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三春物語544番「蛇石の地蔵堂」




旧蛇石村にあった延命地蔵堂です。



子安観音と子安地蔵も祀られています。



境内には、如意林観音や薬師如来、そして地蔵など三春ダムによって水没した蛇石村や春田村にあった石仏を集めてあります。





| ryuichi | 04:55 | comments (x) | trackback (x) | 旧中郷村::蛇石・樋渡 |
三春物語513番「上金水虚空蔵尊」


旧蛇石村上金水集落守護の金水虚空蔵尊です。



無住の寺は静かで風や鳥のさえずりが時折聞こえ、傍を流れる渓流の音を聞いていると、神聖な場所に居るんだなあと感じることがあります。踏み込んでは行けない場所に入り込んだという恐れにも似た感覚と、心が安らぐという感覚のバランスの中で、美しい自然の中に全てが導かれ、古より人々が集うこの場所に来て、そんな詮索は意味のないことに気づかされます。
三春は、何もかもが見えない八百万の神々によって始まり、仏も曼陀羅もそして渡来人も、美しい風土に恵まれ、その源にまったりととけ込んで居るのでしょう。



天台宗寺門龍蔵院の入り口に鎮座します。


石の鳥居は、虚空蔵堂の上にある、上金水鎮守参道の鳥居です。

旧暦二月十三日が祭礼です。


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| ryuichi | 05:50 | comments (x) | trackback (x) | 旧中郷村::蛇石・樋渡 |
三春物語518番「樋渡宝泉寺千手観音堂」
 



田村百観音札所の一つ、樋渡宝泉寺千手観音堂です。


三春城下から、南東に一里余り滝桜の奥に位置する樋渡村にあります。
村の鎮守である樋渡神社の裾にあり、地蔵さまや観音様等が集められています。



千手観音は千臂千眼観世音、千臂観音、千光観音、千眼千首千舌千足千臂観自在ともいい、正しくは千手千眼観世音菩薩と呼びます。ちなみに千とは無量円満を意味する。全ての生き物と人々を救う事を象徴し「大悲観音」とよばれる。曼陀羅で蓮華部の中で最高の威徳を有する事から「蓮華王」とも呼ばれる。


実際、千本の手がある仏像はまれで、だいたいは42本限られ、各手には持物を持つことになっています。また、十一面観音のように頭上に十一の顔があります。眷属として二十八部衆がつきます。六観音の一人です。



観音菩薩は三十三応現身といって33の姿に変化(へんげ)し、信仰者のあらゆる災難を除いて救済されると説かれていることから、三十三種の観音が成立しました。



その中でも著名な観音の代表として七観音(聖・十一面・千手・不空羂索・准胝・馬頭・如意輪)があります。また眷属として観音信仰者を守る護法善神としての二十八部衆や風神・雷神がある。




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| ryuichi | 05:37 | comments (x) | trackback (x) | 旧中郷村::蛇石・樋渡 |
三春物語517番「鎮守樋渡熊野神社」




三春城下の南東、一里余に旧樋渡村があります。


この集落の鎮守、樋渡神社です。



立派な社殿には、豪華な雲龍の彫り物が施されています。




熊野神社も合祀され集落の信仰の中心となっています。
11月3日の祭礼には、三匹獅子舞が奉納されます。


また、境内を彩る枝垂れ桜の古木は圧巻です。





熊野神社とは、熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)から勧請された神社を指します。
有史以前からの自然信仰の聖地であった熊野(紀伊国牟婁郡)に成立した熊野三山は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての中世熊野詣における皇族・貴紳の参詣によって、信仰と制度の上での確立をみました。
しかしながら、中世熊野詣を担った京からの参詣者は、後鳥羽上皇をはじめとする京都の皇族・貴族と上皇陣営に加勢した熊野別当家が承久の乱において

没落したことによって、歴史の表舞台から退き、かわって、東国の武士や有力農民が前面に出てくるようになります。




こうした一般の参詣者とそれに伴う収入に経営の基盤を求めた13世紀半ば以降の熊野三山は、全国に信仰を広め、参詣者を募るため、山伏や熊野比丘尼を各地に送り、熊野権現の神徳を説いたとされています。
この過程で、全国に数多くの熊野神社、すなわち熊野三山から勧請された神社が成立したと考えられています。




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| ryuichi | 05:28 | comments (x) | trackback (x) | 旧中郷村::蛇石・樋渡 |
三春物語514番「上金水の天台宗寺門龍蔵院」


三春城下から南へ四里余り、滝桜の先、旧蛇石村上金水集落にある天台宗寺門「龍蔵院」です。
大きな農家の母屋とつながっています。


十七代目の方丈様が守っています。
天台寺門宗は、第5代天台座主・智証大師円珍を開祖とし、総本山を園城寺(三井寺、滋賀県大津市)とする宗派です。

智証大師円珍(814~891年)は、比叡山延暦寺に天台宗を開かれた伝教大師最澄の跡を承け、第5代天台座主となられ、開創まもない日本の天台宗の基礎を固められ、生涯を仏法の興隆に尽くされた高僧です。
現在では、日本天台の根本・伝教大師最澄、その弟子で第3代天台座主となられた慈覚大師円仁と共に「天台の三聖」のひとりとして篤く尊崇されています。


入り口にある上金水鎮守の虚空蔵堂

上金水鎮守の森への参道


天照大神を祀る上金水鎮守




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| ryuichi | 05:55 | comments (x) | trackback (x) | 旧中郷村::蛇石・樋渡 |
三春物語515番「上金水不動」




三春城下の南四里余、滝桜の先にある旧蛇石村上金水集落。


その村の入り口にある不動尊石碑です。


対面には庚申塔と石像大黒様が祀られています。


道祖神的な役割なのでしょう、村へ進入する様々な厄を防いでいます。

不動明王の信仰が広まったきっかけは、ひとつは平安時代初期の平将門の乱です。
この時なかなか手に負えない平将門を調伏するために京都の高雄山神護寺から不動明王像を「借りて」関東に持って行き、成田の地で調伏の法を行いました。

そして,
お不動さんを決定的に庶民に浸透させたのは鎌倉末期の元冦でした。
この時は全国各地で敵国退散の呪法が行われ、その主役は不動明王でした。この時面白いことに日本軍を助けに「走って行く」不動明王の絵なども描かれています。
これは「走り不動」と呼ばれるものですが、本来動かないはずのお不動さんが走って行くというのはなんとも逆説的です。

また、お不動さんは庶民信仰の中では疫病退散の仏としても信仰を集めています。
修験山伏が里人に頼まれて病気治療の加持の護摩を焚く時も、しばしばお不動さんに祈っていました。

上金水には、天台寺門宗「龍蔵院」をはじめ、虚空蔵尊の堂や鎮守様など、古来からの信仰が残っています。

龍蔵院

虚空蔵尊堂

| ryuichi | 05:13 | comments (x) | trackback (x) | 旧中郷村::蛇石・樋渡 |
三春物語460番「樋渡阿弥陀堂」


樋渡の阿弥陀如来堂

三春城下の南四里余、滝桜の先の集落「樋渡」地区にある阿弥陀堂です。
阿弥陀如来とは、息災・延命を誓願とし、極楽浄土に人々を導く。光明無量大慈を以て苦しみから救うとされています。

阿弥陀とは無量光、無量寿と訳します。
あまねく照らす知恵(光)と尽きることのない慈悲(寿)という、二つの徳性を備えています。
また、悩める私達を救済するため四十八願を立て、その誓いを果たすため現在も極楽浄土で説法を続け、この如来を信じ「南無阿弥陀仏」を唱える者を極楽浄土へ導いてくれる仏さまです。
胸の高さで右手で親指と人指し指で輪を作り、左手を下に垂らす姿は、信心するものの臨終に際して、西方極楽浄土より迎えに来た姿を表しています。



阿弥陀如来は仏教の初期の頃から重要な役割を担ってきた仏で、人々が死後行
くという西方極楽浄土の教主です。
阿弥陀は仏になる前は法蔵菩薩という名前
でしたが、その法蔵は修行中に48の誓い(この誓いの数については異説もあ
る)を立てます。それは「未来永遠にわたってあらゆる人々が浄土に行けるよ
うにします。それができなかったら私は仏になりません」という内容のもので
した。

これが阿弥陀の本願と呼ばれるもので、特にその第18には「どのような人で
も心から極楽浄土に行きたいと願って念仏を唱えれば必ず浄土に行ける」とい
うものがありました。この条項は以前はさほど注目されていなかったのですが、
これを重視したのが浄土宗・浄土真宗で、阿弥陀のその心を信じ、極楽往生を
願って南無阿弥陀仏と唱えれば必ず極楽へ行けると説いたのです。
ここに「南無阿弥陀仏」という念仏(従来の念仏~観相念仏~に対して称名念仏とも
いう)が生まれました。
つまり阿弥陀仏にすがって極楽へ行きましょうという
ことで、これを他力本願といいます。(つまり、他力本願というのは自分では
何もしないでいいというのではなく、最低でも阿弥陀にすがる気持ちがないと
成立しません。)



この考え方は庶民から大変歓迎されました。本来の仏教の思想というのは生病
老死に象徴される生きとし生ける者の苦悩をどのようにしたら克服できるかと
いうことを思索することにあります。
この為仏道に入った人々は色々な修行を
して悟りを開き、解脱・即身成仏の境地に至るのです。しかし、そのようなこ
とは普段の社会的生活とはどうしても両立しません。
また仏教には色々な戒律
があった訳ですが、それもとても庶民には守れるものではありませんでした。
そのため、それまでの仏教では、庶民は永久に救われなかったのです。



| ryuichi | 06:09 | comments (x) | trackback (x) | 旧中郷村::蛇石・樋渡 |