2020-05-22 Fri
三春城下荒町にある「寿司 大音」さんの包装紙です。
寛政五年(1793)、江戸中期の三春藩秋田氏の7代藩主従五位下信濃守(後に山城守) 秋田倩季(あきた よしすえ)の御代で作成された城下絵図をモチーフにしています。
天明の飢饉による領民の救済、同じく天明の三春城をも焼失した三春城下町大火等からの復興の後に書かれたものか?と想像しています。
この日は、当店の定休日と言おうこともあって女将を伴ってランチに出かけました。
大音さんは三春の社交場とも云える城下の皆様に親しまれた寿司屋さんです。
緊急事態措置を解除したため、当店の営業時間の変更いたします。
昼11時〜14時
夜17時〜22時
日、祝は21時まで
定休日水曜
また、3密の回避の為にお客様の人数制限をさせて頂きます。
引き続き出前、テイクアウトも対応しておりますので問い合わせお待ちしております。
☎︎0247622556
寿司 大音
駐車場 5台
お問い合わせ先 0247-62-2556
客席数30
2019-04-03 Wed
早川雅信展 ~桜のまち 三春を訪ねて~
会場:三春城下 法蔵寺
日時:2019年4月2日(火)~21日(日)
入場無料
三春城下荒町の法蔵寺檀家さんの早川雅信さんの個展が法蔵寺にて開催されます。
早川さんの絵は風景画で、日本中の自然豊かな山河であったり、生活観のある街の風景が描かれています。
法蔵寺の枝垂桜も描き、今回の個展にも出展されています。
ぜひご覧いただければと思います。
春陽郷三春城下 御菓子司三春昭進堂 菓匠蒼龍
| ryuichi | 12:50 | comments (x) | trackback (x) | 🌸三春城下荒町::郡守山法蔵寺 |
2017-12-24 Sun
「三春城下 お寺のライトアップ」 心穏やかにお参りください。
日時:平成29年12月15日(金)~24日(日)
点灯時間 17:00~21:00
場所
三春城下荒町「馬頭観音堂」
三春城下荒町 「高乾院」
路面や階段の凍結がございます。
くれぐれも足元に気を付けてお越しください。
馬頭観音堂は、田村三十三観音の第三番札所。縁起には坂上田村麻呂の愛馬を祀ったという伝説が残り、荒町はその門前町として栄えたといわれます。
維新後、明治政府は陸軍の整備に伴い軍馬拡充や、農耕馬として馬の需要が高まり、三春駒として名高い三春では馬の飼育に力が注ぎ込められました。
三春駒全盛期の馬頭観音祭礼は、旧暦三月十七日(現在は4月17日)で、田村郡内より各講中の代表者が前夜から夜篭りの為、泊り込みで参拝に訪れ、そのため別当職(馬頭観音を取り仕切る役)華正院は夜を徹して、終日参拝の人々で混雑したと言われます。
当時、北町の北野神社とは祭礼の期日が近い事で、馬頭観音様が馬の神であり、北野天神様の使いが牛である事から、祭礼の賑やかさや人出を競い合い、馬か牛かどちらが勝つかと、町民の季節の話題になり期待でもあったと三春町史は伝えています。
馬頭観音堂まで上るその石段は、中央部分がかなり凹んでいます。
これは、いかに多くの三春産馬の関係者や信仰者の方たちが参拝したか?凹んだ石段によって、はかり知ることができます。
尚、現在の馬頭観音の祭礼には檀信徒が参詣し、所願成就を堂内の護摩壇にて"護摩焚き"の祈祷がおこなわれています。
磐城國三春五万石秋田家菩提寺の安日山高乾院
江戸期の三春城主秋田氏の三春入封にしたがい現在地に建てられました。
高乾院の院名は初代藩主秋田俊季の父実季(さねすえ)の法名に由来します。
また、山号である安日山は、安倍安東秋田氏の祖とされる安日王に由来します。
本堂向って左側の高台に秋田家墓所があり、歴代藩主10人をはじめ一族の墓が残されています。
また、本尊木造釈迦如来座像をはじめ、藩主菩提寺らしく数多くの指定文化財があります。
高乾院の開山地は秋田氏の前任地である宍戸(茨城県笠間市)で、鎌倉時代中ごろ仏源禅師の開山と伝えられています。
正保2年(1645)2代藩主秋田俊季が三春藩に移封になると住職は俊季に随行し新たに三春の地にて開山しています。
現在の高乾院本堂は大正9年に取り壊され、しばらく仮堂のままだったものを平成14年に再建しました。
春陽郷三春城下御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍
| ryuichi | 12:39 | comments (x) | trackback (x) | 🌸三春城下荒町::馬頭観音別当華正院 |
2017-08-09 Wed
三春今昔物語 荒町
三春城下荒町は、明治になり、郭境門が撤廃されてからは、旧町内では一番広い地域を占め、昔から商工業が盛んなところでした。
工業といっても、製糸工場、羽二重工場ですが、旧藩時代から明治大正にかけて盛んでした。
先に移転してしまいましたが、前の三春中学校敷地にあった三盛社は、当時女工150名を使って操業していて、県下でも二本松の双松館と一、二を争う機械製糸工場として聞こえたものですが、先の戦時中に閉鎖してしまいました。
街本通り西側の山手には、法蔵寺、高乾院、光善寺、龍穏院、馬頭観音等が立ち並び、寺町でした。
高乾院や龍穏院は藩主秋田家の菩提寺、家老など藩重臣やそれに付随する家臣の墓所でもあり、藩政時代、お盆の墓参には、家老から軽輩まで、それぞれの格式で行列を組んで参っていました。
この場合、町屋のものはその行列に遠慮して通り過ぎるのを待って墓参に行く有様でした。
お盆の墓参が、武士は12日、町屋は13日と決めたのも、こうした混雑を回避する為だったんです。
城下への道は、日和田・本宮口と小浜海道口の二本がありました。
本宮口は、大正三年の磐越東線開通とともに三春駅が出来てその様が一変します。
また、小浜海道口の方は、二本松領川東三万石の小浜・針道方面との物資輸送、羽二重の川俣まで生糸を運ぶ外、馬、繭、葉タバコを運ぶために、今の渋池の中ほどから、上り
二折れしていた道を、先の三春中学校西側に沿うように道路を作り、交通の利便性を図って往来がスムーズになり繁昌していました。
馬頭観音は、古い由緒を持っています。
戦国時代の三春城主田村家三代の清顕が安置したというから約470年も昔からありました。
小野の東堂山、堂坂(現西田町)と共に三観音(馬頭観音)と呼ばれ、庶民の信仰を集めていました。
毎年旧暦の3月17日の縁日には、近郷近在から仔馬の出来た飼主たちが多数参詣して、餅を巻いて無事成長を祈願していたそうです。
昭和30年代の広報三春内コラム参照
春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍
2016-12-19 Mon
三春城下冬のライトアップ2016
「三春城下曹洞宗寺院ライトアップ」
三春藩主秋田家藩主菩提寺「秋田山龍穏院」
荒町曹洞宗秋田山龍穏院は、三春藩主秋田家入府の時、前領地常陸宍戸より三春へ移したと云う禅宗の古刹です。
鎌倉期蝦夷管領、日ノ本将軍と呼ばれ、北方に覇を唱えた安倍家の末裔、三春五万石安東(安藤)秋田家の菩提寺です。
江戸期の秋田家藩政を通じて藩主菩提寺別格寺として隆盛を極め、その伽藍は寺院の多い三春でもひときわ荘厳で、歴史の重みと伴に、三春五万石の威厳を感じます。
幕末、三春藩の終焉とも言うべき、戊辰戦争三春無血開城後は、藩主が恭順の意を表す為御座恭順し、その後西軍の病院として使われ、三春秋田家のその始まりと終わりに重要な役割を果たしました。
今も境内には西軍として戦に参加した館林藩士の墓があります。
春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂
| ryuichi | 05:33 | comments (x) | trackback (x) | 🌸三春城下荒町::秋田山龍穏院 |
2016-08-07 Sun
「駒のいななき」別冊 わたなべ駒之助
三春担ぎ橋。
わたや呉服店大旦那さんの渡辺和明さん(有限会社わたや呉服店会長)は、ペン・ネーム(雅号)「わたなべ駒之助」として随筆や現代川柳を執筆しています。
先ほど、この8月吉日発刊の「駒のいななき」別冊28を頂戴いたしました。
早速、頂いた別冊「駒のいななき」を読んで、暑中見舞いがてら御機嫌を伺いにお邪魔しました。
以前、平成24年5月29日の「呉服の日」発刊された現代川柳の句集「駒のいななき」は、長きにわたる公職引退を記念して造られた句集で、公職のこと、奥様はじめ家族のこと、三春のこと、わたや呉服店・商売のことそして世間のことなど現代川柳集としてまとめられていました。
今回の別冊では、今年三月に体調を崩されて入院、そしてリハビリのことなど川柳にまとめられています。
昨日、ご自宅に訪問してご尊顔を拝しながら楽しいおしゃべりをしてまいりましたが、「リハビリやショートステイ先での入所者や看護師さん達等、何の利害関係のない様々な人との出会いには人生の縮図を見ているようで大変勉強になる」とリハビリ生活を満喫されておられる様子です。
療養中ながら腰から上はいたってお元気そうで、しかも、志気旺盛、制作意欲みなぎるその生き方には敬服申し上げます。
また、「駒のいななき」、その一句一句には、人生の先輩である駒之助さんの人生訓がちりばめられていて感動とともに、その見識に頭が下がる思いです。
あとがきには、駒之助さまのが、わが人生を振り返っての事柄が記載されています。
国民学校3年生から社会経済勉強として新聞配達始めたことをスタートに、二十歳で親の商売を譲り受け、三春の商人の鏡となる四十有余年の商いを記されています。
そして、六十歳からの地域に貢献された様々な公職等々などを振り返られています。
結びには、「思い切りのいい人生を送らせていただいた次第です」と締めくくられていました。
正に、商いは、売り手と買い手だけでなく、その商いが社会全体の幸福につながるものでなければならないという商人の理念である「三方よし」の考え方を教わりました。
商人として商品を売るのは当たり前ですが、目先の利益だけではない地域文化の向上、そして地域住民のお役にたちたいという思いや行動など、駒之助さんには三春商人としての生き方を見せていただいています。
これからもよろしくお願いいたします。
春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍
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