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三春物語162番 三春城下 中町鎮守旧愛宕大権見


<中町鎮守旧愛宕大権現>


 




 

戦国末期の慶長十八年(1613年)、時の三春城主、会津城主蒲生氏郷の三春城代蒲生郷治は、三春鎮護と火伏せ当を祈念して、京都嵯峨野にある総社の阿多古神社から火の神様とされる「迦具槌命」と戦勝の神「将軍地蔵尊」を分霊して、京に習い三春城から西方の現在地に愛宕山地蔵堂「愛宕堂」を建立して祀りました。

それ以後、愛宕堂は塔頭である庚申や西福寺・大光寺には代々法印が居住してご祭神を守護してきました。







中町鎮守になった時の勝軍地蔵尊像は、新町の真照寺に納められましたが、勧請の時とみられる勝軍地蔵尊の小像が現愛宕神社に残されています。


秋田家祈願寺真照寺建立の際に仏像を仮安置した聖地とされている場所ですが、天狗谷の地名から愛宕権現太郎坊が連想され、勝軍地蔵が祀られて武士層の信仰が集めていたと考えられます。







本殿は、神仏習合の名残から奥の院と称され、勧請時のご本尊「愛宕将軍地蔵」が納められています。

秘仏とされ二重の桐の木箱に納められていますが、箱書きには「愛宕山 本地秘仏 国家安穏 将軍地蔵尊」と記されてあり、古来より「将軍地蔵尊」を念ずれば競争に打ち勝ち、或は貧虚から免ぜられるといわれ、三春城下の人々の信仰を集めてきました。

明治維新後には、この勝軍地蔵尊像は、新町の真照寺に納められましたが、勧請の時とみられる勝軍地蔵尊の小像が現愛宕神社に残されています。




愛宕社(現愛宕神社)別当西福寺跡

愛宕神社から一段下の南東面に位置する平場に堂字がありました。
宗派は真言宗、 愛宕社の別当寺院であったと言われていますので、愛宕社成立と共に建立されたと思われます。

江戸時代後期に無住寺となりました。近年まで山裾には墓地が残っていましたが、現在は

本堂も墓地も残されておらず、「西福寺第三」の銘がある地蔵一体が残るのみです。
また、旧墓地の土手の斜面に石仏の残欠が残っていたとも伝わっています。

六地蔵があったことが推定されますが、廃仏毀釈や急傾斜地の整備と共に姿を消しました。



天狗谷と呼んでいますが、三春城下清水の天澤寺参道西側の地区を”天狗谷”とよんでいますが、正式な地名ではありません。

元々修験の行者が管理する愛宕将軍地蔵尊を祀ったお堂があった場所とされています。

約350年前、江戸期の三春城主秋田家が宍戸より三春へ移封の際に、愛宕地蔵堂を城下中町へ移築し、秋田より移設した古四王堂(後に真照寺境内へ移築)の御借屋があった場所でした。





| ryuichi | 04:33 | comments (0) | trackback (x) | 🌸三春城下中町::愛宕神社 |
三春物語441番「三春城下愛宕神社の大ケヤキ」


三春の中町愛宕神社は、嵯峨愛宕神社の末社です。
京都嵯峨野にある愛宕神社は、火之迦具土命で王城守護、防火の守護神として祀られています。
その境内の隅に、「磐城國三春 城下愛宕権現講中」と刻まれた石柱があります。
 これは、江戸期火災の絶えなかった三春の方々が講中をくみ、代理参拝か何かで、はるばる京都愛宕山まで出かけたのかと思い、消防団に携わる者の一人として先人の予防消防の願いには頭が下がりました。
 
中町愛宕神社の勧請や由来は不詳とのことですが、江戸初期秋田家移封以前の絵図に現在の地に愛宕社が記載されています。
 また、境内には町内のケヤキでは一番太い大ケヤキがあり、社裏にはイニシデの大木があり歴史の長さを感じます。



境内の丈六側に残る、丈六焼きの祠です。





廃仏毀釈前の塔頭跡に残る地蔵と供養石塔です。



| ryuichi | 05:37 | comments (x) | trackback (x) | 🌸三春城下中町::愛宕神社 |
三春物語170番 「三春城下 中町愛宕神社」
中町愛宕神社
毎年夏に、家内の実家に里帰りに行きますが、帰りは長旅の為、京都に立ち寄ります。
夏の京都は蒸し暑いので市内を避け、嵐山付近に宿を取るようにしていますが、一昨年の夏に泊まった時に、馴染の宿の女将から、嵯峨の愛宕神社にある旧い石柱に三春の文字があったと聞き及び、翌朝早く散歩がてら探索に行ってきました。
嵯峨愛宕神社は、京都御所の西北嵯峨愛宕町愛宕山にあり、火之迦具土命で王城守護、防火の守護神として祭られています。
境内へ続く長い登坂の参道の途中に、防火祈願で奉納された旧い石柱が立ち並び、その中ほどの傾いた石柱に、年号やその他詳細は磨耗の為見えませんでしたが「磐城国三春~」と刻まれていました。
三春の中町愛宕神社は、その嵯峨愛宕神社の末社です。江戸期火災の絶えなかった三春の方々が講中をくみ、代理参拝か何かで、はるばる京都愛宕山まで出かけたのかと思い、消防団に携わる者の一人として先人の予防消防の願いには頭が下がりました。
中町愛宕神社の勧請や由来は不詳とのことですが、江戸初期秋田家移封以前の絵図に現在の地に愛宕社が記載されています。
また、境内には町内のケヤキでは一番太い大ケヤキがあり、社裏にはイニシデの大木があり歴史の長さを感じます。
田村大元神社隋神門彫刻並び仁王像、三春大神宮の木馬の作者で幕末の彫刻師石森出身の伊藤光運作と伝えられる唐獅子像が納められています。
江戸期まで三春愛宕宮の神域には、西福寺・庚申がありましたが、明治維新の神仏離反・廃仏毀釈により廃寺となりました。
現在は中腹に整備された公園の片隅に、三春城から移築した太鼓堂建物と朽ちた石碑、そして地蔵の欠片が横たわっています。
江戸時代までの城下町を形成する、この愛宕社を含め荒町から丈六に至る城下町西縁麓は、荒町新観音・馬頭観音・花正院・龍穏院・光善寺・自性院・高乾院・法蔵寺・専修寺・西福寺・大光寺・愛宕社・庚申・満徳寺・丈六・明王院・大慶寺と並び、寺社が集中した寺町を形成していたと思われます。
また、紫雲寺山麓には、陽照寺・般若寺・紫雲寺があり、新町から御免町に懸けては新町真照寺・成就院・文殊院・州伝寺・大町来迎寺・清水寺・法幢寺・御免町福聚寺が不動山一帯の山麓点在していました。
最近、防火防犯の警戒の為、愛宕神社に上がる機会が多々ありますが、無事を確認し安堵して境内から見渡す町の姿は、その見晴らしの良さに往年の城下町が偲ばれます。
蒼龍謹白  合掌


| ryuichi | 22:21 | comments (0) | trackback (x) | 🌸三春城下中町::愛宕神社 |