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田村郡郷土史




田村郡郷土史


刊行の辞

田村郡郷土史は、田村郡教育会が明治三十七年に刊行したものの再刊である。






内容は田村郡全域の沿革·史蹟名勝·地理·戸口·交通産業·人物·風俗等を詳述したもので、田村郡に関する唯一最高の郷土史として高い評価を得ている。


しかるに、本書は、刊行後七十年以上経過した現在、全く見ることのできない貴重書となっており、久しく復刊が熱望されていたものである。






歴史図書社 昭和五十二年八月発行








春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍

| ryuichi | 04:53 | comments (x) | trackback (x) | 田村四十八舘1 |
田村四十八舘 旧七郷村 堀越





堀越舘跡

七郷村大字堀越に在りました。


三春田村氏の臣堀越尾張守が居舘しています。




平舘跡

七郷村大字堀越にありました。

三輪某の居舘です。

三輪氏の家譜によれば永谷豊前守治則の三男、三輪玄蕃治徳の後としてあります。



七郷 小舘跡

七郷村堀越にありました。

小泉藤兵衛の居舘

小泉氏は、永禄二年にこの地の移り住み、後に神職となり、明石明神(現明石神社)前に居を移し子孫が代々神職を務めています。




七郷 鎌傷舘跡

舘主 佐藤左近

堀越八幡神社 及び 花園神社は佐藤氏の勧請して建立しています。



七郷 小舘跡

七郷村堀越にありました。

小泉藤兵衛の居舘

小泉氏は、永禄二年にこの地の移り住み、後に神職となり、明石明神(現明石神社)前に居を移し子孫が代々神職を務めています。




七郷 鎌傷舘跡

舘主 佐藤左近

堀越八幡神社 及び 花園神社は佐藤氏の勧請して建立しています。



春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂菓匠蒼龍



| ryuichi | 05:06 | comments (x) | trackback (x) | 田村四十八舘1 |
子安観音春の祭禮 ~郡山市西田町丹伊田 狐林山真福寺






丹伊田 狐林山真福寺

三春城下の西北二里余、旧丹伊田村(現郡山市西田町丹伊田)の天台宗比叡山派の狐林山真福寺。
慶長3年(西暦1598年)に開山、時は下って明治13年には寛永寺の末寺となっています。


境内弁天堂や子安観音堂を配置しております。
 不動明王をお祀りしています。






山内には子安観音を祀る観音堂が鎮座し、毎年春、花見の頃に祭礼がおこなわれています。








この祭礼には、毎年当三春昭進堂の”三春花見だんご”を引きものとしてご用命いただいています。

ありがとうございます。








この真福寺の北の小高い岡の上には、戦国期の三春城主田村氏の家臣新田土佐守顕成が居住する黒鹿毛館がありました。

また、すぐ近くには、鹿島神社や、丹伊田玄番の居城だった田村四十八舘の一つ丹伊田舘もあり、戦国期の三春城主田村家では、重要な場所だったことがうかがえます。







周囲にには、郡山市の水の百選にも選ばれた「小和清水」もあり、昔から目の病気に効くとの言い伝えがあります。




春陽郷三春城下御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍


| ryuichi | 06:18 | comments (x) | trackback (x) | 田村四十八舘1 |
平成版三春古蹟漫歩「木村城小伝」



木村城西田村小伝

永亨年間、田村庄司田村満顕公の家臣左京之介忠高築城、木村氏と号し木村舘と呼ぶ。

忠高、康正元年死歿、法名円月玄松。

木村氏は、忠高以来子孫九代栄え、天正十年迄百五十年間居城。

七代清慶木村右馬之介は永録六年の春、田村隆顕に従って、二階堂信濃守輝行と石川郡江持に戦ふ。敵将渡辺刀称外一将の首を討ちとり武功を立てた勇将と伝わる。
元亀二年三月十七日死去、法名「安岳宗栄」





八代信常左京之介英太郎は、永録八年二月十八日田村清顕公につき石川小平大膳を攻め、敵本田太郎右工門親子を討取りたる名将であったが、天正十竿に至りて田村氏と不和を生じ、ひそかに会津芦名氏と親交を結んだので清顕の怒りをかう。

清顕憤り自から軍を揮いて木村舘を攻め信常戦い利なく、鬼生田弾正と組対して死し、その子信光も父と共に戦死、天正十年春木村城落つ。

信光妹鶴女は大熊川に身を投げて自害します。

この淵は今でも鶴ヶ淵と呼ばれている。


田村小史参照


春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂


| ryuichi | 05:12 | comments (x) | trackback (x) | 田村四十八舘1 |
船引城址麓 お肴処“割烹御代田” 船引名代庄屋・割頭御代田氏



 船引城址麓  和食 お肴処「みよた」


江戸時代、船引名代庄屋・割頭を務めた御代田氏。

江戸末期の享保16年に、藩命により三春在蛇澤より、分家を残し船引庄屋となります。





その始祖を辿れば、戦国時代の三春城主田村氏の御一門上座になる御代田城主(現郡山市田村町御代田)御代田大和までさかのぼります。

田村家内紛の折には伊達派に付き、田村家改易後には分家して仙台伊達藩に仕官します。




尚、菩提寺は三春城下荒町の法蔵寺です。

お肴処“割烹御代田”は、船引城祉麓の北町通りにあり、江戸時代から続く船引名代の庄屋邸宅跡の庭園を眺めながら、四季折々の旬の味覚を盛り込んだ日本料理をご多能ください。 





特製御代田弁当、そして国産うなぎが名物となっています。

各種ご宴会、接待、法事慶事等、承っています。






尚、庭園の管理は真照寺と同じ磐梯造園の匠の技です!
この時期の庭園樹木の雪吊りは見事です。




 0247-82-0034 船引城祉麓 田村市船引町北町通45


春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂


| ryuichi | 15:46 | comments (x) | trackback (x) | 田村四十八舘1 |
「柳橋歌舞伎」平成28年



「柳橋歌舞伎」平成28年度定期公演

本日(平成28年9月18日)、柳橋歌舞伎伝承館(黒石荘)に於いて開催された、「柳橋歌舞伎」平成28年度定期公演に行ってきました。

あいにくの雨でしたが、会場を黒石荘の室内に移しての歌舞伎上演です。






本来ならば、ご覧の客席が舞台となり、広場に畳や茣蓙を引いて客席となり、観劇していました。

当三春昭進堂初代の“おたりさん”からすると、長男の嫁となる私の祖母の実家(長岡氏)が柳橋にあり、そこの当主も歌舞伎に出演しています。

そういってご縁があり、今回案内をいただいていたので顔を出しに行ってきました。





普段なら、秋彼岸と重なり、繁忙期ということでとても行ける状態ではありませんが、今年は雨、そして彼岸の入りの前ということでなんとか時間を調整して臨場することが出来ました。

初めての柳橋歌舞伎です。





受付で差し入れの饅頭と御祝を納め、早速会場に入り観劇です。

雨の中にも関わらず、会場を埋め尽くす、入りきれないお客さんが来場され、丁度中学生の歌舞伎上演の真っ最中で、白熱した演技で、会場内は熱気に包まれていました。

また、会場内には売店が多数出展されていて、大盛り上がりです。




観光協会の資料によると、

柳橋歌舞伎は、柳橋は江戸時代、天領(徳川幕府が、直轄領地として直接支配していた地域)であったために芸能が自由に行われ、菅布禰神社の祭りに村人が芝居や歌などを楽しんでいたことが歌舞伎の始まりになったといわれています。


柳橋歌舞伎の特長は、舞台のセットから台本まですべて柳橋の農民の手で作られたものであること。

また、江戸の歌舞伎と同じく男性のみで演じられることです。 

明治時代、興行の取り締まりや規制が多くなり一時中断しましたが、昭和55年柳橋地区全戸で「柳橋歌舞伎保存会」結成して、の支援を得て復活しています。
現在では、演じる演目は「一ノ谷嫩軍記」など15を数えます。

この秋彼岸の前。

稲刈りの少し前になりますが、この時期に秋の収穫を願って、柳橋の村人が、見様見真似で芝居や歌を楽しんだと伝えられています。






平成の世になっても、目の前で繰り広げられているのかと思っただけで、是には、正直、感動しました!

かつて天領だった柳橋村の生活手ベルの高さがうかがえます。





演目
1 復興支援交流事業 ひょっとこ踊り(富岡町平沢仮設住宅住民等)
2 白波五人男 稲瀬川勢揃いの場 (御舘中学校生徒)
3 義経千本櫻 伏見稲荷鳥居の場 (御舘中学校生徒)
4 一ノ谷嫩軍記 須磨浦組内の場 (柳橋歌舞伎保存会)
5 一ノ谷嫩軍記 熊谷陣屋の場  (柳橋歌舞伎保存会)





柳橋歌舞伎保存会会長 古川嘉徳

柳橋町内会長 宗像興一

主催 柳橋歌舞伎保存会
後援 柳橋町内会 
問い合わせ 024-973-2323事務局宗像





尚、御舘小学校や御舘中学校生とも出演し伝統文化の継承に力をいれています。


御舘小・中学校は、平成18年から文部科学省伝統文化補助事業実践モデル校に指定され、御舘小・中では連携して柳橋歌舞伎の授業を行っています。

来月の10月24日の御舘中学校文化祭でも柳橋歌舞伎が上演されます。


この日も、会場内には、子どもたちから年配者までが、柳橋のほとんどの方々が来場され、一般公開当日の”柳橋の文化祭”的な雰囲気の中で、歴史ある伝統芸能を楽しんでいました。







春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂


| ryuichi | 17:56 | comments (x) | trackback (x) | 田村四十八舘1 |
三春物語345番「荒城の月」


月明かりに浮かぶ旧三春城

その姿から「舞鶴城」とも呼ばれていました。

三春城下をゆっくりと散策してみる。
お城山、桜川、菩提寺、鎮守の森、八幡様、セリ場 ・・・。
静かでゆったりとした時が流れています。
この里は博物館的に建物を保存しているのでなく、人が住んでいて、現実の生活が営まれているのである。
会話、洗濯物、農機具、季節の花が咲く庭、熟れた柿 ・・・ 。
ときどき時雨れてくる濡れた道を歩いていると、傍らから流れてくる生活の息遣い。



お寺さんのある辻から、ひょいっと懐かしい顔に会えそうな気がする。
その地域、その共同体社会での営みの歴史、それが、それぞれの人々の営みの中に秘められています。
地域の営みの歴史の中に、そこに生きてきた先人の汗と苦闘の末築き上げた郷土の歴史・文化・伝統があります。
そこには、そこで生かされたという感謝の心が郷土を愛し、今日まで伝えた人々の無言の祈りとなって窺えます。




| ryuichi | 06:25 | comments (0) | trackback (x) | 田村四十八舘1 |