2022-03-13 Sun
寿司「大音」 KFB福島放送「シェア」
ふるさとリポーターの髙橋です。
今回は、滝桜の現在の状況の報告。
そして、三春城下の雰囲気のある石畳の小路「磐州通り」、その通りにある三春城下のお食事処「寿司 大音」(すしだいおと)を紹介します。
出演は当店のマスコット深谷悠大くんと、友人の吉村剛さん、神晃さんです。
取材日がお彼岸前ということもあり、滝桜の桜のつぼみも確認は出来ますが、もう少しのようです。
開花予定は4月5日ごろかな?
そして、城下大町から荒町に抜ける石畳の小路「磐州通り」
風致地区に指定された紫雲寺山の緑や城下町時代を偲ぶ王子神社、三春町文化伝承館、紫雲寺の付近にあり、城間街を一番感じる場所です。
「磐州通り」と呼ばれのは、この通り名は紫雲寺に自由民権運動家の河野広中の遺髪を埋めた「磐州河野先生瘞髪冢(ばんしゅうこうのせんせいえいはつちょう)」にちなんでいます。
通りには、「加波山事件自由の魁の碑」もあり、自由民権運動の歴史を後世に伝えています。
そして、城下町三春の食事処「寿司 大音」
各種会合、出前、テイクアウト等々40年来のお付き合いです。
今回も、吉村管工所代表の吉村剛社長、そして、神設備代表の神晃社長にお付き合い願っての収録です。
企画演出、そしてカメラは劇作家志望の当店次男坊です。
お楽しみいただけましたでしょうか?
さて、次回もお楽しみに~
2020-06-11 Thu
三春城下荒町にある安日山高乾禅院。
三春藩主秋田氏菩提寺です。
山内左奥、秋田氏の家老級方々の墓所がある参道手前に、引水をした蹲があります。
”墓所の花立の汲む水にと”同寺再建時に、岡住職はじめ檀信徒の有志数名で、約ひと月をかけて手作業で刻んだ思い入れの深い蹲で、もちろん私も参加させていただきました。
もう二十年になります。
数年ぶりに大掃除をさせていただきました。
前回同様ですが、排水に根が入り込み詰まっていました。
私の就業時間前、朝の散歩の途中での、少しの時間の作業ですので、3日ほどかかってしまいました。
朝の散歩で三春城下の寺社仏閣を巡っています。
禅寺の掃除です。
縁側や階段を水拭き、水盤やその排水口を掃除を時折させていただいています。
早朝、誰もいない山内で小鳥の声と、蹲に落ちる水の音を聴きながら、無心でただひたすら掃除に没頭する時間。
掃除とは自身の心掃除といいますが、汚れや落ち葉、そして雑草を抜いていますと、本当に心まで洗われていく様です。
「仏道を習ふというは 自己を習うなり 自己を習ふというは、自己を忘るるなり、
自己を忘るるというは・万法に証せらるるなり、万法に証せらるるというは自己の身心、他己の身心を脱落せしむるなり」
(正法眼蔵現成公案)
春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍
| ryuichi | 03:48 | comments (x) | trackback (x) | 🌸三春城下荒町::安日山高乾院 |
2020-05-22 Fri
三春城下荒町にある「寿司 大音」さんの包装紙です。
寛政五年(1793)、江戸中期の三春藩秋田氏の7代藩主従五位下信濃守(後に山城守) 秋田倩季(あきた よしすえ)の御代で作成された城下絵図をモチーフにしています。
天明の飢饉による領民の救済、同じく天明の三春城をも焼失した三春城下町大火等からの復興の後に書かれたものか?と想像しています。
この日は、当店の定休日と言おうこともあって女将を伴ってランチに出かけました。
大音さんは三春の社交場とも云える城下の皆様に親しまれた寿司屋さんです。
緊急事態措置を解除したため、当店の営業時間の変更いたします。
昼11時〜14時
夜17時〜22時
日、祝は21時まで
定休日水曜
また、3密の回避の為にお客様の人数制限をさせて頂きます。
引き続き出前、テイクアウトも対応しておりますので問い合わせお待ちしております。
☎︎0247622556
寿司 大音
駐車場 5台
お問い合わせ先 0247-62-2556
客席数30
2019-04-03 Wed
早川雅信展 ~桜のまち 三春を訪ねて~
会場:三春城下 法蔵寺
日時:2019年4月2日(火)~21日(日)
入場無料
三春城下荒町の法蔵寺檀家さんの早川雅信さんの個展が法蔵寺にて開催されます。
早川さんの絵は風景画で、日本中の自然豊かな山河であったり、生活観のある街の風景が描かれています。
法蔵寺の枝垂桜も描き、今回の個展にも出展されています。
ぜひご覧いただければと思います。
春陽郷三春城下 御菓子司三春昭進堂 菓匠蒼龍
| ryuichi | 12:50 | comments (x) | trackback (x) | 🌸三春城下荒町::郡守山法蔵寺 |
2017-12-24 Sun
「三春城下 お寺のライトアップ」 心穏やかにお参りください。
日時:平成29年12月15日(金)~24日(日)
点灯時間 17:00~21:00
場所
三春城下荒町「馬頭観音堂」
三春城下荒町 「高乾院」
路面や階段の凍結がございます。
くれぐれも足元に気を付けてお越しください。
馬頭観音堂は、田村三十三観音の第三番札所。縁起には坂上田村麻呂の愛馬を祀ったという伝説が残り、荒町はその門前町として栄えたといわれます。
維新後、明治政府は陸軍の整備に伴い軍馬拡充や、農耕馬として馬の需要が高まり、三春駒として名高い三春では馬の飼育に力が注ぎ込められました。
三春駒全盛期の馬頭観音祭礼は、旧暦三月十七日(現在は4月17日)で、田村郡内より各講中の代表者が前夜から夜篭りの為、泊り込みで参拝に訪れ、そのため別当職(馬頭観音を取り仕切る役)華正院は夜を徹して、終日参拝の人々で混雑したと言われます。
当時、北町の北野神社とは祭礼の期日が近い事で、馬頭観音様が馬の神であり、北野天神様の使いが牛である事から、祭礼の賑やかさや人出を競い合い、馬か牛かどちらが勝つかと、町民の季節の話題になり期待でもあったと三春町史は伝えています。
馬頭観音堂まで上るその石段は、中央部分がかなり凹んでいます。
これは、いかに多くの三春産馬の関係者や信仰者の方たちが参拝したか?凹んだ石段によって、はかり知ることができます。
尚、現在の馬頭観音の祭礼には檀信徒が参詣し、所願成就を堂内の護摩壇にて"護摩焚き"の祈祷がおこなわれています。
磐城國三春五万石秋田家菩提寺の安日山高乾院
江戸期の三春城主秋田氏の三春入封にしたがい現在地に建てられました。
高乾院の院名は初代藩主秋田俊季の父実季(さねすえ)の法名に由来します。
また、山号である安日山は、安倍安東秋田氏の祖とされる安日王に由来します。
本堂向って左側の高台に秋田家墓所があり、歴代藩主10人をはじめ一族の墓が残されています。
また、本尊木造釈迦如来座像をはじめ、藩主菩提寺らしく数多くの指定文化財があります。
高乾院の開山地は秋田氏の前任地である宍戸(茨城県笠間市)で、鎌倉時代中ごろ仏源禅師の開山と伝えられています。
正保2年(1645)2代藩主秋田俊季が三春藩に移封になると住職は俊季に随行し新たに三春の地にて開山しています。
現在の高乾院本堂は大正9年に取り壊され、しばらく仮堂のままだったものを平成14年に再建しました。
春陽郷三春城下御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍
| ryuichi | 12:39 | comments (x) | trackback (x) | 🌸三春城下荒町::馬頭観音別当華正院 |
2017-08-09 Wed
三春今昔物語 荒町
三春城下荒町は、明治になり、郭境門が撤廃されてからは、旧町内では一番広い地域を占め、昔から商工業が盛んなところでした。
工業といっても、製糸工場、羽二重工場ですが、旧藩時代から明治大正にかけて盛んでした。
先に移転してしまいましたが、前の三春中学校敷地にあった三盛社は、当時女工150名を使って操業していて、県下でも二本松の双松館と一、二を争う機械製糸工場として聞こえたものですが、先の戦時中に閉鎖してしまいました。
街本通り西側の山手には、法蔵寺、高乾院、光善寺、龍穏院、馬頭観音等が立ち並び、寺町でした。
高乾院や龍穏院は藩主秋田家の菩提寺、家老など藩重臣やそれに付随する家臣の墓所でもあり、藩政時代、お盆の墓参には、家老から軽輩まで、それぞれの格式で行列を組んで参っていました。
この場合、町屋のものはその行列に遠慮して通り過ぎるのを待って墓参に行く有様でした。
お盆の墓参が、武士は12日、町屋は13日と決めたのも、こうした混雑を回避する為だったんです。
城下への道は、日和田・本宮口と小浜海道口の二本がありました。
本宮口は、大正三年の磐越東線開通とともに三春駅が出来てその様が一変します。
また、小浜海道口の方は、二本松領川東三万石の小浜・針道方面との物資輸送、羽二重の川俣まで生糸を運ぶ外、馬、繭、葉タバコを運ぶために、今の渋池の中ほどから、上り
二折れしていた道を、先の三春中学校西側に沿うように道路を作り、交通の利便性を図って往来がスムーズになり繁昌していました。
馬頭観音は、古い由緒を持っています。
戦国時代の三春城主田村家三代の清顕が安置したというから約470年も昔からありました。
小野の東堂山、堂坂(現西田町)と共に三観音(馬頭観音)と呼ばれ、庶民の信仰を集めていました。
毎年旧暦の3月17日の縁日には、近郷近在から仔馬の出来た飼主たちが多数参詣して、餅を巻いて無事成長を祈願していたそうです。
昭和30年代の広報三春内コラム参照
春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍
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