。


わたしたちの人生は芝居の舞台だと言われることがありますが、それぞれに、男の役割、女の役割、金持ち、貧乏・・・・と無限の役割の中の一つを果たしています。

いい役もあれば損な役もあります。


「縁の下の力持ち」という言葉がありますが、縁の下のような陽の当たらない、人目につかないところで、大切な役に立つことをしている人と解されています。

役割で言えば、損な役割の人かもしれませんが、自分に与えられた役を務めなくてはなりません。






本祭りの、御神体神輿渡御は、触れ太鼓を先頭に、青天狗・白天狗を前備えにした長獅子の先払い、五色旗・神社旗・錦旗、御神体神輿、神官に続き三匹獅子舞の奉納が続き、新町町内を巡幸します。


新町縦町の当店までくれば渡御は、もうすぐひと段落です。

そして、夕食後の還御・宮入です。

夕食後、旧化粧坂城下境を出立した還御の行列は、夕やみ迫る新町縦町を神社に帰還します。


長獅子がよりアラブリ力強く獅子舞を奉納して行きます。


これは、「獅子が、また一年神社で眠るのを嫌がって、御神体宮入の時間ぎりぎりまで、現世に居たいと哀願し、さらに決まりを解っていながら抵抗して荒々しく先払いをしながら進んで行くんだ」と古老から教わっていました。





この祭礼を司どる別火講中の現役の頃は判りませんせんでしたが、退講して15年も経ちますと、自分で力説していた”祭礼とは、斎行者がいて、準備する者がいて、見る者がいて初めて存在する”という意味を、己自身が噛み砕入れ呑込めるようになった気がします。

獅子の外でガードする役を”警護”と呼んでいますが、ガードレルを支えに踏ん張って獅子を止めています。






祭礼の夏の一日。

猛暑の中を還御に随行し、別火講中の仲間や、神社総代・宮司や神職、さらには三匹獅子や旗・楽人の楽器持ちの子供たちと艱難を共にするということで、夕方には連帯感を持ち始めるような気がします。

これが、一年続きこの新町と云う町内の固い絆を構築しているんだろうなぁと思います。





三匹獅子の舞う子供たちもなおさらです。

兄妹でもない。

親でもない。

ぱっと見には恐いお兄さんや、のん兵衛のおじさん、そして幼い子供たち・・・

世代も、住む環境もまったく違う異なる、様々な人々と仲良くなるという不思議な人間関係が、気が付いたら出来上がっています。






人の成長には、親の庇護を離れ”世間の荒波”と云えば大袈裟ですが、綺麗なものや汚いもの、時には危険なことなどに触れ、そこで感じたものを人生の糧として将来に役立てるということも必要な事ですよね。

これが今後の人生に、どれだけ役に立つか計り知れませんよね。






宵祭り、新町芸能祭が毎年行われています。






今年は三瓶正栄県会議員も飛び入りで参加です。





春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂



| ryuichi | 05:08 | comments (x) | trackback (x) | 🌸三春藩総鎮守 大元帥明王(現・田村大元神社)::明王様御祭礼 |
田村大元神社夏季例大祭 28


旧三春藩領内総鎮守「大元帥明王社」で、現田村大元神社の夏季例大祭が斎行されました。





今回も、日本大学工学部に通う長男の友人とその友達4名を助っ人として参加してもらいました。

ん!長男は?実はちょうどこの頃は夏休み前に試験日が重なっています。
おまけに、チーム共同で作成のレポート提出などが多数あり、今回のお祭りは急きょキャンセルとなった次第です。

しかし、息子のような息子の友達S君がいます。

そのS君が友人3名を引き連れて長獅子の参加してくれました。


宵祭りから、翌本祭りまで一泊二日の獅子舞三昧です。

初めてなのに、翌日にはもう頭を振っていました。
しかも、御輿掛けまで、バクバクと・・・・

大したものです。

どこの町内でも同じだと思いますが、私たちのころと違って、人不足は深刻です。

こうした若い力が必要になってきています。

すっかり、別火講中の皆さんとは打ち解けて仲良くなっていたみたいです。

祭礼終了後、家まで送っていきましたが、疲れた様子ながら楽しんでくれたようです。








御神体神輿渡御は、触れ太鼓を先頭に、青天狗・白天狗を前備えにした長獅子の先払い、五色旗・神社旗・錦旗、御神体神輿、神官に続き三匹獅子舞の奉納が続き、新町町内を巡幸します。





新町縦町の当店までくれば渡御は、もうすぐひと段落です。
そして、夕食後の還御・宮入です。

夕食後、旧化粧坂城下境を出立した還御の行列は、夕やみ迫る新町縦町を神社に帰還します。




これは、「獅子が、また一年神社で眠るのを嫌がって、御神体宮入の時間ぎりぎりまで、現世に居たいと哀願し、さらに決まりを解っていながら抵抗して荒々しく先払いをしながら進んで行くんだ」と古老から教わっていました。



この祭礼を司どる別火講中の現役の頃は判りませんせんでしたが、退講して10年も経ちますと、自分で力説していた”祭礼とは、斎行者がいて、準備する者がいて、見る者がいて初めて存在する”という意味を、己自身が噛み砕入れ呑込めるようになった気がします。

獅子の外でガードする役を”警護”と呼んでいますが、ガードレルを支えに踏ん張って獅子を止めています。


祭礼の夏の一日。
猛暑の中を還御に随行し、別火講中の仲間や、神社総代・宮司や神職、さらには三匹獅子や旗・楽人の楽器持ちの子供たちと艱難を共にするということで、夕方には連帯感を持ち始めるような気がします。
これが、一年続きこの新町と云う町内の固い絆を構築しているんだろうなぁと思います。




三匹獅子の舞う子供たちもなおさらです。
兄妹でもない。
親でもない。
危ないお兄さんや、怖いおじさん、そして幼い子供たち・・・
世代も、住む環境もまったく違う異なる、様々な人々と仲良くなるという不思議な人間関係が、気が付いたら出来上がっています。




人の成長には、親の庇護を離れ”世間の荒波”と云えば大袈裟ですが、綺麗なものや汚いもの、時には危険なことなどに触れ、そこで感じたものを人生の糧として将来に役立てるということも必要な事ですよね。




これが今後の人生に、どれだけ役に立つか計り知れませんよね。



春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂



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三春城下新町の初夏の風物詩28



三春城下新町の鎮守田村大元神社(旧三春藩五万石領内総鎮守「大元帥明王」)の祭礼を、今週末に控えて、その祭礼に奉納する「長獅子」と「三匹獅子」の練習にも熱がこもってきました。




梅雨の時期独特の湿った気候、夕方の蜩、楽内のホタル、真照寺下セリ場の旗や大元神社山内の提灯、そして、この三匹獅子や長獅子の太鼓や笛の音を聞こえると「夏が来るんだなあ~」と思います。




300年は続いてきたんであろう、正に初夏の三春城下を彩る風物詩です。





三匹獅子掛では、年長者が後輩に教えるという新町では当たり前の光景ですが、他では中々見られなくなった光景です。

長獅子舞の練習風景です。





田村大元神社の祭礼には、別火講中の一番組と二番組が各年交替で、獅子掛と祭典掛に分かれて奉仕しています.

今年の獅子掛は、二番組が担当します。

祭典掛は、一番組担当となります。






やはり、先輩が後輩に口伝にて教授しています。

私が現役の頃と同じ風景です。





自分の子供のような年代の者たちが主力となり、この伝統芸能である長獅子舞や三匹獅子舞を引率している光景は力強いものを感じます。





春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂



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三春物語940番「田村大元神社夏季祭礼還御’27」



田村大元神社夏季祭礼還御




藩政時代の大元師明王社の御神輿渡御・還御は、別当職真照寺住職の監督指揮により、三春藩明王奉行の下、旧三春藩領内(現小野町以外の田村郡全域と郡山の一部等五万石)六十六郷が、頭屋制を布き、当番の六十六郷中三十三郷を持って奉仕し、資金は明王講の積み立てにより工面していました。




その祭礼行列も三日間を掛け三春旧町内を渡御し、近隣より、大勢の祭り見物のお客さんが三春を訪れ、その監視と整理のために役人を出し、櫓を立て寝ずの番をしたと言いますから、大変な賑わいだったと思います。       




 その様は、絵図が示す通り荘厳で、神馬―槍持ち役人―世話人―母衣―万燈―お神楽(牛頭天王宮長獅子)に警護と使番が付きー禰宜―笛―大小太鼓―木馬の跨った子供の行列―日天坊―月天坊―甲冑行列―太鼓台―ささら・三匹獅子と続き、その後に「通り者」と呼ばれる祭礼踊り一行が従い、扇子踊り、槍踊り、太平奴の三番踊り他、が踊りを奉納したと言います。



明治維新後、廃藩置県、神仏分離に伴い規模が縮小されました。
同時に仏教色が払拭され、名称も国常立之命を祭る田村大元神社となり、祭礼行事一切を神職及び、新町字民、別火講中に引き継がれました。
 



今年、初参加の長男坊とその友達です。

こどもの頃は三匹獅子をしていましたが、大人としての初参加でした。

日大工学部の友達、高校時代からの友人の菜根の添田君も楽しそうです。



三春の夏を彩っていただきました。




真夏の一日、新町町内を、朝十時出立~午後九時帰還という、丸一日かけて神輿渡御・還御に随行し、別火講中の仲間や、神社総代・宮司や神職、さらには三匹獅子や旗・楽人の楽器持ちの子供たちと艱難を共にするということで、夕方には連帯感を持ち始めるような気がします。
これが「新町」と云う町内の固い絆を構築しているんだろうなぁと思います。




旗持ちや、楽器持ちの子供達、そして三匹獅子の舞う子供たちもなおさらです。
兄妹でもない。
親でもない。
危ないお兄さんや、怖いおじさん、そして幼い子供たち・・・
世代も、住む環境もまったく違う異なる、様々な人々と仲良くなるという不思議な人間関係が、気が付いたら出来上がっています。



人の成長には、親の庇護を離れ”世間の荒波”と云えば大袈裟ですが、綺麗なものや汚いもの、時には危険なことなどに触れ、そこで感じたものを人生の糧として将来に役立てるということも必要な事ですよね。

これが今後の人生に、どれだけ役に立つか計り知れませんよね。





三春昭進堂 髙橋龍一

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三春物語939番「田村大元神社夏季例大祭宵宮’27」


三春城下に本格的な夏の到来を告げる「田村大元神社夏季例大祭」



夏の祭礼、祭典掛は二泊三日の御籠りとなります。

また、梅雨明けを押し開けさせるような一日。

例年、猛暑・夕立など過酷な気象条件の中を渡御・還御に随行しますが、参加された別火講中の仲間や、神社総代・宮司や神職、楽人、さらには三匹獅子や旗・楽人の楽器持ちの子供たちと艱難を共にするということで、夕方には一種の連帯感を持ち始めます。

これが、この新町と云う町内の固い絆を構築しているんだろうなぁと思います。



今回は、二日間遂行される長獅子宮入と三匹獅子舞奉納の模様を伝えします。



古の旧三春藩内領内総鎮守大元帥明王社例大祭の慣例にならい、二日間長獅子が宮入りします。

明治維新以降の、幕藩体制の瓦解、そして廃仏毀釈や神仏離反を受けて、大元師明王社から大志田山神社を経て田村大元神社へ祭神や名称が変革していきました



祭典掛が二人、激しく振り鳴らす鈴の中、社殿前で勢いよく奉納するが長獅子
別火講中が奉納しています。

今年は一番組です。



私たち新町っ子は、古老から「長獅子が鳥居の前や社殿前で暴れるのは、また一年神社に閉じ込められるのが嫌で、左右に舞を繰り広げ暴れているんだ」と聞かされていました。




長獅子の宮挙げの瞬間です。

其れまで激しく待っていた獅子頭を賽銭箱に乗せた瞬間に、獅子の中にいる講員たちは、無言の中で一斉にしゃがみこみます。



この光景、どこかで見たことがありませんか?



ジブリファンならわかりますよね。

そうです。
「千と千尋の神隠し」の中で、オクサレ様と呼ばれていた得体のしれない神が、お風呂ですっかりきれいになって、湯屋の大戸を空け放ち、帰るシーンに似ていませんか?



其れと同時に、祭典掛が獅子頭を受け取り、本殿入り口に安置します。


今度は三匹獅子舞の奉納です。

獅子舞踊りは、三匹獅子とササラが一列に並ぶ「通り・道中の舞」
三春城大手門前にさしかかったとき、城主に挨拶する舞の「礼・通り前」
そして社殿で舞う「本廻り」と雌獅子を奪い合う「食い合い」の踊りがあります。



長獅子の宮挙げを終えた獅子掛が見守る中で、子供たちの三匹獅子舞が始まります。

こちらは、奉納ですので本祭りの練習という意味合いもあります。


今年は、中学一年生から小学校中学年まで、可愛い子供達が舞い手となっています。
現田村大元神社の祭礼には、三匹獅子舞が奉納されています。

この三匹獅子舞は、戦国時代の永正元年、戦国武将田村義顕公が守山(現郡山市田村町)より三春入部の時に、守山大元帥明王社を分霊し、三春城の一郭に勧請して
三春大元帥明王社を建立した際に、一緒に伝えられたものであると云われています。




 江戸期秋田藩政下での、大元帥明王の祭礼は、旧暦の六月十四から十六日までの三日間開催され、本祭りの日に御神輿渡御がありました。
本祭り当日は、神事後の午前十時頃、出御となり、山中から北町~荒町~八幡町~大町~新町と廻って午後八時頃還御となっていましたが、現在は新町字内の渡御です。

三匹獅子舞は、御神輿渡御に供奉し演じられ、出御に先立って社前で舞った後に、御神輿の後になって、戸ごとに舞い込むほか、途中の町内にある「籏立て場」や、新町と清水の「御旅所」、さらに参道入口鳥居前、それに還御のあと再び社殿前で踊っていたとされていますが、現在は、社殿前と山中交差点、参道入口鳥居前そして社殿前です。

かつての踊り手は、獅子舞は明王町(現山中)在住の長男に限られていました。
また、「ササラ」と呼ばれるササラスリは、竹で作ったササラをすりあわせて雨蛙の鳴き声を奏でています。

尚、このササラは、楽内村の長男が努めていたと云われています。



私はどうもこの構図が好きなんですね・・・

現役当時は見れなかった光景なんです。



祭礼の日だけ提灯に明かりが灯り、社殿を明るく映し出してくれます。

何とも幻想的なこの雰囲気・・



昨年まで30年間三匹獅子の世話人を務めていた橋本勝利総代長が見守る中、新世話人の橋本純一の笛による三獅子。
其れをしゃがんでみる次世代の子供達。



拝殿両脇にある八幡宮にも灯がはいります。



こちらは熊野宮



本祭りで神輿渡御の際祭神を奉ずる神輿です。



宝物殿で一人祭礼を眺めていた昨年まで活躍していた長獅子の頭です。
歯が随分すり減っています。

この獅子頭は、100年ぐらいは使用していると考えられています。

この田村大元神社の長獅子は、力いっぱい音を立てて噛むのが特徴の獅子舞ですが、割れたことがありません。



昨年完成した新しい獅子頭も、頑丈です。

山形県長井市の獅子頭工房「獅子宿燻亭」の作です。



さあ、明日が本番です。




三春昭進堂 髙橋龍一

| ryuichi | 17:52 | comments (x) | trackback (x) | 🌸三春藩総鎮守 大元帥明王(現・田村大元神社)::明王様御祭礼 |