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三春城下江戸中期の町屋




江戸時代中期の秋田藩政化での三春城下における町屋(商工業)は、明和八(1771)年の「町内屋号覚」によると、大町六ニ軒、中町四軒、八幡町一二軒、北町三一軒、荒町三〇軒、新町四三軒の計二ニ二軒で、塩問屋·肴問屋·紙問屋·たばこ問屋・鉄問屋·木錦繰綿 茶問屋、炭問屋をはじめ、麹屋、染屋、質屋、薬屋、太物屋(たんもの・呉服屋)·小間物屋·水油、素麺屋 などの店がしるされています。





城下町三春は、江戸街道や会津街道、岩城街道、相馬街道、二本松街道の大きな五街道が交わる物流・文化の中心地として栄え、主産業である米殺をはじめ、いろいろな品物の集散地でもあり、他領からは塩、瀬戸物·綿糸、砂糖、小間物、鍬(農耕具)など多くの物が入り、領内からは米や煙草や繭などが出て行きました。

これらの品々は、冥加金や運上金(営業税の一種)を藩に納めて特権を認められた商人によって売り買いされ、さらに物によっては役銭が課せられていた。







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| ryuichi | 04:09 | comments (x) | trackback (x) | 三春城下歳時・風土記 |
”火の用心をお願いします!” 三春分団 厳冬期三春城下の2月特別火気警戒 2021




三春町消防団 三春分団 厳冬期三春城下の2月特別警戒 2021




例年、三春分団が、酷寒の二月十六日から同二十一日にかけて、「三春分団二月特別火気警戒」と称して、7つの部日替わりで一週間、消防車両と徒歩にて、全町広報を実施しています。


この時期に実施している理由は、下記の資料が示すとおり、戦後三春分団が経験した大火を、防火の戒めとして後世に伝え、三春分団員のみならず町民の防火意識の高揚と共に、二度とこのような惨事を起こさないとの願いを込めて実施しているものであります。

1.県立三春高等女学校及び国民学校火災(現三春小学校)(三春町消防団史より抜粋)
 
出火年月日:昭和二十二年二月二十一日 午後11時ごろ
  当夜は、ほとんど無風状態で、午後10時頃より小雪が降り、約三センチメートル程積もっていた。 
最初に発見したのは三春郵便局員で、大声で急を告げ、付近の二~三人が関係機関に連絡し消火に協力したものであり、又、当夜の宿直は国民学校の教諭と常直小使夫妻がおり、午後六時三十分より巡視し、午後七時三十分頃就寝、何れも火災警報吹鳴によって目覚めたもので、その時は、職員室、二階教室、玄関等に火の手が回っており、重要書類、備品等の搬出の暇もなかったものである。
 
消火活動について見ると、当時校内防火体制は、防火用水(防火用桶?)も不完全なもので、中には満水していないものもあり、消火器が三本と他小学校と共用の「手押しポンプ」、「火たたき」、「とび口」等があつただけで又、同校は約10メートル程の高台にあり、周囲には小さな下水はあつたのであるが、消火に必要な水量はなく、大町通りの下水を堰き止め注水したものであるが、連絡を受けた近郊消防隊、郡山常備消防隊等、沢山のポンプ車が集まつたものの、非常に消火に手間取り、二十二日午前二時頃火勢も衰え延焼の危険は脱しとのであつたが、校内に重要書類を残したまま全焼鎮火したものであつた。



1. 三春中学校火災(三春町消防団史より抜粋)

  出火年月日:昭和四十年二月十六日午後八時三十分頃
 
三春中学校の火災は、十五夜の寒空を焦がす炎と、惨惨たる黒煙をともなって発生した。

十六日午後八時三十分頃、三春中学校校舎東側から出火、木造二階建校舎二棟を焼き、同十時頃鎮火した。

  火が出ると同時に三春町はじめ郡山、冨久山、船引町などから消防車が駆けつけたが、老朽校舎のため火の回りが早く校舎の三分の二を焼失した。


「八時四十分頃であった、ちょうどテレビでは、「お笑い三人組み」をやつていた。すると母が”火事でねえの?”と。・・・・母とぼくは、中学校近くの親類へ。・・・ぼくは、ねむれなかつた。」(当時の中学生の作文より)



      
蒼龍謹白 合掌

| ryuichi | 04:06 | comments (x) | trackback (x) | 三春城下歳時・風土記 |
三春城下の市(斎市)




三春城下の市(斎市)

城下町三春を特微づけるものの一つに市があります。

遠く古代から交易活動の形態として発生した市は、その後、中世に至って諸国の政治経済活動の拠点である領主の居住地に盛んに開かれるようになり、城下町三春にも、藩主の勧奨保護の元に、年間を通じて多様な定期市(斎市)が栄えていました。





現在、その面影をとどめるものに、正月のニ日市、だるま市などがあります。

近年まで苗木市、お盆の花市、家畜市場の馬・牛市など見られましたが、明治の初めごろの記録によれば、苗木。

野菜市(中町)、生系。繭市(大町 .中町)、羽二重(中町)、馬市(新町)などの市がたち、この地方の商業経済の中心地として、三春の町を賑していたことがわかります。

そして、三春町を中心として、放射状に乗びた街道や豪壮な商家や土蔵に、物資の集散、交易など盛んだった商業都市三春の姿をしのぶことができます。





春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍

| ryuichi | 03:53 | comments (x) | trackback (x) | 三春城下歳時・風土記 |
令和元年 三春城下の盆踊り




三春城下の盆踊り

三春盆踊りの起源は、法蔵寺宗旨である時宗の「踊り念仏」、浜通り南部の「じゃんがら踊り」、さらには江戸時代後期の頃に相双地区を襲った大地震や津波で、被害を受けた地域の救済と復興のために入植した新潟や北陸の浄土真宗門徒がもたらした「踊り念仏」を起源とされる「相馬盆唄」など諸説ありますが、三春城下は、岩城街道、会津街道をはじめとする主要街道が交差する文化と物流の交流拠点であり、それぞれの文化の影響を受けながら独自に進化していったものだと考えられています。





さあ、三春盆踊りです。

ご先祖さまや先立たれたご縁のある方々の供養です。

この世に未練が残らないように盛大に、そして陽気に踊ってあの世へ送ってあげましょう。






 八幡町末、城下境の日蓮宗法華寺の外側、三春城下黒門外に「踊り場」という地名が残ります。
江戸期にあった大桂寺の門前にあたります。

ここは、城下と農村の境目、所謂「隈」地帯に当たります。

江戸中期から末期に頻繁に発生した飢饉により領内からの避難民受け入れ施設を設けて施粥を施していた場所でちかくです。

この場所で「盆踊り」が盛大に開催されていたというところに、多数の死者を出しましたが、その霊を慰めるために踊りが盛んになったことは容易に想像がつきます。





また、昭和20年8月の玉音放送を受けて町当局から盆踊りは自粛・中止せよとの沙汰が発令されましたが、八幡町若連では“盆踊りは国に殉じた戦死者供養だ!”と「いろはや食堂」の裏山に太鼓を持ち込んで朝まで盆太鼓を叩いて戦没者を供養したと伝わっています。

また、城下では明治期以降の新町の競り市場での盆踊りが有名でした。
こはは、明治から大正昭和の初めにかけて庚申坂新地弓町遊郭があったことに由来します。
また、新町は、半農の商人や足軽が居住していた町というところも関係しているのかもしれません。






さらに、楽内や込木と境を接しているため、城下の中でも身分制度が希薄的な感覚があった地域です。

遊女がこの時だけは、郭の外に出て自らが楽しめた行楽で、踊り手もその御女郎につられて多数集まってきたと伝わっています。
江戸期以後、特に大正から昭和にかけての盆踊りは、男女の出会い的要素が多分に多く含まれていました。

時代的に、まだ、貞操観念の希薄や非人差別が尾を引いていた時代に、老若男女よも不合法な男女の出会いを求めて、太鼓や踊りをするためにも編み笠をかぶって顔を隠すこともあったように思われます。



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| ryuichi | 04:47 | comments (x) | trackback (x) | 三春城下歳時・風土記::三春盆踊り・だるま市 |
令和元年 満月の三春盆踊り 




8月に入ると、三春城下のあちらこちらから盆太鼓練習の太鼓や笛の音が響き渡ります。

盆踊りの本番は、踊り場の地名が残る八幡町を皮切りに、中町、次は新町、そして大町。
また、やわらぎの湯や菊川屋、三春の里など、さらには近在の沢石や要田、芦沢、そして堀越でも、華やかに繰り広げられ、この時期三春は盆踊り一色に染まっていきます。

かつては、月明りと提灯で踊った三春盆踊り。
旧盆の盆踊りは、満月の月明かりのもとで踊りました。
月明かりは踊るには十分明るく、しかもムードのあるやわらかい光はロマンチックな「演出効果」をもっていたのです。







「伝統三春盆踊り」は、8月15~16日の2日間、城下大町の四つ角交差点に面して櫓を立てて、盛大に行われます。

盆踊りの期間は、8月15日の晩から行われるのが通例です。
16日が盆明けということから、賑やかに踊り歌って先祖を送り出すという意味もあったようです。

月の満ち欠けを基本にした旧暦(太陽太陰暦)では、盆踊りの行われる7月15日(現8月15日)の夜は十五夜で、翌16日は「十六夜(いざよい)」ということになります。

いずれかの夜は月が満ちて満月となり、照明のない時代でも月あかりがその場を照らしてくれたことでしょう。







もともと盆踊りは、お盆に帰って来たご先祖様の霊を慰める霊鎮め(たましずめ)と言われる行事でした。


仄かな明かりを頼りに踊る中で、幻想的な雰囲気が作り出され、盆踊り会場内にいる方々に、亡くなった方々を重ね合わせ、あたかも御霊と一緒に踊っているようだったと伝わっています。

月明りと電球提灯、そして、それらを邪魔しないようにと、世界的な照明デザイナー石井 幹子(いしいもとこ)さんのデザインによる街路灯には、女性をよりいっそう美しくみせる仕掛が画されていて、華やかさを醸し出し、趣ある雰囲気と相まって三春盆踊りの楽しさを演出してくれています。

盆踊りの空間はあの世とこの世の境界であり、踊りの所作には霊と自分自身の親しみを表す所作が必ず含まれているとされています。






三春盆踊りの振り付けは、空を指す手の動きは“あの世”を表し、地面を指す手の動きは“この世”を表しているとされ、最後の手拍子は、お盆にこの世に戻ってきた先祖の精霊や有縁無縁の諸霊を供養敬う気持ちをもって「年に一度のお盆を一緒に楽しみましょう」「また来年も来てくださいね」との思いを表しているとされています。






 盆踊りは、念仏踊りがルーツのようで、もともとは、地獄の責め苦から一時のがれて
帰郷した喜びに亡者たちが踊り明かして喜んだという、霊を供養し、ご先祖様に感謝する意味が込められています。







また、もともと伝統ある盆踊りの多くは、戦国時代に戦死者の霊を祀る念仏踊りが始まりとされています。時代が下がり、社会が安定するにつれて風流踊りの影響を受けて、地域の楽しいイベントになったのは江戸時代中期以降とされ、時代とともに華やかさが増していったとされています。







仄かな明かりを頼りに踊る中で、厳かで幻想的な雰囲気が作り出され、踊りの輪の中に、ご先祖の方々を重ね合わせ、御霊と一緒に踊っているようだったんでしょうね。
さあ皆さん、浴衣を着て手拭を被り、お洒落をして一緒に踊りませんか?








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| ryuichi | 04:52 | comments (x) | trackback (x) | 三春城下歳時・風土記::三春盆踊り・だるま市 |
ドキュメンタリー映画『盆唄』三春上映会 2019夏



第44回木村伊兵衛写真賞受賞写真家の岩根愛氏にご来店いただきました!


 ドキュメンタリー映画『盆唄』三春上映会

 福島の「盆唄」が海を越え、ハワイ・マウイへと襷を繋ぐ。 双葉町の震災避難者とハワイの日系移民、心と心を紡ぐ~ 三春と縁がある第44回木村伊兵衛写真賞受賞作品「KIPUKA」の写真家岩根 愛さんがアソシエイトプロデューサーを務めています。 
 
・⽇時:8 ⽉10 ⽇(⼟)  三春交流館 まほら
第1回 10:00-12:14

第2回 13:00-15:14

第3回 15:35-17:49

第1回上映後に出演者の今泉春雄さんをお招きし、本作のアソシエイトプロデューサーの岩根愛、映画『盆唄』三春上映実⾏委員会代表の新野徳秋によるミニトークがあります。








主催:映画『盆唄』三春上映実⾏委員会
共催:三春交流館運営協会

後援:三春町 三春町教育委員会 (株)三春まちづくり公社

問い合わせ:映画『盆唄』三春上映実⾏委員会 090-1804-5690(岩根) ainotme@gmail.com







●前売券 ⼤⼈(シニア含む) ¥1,300 /学⽣ (⼩・中・⾼・⼤) ¥1,100

●当⽇券 ⼤⼈ ¥1,600 / シニア ¥1,400 / ⾼・⼤ ¥1,400 / ⼩・中 ¥1,200 / 障がい者 ¥800 前売りチケット取扱所
三春昭進堂  カネサン書店  若松屋旅館  まほら 村山理容店
大内時計店  in-kyo  伊藤カメラ店 喫茶メロディー








 映画「盆唄」A song from home  三春城下上映会  塵壺令和元年8月号より

毎年、新暦のお盆(7月中頃)を中心に6月から9月に掛けてマウイ島をはじめハワイ州各島では、週末になると日系仏教寺院を会場として“BON DANCE(盆ダンス)”と呼ばれる“ハワイの盆踊り”が盛大に開催されている事をご存じでしたか?

以前、三春出身の歴史家橋本捨五郎さんから、この盆踊りは相双地区出身者が多い福島県人会が主体でお囃子方の太鼓や唄は、相馬盆唄を原曲とする『フクシマオンド』と聞き及んでいました。

また、“日系ハワイ移民の父”と呼ばれる勝沼富蔵(加藤木氏)さんが三春出身ということもあり、マウイの盆踊り会場に三春を紹介するブースを設け三春関連の幟旗(のぼりはた)を掲げたいと旗探しの依頼があり、方々に手配して三春関連の幟数本と当店の「おたりまんじゅう」・「磐城國春陽郷三春祭礼」の幟旗を寄贈したことがありました。







「ご先祖さま、震災で亡くなられた皆様一緒に踊って下さい」

その“BON DANCE(盆ダンス)”にまつわる物語を描いた映画「盆唄」が、この夏8月10日(土)に三春交流館「まほら」にて上映されます。

「盆唄」は、震災により双葉町に帰れないまま他の土地で避難生活を続ける横山久勝さんとその仲間たちが中心的な登場人物で、彼らが双葉町の伝統的な盆踊り「双葉盆唄」を存続・継承しようとする故郷への強い思いを描き出しています。







この映画「盆唄」の企画は、日系ハワイ移民、そして、BON DANCEを長年取材してきた三春にも活動拠点を置く写真家の岩根愛さん。

岩根さんは、昨年ハワイと福島の深いつながりを追った写真集『KIPUKA』(青幻舎)で“写真界の芥川賞”と呼ばれる第44回(2018年度)木村伊兵衛写真賞を受賞した新進気鋭の写真家です。

監督は、「ナビィの恋」などの作品で知られる中江裕司氏が務め「これは震災の映画ではなく、震災で避難した『人間の映画』」であるとし、「双葉町の人たちを3年間撮影してきて、それぞれの営み、生きていることの勇気をもらった。それを次世代につなぎ、未来に向けたメッセージにしたい」と話し、ロケ地となった旧三春町立桜中学校の校庭で撮影されたラストシーンに、特にその思いが込められています。

史実に基づくアニメーションパートでは、余貴美子、柄本明らが声の出演。







岩根さんとのご縁で、本作に登場するマウイ太鼓は、2012年に『マウイ太鼓』東北公演ツアーで三春町を訪れ三春城下中町若連太鼓保存会と共演しています。

翌年には中町太鼓保存会もマウイ島で開催されたmaui matsuri(マウイまつり)に同じく岩根さんと親交のある“ひょっとこ踊り”の橋本広司(高柴デコ屋敷恵比須屋十七代当主)さん、そして世話人である橋本捨五郎さんも同行して出演し三春甚句等を披露しています。






三春盆踊りの起源は、法蔵寺宗旨である時宗の「踊り念仏」、浜通り南部の「じゃんがら踊り」、さらには江戸時代後期の頃に相双地区を襲った大地震や津波で、被害を受けた地域の救済と復興のために入植した新潟や北陸の浄土真宗門徒がもたらした「踊り念仏」を起源とされる「相馬盆唄」など諸説ありますが、三春城下は、岩城街道、会津街道をはじめとする主要街道が交差する文化と物流の交流拠点であり、それぞれの文化の影響を受けながら独自に進化していったものだと考えられています。







「踊り場」の地名が残る八幡町では、昭和20年8月の玉音放送を受けて町当局から盆踊りは自粛・中止せよとの沙汰が発令されましたが、八幡町若連では“盆踊りは国に殉じた戦死者供養だ!”と「いろはや食堂」の裏山に太鼓を持ち込んで朝まで盆太鼓を叩いて戦没者を供養したと伝わっています。

さあ、三春盆踊りです。ご先祖さまや先立たれたご縁のある方々の供養です。この世に未練が残らないように盛大に、そして陽気に踊ってあの世へ送ってあげましょう。

蒼龍謹白  さすけねぇぞい三春!  拝 



| ryuichi | 04:23 | comments (x) | trackback (x) | 三春城下歳時・風土記::三春盆踊り・だるま市 |
福島懸田村郡地図 明治初年作成




福島懸田村郡地図


三春藩秋田氏黄色、旗本5千石秋田氏黄色、磐城守山藩赤色、常陸笠間藩牧野家青色、幕府領緑色などが色分けされている地図です。

阿武隈川の表記が逢隈川となっています。


「旧高旧領取調帳」に記載されている明治初年時点での支配は以下の通り。(1町147村)




幕府領 幕府領 14村 飯豊村、吉野辺村、浮金村、柳橋村、中津川村、小野山神村、雁股田村、糠塚村、栃本村、栃山神村、谷田川村、上道渡村、下道渡村、川曲村

旗本領 6村 新舘村、荒和田村、富沢村、大倉村、ツクモ田村[2]、丹伊田村

藩領 磐城三春藩 1町81村
北鹿又村、長外路村、石沢村、南移村、横道村、上移村、中山村、北移村、御祭村、七草木村、北成田村、南成田村、青石村、実沢村、門鹿村、笹山村、熊耳村、貝山村、蛇沢村、春田村、狐田村、柴原村、込木村、楽内村、芹ヶ沢村、滝村、根本村、樋渡村、蛇石村、木目沢村、駒板村、黒木村、下枝村、牛縊本郷村、海老根村、上石村、過足村、平沢村、板橋村、高柴村、土棚村、鬼生田村、大畑村、李田村、鷹巣村、沼沢村、斎藤村、西方村、赤沼村(現・郡山市)、高倉村、細田村、広瀬村、湯沢村、神俣村、菅谷村、栗出村、牧野村、門沢村、堀越村、遠山沢村、永谷村、上大越村、下大越村、今泉村、芦沢村、船引村、春山村、西向村、久保村、鹿山村、新田作村、常葉村、山根村、岩井沢村、古道村、堀田村、早稲川村、関本村、小檜山村、三春町、葛尾村[3]、津島村[3]

磐城守山藩 30村
木村、山田村、芹沢村、根木屋村、南小泉村、北小泉村、阿久津村、下白岩村、上舞木村、下舞木村、白岩村、荒井村、蒲倉村、大平村、横川村、安原村、手代木村、下行合村、上行合村、大善寺村、金屋村、徳定村、御代田村、正直村、山中村、守山村、岩作村、大供村、金沢村、小川村

常陸笠間藩 13村
小野新町村、谷津作村、北田原井村、南田原井村、和名田村、上羽出庭村、小塩村、菖蒲谷村、赤沼村(現・小野町)、皮籠石村、下羽出庭村、小戸神村[4]、田母神村

三春藩・守山藩 1村 三町目村

幕府領・藩領 幕府領・三春藩 1村 椚山村

旗本領・三春藩 1村 石森村

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