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三春物語662番「城下中町鎮守 愛宕神社の本殿」


三春城下中町鎮守 愛宕神社


社由来にいれば、
戦国末期の慶長十八年(1613年)、時の三春城主、会津城主蒲生氏郷の三春城代蒲生郷治は、三春鎮護と火伏せ当を祈念して、京都嵯峨野にある総社の阿多古神社から火の神様とされる「迦具槌命」と戦勝の神「将軍地蔵尊」を分霊して、京に習い三春城から西方の現在地に愛宕山地蔵堂「愛宕堂」を建立して祀りました。
それ以後、愛宕堂は塔頭である庚申や西福寺・大光寺には代々法印が居住してご祭神を守護してきました。

本殿は、神仏習合の名残から奥の院と称され、勧請時のご本尊「愛宕将軍地蔵」が納められています。



秘仏とされ二重の桐の木箱に納められていますが、箱書きには「愛宕山 本地秘仏 国家安穏 将軍地蔵尊」と記されてあり、古来より「将軍地蔵尊」を念ずれば競争に打ち勝ち、或は貧虚から免ぜられるといわれ、三春城下の人々の信仰を集めてきました。



尚、現在の本殿建屋は旧三春尋常小学校の奉安殿の遺構を移築したものです。



御神木の大欅



紅葉狩りの名所です。



| ryuichi | 04:02 | comments (x) | trackback (x) | 三春城下中町::愛宕神社 |
三春物語656番「三春城下愛宕神社の紅葉」


三春城下、中町にある愛宕神社は、やはり紅葉の季節に限るでしょう。
山々がそれぞれに錦秋に彩られるこの季節、北国三春は華やぎます。
錦秋という言葉がありますが、城下」の周囲を囲む山全体、一面にとかはなくても神社にも、家々の庭先にも秋は訪れて、城下町の景色に注し色のように、彩が加わっていきます。
「すそ模様」の衣装をまとった、山々がそれぞれに錦秋に彩られ、小春日和の陽に輝く秋の彩り。



地域の象徴となる歴史、文化的継承物という心のよりどころや、まちに住み暮らし働く人びとの生きざまを未来への宝としながら、自らの手で積極的にまちを創っていこうという気概を持って、果敢に行動する人びとであふれたまちへと進化させていきます。
私たちは、地域が持つ固有の歴史や、自然に発生した生活文化といったものに内在する「三春っ子魂」が現在の時代にも綿々と継承されている地域に学び、人びとが今も大切にしている心のよりどころと地域特有の気質との関係から、理想とするまちに必要な要素を明確にしていきます。
そして、まちにたくさんの人を惹きつけてやまない磁場に、人やまちのために積極的に関わっていこうという気概と、新たなる風を吹き込み、揺るぎない信念を持ちながら次代の担い手へと受け継ぐことのできる心のよりどころへと進化させていきます。
一人の生きざまでも地域の一人ひとりがストーリーテラーとなって互いに影響を与え合い、周囲の人びととの関わりあいを芽生えさせ、まち全体に自分たちの手でまちを創りあげるという前向きな強い力を生み出していきます。


| ryuichi | 04:36 | comments (x) | trackback (x) | 三春城下中町::愛宕神社 |
三春物語162番 三春城下 中町鎮守旧愛宕大権見


<中町鎮守旧愛宕大権現>
 京都洛外西北、愛宕山頂に鎮座する迦具土を勧請したものです。
迦具土は、日本書紀によると、伊邪那美命が迦具土を産んだ時に焼け死んだとされる火の神へで火伏せの神として全国に数多く祀られています。




 古代には、愛宕山は修験者の修行場となり、愛宕権現太郎坊という天狗と信じられていました。中世に入り本地仏は「勝軍地蔵尊」とされ。武将たちの信仰を集めたといわれます。
戦国期入府の田村義顕は、本格的な城下町造りにあたって京都と同じく三春城西北の現地に田村氏にとっての勝軍地蔵、城下の火伏せの神として遷宮されたと考えられます。



また、田村家菩提寺福聚寺と参道が食い違いになっている様子は、愛宕権現と福聚寺が一対をなしているかのような配置です。
中町鎮守になった時の勝軍地蔵尊像は、新町の真照寺に納められましたが、勧請の時とみられる勝軍地蔵尊の小像が現愛宕神社に残されています。
三春城東南、清水天澤寺の入り口を右に折れたところに天狗谷と呼ばれる谷があります。
秋田家祈願寺真照寺建立の際に仏像を仮安置した聖地とされている場所ですが、天狗谷の地名から愛宕権現太郎坊が連想され、勝軍地蔵が祀られて武士層の信仰が集めていたと考えられます。



| ryuichi | 04:33 | comments (0) | trackback (x) | 三春城下中町::愛宕神社 |
三春物語441番「三春城下愛宕神社の大ケヤキ」


三春の中町愛宕神社は、嵯峨愛宕神社の末社です。
京都嵯峨野にある愛宕神社は、火之迦具土命で王城守護、防火の守護神として祀られています。
その境内の隅に、「磐城國三春 城下愛宕権現講中」と刻まれた石柱があります。
 これは、江戸期火災の絶えなかった三春の方々が講中をくみ、代理参拝か何かで、はるばる京都愛宕山まで出かけたのかと思い、消防団に携わる者の一人として先人の予防消防の願いには頭が下がりました。
 
中町愛宕神社の勧請や由来は不詳とのことですが、江戸初期秋田家移封以前の絵図に現在の地に愛宕社が記載されています。
 また、境内には町内のケヤキでは一番太い大ケヤキがあり、社裏にはイニシデの大木があり歴史の長さを感じます。



境内の丈六側に残る、丈六焼きの祠です。





廃仏毀釈前の塔頭跡に残る地蔵と供養石塔です。



| ryuichi | 05:37 | comments (x) | trackback (x) | 三春城下中町::愛宕神社 |
三春物語170番 「三春城下 中町愛宕神社」
中町愛宕神社
毎年夏に、家内の実家に里帰りに行きますが、帰りは長旅の為、京都に立ち寄ります。
夏の京都は蒸し暑いので市内を避け、嵐山付近に宿を取るようにしていますが、一昨年の夏に泊まった時に、馴染の宿の女将から、嵯峨の愛宕神社にある旧い石柱に三春の文字があったと聞き及び、翌朝早く散歩がてら探索に行ってきました。
嵯峨愛宕神社は、京都御所の西北嵯峨愛宕町愛宕山にあり、火之迦具土命で王城守護、防火の守護神として祭られています。
境内へ続く長い登坂の参道の途中に、防火祈願で奉納された旧い石柱が立ち並び、その中ほどの傾いた石柱に、年号やその他詳細は磨耗の為見えませんでしたが「磐城国三春~」と刻まれていました。
三春の中町愛宕神社は、その嵯峨愛宕神社の末社です。江戸期火災の絶えなかった三春の方々が講中をくみ、代理参拝か何かで、はるばる京都愛宕山まで出かけたのかと思い、消防団に携わる者の一人として先人の予防消防の願いには頭が下がりました。
中町愛宕神社の勧請や由来は不詳とのことですが、江戸初期秋田家移封以前の絵図に現在の地に愛宕社が記載されています。
また、境内には町内のケヤキでは一番太い大ケヤキがあり、社裏にはイニシデの大木があり歴史の長さを感じます。
田村大元神社隋神門彫刻並び仁王像、三春大神宮の木馬の作者で幕末の彫刻師石森出身の伊藤光運作と伝えられる唐獅子像が納められています。
江戸期まで三春愛宕宮の神域には、西福寺・庚申がありましたが、明治維新の神仏離反・廃仏毀釈により廃寺となりました。
現在は中腹に整備された公園の片隅に、三春城から移築した太鼓堂建物と朽ちた石碑、そして地蔵の欠片が横たわっています。
江戸時代までの城下町を形成する、この愛宕社を含め荒町から丈六に至る城下町西縁麓は、荒町新観音・馬頭観音・花正院・龍穏院・光善寺・自性院・高乾院・法蔵寺・専修寺・西福寺・大光寺・愛宕社・庚申・満徳寺・丈六・明王院・大慶寺と並び、寺社が集中した寺町を形成していたと思われます。
また、紫雲寺山麓には、陽照寺・般若寺・紫雲寺があり、新町から御免町に懸けては新町真照寺・成就院・文殊院・州伝寺・大町来迎寺・清水寺・法幢寺・御免町福聚寺が不動山一帯の山麓点在していました。
最近、防火防犯の警戒の為、愛宕神社に上がる機会が多々ありますが、無事を確認し安堵して境内から見渡す町の姿は、その見晴らしの良さに往年の城下町が偲ばれます。
蒼龍謹白  合掌


| ryuichi | 22:21 | comments (0) | trackback (x) | 三春城下中町::愛宕神社 |