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三春物語674番「初午大祭・舞木白岩高屋敷稲荷神社」


「初午」稲荷神社の祭日

旧暦二月の最初の午の日を「初午」といい、お稲荷様のお祭りで、五穀豊穣や商売繁盛、子孫繁栄など、あやゆる祈願の対象となっています。

今年は、3月16日です。
稲荷神の信仰は、農耕を司る倉稲魂神(宇迦之御霊神)を祀って五穀豊穣や福徳を祈願するものですが、キツネを稲荷神の使いとして油揚げを供えたり、初午団子などを作る風習もあります。



初午の日は、三春の各所にある屋敷稲荷さんには、「初午祭」として五色の色鮮やかな旗が風に靡いています。
このお稲荷さんは、人々に近い神様と云われています。商売繁盛・五穀豊穣・家内安全・無病息災祈願、所願成就の神様であり、お稲荷神の神使は狐といわれ、油揚げや赤飯などをお供えします稲荷の名は「稲生り」から来たという説もあり、食物の神、農耕の神とされ、祭神は宇迦之御魂の神で、五穀をつかさどる農業神でした。




農村では、初午の儀礼は春の耕作の初めに田の神を山から里にお迎えするという意味もありました。
江戸時代には田沿意次が邸内に稲荷を祭って出世したところから、町民に稲荷が開運の神として非常に盛んに信仰され、町々の小網や屋敷神には、圧倒的に多く稲荷が祭られていました。



舞木の白岩高屋敷稲荷神社


三春の中でも、旧暦の初午の日に「初午祭」が挙行される、高屋敷(白岩)にある高屋敷稲荷神社は、舞木の稲荷様として親しまれています。
参道の約150本の朱塗りの鳥居で有名ですが、戦前までは四千本の鳥居がありました。
これは商売繁盛の神様として昔も今も変わりなく商人は、商売繁盛を祈願しその成功と折りには祈願成就御礼として、朱塗りの鳥居を建立するといわれます。

高屋敷稲荷神社「初午祭」
 三月十五日(火) 午後六時 宵宮祭
 三月十六日(水) 午前十時 初午大祭祭典
    諸祈願祈祷
    :午前八時半より
    :祭典終了後は、午前十一時より随時祈祷 

 高屋敷稲荷神社の案内には「初午の日にお参りすると福が授かるということから「福参り」とも云われています」とあります。
皆様も「福参り」をして商売繁盛・家内安全を御祈願してはいかがですか。



また農業を営む人は五穀豊穣の御礼としてやはり朱塗りの鳥居を奉納したといいます。
日本全国はもとより、三春の地より、遠く海外へ移民した人々の成功御礼の建立があり、朝鮮・ハワイ・ブラジル・満州などからの建立がありました。
高屋敷稲荷神社「初午祭」では、午前十時よりお神楽奉納や餅つき振る舞いが行われ、商売繁盛・祈願成就を祈願する多数の参拝客で賑わう事でしょう。



初午は、江戸時代では、子供が寺小屋へ入門する日でもあったそうです。
初午のほか、十二支に初をつけたものは次の通りです。



初子(はつね・・・正月または11月の最初の子の日・子の日遊びが行われた)
初丑(はつうし・・・夏の土用のうちの最初の丑の日・鰻を食べる風習がある)
初寅(はつとら・・・正月最初の寅の日・毘沙門天に参詣する日)
初卯(はつう・・・   〃  卯の日・初卯詣が行われる)
初辰(はつたつ・・・  〃  辰の日・防災のまじないをする日)
初巳(はつみ・・・   〃  巳の日・弁財天に参詣する日)
初申(はつざる・・・旧暦2月の最初の申の日・春日神社の祭典)
初酉(はつとり・・・正月または11月の最初の酉の日・浅草鷲神社の祭礼)
初亥(はつい・・・正月最初の亥の日・摩利支天に参詣する日)




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| ryuichi | 05:22 | comments (x) | trackback (x) | 田村四十八舘1 |
三春物語603番「上石の不動堂と不動桜」


 三春城下の南二里、旧上石村は戦国期三春田村氏の要害田村四十八舘の一つ上石舘がありました。
現在、その舘跡には、上石不動堂と「上石の不動桜」があります。


江戸時代の末頃に、三春藩士がこのお堂を寺子屋として使用し、その名残が天井などの落書きに見受けられるそうです。



不動明王をまつる不動堂の境内にあるためこの名がついたとされ、滝桜の子孫と伝えられています。



滝桜の子孫と言われるだけあって、流石の風格。紅色の花を美しく咲かせていました。



不動明王は悪魔を降伏するために恐ろしい姿をされ、すべての障害を打ち砕き、おとなしく仏道に従わないものを無理矢理にでも導き救済するという役目を持っておられ真言宗の教主「大日如来」の使者です。
お姿は、目を怒らせ、右手に宝剣を持ち左手に縄を持つ大変恐ろしい姿をしておられますが
そのお心は人々を救済しようとする厳しくもやさしい慈悲に満ちております。


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| ryuichi | 04:49 | comments (x) | trackback (x) | 田村四十八舘1 |
三春物語602番「中津川野橋地蔵堂」





三春城下の南三里余、旧中津川村の野橋地蔵堂です。


戦国期の天正年間(1573~92)、三春田村氏の家臣中津川兵部が居城した中津川館(なかつがわたて)があり、田村四十八舘の南の要害としていました。



付近には、道祖神的な地蔵も見られます。





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| ryuichi | 04:40 | comments (x) | trackback (x) | 田村四十八舘1 |
三春物語595番「木目沢の観音寺宝篋印塔」
木目沢の観音寺宝篋印塔(ほうきょういんとう)

経をおさめて仏をたたえる塔婆の一形式。中世以降主として石造塔に用いられた。
宝篋印塔の名は、内部に『宝篋印陀羅尼』を納めたことに由来する。
『宝篋印陀羅尼』とは、一切如来の全身舎利の功徳を集めた呪であって、四十句からなる。
これを誦すれば、地獄の先祖に極楽に至り、百病・貧窮の者も救われるという。

宝篋印塔形式の典型を述べると、まず基礎は方形で、上部を段形二段でせばめ(蓮花座とすることもある)、上に方形の塔身を安置する。塔身四面には四方仏またはその種字を刻む。屋根(または笠)は下部に段形二段を作って斗きょうに代え、軒先は直線の帯状となり、四隅に飾(耳・耳飾・突起ともいう)を立てる。
屋根面も五・六段の段形とし、頂上に相輪を置く。ただし詳細にみると、時代差・地域差・個体差はある。





同経の説くところによると、「若し人この経を書写して塔中に置かば、この塔は一切如来の金剛蔵の卒塔婆となり、また一切如来陀羅尼秘密加持の卒塔婆とならん」そして「この塔に一香一華を供え礼拝供養すれば八十億劫生死重罪が一時に消滅し、生きている間は災害から免れ、死後は必ず極楽に生まれ変わる・・・」といった功徳が説かれています。







木目沢の観音寺



宇内にある桜の巨木。
桜花は見事です。


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| ryuichi | 04:10 | comments (x) | trackback (x) | 田村四十八舘1 |
三春物語594番「下枝の六地蔵笠塔婆塔」


下枝の六地蔵笠塔婆塔



三春城下南三里余、旧下枝村は、戦国期には三春田村氏の重臣、福原城主橋本伊予守の与力として、西方与力五十騎衆を引き連れた足柄太郎兵衛が居城下枝城に詰め、田村四十八舘下枝舘西方の要害として重責をなしていました。

下枝六地蔵塔(ろくじぞうとう)は、三春城下から過足、下枝を経て栃山神へ通じる重要な街道にあり、戦国時代に盛んに造られた石塔と考えられています。
側面に6体の地蔵像が彫られています。
別名「下枝の笠塔婆」。


この石仏は、供養塔として街道に面して建てられた例が多い。
仏教では、人生は地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上の六道のいずれかの境遇で悩み苦しみ、その救済を求めるとされている。そこでこの六道のそれぞれに救済の手を伸ばしてくれる仏として、六体の地蔵を祀る風習が中世からはじまった。これが六地蔵塔のおこりである。



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| ryuichi | 04:57 | comments (x) | trackback (x) | 田村四十八舘1 |
三春物語578番「春山のお稲荷さん」


三春城下の東二里余、旧春山村は戦国大名田村氏の宿老本多信濃の守る、要害田村四十八舘の一つ春山舘がありました。
その屋敷付近にある春山稲荷神社です。
参道には、春山の地蔵様を祀る春山地蔵堂もあります。



稲荷神社に祀られているのは、ウカノミタマ(宇迦之御魂神、倉稲魂尊)と云う神で、穀物の神です。
大半が農業人口であった三春に於いて、この神が広く信仰されるに至ったのはごく自然の成り行きですが、次第に五穀豊穣ばかりでなく、様々の現世利益を聞き届けて下さるようになると解釈されてきました。




宇迦之御魂大神(うがのみたまのおおかみ)
保食神、豊受姫神、大宜都比売神(大気津比売神)、と同神で一般に稲荷大神と申しあげ、衣食住の守り神として五穀、魚類、鳥獣、蚕糸、草木に至るまで、すべて大神の「恩頼」(神の恵み)によるゆえからと仰がれ、生活全般の守護神として祀られています。



猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)
大土御祖神とも称し、天孫降臨の際に先導の任にあたられた神である。海陸の交通安全、土地の守護神。



大宮能売大神(おおみやのめのおおかみ)
天宇受売命、天銅女命とも申して天照大神が天岩屋に隠れられたとき、異様な姿で岩屋の前で舞れたところ、天照大神は何事ならんと思召されて岩戸を開かれて出られし際、御前に侍して大神の御心を慰められた神である。また、天孫降臨の際は猿田彦大神を説き、先導の役目を果たされた神で、神楽舞踊の始祖にして、総じて歌舞音曲、寿命の延長を守り、愛敬の神として、一家の和合、商売繁盛を守護し給う大神。即ち技芸上達、福徳円満の神として祀られています。


オブスナさま

春には氏神に五穀豊穣を祈り、秋の収穫を祝う。赤ん坊が産まれればお宮参りし、厄年を迎えたら厄除け祈願に詣でる。病気を得れば、氏神にお百度参りや千度参りして、病気の回復を願う。





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| ryuichi | 04:05 | comments (x) | trackback (x) | 田村四十八舘1 |
三春物語572番「宮田の薬師堂」


三春城下の西境、旧李田村宮田の薬師堂です。
薬師如来を祀っています。


薬師如来は、正式には「薬師瑠璃光如来」、一般には「薬師しゃま」として知られています。
 「薬師」とは「医師」と同じ意味であり、古くから病気治療をつかさどる仏様として信仰されてきました。
 人間は誰しも生きているかぎり、病気災厄をまぬがれ、物心両面にわたって幸福に暮らしたいという願いを持っております。
『薬師経』には、薬師如来の十二の大願によって、現世と来世にわたってこれらの願いを満たすということが、くわしく説かれています。
 


薬師如来は、右手は施無畏印、左手には薬器(薬壷)を持っておられるお姿が一般的です。日光菩薩と月光菩薩を脇侍として薬師三尊となり、眷属として護法神の十二神将を従えておられます。



 『薬師経』には、薬師如来が菩薩として修行しておられたときに衆生を救う
ための十二の誓願をたてられ、菩提を得た(悟りを得た、成仏した)ときには
一切の衆生を救済すると誓われた内容が説かれています。
それは、一言で
言えば、「薬師如来の名を聞けば、世の中の一切の苦から逃れられる。」と
いうものです。




熊野様の祠です。

| ryuichi | 04:02 | comments (x) | trackback (x) | 田村四十八舘1 |