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「駒のいななき」別冊28 わたなべ駒之助(三春担橋わたや呉服店会長)



「駒のいななき」別冊 わたなべ駒之助


三春担ぎ橋。

わたや呉服店大旦那さんの渡辺和明さん(有限会社わたや呉服店会長)は、ペン・ネーム(雅号)「わたなべ駒之助」として随筆や現代川柳を執筆しています。

先ほど、この8月吉日発刊の「駒のいななき」別冊28を頂戴いたしました。

早速、頂いた別冊「駒のいななき」を読んで、暑中見舞いがてら御機嫌を伺いにお邪魔しました。





以前、平成24年5月29日の「呉服の日」発刊された現代川柳の句集「駒のいななき」は、長きにわたる公職引退を記念して造られた句集で、公職のこと、奥様はじめ家族のこと、三春のこと、わたや呉服店・商売のことそして世間のことなど現代川柳集としてまとめられていました。



今回の別冊では、今年三月に体調を崩されて入院、そしてリハビリのことなど川柳にまとめられています。


昨日、ご自宅に訪問してご尊顔を拝しながら楽しいおしゃべりをしてまいりましたが、「リハビリやショートステイ先での入所者や看護師さん達等、何の利害関係のない様々な人との出会いには人生の縮図を見ているようで大変勉強になる」とリハビリ生活を満喫されておられる様子です。


療養中ながら腰から上はいたってお元気そうで、しかも、志気旺盛、制作意欲みなぎるその生き方には敬服申し上げます。

また、「駒のいななき」、その一句一句には、人生の先輩である駒之助さんの人生訓がちりばめられていて感動とともに、その見識に頭が下がる思いです。





あとがきには、駒之助さまのが、わが人生を振り返っての事柄が記載されています。

国民学校3年生から社会経済勉強として新聞配達始めたことをスタートに、二十歳で親の商売を譲り受け、三春の商人の鏡となる四十有余年の商いを記されています。

そして、六十歳からの地域に貢献された様々な公職等々などを振り返られています。





結びには、「思い切りのいい人生を送らせていただいた次第です」と締めくくられていました。

正に、商いは、売り手と買い手だけでなく、その商いが社会全体の幸福につながるものでなければならないという商人の理念である「三方よし」の考え方を教わりました。

商人として商品を売るのは当たり前ですが、目先の利益だけではない地域文化の向上、そして地域住民のお役にたちたいという思いや行動など、駒之助さんには三春商人としての生き方を見せていただいています。

これからもよろしくお願いいたします。





春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍



| ryuichi | 05:10 | comments (x) | trackback (x) | 三春城下荒町 |
三春城下荒町 八雲神社祭礼 28



「荒獅子」は、約160年前の江戸期秋田藩政下、三春五万石六十六郷領内総鎮守大元帥明王夏季例大祭と荒町の牛頭天王社の祭礼にて露払いとして奉納されていた獅子舞です。

荒町の鎮守「八雲神社祭礼」の荒獅子奉納

7月26日(日)午前10時より


新しいポスターが出来ました!と顧問である儀同さんに戴きました。

早速、額に入れて店内に配置させていただきました。


三春城下でも、この八雲神社夏季祭礼だけは曜日に関係なく、7月26日という日にちに固定されています。


城下町として栄えていた三春城下に疫病が侵入するのを防御の祈願のため、天王様(牛頭天王)と荒獅子が、疫病を鎮めるために、町中を練り歩くようになったのが、始まりとされています。



当初は、小山村(後の御祭村)の青年達が長獅子を奉納していました。

叉、獅子頭は、小山村(御祭村)の名工によって作られその地名を獅子造りと呼ばれています。

荒獅子は、秋田藩政期には領内総鎮守大元帥明王に露払い(悪魔祓い)として奉納されていた三春独特の獅子舞で、三春に在る長獅子の中では一番歴史が古く、田村大元神社や八幡神社の長獅子はこれを明治期に伝授されたものと伝えられてます。




 
明治維新後の神仏離反、そして廃仏毀釈をうけた明治初期、大元帥明王社は、大志田神社を経て現田村大元神社に改宗改名した際に時の総代といざこざになり、以後荒町の八雲神社だけの奉納となりました。

牛頭天王は、現八雲神社の祭神で、疾病を防ぐ神であり、神道におけるスサノオ神と同体とされています。
 医療技術が乏しい時代に、疾病を防ぐ強い力を持つ牛頭天王に対する信仰は、かなり大きかったと思われます。
 
牛頭天王は、単に「天王様」と呼ばれました。

また、荒獅子は一般に、悪魔祓い・疫病退散の役割を担うことが多いが、これが牛頭天王と同一視され、三春の祭礼においては、単に獅子舞ではなく、威勢のよい「荒獅子」になったのかも知れません。




人が死ぬと、「魂が霊となる」との考えは、世界共通の考えで、日本でも縄文時代から信じられていたと、言われています。
奈良時代には、厄災(天変地異や疫病等の災い)は不業の死を遂げた人達の、怨霊のなせる業と考えられる様になり、こうした霊を、丁重に祀り慰める事で、「怨霊」が「御霊」となり「鎮護の神」となって、平穏をもたらすとする「御霊信仰」が起り、怨霊を慰める儀式 「御霊会」 が行われる様になります。

この「御霊信仰」を背景に、疫病神である 「牛頭天王」を、お祀りし疫病退散を願ったのが 「祇園会」 (ギオンエ) であり、祇園牛頭信仰 のおこりだと考えられています。






 
 三春城下荒町の八雲神社の夏季例大祭の荒獅子奉納は、この半年の罪のけがれを祓い、夏以降の疫病除けを祈願する行事「夏越祓」(なごしのはらえ)の日役割もあるかと思います。







春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂

| ryuichi | 05:10 | comments (x) | trackback (x) | 三春城下荒町::八雲神社 |
三春物語929番「荒獅子奉納」~荒町鎮守八雲神社祭礼


三春城下荒町の鎮守「八雲神社祭礼」の荒獅子奉納

7月26日(日)午前10時より


新しいポスターが出来ました!と顧問である儀同さんに戴きました。

早速、額に入れて店内に配置させていただきました。


三春城下でも、この八雲神社夏季祭礼だけは曜日に関係なく7月26日という日にちに固定されています。





三春城下の夏の風物詩「八雲神社夏季祭礼」
明治元年(慶応4年/1868)の神仏分離令以前の祭神である「牛頭天王」に由来する日にだと考えています。
平安時代中期以降、京都祇園社(現八坂神社)で御霊会が営まれていますが、その祭礼の期日は疫病のもっとも発生しやすい旧暦6月でした。
これは、それ以前からおこなわれていた夏越の祓(なごしのはらえ)やこの時期にとりおこなわれてきた水神祭をも包摂していって、夏祭りとして全国的に広がっていったと考えられています。




インドの祇園精舎の守護神が、日本では天神と知られる牛頭天王(ごずてんのう)でした。この牛頭天王は、インドの牛の頭に似た牛頭山に住んでいたとされ、その山に自生していた「せんだん」という植物が熱病に効くところから、疫病を防除する神と信じられていました。

三春昭進堂 高橋龍一

| ryuichi | 05:27 | comments (x) | trackback (x) | 三春城下荒町::八雲神社 |
三春物語853番「内に誠あれば 外に現わる~高乾院の年始’27」


三春藩主菩提寺「高乾院」さまより、御年賀の御挨拶を頂きました。

義兄である住職の岡祖伸和尚が、檀家と知己知友宅を廻り、年賀の挨拶をしていただきます。



今年の短冊は「内に誠あれば 外に現わる」とありました。

毎年、岡和尚よりいただく短冊の文面を、その年の目標にしたいと、”今年こそは”と誓いを立てていますが・・・・



三春昭進堂 髙橋龍一



| ryuichi | 05:34 | comments (x) | trackback (x) | 三春城下荒町::安日山高乾院 |
三春物語803番・秋田山龍穏院境内の金毘羅大権現



秋田山龍穏院境内の金毘羅大権現です。

10月10日が金毘羅さんの日とされています。
これに合わせて金毘羅宮の祭礼を挙行しています。



対面にあるのが、平石から移築された平石不動尊です。

毎年11月の第三日曜日には、この平石不動様の祭典を行っています。



三春昭進堂 髙橋龍一




| ryuichi | 15:28 | comments (x) | trackback (x) | 三春城下荒町::秋田山龍穏院 |
高乾院の作庭「ど根性の臥龍松」


旧三春藩秋田家の菩提寺である、臨済宗安日山高乾院に庭師が入り庭の木の選定をしていただいています。
庭師は、懇意にしていただいている磐梯町の磐梯造園さんです。

境内にある、”臥龍松”を養生していただもらっています。
この臥龍、外皮一枚。それも半分だけの外皮で生きていました。
幹の途中に腐れが入り、アリの巣も蔓延り、瀕死の状態でしたが、磐梯造園の親方(社長)の手にかかり”一命を取り留めた”もようです。
親方は「ど根性松」と呼んでいましたが、その意味が分かりました。

龍の名称を名前に戴く私は、”臥龍”と勝手に呼んでいるこの松です。
さすがに根性がありますが、まさか外皮一枚それも半分で生きながらえていたとは・・・・感心してしまいました。



宇内の江戸期代の火災にも生き延びた”延命枝垂れ桜”にも、手が入れられ元気ハツラツに!甦りました。



体内から紅葉を生み出した”子育て枝垂れ桜”も同様に、手当されて活き活きしています。

気のせいでしょうか、高乾院にお参りすると力強い生命力を感じるのは私だけではないはずです。



秋田家の墓所にも、樹木剪定が入り、光が燦々と注ぐようになりました。
前にもまして、藩所墓所としての威厳を感じられるようになりました。



法蔵寺との境にある枝垂れ桜も周りの末を伐採してお日様の日差しが照りつけ、活き活きとしているように感じます。

やはり、庭師にかかると長年眠りのついていた三春藩主菩提寺の庭が目を覚まし、往年の栄華が現代に生き返りました。



日差しが照りつっける秋田家の墓所に佇んでいますと、秋田家の精霊が喜んでいるように感じるのは気のせいでしょうか?
長梅雨の影響で、遅れがちな仕事を無理して調整して、”お盆前に何とかしたいと”という親方には頭が下がります。


紫陽花階段ですが、終わってしまいました。
また来年の楽しみ。


今秋発行の三春物見遊山最新版です。

三春昭進堂代表 菓匠髙橋龍一

| ryuichi | 05:00 | comments (x) | trackback (x) | 三春城下荒町::安日山高乾院 |
三春藩主菩提寺の紫陽花


三春城下荒町にある、三春藩主菩提寺高乾院の紫陽花が見ごろを迎えています。



秋田家廟所への参道です。



天然水を引水してある蹲には冷たい水が滾々と湧き出て紫陽花とともに”涼”を演出してくれます。



三春城下では、三春城址舞鶴城跡や、法蔵寺などそれぞれ紫陽花が見ごろを迎え観光を兼ねたカメラマンが涼を求めて撮影に訪れています。

| ryuichi | 09:48 | comments (x) | trackback (x) | 三春城下荒町::安日山高乾院 |