CALENDAR
S M T W T F S
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28       
<<  2021 - 02  >>
CATEGORIES
ARCHIVES
PROFILE
    k1
OTHERS




田村四十八舘 古道館 




古道館 

田村市都路町古道字舘ノ腰に在り、北畠勝光の居舘。


津島・葛尾・古道・岩井沢の4か村は、戦国時代に相馬顕胤の娘・喜多が、三春城主田村隆顕の嫡男・田村清顕に嫁入りの時に、相馬氏より田村氏へ喜多姫の化粧代として田村領に編入されています。









春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍

| ryuichi | 04:50 | comments (x) | trackback (x) | 田村四十八舘1 |
「太閤検地(たいこうけんち)」の阿久津村検知帖を拝見!




豊臣秀吉が実施した文禄検知、いわゆる「太閤検地(たいこうけんち)」の阿久津村検知帖を拝見しました。

三春城主田牟田氏の軍師として名を馳せた田村月斎顕頼の六男で、田村(阿久津)右京亮顕義の子孫となる阿久津様に、ご来店いただきお話を伺いました。





阿久津様は、福聚寺住職橋本宗久(玄侑宗久)さんに預かったと、先の郡山美術館で催された収蔵品展のパンフレットを持参していただきました。







そこには宗久さんが講演された戦国期の画僧雪村の記述「雪村庵と福聚寺」があり興味深く拝読させていただきました。








ご来店の折に、私は、阿久津舘主の阿久津の子孫で~ということでお話を伺っているうちに太閤検地の帳面を拝見させていただきました。







小字名の感じの横に平仮名やカタカナでフリガナが記されているのが見えます。







阿久津は、元禄期より磐城守山藩の所領です。



三春城下真照寺参道 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍


| ryuichi | 05:22 | comments (x) | trackback (x) | 田村四十八舘1 |
田村四十八舘 旧七郷村栗出・牧野




栗出舘跡

七郷村大字栗出に在り、三春城主平姓田村氏の臣 門澤左馬之助の居舘と伝わっています。

三春田村領の中では最南端に位置し、南の要でした。


四舘跡 七郷村大字牧野


字 竹之内舘  佐久間因幡

字 牧野舘  佐藤若狭

字 國ケ坪舘 渡邊加茂右衛門

字 深谷舘  佐久間某

共に三春田村氏の臣にして田村氏没落後に帰農して現在もこの地に子孫が居住し繁栄しています。



この時代、地方では「農兵分離」が進んでおらず、大多数を占める、上記以外の旧臣達は田村家を救済できなかった伊達家を嫌い旧田村領内の自分の所領にて帰農します。

時代が下り、蒲生氏、上杉氏、松下氏、そして江戸期の秋田氏藩政下にあっても「在郷給人」として苗字帯刀御目見得を許された大庄屋(割頭)・名主を代々務めて、明治維新を迎えます。

尚、帰農した田村旧臣は、合戦の敗北による田村家断絶ではなかったために、敗北感を一切持たず、剛腹で武勇に富み、その家門を称して「御屋形様」呼ばれていました。






春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍

| ryuichi | 04:45 | comments (x) | trackback (x) | 田村四十八舘1 |
田村四十八舘 旧七郷村 堀越





堀越舘跡

七郷村大字堀越に在りました。


三春田村氏の臣堀越尾張守が居舘しています。




平舘跡

七郷村大字堀越にありました。

三輪某の居舘です。

三輪氏の家譜によれば永谷豊前守治則の三男、三輪玄蕃治徳の後としてあります。



七郷 小舘跡

七郷村堀越にありました。

小泉藤兵衛の居舘

小泉氏は、永禄二年にこの地の移り住み、後に神職となり、明石明神(現明石神社)前に居を移し子孫が代々神職を務めています。




七郷 鎌傷舘跡

舘主 佐藤左近

堀越八幡神社 及び 花園神社は佐藤氏の勧請して建立しています。



七郷 小舘跡

七郷村堀越にありました。

小泉藤兵衛の居舘

小泉氏は、永禄二年にこの地の移り住み、後に神職となり、明石明神(現明石神社)前に居を移し子孫が代々神職を務めています。




七郷 鎌傷舘跡

舘主 佐藤左近

堀越八幡神社 及び 花園神社は佐藤氏の勧請して建立しています。



春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂菓匠蒼龍



| ryuichi | 05:06 | comments (x) | trackback (x) | 田村四十八舘1 |
子安観音春の祭禮 ~郡山市西田町丹伊田 狐林山真福寺






丹伊田 狐林山真福寺

三春城下の西北二里余、旧丹伊田村(現郡山市西田町丹伊田)の天台宗比叡山派の狐林山真福寺。
慶長3年(西暦1598年)に開山、時は下って明治13年には寛永寺の末寺となっています。


境内弁天堂や子安観音堂を配置しております。
 不動明王をお祀りしています。






山内には子安観音を祀る観音堂が鎮座し、毎年春、花見の頃に祭礼がおこなわれています。








この祭礼には、毎年当三春昭進堂の”三春花見だんご”を引きものとしてご用命いただいています。

ありがとうございます。








この真福寺の北の小高い岡の上には、戦国期の三春城主田村氏の家臣新田土佐守顕成が居住する黒鹿毛館がありました。

また、すぐ近くには、鹿島神社や、丹伊田玄番の居城だった田村四十八舘の一つ丹伊田舘もあり、戦国期の三春城主田村家では、重要な場所だったことがうかがえます。







周囲にには、郡山市の水の百選にも選ばれた「小和清水」もあり、昔から目の病気に効くとの言い伝えがあります。




春陽郷三春城下御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍


| ryuichi | 06:18 | comments (x) | trackback (x) | 田村四十八舘1 |
平成版三春古蹟漫歩「木村城小伝」



木村城西田村小伝

永亨年間、田村庄司田村満顕公の家臣左京之介忠高築城、木村氏と号し木村舘と呼ぶ。

忠高、康正元年死歿、法名円月玄松。

木村氏は、忠高以来子孫九代栄え、天正十年迄百五十年間居城。

七代清慶木村右馬之介は永録六年の春、田村隆顕に従って、二階堂信濃守輝行と石川郡江持に戦ふ。敵将渡辺刀称外一将の首を討ちとり武功を立てた勇将と伝わる。
元亀二年三月十七日死去、法名「安岳宗栄」





八代信常左京之介英太郎は、永録八年二月十八日田村清顕公につき石川小平大膳を攻め、敵本田太郎右工門親子を討取りたる名将であったが、天正十竿に至りて田村氏と不和を生じ、ひそかに会津芦名氏と親交を結んだので清顕の怒りをかう。

清顕憤り自から軍を揮いて木村舘を攻め信常戦い利なく、鬼生田弾正と組対して死し、その子信光も父と共に戦死、天正十年春木村城落つ。

信光妹鶴女は大熊川に身を投げて自害します。

この淵は今でも鶴ヶ淵と呼ばれている。


田村小史参照


春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂


| ryuichi | 05:12 | comments (x) | trackback (x) | 田村四十八舘1 |
船引城址麓 お肴処“割烹御代田” 船引名代庄屋・割頭御代田氏



 船引城址麓  和食 お肴処「みよた」


江戸時代、船引名代庄屋・割頭を務めた御代田氏。

江戸末期の享保16年に、藩命により三春在蛇澤より、分家を残し船引庄屋となります。





その始祖を辿れば、戦国時代の三春城主田村氏の御一門上座になる御代田城主(現郡山市田村町御代田)御代田大和までさかのぼります。

田村家内紛の折には伊達派に付き、田村家改易後には分家して仙台伊達藩に仕官します。




尚、菩提寺は三春城下荒町の法蔵寺です。

お肴処“割烹御代田”は、船引城祉麓の北町通りにあり、江戸時代から続く船引名代の庄屋邸宅跡の庭園を眺めながら、四季折々の旬の味覚を盛り込んだ日本料理をご多能ください。 





特製御代田弁当、そして国産うなぎが名物となっています。

各種ご宴会、接待、法事慶事等、承っています。






尚、庭園の管理は真照寺と同じ磐梯造園の匠の技です!
この時期の庭園樹木の雪吊りは見事です。




 0247-82-0034 船引城祉麓 田村市船引町北町通45


春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂


| ryuichi | 15:46 | comments (x) | trackback (x) | 田村四十八舘1 |