2022-10-31 Mon
天正16年(1588) 相馬義胤三春入城失敗
三春城主田村家三代田村清顕の突然の死により、田村家中は清顕の奥が出身の相馬氏と、娘婿伊達政宗の伊達氏とどちらに今後の田村家の行く末を暫定的に後見してもらうかと二分していました。
その混乱の最中、天正16年5月12日、 相馬義胤は三春城乗っ取りの為に入城を謀ります。
相馬勢が三春城の途中まで登った時に、その動きを事前に察知した伊達派重臣橋本刑部らの迎撃によい、弓・鉄砲を浴びせられ、乗馬の平頭に鉄砲玉が当たったので、馬を乗り返して東の小口(虎口)に回りこみますが、ここでも弓・鉄砲を射掛けられ、ことに三春城は堅固な山城の為に相馬勢は攻略しかね入城は果たせなかった。
後に相馬勢の騎馬武者200騎と弓・鉄砲が続かはずでしたが、遅参して役に立たず、義胤は築館にも相馬にも帰れず、船引城に立て籠ります。
三春城下真照寺参道 御菓子三春昭進堂菓匠蒼龍
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