CALENDAR
S M T W T F S
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31       
<<  2017 - 12  >>
CATEGORIES
ARCHIVES
PROFILE
    k1
OTHERS




日暮硯 「十三夜 月待供養」 十三夜月見団子



十三夜 月待供養

お月見というと旧暦八月十五日の十五夜がもっとも有名ですが、日本では古来もうひとつ旧暦九月十三日の十三夜もまた美しい月であると重んじていました。

古くから秋の名月を鑑賞する「お月見」の風習と月待ち行事があり、江戸時代の文化・文政のころ全国的に流行したとされています。






月待供養とは、十三夜(虚空蔵菩薩)、十五夜(大日如来、聖観音)、十六夜(大日如来、阿弥陀如来、地蔵菩薩、如意輪観音)、十九夜(如意輪観音)、二十三夜(如意輪観音)、などの特定の月齢の夜、「講中」と称する仲間が集まり、飲食を共にしたあと、経などを唱えて月を拝み、悪霊を追い払うという行事です。




特に、信仰が厚かったのは二十三夜に集まる二十三夜行事で、二十三夜講に集まった人々の建てた二十三夜塔は三春城外の在方の村はずれや寺社の境内などに広くみられます。




二十三夜は「三夜待ち」「産夜」とも呼ばれて、男の日待供養に対比するかのように、月待は女性の講だとも云われます。

月待講を口実に、農家の女性たちが食べ物や飲み物を持ち寄り、わずかな時間ですが、月を愛ながらおしゃべりや飲食をしながら、楽しいひと時を過ごしていたのではないかと思います。





今年平成29年の十三夜は旧暦の9月13日 平成29年11月1日(水)となります。

十三夜月見団子 十三個入り 650円税別

おしゃべりのお供にいかがでしょうか・・・


 蒼龍謹白   合掌


| ryuichi | 05:30 | comments (x) | trackback (x) | 三春城下歳時・風土記::歳時記 |
三春盆踊り ”あの世とこの世の間で”

竹久夢二「三春盆踊り」 三春町史より 


三春盆踊りでは、みんな手ぬぐいを頭に掛けて、いわゆる“ほっかぶり“をして踊っていました。

これは、お盆という意味のから(祭礼時も同じ意味)、この手拭は“身を改める”という意味合いあったようです。


ほっかぶりをする手拭の効果は、各所で見られるように深い編笠などと同じように、盆踊りの「仮装性」を表すものだとも考えられています。

顔を隠して誰かわからなくすることにより、盆にこの世に戻った祖霊・精霊が、ともに踊っているということを示しています。
もちろん、顔を隠すことで、誰彼気がねなく思いっきり踊れるという解放効果もあったことでしょう。






大正時代八幡町末踊り場の様子 三春町史より


三春盆踊りは、参加も服装もまったく自由ですから、普段着でまったく気にせず踊っていますが、手拭一本あっただけで気分はもう盆踊りモードに突入です。

三春盆踊りのメイン会場となる大町お祭り広場では、月明りと電球提灯、そして、それらを邪魔しないようにと、世界的な照明デザイナー石井 幹子(いしい もとこ)さんにデザインされた街路灯が配され、女性をよりいっそう美しくみせる仕掛けでもあり、趣ある雰囲気を醸し出しています。


そして、昨今の若い女性は、メイクや髪形もばっちり決めて、浴衣を着ておしゃれをしている可愛い方が多く、手ぬぐいをかぶって顔を覆う若い女性はだんだん少なくなっているようです。


盆踊りの衣装の定番ともいうべき踊り浴衣も、お洒落聞きこなしている方が多くみられます。

その多彩な柄がおしゃれで、見ている方も着る方も楽しいものですね。

三春盆踊りも、お盆に招いた御霊をあの世へ送るための念仏踊りが始まりとされています。



踊り場 三春町史より


尚、江戸時代の武士はどうやら盆踊りの参加については、禁じられていたらしく、幕末の越後長岡藩家老河井継之助を描いた司馬遼太郎著小説「峠」
この小説の中に、「 河井継之助は長岡甚句の盆踊りが大好きでよく 行ったのですが、この盆踊りには武士は参加できないことになったいたそうです。

しかし 継之助は、妹の浴衣を借りて、 顔をほっかぶりで隠して遅くまで町の人と踊ったという 」と記載されていました。







春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂

| ryuichi | 05:10 | comments (x) | trackback (x) | 三春城下歳時・風土記::三春盆踊り・だるま市 |
「節納豆」 ~ 納豆ねかせ~


正月を迎える準備は、いろいろありますが、三春在方にある珍しい行事を三春町史から拾ってみました。

「節納豆」 ~ 納豆ねかせ~
在方では、正月準備は、まず節納豆ねせから始めると記されています。

三春各地では十二月二十六日にねせるところが多い。
蛇石 西方のようにその前日ねせるところもある。

この納豆を「節納豆」といって、この豆は食べるものでないという禁忌がある。
これを冒すと腹が痛くなるとか、富沢あたりでは“シト虫”に刺されるなどという。

日常食す納豆と違い、この日の納豆は神に供え、あるいは嫁の礼日に里に進物とするところが多い。

また、納豆の糸の出具合はマユの糸の出来をト(ボク)するというので、養蚕農家の多い三春各地では特に慎重にねせる。

概して納豆,味噌,酒,梅漬などはその出来如何がその家の吉凶を予兆するというから、すべて自家製であった昔は、責任者である家刀自は特に潔斎してこの作業を入念に行なったものである。

伝説として下記の話が伝わっています。
「腕に自信のある、ある村の主婦が、どうしたものか節納豆に全く糸ができない。急いでねせ直したがまたもや失敗した。さては何か家に凶兆では、と一家思案にくれた。はたしてその年災害に遭ったという。」

各村の家々では、それだけに美事な銀の糸をひく節納豆の出来ばえのときは、思わず小おどりして、早速そのひと苞を神棚に供えたと伝わっています。



三春町史参照



春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂

| ryuichi | 04:51 | comments (x) | trackback (x) | 三春城下歳時・風土記 |
「三春盆踊り思いでの写真28」みはる観光協会



「三春盆踊り思いでの写真28」みはる観光協会

みはる観光協会の名物企画「三春盆踊り思いの出写真」を新町若連会長の橋本様より届けていただきました。

今年の夏、観光協会の役員ということもあり、十年ぶりくらいに会場に到達することが出来ました。

それまで、新町若連を退会して以来、消防団での警備や当店夏休み、そして途中で酔いつぶれなどが重なり、会場へたどり着けませんでした。




以前は盆踊りも、三春昭進堂へ就職以来、十有余年に亘り、文字通り“本気”で取り組んでまいりました。

三春城下の盆踊りでは、踊り場を持つ八幡町若連と、セリ場のある新町若連が両巨頭としてあったと先輩から教わっていました。

特に新町は地蔵盆、庚申坂新地遊郭の遊女も参加する華やかで人出の多く、正に朝まで踊り明かしたといわれる土地柄です。

その伝統ある新町若連の再興、伝統ある盆踊りの活性化そして継承など全力で当たってきたように思えます。







古より先人の方々が羽織ってきた新町若連の法被、時代の中で塵芥の今見れ汚れてきました。

それを、石屋のかっちゃんが洗濯して、もう一度私が洗濯した。

しかしその時すでに、ボロボロで何とか継接ぎしながら着てきましたが、乞食然とした姿見るに堪えなくなり、橋本会長が新しい法被を新調したということなんだろうと思います。

一人がいつまでもやっているんじゃないという思いの中で、フェードアウトさせていただいてから早十有余年・・・

新調された新町若連。すっかりあか抜けて、後輩達が頑張ってくれています。


三春盆踊りも安泰です。



春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂


| ryuichi | 04:52 | comments (x) | trackback (x) | 三春城下歳時・風土記::三春盆踊り・だるま市 |
三春盆踊り名物「三春盆踊り思い出のアルバム」


サイヤー~!

わたしゃ三春町!

ハーヨイ!!

五万石育ち~!




三春盆踊りの名物企画「三春盆踊り思い出アルバム」の一コマです。

中町若連さんと一緒の写していただきました。

同級生の同中町の桑原商店の御曹司の粋な計らいです。





中町若連会長の新野さんが届けてくれました。

一人だけ生成りの浴衣での臨場です。


この思い出のアルバムは、盆踊りに参加される3人以上の団体さんには無量にて写真撮影して、その人数分のプリントを無料で配布しています。


来年こそはという方は、ぜひ参加ください!


春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂

| ryuichi | 05:38 | comments (x) | trackback (x) | 三春城下歳時・風土記::三春盆踊り・だるま市 |
三春盆踊り 28 大町四つ角


今年、平成28年8月の三春盆踊りは会場を少しずらして、念願の大町四つ角交差点を中心に開催いたしました。




心配した階段下の段差も無事クリアー




木っ端での補強もばっちりです。




子供の叩く時間には、櫓掛担当若連さんががっちりサポート!




売店を北町通りに集中配置して、会場との一体感を創造してみました。




踊りの輪を、四つ角を中心に、大町お祭り広場から中央商店街通りに展開しました。




また、磐州通りで開催中のおよばれ研究会による「百杯宴」との線も結ばれました。




百杯宴会場内



磐州通り北町口





交流館まほらホワイエ内の思いで写真撮影会場の様子です。

順番を待つ方々でごった返しています。



気が付いたら散らし太鼓がはじまっていました。




あれ?踊りの写真は・・・

あっちでフラフラこっちでふらふら・・・気が付いたら終了時間の午後10時でした。









櫓の収納のため役場前まで曳航です。





初日無事終了です。

今年は場所を大町四つ角に移し、露天群や百杯宴との一体感を企画しました。

その効果でしょうか、踊りの人出が多いように見られました。

人が多い会場内で、観客と踊り手の距離が近くなち、その混雑差が羞恥心を捨てさせ一緒に踊りの興じられたといいこととして結びたいと思います。


春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂


| ryuichi | 05:29 | comments (x) | trackback (x) | 三春城下歳時・風土記::三春盆踊り・だるま市 |
三春物語958番「板塔婆」


「板塔婆」とは、故人の供養のため、梵字や経文などを書いて法要の時などに墓に立てる細長い板のことで、卒塔婆 (そとば)ともよばれています 。

板塔婆を建てることは、良いことをすることにつながりその功徳を故人に廻らすという供養の一つの形ということのようです。

今回、法蔵寺の副住職から聞いて目からうろこが落ちたとばかりに驚いたのは、年回法要の時に、一回の法要に一枚だけ建立と思っていましたが、実は、花やお供物などと同じように、故人の供養と施主自身の功徳のために、思いのある方が建立してもかまわないということでした。




建てる数も施主が一本のみというところもありますし、建てたいという親戚も建てて20本くらい一度に建てるところもあります。
つまり、故人が親ならば法要の施主のみならず、兄弟や子供たちが各一枚ずつ建立というのもあり得るということでした。

また、建てなければ供養にならないということでもないということです。

そういえば、都内の墓地を見ますとやたら板塔婆の数が多いことを思い出しました。

当家でも本家ですので、先祖供養の年忌法要を多々施させていただいていますが、初めて聞くことでした。

どおりで板塔婆の料金が別に必要なわけですね。




この板塔婆を、よくよく調べてみますと、年忌法要や彼岸などに、お墓の周りに立てて、故人の冥福を願って建立するもので、サンスクリット語の“ストゥーバ”が語源と伝わっています。
その昔、お釈迦さまが入滅したあと、その舎利(遺骨)を納めた塔(ストゥーパ)を建てて供養したのが始まりとされ、それが日本に伝わり、三重塔や五重塔、多宝塔の意味となり、五重塔を模して五輪塔が建てられましたと記され、板塔婆とは、その五重の塔などの塔の簡略化したものです。


三春昭進堂 髙橋龍一


| ryuichi | 05:32 | comments (x) | trackback (x) | 三春城下歳時・風土記::歳時記 |