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がんばっぺない三春!瀧桜


リーマンショック以来の長引く不況や、雇用不安の中、追い討ちをかけるよう発生した今回の大震災や原発問題・・・
 今の日本は、是までに経験したことの無い先の見えない状態にあるといっても過言ではありません。

そんな中、私たち日本人は春を迎え桜の開花を今年も見れることを素直に喜び、自らに人生を見つめ直した方もいたはずです。
そこには、1000年という樹齢を持つ瀧桜の生命力に、心の拠りどころと癒しを求め今年も沢山の方々が三春に来ていただきました。

 先の記事でも申し上げましたが、当店では予想外の売り上げで嬉しい悲鳴が続きました。
自慢に聞こえるでしょうが、声を大にしてこの実績を吹聴しています。
それは、震災以前から、三春に限らず日本全国の商人の元気がありません。

三春の小さな饅頭屋の子倅が、気を吐いてがんばっている姿に「負けてたまるか!」という気概を、三春・福島はじめ全国の商人の皆さんに持っていただきたい。
さらには、風評などどこにもありません。
自らが作り上げているんだ!
ということを判っていただきたいと思います。


三春滝桜は、その巨樹とその妖艶なまでの美しさに息をのみます。
国の天然記念物に指定されている巨大な紅しだれ桜で、樹齢は1000年以上といわれています。
花見は枝垂れ桜の下で行なうのがおおもとだった、と聞いたことがあります。
 枝垂れ桜は長命で、春陽三春領内各地の寺社などに大木が多く見られます。
平安の昔には、桜の花が散る様子を死んだ人の御霊が荒ぶれているのだとして恐れ、人々はその鎮めのために枝垂れ桜の下に集い、宴を開いたのだという。
 枝垂れ桜の優美な姿は、たしかに、この世とあの世をつなぐような聖なる神秘さを深くたたえているように思えてきます。



桜の樹高十二メートル。幹回り十一メートル、枝張りは東西へ約二十五メートルもある。滝桜の名前の由来ですが、四方に伸びた枝から紅色の滝がほとばしるように小さな花を無数に咲かせ、その模様は滝が流れ落ちるように見えることからと伝えられている。
艶やかな花姿に訪れる人々は、しばし立ちすくんでしまうほどです。

そばに寄って見れば、その巨大さは圧倒的で、樹形からしても、神霊が宿る木といわれていたことが少しも不思議でなくなる。
 江戸時代、三春藩はこの桜を「御用木」とし、周囲の畑を無税地にして柵を設け、保護したという。大正十一年(一九二二)には国の天然記念物に指定されている。
 巨大な桜は土地の人々に守られて、長い歳月を生き、山神の依代として畏敬されてきたのである。
 


| ryuichi | 18:05 | comments (x) | trackback (x) | 旧中郷村::瀧・根本 |
春陽郷三春「瀧桜万歳!」


震災以来、マスコミの過剰反応による報道によって、余震や原発関連の風評が加速し、全国的に自粛ムードが蔓延していました。
しかし、千年の寿命をほこる三春瀧桜には、御覧のような人出です。



瀧桜近郊はもちろんですが、三春城下までが大渋滞でした。


車のナンバーを見ると、近県ナンバーの車に混じって、例年並みに首都圏ナンバー車がいました。
風評なんて何のそのです。


やはり、瀧桜の人気は凄いものがあります。
観光バスツアーキャンセルが相次ぐ中、マイカーでの来場です。


震災など無かったかのような観光客の様子です。


当店でも、桜開花以来たくさんのお客様にご来店いただきました。
おかげさまで、花見団子の宴会での注文は減りましたが、店売りは新記録の樹立が毎日続く大盛況で、例年に比べれば倍の売り上げを更新中です。
ほうとうにありがとうございます。
当ブログが更新できなかった理由です!


火曜日朝5時の瀧桜です。


例年のように朝から大盛況です!

日本人は桜の花のはかなさ、潔さになぜか魅かれてしまうが、そこには「パッと咲いてパッ と散りたい」という刹那的な願望があるからだろうか・・・

特に桜に繊細な 生命の美しさを感じてしまうのか・・・・
まだまだ三春は、桜の見ごろです。
はかなく散る桜ゆえ、葉桜になるまでせいぜい桜を楽しむことといたしましょう。



三春滝桜は、その巨樹とその妖艶なまでの美しさに息をのみます。
国の天然記念物に指定されている巨大な紅しだれ桜で、樹齢は1000年以上といわれています。
花見は枝垂れ桜の下で行なうのがおおもとだった、と聞いたことがあります。
 枝垂れ桜は長命で、春陽三春領内各地の寺社などに大木が多く見られます。
平安の昔には、桜の花が散る様子を死んだ人の御霊が荒ぶれているのだとして恐れ、人々はその鎮めのために枝垂れ桜の下に集い、宴を開いたのだという。
 枝垂れ桜の優美な姿は、たしかに、この世とあの世をつなぐような聖なる神秘さを深くたたえているように思えてきます。

「その中でも三春滝桜は、あまりにも壮麗なため、江戸時代から今日の公家や歌人の間でも評判になっていたと伝えられています。
また、江戸時代後期の天保年間、三春藩士草川次栄が上京し、公爵などとの会談の折り滝桜が話題にのぼり、この時に詠んだ桜の賛歌が世に名を知らせたという。
「滝の桜に手はとどけども、殿の桜でおられない」
と三春盆歌で歌われるなど沢山の唄が詠まれました。
いわき市出身の詩人・草野心平もその著書の中に「日本一といわれているベニシダレの この見事な美しさ、背景はあやめの空と羊雲」と書いています。

桜の樹高十二メートル。幹回り十一メートル、枝張りは東西へ約二十五メートルもある。滝桜の名前の由来ですが、四方に伸びた枝から紅色の滝がほとばしるように小さな花を無数に咲かせ、その模様は滝が流れ落ちるように見えることからと伝えられている。
艶やかな花姿に訪れる人々は、しばし立ちすくんでしまうほどです。

そばに寄って見れば、その巨大さは圧倒的で、樹形からしても、神霊が宿る木といわれていたことが少しも不思議でなくなる。
 江戸時代、三春藩はこの桜を「御用木」とし、周囲の畑を無税地にして柵を設け、保護したという。大正十一年(一九二二)には国の天然記念物に指定されている。
 巨大な桜は土地の人々に守られて、長い歳月を生き、山神の依代として畏敬されてきたのである。
 
「三春滝桜碑」

「此の樹は田村郡中郷村大字滝にあり、樹齢六百年を超え、高さ六丈三尺、周り三丈四尺余、枝垂下して地に及び、その花濃紅艶美なるを以て紅枝垂といふ。四方来り観る者頻る多し。
天保の頃加茂季鷹等の詠歌に入り、その図は恭しくも光格天皇の叡感に上り、ご記録に三春滝桜と認めさせられきといふ。
三春藩領の頃は竹柵を繞らし、制札を建て濫に枝を折ることを禁じ、近傍畑高三斗二升五合の貢租を免除せられたり……」


がんばっぺない三春!



| ryuichi | 19:50 | comments (x) | trackback (x) | 旧中郷村::瀧・根本 |
三春物語582番「柴原の天神様と護国神社」


三春城下の南一里、旧柴原村にある天神様と護国神社です。

三春ダムを見下ろす、中郷小学校の敷地内にあります。



勉強の神様、天神宮


護国神社分社、柴原護国神社


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| ryuichi | 04:50 | comments (x) | trackback (x) | 旧中郷村::貝山・柴原 |
三春物語581番「柴原日枝神社」


 三春城下南一里、旧柴原村にある日枝神社です。
柴原日枝神社、俗に山王様とも称され、御祭神は大山咋神です。



近年、三春ダム見下ろす同地に再建されました。



江戸期までは、「日吉山王社」「日吉山王大権現社」「柴原山王社」などと呼ばれ、旧柴原村の産土神として崇敬されていました。



日枝神社の神様の使いは「猿」といわれ、「猿」を音読みすると「えん」。
「えん」は「縁」に通じることから、夫婦円満、殖産繁栄の神として信仰を集め、安産、子宝に霊験あらたかだといわれています。
境内を飾る、二本の桜の古木は「日枝の夫婦桜」と呼ばれ、近くにある柴原神社の「柴原夫婦桜」とともに夫婦円満の桜として名所となっています。



| ryuichi | 04:43 | comments (x) | trackback (x) | 旧中郷村::貝山・柴原 |
三春物語560番「貝山白山比咩神社白山公園ブナの大木」


貝山白山比咩神社の白山公園にあるブナの大木です。
町の天然記念物に指定されています。


このブナの大木をよく見ると、名前や年号そして無数の穴があいています。
これは、この大木に幸不幸の「願掛け」をする際に、刻まれたものと聞いています。



貝山白山比咩神社祭神の、菊理媛神とは、白山の神は女の神様で、白山比咩神、またの名を菊理媛神(ククリヒメノカミ)といい、イザナギノミコト、イザナミノミコトと共に白山比咩神社に祀られています。


白山神が白山妙理大権現であり、その本地が十一面観音とされています。
そして本地垂迹説的の解釈では「菊理媛神は、十一面観音の垂迹身であり、白山比咩神はすなわち菊理媛神である」とされています。


養老3年(719)、白山修験道の泰澄大師が白山山頂で祀ったのは、高句麗媛(こうくりひめ)といわれます。


時代を経て、理知的な鎌倉仏教やの影響などを受けるようになると、白山において泰澄大師が祀った高句麗媛は、日本書紀における菊理媛神と同一であるとされた、とするものです。


郡山市の繁華街が一望できます。
日本人は古代から、「八百万の神」というように、あらゆる物の内に神がいる(宿る)と感じていました。特に、人の力の及ばない高い場所や、巨大なものに神様が降りてくるという考え方があって、高い山や巨木などはそれ自体が信仰の対象でした。
森は、森自体が、人が足を踏み入れてはいけない神聖な場所として守られています。
唱歌に出てきた「鎮守の神様」がいるのも、ですから、地域でいちばん高い山です。
日本の場合、「山」とはすなわち「森」ですから、鎮守の神様は身近な風景の中でいちばん高い山の、深い森の奥にいるものと考えられていたのです。
興味深いのは、その山にいる神様が、ときどき里に降りてくると考えられていたことです。
山から里に降りてくる神様を迎えるためには、里にも高い木のある場所が必要です。
そこで人々は、集落の中の小高い場所に木を植え、森を育てました。
これが「鎮守の森」です。
そこは、鎮守の神様が訪れる神聖な場所であり、この森が元気であれば神様は来てくれるが、森が滅ぶようなことがあれば神様が訪れなくなり、地域を守ってくれなくなる。
だから、みんなで協力して世話をし、大切に守り育てたのです。




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| ryuichi | 04:20 | comments (x) | trackback (x) | 旧中郷村::貝山・柴原 |
三春物語543番「過足笑月山全応寺」


旧過足村にある曹洞宗笑月山全応寺です。

田村麻呂伝説の残る集落にあります。



寛文五年一安和尚の創建開山とされています。





三春城下、天澤寺の末寺とされていました。



御本尊は、木造釈迦牟尼如来です。



寺院の殆どには「山号」がついております。
この「山号」については、中国では山岳に寺院が建築されたから「天台山国清寺」「五台山清涼寺」などの存在場所の山名をつけて呼称されたそうですが我が国では山岳仏教、密教の修行者が山岳修行後、里に降りてきて、小さい集会所で一般庶民に仏教を布教し始め、信者が増えるにしたがって、立派な堂宇ができました。
それは平地に建築されましたが「山号」を冠した寺院となりました。それゆえ、「山号」を冠した寺院は大衆に人気ある
庶民信仰のお寺と言えるでしょう。
それと、真言や天台の密教は山岳仏教と呼ばれる
こともあります。
 「禅宗寺院」などで古都奈良の「南大門」にあたる門を「山門(三門)」というの
も「山号」によるものであります。  



| ryuichi | 04:46 | comments (x) | trackback (x) | 旧中郷村::春田・狐田・過足 |
三春物語554番「貝山堀之内観音堂」


旧貝山村にある貝山観音堂です。


田村三十三観音の第三十一番札所となっています。


十一面観音をお祀りしてあります。
高速道

路建設に関連して、白山神社の麓に移設建立されています。



| ryuichi | 04:46 | comments (x) | trackback (x) | 旧中郷村::貝山・柴原 |