CALENDAR
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31     
<<  2017 - 10  >>
CATEGORIES
ARCHIVES
PROFILE
    k1
OTHERS




三春盆踊り ”あの世とこの世の間で”

竹久夢二「三春盆踊り」 三春町史より 


三春盆踊りでは、みんな手ぬぐいを頭に掛けて、いわゆる“ほっかぶり“をして踊っていました。

これは、お盆という意味のから(祭礼時も同じ意味)、この手拭は“身を改める”という意味合いあったようです。


ほっかぶりをする手拭の効果は、各所で見られるように深い編笠などと同じように、盆踊りの「仮装性」を表すものだとも考えられています。

顔を隠して誰かわからなくすることにより、盆にこの世に戻った祖霊・精霊が、ともに踊っているということを示しています。
もちろん、顔を隠すことで、誰彼気がねなく思いっきり踊れるという解放効果もあったことでしょう。






大正時代八幡町末踊り場の様子 三春町史より


三春盆踊りは、参加も服装もまったく自由ですから、普段着でまったく気にせず踊っていますが、手拭一本あっただけで気分はもう盆踊りモードに突入です。

三春盆踊りのメイン会場となる大町お祭り広場では、月明りと電球提灯、そして、それらを邪魔しないようにと、世界的な照明デザイナー石井 幹子(いしい もとこ)さんにデザインされた街路灯が配され、女性をよりいっそう美しくみせる仕掛けでもあり、趣ある雰囲気を醸し出しています。


そして、昨今の若い女性は、メイクや髪形もばっちり決めて、浴衣を着ておしゃれをしている可愛い方が多く、手ぬぐいをかぶって顔を覆う若い女性はだんだん少なくなっているようです。


盆踊りの衣装の定番ともいうべき踊り浴衣も、お洒落聞きこなしている方が多くみられます。

その多彩な柄がおしゃれで、見ている方も着る方も楽しいものですね。

三春盆踊りも、お盆に招いた御霊をあの世へ送るための念仏踊りが始まりとされています。



踊り場 三春町史より


尚、江戸時代の武士はどうやら盆踊りの参加については、禁じられていたらしく、幕末の越後長岡藩家老河井継之助を描いた司馬遼太郎著小説「峠」
この小説の中に、「 河井継之助は長岡甚句の盆踊りが大好きでよく 行ったのですが、この盆踊りには武士は参加できないことになったいたそうです。

しかし 継之助は、妹の浴衣を借りて、 顔をほっかぶりで隠して遅くまで町の人と踊ったという 」と記載されていました。







春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂

| ryuichi | 05:10 | comments (x) | trackback (x) | 三春城下歳時・風土記::三春盆踊り・だるま市 |
「節納豆」 ~ 納豆ねかせ~


正月を迎える準備は、いろいろありますが、三春在方にある珍しい行事を三春町史から拾ってみました。

「節納豆」 ~ 納豆ねかせ~
在方では、正月準備は、まず節納豆ねせから始めると記されています。

三春各地では十二月二十六日にねせるところが多い。
蛇石 西方のようにその前日ねせるところもある。

この納豆を「節納豆」といって、この豆は食べるものでないという禁忌がある。
これを冒すと腹が痛くなるとか、富沢あたりでは“シト虫”に刺されるなどという。

日常食す納豆と違い、この日の納豆は神に供え、あるいは嫁の礼日に里に進物とするところが多い。

また、納豆の糸の出具合はマユの糸の出来をト(ボク)するというので、養蚕農家の多い三春各地では特に慎重にねせる。

概して納豆,味噌,酒,梅漬などはその出来如何がその家の吉凶を予兆するというから、すべて自家製であった昔は、責任者である家刀自は特に潔斎してこの作業を入念に行なったものである。

伝説として下記の話が伝わっています。
「腕に自信のある、ある村の主婦が、どうしたものか節納豆に全く糸ができない。急いでねせ直したがまたもや失敗した。さては何か家に凶兆では、と一家思案にくれた。はたしてその年災害に遭ったという。」

各村の家々では、それだけに美事な銀の糸をひく節納豆の出来ばえのときは、思わず小おどりして、早速そのひと苞を神棚に供えたと伝わっています。



三春町史参照



春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂

| ryuichi | 04:51 | comments (x) | trackback (x) | 三春城下歳時・風土記 |
「三春盆踊り思いでの写真28」みはる観光協会



「三春盆踊り思いでの写真28」みはる観光協会

みはる観光協会の名物企画「三春盆踊り思いの出写真」を新町若連会長の橋本様より届けていただきました。

今年の夏、観光協会の役員ということもあり、十年ぶりくらいに会場に到達することが出来ました。

それまで、新町若連を退会して以来、消防団での警備や当店夏休み、そして途中で酔いつぶれなどが重なり、会場へたどり着けませんでした。




以前は盆踊りも、三春昭進堂へ就職以来、十有余年に亘り、文字通り“本気”で取り組んでまいりました。

三春城下の盆踊りでは、踊り場を持つ八幡町若連と、セリ場のある新町若連が両巨頭としてあったと先輩から教わっていました。

特に新町は地蔵盆、庚申坂新地遊郭の遊女も参加する華やかで人出の多く、正に朝まで踊り明かしたといわれる土地柄です。

その伝統ある新町若連の再興、伝統ある盆踊りの活性化そして継承など全力で当たってきたように思えます。







古より先人の方々が羽織ってきた新町若連の法被、時代の中で塵芥の今見れ汚れてきました。

それを、石屋のかっちゃんが洗濯して、もう一度私が洗濯した。

しかしその時すでに、ボロボロで何とか継接ぎしながら着てきましたが、乞食然とした姿見るに堪えなくなり、橋本会長が新しい法被を新調したということなんだろうと思います。

一人がいつまでもやっているんじゃないという思いの中で、フェードアウトさせていただいてから早十有余年・・・

新調された新町若連。すっかりあか抜けて、後輩達が頑張ってくれています。


三春盆踊りも安泰です。



春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂


| ryuichi | 04:52 | comments (x) | trackback (x) | 三春城下歳時・風土記::三春盆踊り・だるま市 |
三春盆踊り名物「三春盆踊り思い出のアルバム」


サイヤー~!

わたしゃ三春町!

ハーヨイ!!

五万石育ち~!




三春盆踊りの名物企画「三春盆踊り思い出アルバム」の一コマです。

中町若連さんと一緒の写していただきました。

同級生の同中町の桑原商店の御曹司の粋な計らいです。





中町若連会長の新野さんが届けてくれました。

一人だけ生成りの浴衣での臨場です。


この思い出のアルバムは、盆踊りに参加される3人以上の団体さんには無量にて写真撮影して、その人数分のプリントを無料で配布しています。


来年こそはという方は、ぜひ参加ください!


春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂

| ryuichi | 05:38 | comments (x) | trackback (x) | 三春城下歳時・風土記::三春盆踊り・だるま市 |
三春盆踊り 28 大町四つ角


今年、平成28年8月の三春盆踊りは会場を少しずらして、念願の大町四つ角交差点を中心に開催いたしました。




心配した階段下の段差も無事クリアー




木っ端での補強もばっちりです。




子供の叩く時間には、櫓掛担当若連さんががっちりサポート!




売店を北町通りに集中配置して、会場との一体感を創造してみました。




踊りの輪を、四つ角を中心に、大町お祭り広場から中央商店街通りに展開しました。




また、磐州通りで開催中のおよばれ研究会による「百杯宴」との線も結ばれました。




百杯宴会場内



磐州通り北町口





交流館まほらホワイエ内の思いで写真撮影会場の様子です。

順番を待つ方々でごった返しています。



気が付いたら散らし太鼓がはじまっていました。




あれ?踊りの写真は・・・

あっちでフラフラこっちでふらふら・・・気が付いたら終了時間の午後10時でした。









櫓の収納のため役場前まで曳航です。





初日無事終了です。

今年は場所を大町四つ角に移し、露天群や百杯宴との一体感を企画しました。

その効果でしょうか、踊りの人出が多いように見られました。

人が多い会場内で、観客と踊り手の距離が近くなち、その混雑差が羞恥心を捨てさせ一緒に踊りの興じられたといいこととして結びたいと思います。


春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂


| ryuichi | 05:29 | comments (x) | trackback (x) | 三春城下歳時・風土記::三春盆踊り・だるま市 |
三春物語958番「板塔婆」


「板塔婆」とは、故人の供養のため、梵字や経文などを書いて法要の時などに墓に立てる細長い板のことで、卒塔婆 (そとば)ともよばれています 。

板塔婆を建てることは、良いことをすることにつながりその功徳を故人に廻らすという供養の一つの形ということのようです。

今回、法蔵寺の副住職から聞いて目からうろこが落ちたとばかりに驚いたのは、年回法要の時に、一回の法要に一枚だけ建立と思っていましたが、実は、花やお供物などと同じように、故人の供養と施主自身の功徳のために、思いのある方が建立してもかまわないということでした。




建てる数も施主が一本のみというところもありますし、建てたいという親戚も建てて20本くらい一度に建てるところもあります。
つまり、故人が親ならば法要の施主のみならず、兄弟や子供たちが各一枚ずつ建立というのもあり得るということでした。

また、建てなければ供養にならないということでもないということです。

そういえば、都内の墓地を見ますとやたら板塔婆の数が多いことを思い出しました。

当家でも本家ですので、先祖供養の年忌法要を多々施させていただいていますが、初めて聞くことでした。

どおりで板塔婆の料金が別に必要なわけですね。




この板塔婆を、よくよく調べてみますと、年忌法要や彼岸などに、お墓の周りに立てて、故人の冥福を願って建立するもので、サンスクリット語の“ストゥーバ”が語源と伝わっています。
その昔、お釈迦さまが入滅したあと、その舎利(遺骨)を納めた塔(ストゥーパ)を建てて供養したのが始まりとされ、それが日本に伝わり、三重塔や五重塔、多宝塔の意味となり、五重塔を模して五輪塔が建てられましたと記され、板塔婆とは、その五重の塔などの塔の簡略化したものです。


三春昭進堂 髙橋龍一


| ryuichi | 05:32 | comments (x) | trackback (x) | 三春城下歳時・風土記::歳時記 |
三春物語954番「平成27年度 三春盆踊り」


初盆とは、亡くなってから四十九日の忌明け後に最初に迎えるお盆のことをさします。

また、お盆には、「亡くなった人があの世から、年に一度この世の家族のもとに帰ってくる」という信仰もあり大切な行事の一つです。




8月7日を七日盆、20日を二十日盆、24日を地蔵盆、31日を晦日本盆といったぐあいに、8月全体を「盆月」とされ,前年の盆以降に亡くなった新しい仏様の居るお宅では、初めて迎える盆を「新盆」「初盆」と呼んで、8月の入るとたくさんの盆提灯を下げるなど、新御霊供養がなされます。

三春盆踊りも、お盆に招いた御霊をあの世へ送るための念仏踊りが始まりとされています。




三春でも、古の盆踊りは、旧暦の7月15日に行われ、ちょうどその日は満月の夜で、その月明かりの下で夜通し踊ることができたと伝わっています。

仄かな月明かりやかがり火を頼りに踊る中で、幻想的な雰囲気が作り出され、会場内にいる拗ねての方々に、亡くなった方々を重ね合わせ、あたかも御霊と一緒に踊っているようだったと伝わっています。





三春盆踊りの振り付けにもあるように、盆踊りの空間はあの世とこの世の境界であり、踊りの所作には霊と自分自身の親しみを表す所作が必ず含まれているとされています。

さあ、今日と明日は三春盆踊りです。

この世に未練が残らないように盛大に、そして陽気にあの世へ送ってあげましょう。




亡くなって初七日、そして七日めごとに法要を営みご先祖様が仏と成って成仏されお誕生されたのが四十九日です。
ですが50回忌までまだ長い長い旅をして極楽浄土へ往生されるとされています。


法事や法要は、本来は、亡くなられた方やご先祖様の霊を供養してあげることが本来の意ですが、ご家族の悲しみを癒したり、心を満たす効果もあると思います。

四十九日までの法要は、故人を救うために施すとされています。
旅立たれて三十五日には閻魔大王の裁きを受け、四十九日には次に生まれ変わる場所が決まっているそうです。

四十九日後の法事は追善供養といい、道徳的に善い事を追加して死者の冥福を祈る意味もあります。
また、「施主」という呼び名の由来にもなっていますが、故人の近しい方々に集まってもらって、食事や酒などを盛大に「振舞い」を施して、今度はご自身が餓鬼道に落ちないように善行・功徳を積むことでもあります。






四十九日の法要が終えられていない新しい仏さまは、まだ、この世をさまよっているとされています。

それは、残してきた家族への思いなど諸事情に未練が残り、極楽への往生が叶えられていませんので、あの世からの帰省はありえません。

お盆に帰ってくる御霊を見ながら、自分自身も、そして家族も、その死と向き合いながらも、互いに未練が残り、どうしたらいいのかわからないといった切ない状況なんでしょう・・・

ついこの間まで、楽しそうに笑う笑顔があった。
温かい生活があった。

しかし、小さな骨壺に収まった故人を見ると、とても悲しくて、寂しくて、切なくてしょうがない・・・


ふとした時に故人を感じる時があると耳にします。
その息づかいや肌のぬくもり・・・アルバムの写真、使いかけの化粧品、部屋に残る香、ブラシについた髪の毛、見覚えのある洋服、一緒に食べた食事など、様々なシーンが思い出の中に存在しているんだと思います。

「ただいま~」と玄関を開けて帰ってくるような気がする・・・・

家族も、故人同様に、いまだに亡くなったことが受け入れられずにいるというのが現実でしょう。





しかし、故人の極楽浄土への旅路のためには、家族の方々が現実を受け入れて冥福を祈ることが大事なんでしょうね。

生まれてきた理由。
生きてきた証みたいなものは必ずあります。

忘れることとは違います。
思い出までは消し去ることはできませんから・・・

資産運用や保険の人生設計の中で、近しい方がなくなって「悲しい」と「困った」は違うといいますが、こんなことを考えられるのはある程度時間がたってからなんでしょう。

それまでは、思いっきり悲しんで、ただただ泣いてでいいんだろうと思います。

あとは時間が何とかしてくれるはずです。









十方三世一切仏 諸尊菩薩摩摩訶薩 摩訶般波羅蜜



三春昭進堂 髙橋龍一



| ryuichi | 05:08 | comments (x) | trackback (x) | 三春城下歳時・風土記::三春盆踊り・だるま市 |