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伊勢の神宮さんへ夫婦で初詣⛩です。!2023.1.16 



伊勢の神宮さんへ夫婦で初詣⛩です。

薮入りとされるこの日、正月の休日(1泊2日)を使っての参拝です。

私は昭和39年1月20日生まれですので、還暦を迎えます。


出立まえに、三春藩主祈願所眞照寺、三春藩領内総鎮守田村大元帥神社、そして、高屋敷稲荷神社へご挨拶の参拝。







以前に、高屋敷稲荷神社の宮司様より伊勢神宮参拝のレクチャーを受けまして・・・



まずは、夫婦岩で有名な二見ヶ浦。

これからも夫婦仲良く余生を暮らせるようにと、ふたりで手を合わせて来ました。






外宮さん、内宮さん、両社に於いて神様への感謝と日本、そして世界平和を祈願のために御祈祷を受けました。

何と、外宮さんでタイミングなのでしょう・・あの広い拝殿に於いて私たち二人だけでお祓いを受けることがdきました。






また、内宮さんではそれなりの人数でお祓いを受けましたが、名前を呼ばれる段になって郡山周辺の参拝者が多いのには驚きました。


「御伊勢講中」もあったように聞きました。





コロナ感染予防等観点からもお祓い町、おかげ横丁での飲食は避けようと考えていましたが「赤福本店」は外せません。


これから夫婦水入らずの直会です♪







宿泊はもちろん「神宮会館」です。






翌日は、御世話になっている外宮近くの宿「紅葉軒」さまにご挨拶して・・・







江戸後期の三春藩士中村寛亭・匡(ただし)は、藩命を受けて三春藩主代参として三春から畿内まで従者2名を連れて伊勢神宮参詣へ向かいます。

伊勢では、三春藩士らしく伊勢朝熊の永松院(寺)にある三春藩主初代俊季公の実父である高乾院殿、前侍従・安倍秋田實季入道(あべあきたさねすえにゅうどう)の墓所にも参っています。





私も、今生では一番といっていいくらい秋田實季公の初め歴代秋田候のお名は絵を多用していると持っていますので、伊勢神宮参拝のおりには、實季公の菩提寺石城山永松寺様へのご挨拶と墓前への参拝をしております。





・朝熊(あさま) 永松寺 住職 百合齊道様 三重県伊勢市朝熊町1212

三春藩主初代秋田俊季公の実父 日之本将軍(ひのもとしょうぐん)と呼ばれた秋田安東実季公(あきたさねすえ)の墓所はあります。

戒名、高乾院殿前侍従隆巌梁空大居士 秋田城之介 安倍實季入道

 江戸時代初期の寛永7年、徳川幕府の命令で宍戸城主安倍・安東実季はわずかな近習を引きれ、伊勢の朝熊へ蟄居を命じられます。

凍蚓(とういん)”凍えるミミズ”という自嘲めいた雅号を号し、秋田実季は約30年、伊勢朝熊の永松寺草庵にて蟄居生活を送り、1660年に死去しました。享年85。
和歌や文筆を残しています。






朝熊幽閉には、側室の片山氏とその娘千世姫が同行しています。

お千世方は、実季公が齢50歳を過ぎた頃に出来た娘で、小児喘息やリウマチを患っていたとされ懸命な看護も虚しく、わずか11歳で病没します。

そして、片山氏本人も、實季氏の死去の8年前に実季に見守られながらその生涯に幕を降ろします。






尚、永松寺様では、本堂の再建工事が令和5年1月26日より始まります。








”一生に一度は御伊勢詣り”と云われる、伊勢神宮です。 心の芯から浄化されるような気がいたします。

お蔭様詣りと云われますが、こうして参拝できるのも、家族、お客様、そしてご縁のある皆々様のお蔭と、心より御礼を申し上げたくなるような神様です。

かつて、司馬遼太郎氏は”お伊勢参り”を

「暑さも、蝉の声も、手を洗う五十鈴川に泳ぐ小魚も、そして飛ぶ鳥さえもご利益がるような心持にあり、本日この時に一緒に参拝されている参詣者の方々にもご縁を感じる」

と称されていましたが、まさにその思いをこの静寂が訪れ伊勢の神宮さんで共有することができます。

この神域の滞在中、神威とも云うべき「風」が音を立てて体内を通り抜けていく感覚があります。

そして、凛と張りつめた気が浸透していくかのような感じが肌に伝わってきます。

一歩一歩歩みを進めるたびに地面からビリビリといった具合に足元からパワーが伝わってまいります。

これがお伊勢さんの神威なんでしょう。


ありがとうございます。

三春から伊勢まで約700キロ、遠い道のりではありますが、夫婦そろっての参詣でしたので、楽しい伊勢神宮参詣でした。





三春へ帰還の際には、高屋敷稲荷神社さま、眞照寺さまへお土産を以て帰還の報告と御礼、そして、大元帥明王さまへ参詣し報告・・







これにて”笠脱ぎ”として伊勢神宮参詣記を締めさせていただきます。

おかげさまで、晴れやかな新年と、還暦を迎えられます。


関係各位の皆様、御世話になりました。


ありがとうごじました。


三春城下真照寺参道 御菓子三春昭進堂菓匠蒼龍



| ryuichi | 03:38 | comments (x) | trackback (x) | 春陽郷三春藩始末記秋田氏五万石雑記::三春秋田氏五万石雑記 |
秋田氏藩政時代、三春城下町村の役方




秋田氏藩政時代、三春城下町村には、検断(町役人、延宝六年後は3人)5人、町年寄10人 (同七人)を決め、大町、荒町 、中町、八幡町、北町、新町の各町に、小肝煎・長町人を1人ずつおいていました。

その他の村は、幾つかの代官の管轄下に分かれ、村ごとに庄屋(以前は肝煎と称し、ニ2~3ヵ村に1人)をおき、その下に庄屋補佐役どしての組頭や長百姓を数名おいていました。
また、庄屋の中で特に有カな者を割頭として代官所ごとに年番で当たらせていました。





尚、庄屋の大部分は、戦国時代の田村家旧臣からの館主を含む郷士から帰農した者でしたが、庄屋役の林の売買も公然と許していたため、百姓に代わる村もありました。
ことに天明の飢鐘 以降は変化が著しく、2~3の村の兼任庄屋もみられます。







庄屋や組頭には役料として土地を給されたり、米が与えられたりしていました。









春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍

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三春藩駒奉行 徳田研山三代の墓





徳田研山三代の墓

荒町竜穏院、向って左手の丘の中腹に、徳田家の墓がある。

研山の名で、馬の絵をよく描いた、好時、好展、甘露の、いわゆる徳田三代-研山三代の墓が列んでいる。

初代研山は三之丞好時、七代藩主倩季(よしすえ)に仕え、大坪流の馬術を修め、天明4年5月に駒奉行所に召出され添役となり、文化4年奉行に昇進、文政3年には江戸邸監に補せられている。

天保2年死去。


三之丞は絵を学び、山水花鳥も画いたが、特に武者及び馬の絵に秀でていた。

羅漢や鹿山との交友も深く、藩主も之を賞その絵を封外に出すことを禁じた程である。


初代研山は、絵を学ぶ道は、画帳を摸写するだけでなく、自然の風物を写生することが大切だとして、放牧馬の写生に専念したという。

その作品は地方の旧家で見ることが出来るが、荒町の馬頭観音と三春大神宮(文化14年奉納)の絵馬額が絶品と言ってよかろう。







二代研山好展は通称三平、弘化3年大坪流馬術の皆伝を受け、嘉永4年に駒奉行になっている。

父の画才を継いで、やはり、馬絵をよくした。

大作として現存しているものは、荒町馬頭観音の献額、法華寺天井の龍の図がある。

なお、三春大神宮の木馬像は、石森の伊東光運の作だが、その下絵と製作指揮は、この二代!研山だったと伝えられている。



三代研山も三平といい、甘露とも号した。

藩政末期から明治にかけて、これも専ら馬の絵をかいたが、その作品は、到底父祖の雄渾さには及ばなかった.




春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍

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江戸幕府外国奉行平山謙二郎 省斎(せいさい) 最後の将軍徳川慶喜の側近 
平山省斎(せいさい)は、本名・平山謙二郎、省斎は号。

三春藩士黒岡氏の出身。

江戸に遊学。
嘉永三年、幕臣 小普請組平山源太郎の養子となる。

安政元年(1854)堀織部正に従って蝦夷地を巡察し、安間純之進とともにアメリカ軍艦の応接に当り無事に退去させます。

後に江戸幕府最後の将軍徳川慶喜の側近として外国奉行などをつとめる。


文久2年(1862)箱館奉行支配組頭勤方、同3年組頭となり、慶応2年(1866)外国奉行に任じ、同3年若年寄に昇進しますが、幕末動乱の中で徳川政権の終焉を見届けます。

明治維新にて徳川慶喜静岡移住に伴い平山も慶喜に随行して静岡に移る。


維新後、静岡にて本庄(松平)宗秀より永世と神道の奥義を学ぶ。東京の日枝神社や大宮の氷川神社の神職となり、神道大成教を創始しています。


| ryuichi | 03:54 | comments (x) | trackback (x) | 春陽郷三春藩始末記秋田氏五万石雑記 |
明治二年五月銘々書出候仏神取調 右之通二御座候 巳五月  橋元伝兵衛
明治二年五月銘々書出候仏神取調

馬頭觀世音/勢至菩薩   修験別当 華正院

八幡宮/牛頭天王     修験別当 大光寺  修験別当 改名 鈴木大学

三渡大権現 (込木村鎮守)   修験別当 常楽院 改名 田母野衛

山王大権現     修験別当 普明院 持来り改名 安田但馬

雷神堂    修験別当 天台宗 無住 寶(法)憧寺 院代 

自然不動明王   修験別当 来迎院 改名 川前丹波 (紫渓)
多賀明神

弁財天/児守稲荷  修験別当 吉祥院 改名 手代木上野

薬師如来    真言宗 無住 明王院 兼帯泰平寺

西宮大神宮/松尾大明神  和光院 堂宮無御座候 跡地面 吉祥院建兼務
          社家 藤宮勇之進(藤泉勇之進か?) 蛭子社人山田伊織

愛宕将軍地蔵大権現   真言宗 無住 西福寺  兼帯 泰平寺 

丈六薬師如来    真言宗 無住 万(萬)福寺 兼帯 泰平寺

守城稲荷大明神/天満大自在天神
秋葉大権現/愛染明王   真言宗 無住 般若寺  兼帯 泰平寺

若一王子大権現/大日堂  天台宗 無住 若王子 院代

秋葉大権現/関場大明神(李田村鎮守)
星宮大権現(李田村鎮守)/王子大權現(楽內村鎮守)
飯渡大権現(芹ヶ沢村鎮守)    修験別当 智法院 秋元有桂

千手觀音  天台宗 無住 清水寺 院代

主夜神     浄土宗   紫雲寺

稲荷小社    浄土宗 無住 光岩寺 院代 光善寺

熊野大權現   時宗  法蔵寺

文殊菩薩    真言宗 無住 文殊院 兼帯眞照寺納所

阿弥陀如来/子安観音  真言宗 陽照寺 兼帯眞照寺納所

十一面觀世音菩薩   済家宗 福聚寺

鬼子母神尊塔    法花(華)寺 無住 法花(華)寺





右之通二御座候

巳五月

光善寺 専修寺 光照寺 成就院

右堂社無之旨院代)書上且銘々寺院書出者典市事樣二而口上之事

橋元伝兵衛




三春城下真照寺参道 御菓子三春昭進堂菓匠蒼龍

| ryuichi | 03:03 | comments (x) | trackback (x) | 春陽郷三春藩始末記秋田氏五万石雑記 |
春の宵 三春城下の山道散歩  



春の宵 三春城下の山道散歩  













体力増進とダイエットのために運動です。

私の、お昼の時間がないために夕食とお昼が一緒になってしまいます。









ゴミを拾いながら夕闇迫る宵の1時間









真照寺~恵下越歩道~御城山~東館~大元帥明王社(田村大元神社) 








免疫力アップ!






コロナ騒ぎですが、三春城下の春は、何といっても稼ぎ時です!

毎日、夜明け前より仕事です。






尚、三春昭進堂の三春花見だんごは、前年度を参考にしてその日分を製造していますが、当店では朝生ものとして販売いたしております。


午後の早めの段階で売れきれの場合は追加で製造しています。

もちろん、保存料は使用していませんので、翌日には硬くなります。

また、前日の売れ残りは販売いたしません。

夕方には売り切れてしまいますので、ご予約をお勧めいたします。







第2回三春一夜城 昭和63年?より 最後の一夜城




春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍

| ryuichi | 04:54 | comments (x) | trackback (x) | 春陽郷三春藩始末記秋田氏五万石雑記 |
「五人組御仕置帳寫 天保十五辰年」 塙代官小笠原仁右衛門 天明八戊申年正月吉日 




「五人組御仕置帳寫 天保十五辰年」 塙代官小笠原仁右衛門 天明八戊申年正月吉日 


三春在方鷹巣村の名主か組頭を務めていた橋本梅右衛門の資料です。

村の長として業務上の資料として使用して(写)いたのではないかと思われます。





  

『五人組』は、近世の村方及び町方支配のために設けられた、五戸の単位による近隣組織です。

 その主な目的は、相互監視と連帯責任にあるとされますが、住民同士の互助と言う意味合いもあったようにも見受けられます。

 『五人組帳』は、五人組の構成員が署名押印した帳簿と、守るべき法令を記した『前書』とで構成されていました。


五人組御仕置帳
   条々
 一 前々従 公儀度々出候御法度

   書之趣弥以堅相守御制法之儀
   
  不相背様ニ村中小百姓下々迄 可申付事

・・・・








五人組仕置帳は、前記の五人組の趣旨と共に宗門人別改の意味もあり、五人組の相互・連帯責任を負わせて、キリシタン禁制の徹底を図ったとも読み解かれ、宗門改. と五人組の両制度の充実をうかがわせるものとなっています。



三春城下真照寺参道 おたりまんじゅう 三春昭進堂



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