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三春盆踊り 28 大町四つ角


今年、平成28年8月の三春盆踊りは会場を少しずらして、念願の大町四つ角交差点を中心に開催いたしました。




心配した階段下の段差も無事クリアー




木っ端での補強もばっちりです。




子供の叩く時間には、櫓掛担当若連さんががっちりサポート!




売店を北町通りに集中配置して、会場との一体感を創造してみました。




踊りの輪を、四つ角を中心に、大町お祭り広場から中央商店街通りに展開しました。




また、磐州通りで開催中のおよばれ研究会による「百杯宴」との線も結ばれました。




百杯宴会場内



磐州通り北町口





交流館まほらホワイエ内の思いで写真撮影会場の様子です。

順番を待つ方々でごった返しています。



気が付いたら散らし太鼓がはじまっていました。




あれ?踊りの写真は・・・

あっちでフラフラこっちでふらふら・・・気が付いたら終了時間の午後10時でした。









櫓の収納のため役場前まで曳航です。





初日無事終了です。

今年は場所を大町四つ角に移し、露天群や百杯宴との一体感を企画しました。

その効果でしょうか、踊りの人出が多いように見られました。

人が多い会場内で、観客と踊り手の距離が近くなち、その混雑差が羞恥心を捨てさせ一緒に踊りの興じられたといいこととして結びたいと思います。


春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂


| ryuichi | 05:29 | comments (x) | trackback (x) | 三春城下歳時・風土記::三春盆踊り・だるま市 |
三春物語954番「平成27年度 三春盆踊り」


初盆とは、亡くなってから四十九日の忌明け後に最初に迎えるお盆のことをさします。

また、お盆には、「亡くなった人があの世から、年に一度この世の家族のもとに帰ってくる」という信仰もあり大切な行事の一つです。




8月7日を七日盆、20日を二十日盆、24日を地蔵盆、31日を晦日本盆といったぐあいに、8月全体を「盆月」とされ,前年の盆以降に亡くなった新しい仏様の居るお宅では、初めて迎える盆を「新盆」「初盆」と呼んで、8月の入るとたくさんの盆提灯を下げるなど、新御霊供養がなされます。

三春盆踊りも、お盆に招いた御霊をあの世へ送るための念仏踊りが始まりとされています。




三春でも、古の盆踊りは、旧暦の7月15日に行われ、ちょうどその日は満月の夜で、その月明かりの下で夜通し踊ることができたと伝わっています。

仄かな月明かりやかがり火を頼りに踊る中で、幻想的な雰囲気が作り出され、会場内にいる拗ねての方々に、亡くなった方々を重ね合わせ、あたかも御霊と一緒に踊っているようだったと伝わっています。





三春盆踊りの振り付けにもあるように、盆踊りの空間はあの世とこの世の境界であり、踊りの所作には霊と自分自身の親しみを表す所作が必ず含まれているとされています。

さあ、今日と明日は三春盆踊りです。

この世に未練が残らないように盛大に、そして陽気にあの世へ送ってあげましょう。




亡くなって初七日、そして七日めごとに法要を営みご先祖様が仏と成って成仏されお誕生されたのが四十九日です。
ですが50回忌までまだ長い長い旅をして極楽浄土へ往生されるとされています。


法事や法要は、本来は、亡くなられた方やご先祖様の霊を供養してあげることが本来の意ですが、ご家族の悲しみを癒したり、心を満たす効果もあると思います。

四十九日までの法要は、故人を救うために施すとされています。
旅立たれて三十五日には閻魔大王の裁きを受け、四十九日には次に生まれ変わる場所が決まっているそうです。

四十九日後の法事は追善供養といい、道徳的に善い事を追加して死者の冥福を祈る意味もあります。
また、「施主」という呼び名の由来にもなっていますが、故人の近しい方々に集まってもらって、食事や酒などを盛大に「振舞い」を施して、今度はご自身が餓鬼道に落ちないように善行・功徳を積むことでもあります。






四十九日の法要が終えられていない新しい仏さまは、まだ、この世をさまよっているとされています。

それは、残してきた家族への思いなど諸事情に未練が残り、極楽への往生が叶えられていませんので、あの世からの帰省はありえません。

お盆に帰ってくる御霊を見ながら、自分自身も、そして家族も、その死と向き合いながらも、互いに未練が残り、どうしたらいいのかわからないといった切ない状況なんでしょう・・・

ついこの間まで、楽しそうに笑う笑顔があった。
温かい生活があった。

しかし、小さな骨壺に収まった故人を見ると、とても悲しくて、寂しくて、切なくてしょうがない・・・


ふとした時に故人を感じる時があると耳にします。
その息づかいや肌のぬくもり・・・アルバムの写真、使いかけの化粧品、部屋に残る香、ブラシについた髪の毛、見覚えのある洋服、一緒に食べた食事など、様々なシーンが思い出の中に存在しているんだと思います。

「ただいま~」と玄関を開けて帰ってくるような気がする・・・・

家族も、故人同様に、いまだに亡くなったことが受け入れられずにいるというのが現実でしょう。





しかし、故人の極楽浄土への旅路のためには、家族の方々が現実を受け入れて冥福を祈ることが大事なんでしょうね。

生まれてきた理由。
生きてきた証みたいなものは必ずあります。

忘れることとは違います。
思い出までは消し去ることはできませんから・・・

資産運用や保険の人生設計の中で、近しい方がなくなって「悲しい」と「困った」は違うといいますが、こんなことを考えられるのはある程度時間がたってからなんでしょう。

それまでは、思いっきり悲しんで、ただただ泣いてでいいんだろうと思います。

あとは時間が何とかしてくれるはずです。









十方三世一切仏 諸尊菩薩摩摩訶薩 摩訶般波羅蜜



三春昭進堂 髙橋龍一



| ryuichi | 05:08 | comments (x) | trackback (x) | 三春城下歳時・風土記::三春盆踊り・だるま市 |
’26三春だるま市


本日は三春城下、新年の物詩「三春だるま市」でした。

好天に恵まれ、大勢の人出で賑わったようでした。

だるま市の行き、帰りに当店にもお客様が多数ご来店していただき、良い商いをさせていただきました。
また、馬場の湯「若松屋」そして「三ッ美屋」のが来店のお客様方にも多くのご注文を頂きましてありがとうございます。
改めまして、心より御礼を申し上げます。

毎度の三春の設備屋「柳沼設備」の専務に「金運三春だるま」を頂きました。
午年の今年、これで金運再上昇は確実です!



早速店内に設置させていただきました。
目は?明日が私の誕生日なので明日に記入します。





| ryuichi | 17:46 | comments (x) | trackback (x) | 三春城下歳時・風土記::三春盆踊り・だるま市 |
平成25年「三春盆踊り」


江戸時代より続いている三春に伝わる夏の風物詩。

三春盆踊り、かつては、8月に入ると、各地・近在の村々で毎晩のように繰り広げられていたましたが、現在では8月15~16日の2日間、三春大町の「おまつり道路」で町を挙げて行われ、
三春名物にふさわしい賑わいを見せています。

明治末期頃より、城下での盆踊りが解禁され、八幡町、中町、大町と各所で盆踊りが、開催されています。

昨夜は、要田盆踊り、今晩は、沢石盆踊り・・・

盆踊り一色の三春町です。




見るものをとりこにする美しい浴衣に身を包み、しなやかな手つき、流れるような身のこなしの三春盆踊りには、三春城下を幻想的な雰囲気を醸し出し、同時開催の「百杯宴~およばれ~」町の辻角に配された行燈の灯りが、より一層雰囲気を盛り上げます。

のんびりとした田舎の癒される盆踊りです。



| ryuichi | 05:35 | comments (x) | trackback (x) | 三春城下歳時・風土記::三春盆踊り・だるま市 |
三春物語691番「三春城下の盆踊り」
三春城下の盆踊り
祈りの形から民俗芸能が生まれました。
現在の盆踊りは、仏教の先祖供養の意味合いが濃くなつていますが、もとは神や精霊を迎える祭りの一つです。

闇につつまれた静寂と祖先供養の敬虔な気持ちが満ちる踊る姿は、美しい「祈り」の姿であって、近頃よく表現されているような「妖艶」なものではない。
魂に響く太鼓の音や魂を引き込む番楽の動きと同様に、流れるように様々に変化する踊りは、観客の魂と一体となって、清らかな祈りを捧げているように見えました。

三春盆踊りは、江戸時代に三春藩主が参勤交代で江戸に行った際、ともに江戸に上った家来たちが江戸屋敷で江戸の盆踊りを学んで、三春に伝えたときんねん言い始めていますが、敢えて言うならばそれは考えずらいと思います。
それは、武士が盆踊りを踊ることは幕府によって禁止されていたからです。
まして、三春藩士が江戸城下郭内にある、藩の江戸屋敷で踊ったなどということは考えられません。
 江戸期の、三春盆踊りには、江戸時代の飢饉の際、越後や北陸から田村地方に流れてきた避難農民によりもたらされたと考えるのが妥当だと面ます。
また、太鼓のバチ捌きが、剣術の太刀捌きの様子が取り入れられていると言われているようですが、町民でもない差別地区の叩き手が、どうして武士のまねを許されるでしょう。
江戸期から明治大正の初めにかけての叩き手は、士農工商外の非人階級の方々が叩いていたと思われます。
このころの、土木工事の人足、動物の死骸処理を請け負い、寺社仏閣の祭事のお手伝いをしていた主力がその階級の方々で、その仕事を持って城下外近くに居住を許されていたからです。
 
 八幡町末、城下境の日蓮宗法華寺の外側、三春城下黒門外に「踊り場」という地名が残ります。
江戸期にあった大桂寺の門前にあたります。
ここは、城下と農村の境目、所謂「隈」地帯で、非人居住区に当たります。

江戸中期から末期に頻繁に発生した飢饉により領内からの避難民受け入れ施設を設けて施粥を施していた場所でちかくです。
この場所で「盆踊り」が盛大に開催されていたというところに、
多数の死者を出しましたが、その霊を慰めるために踊りが盛んになったことは容易に想像がつきます。

また、城下では新町の競り市場での盆踊りが有名でした。
こはは、明治から大正昭和の初めにかけて庚申坂新地遊郭があったことに由来します。
また、新町は、半農の商人や足軽が居住していた町というところも関係しているのかもしれません。
さらに、楽内や込木と境を接しているため、城下の中でも身分制度が希薄的な感覚があった地域です。
遊女がこの時だけは、郭の外に出て自らが楽しめた行楽で、踊り手もその御女郎につられて多数集まってきたと伝わっています。
江戸期以後、特に大正から昭和にかけての盆踊りは、男女の出会い的要素が多分に多く含まれていました。
時代的に、まだ、貞操観念の希薄や非人差別が尾を引いていた時代に、老若男女よも不合法な男女の出会いを求めて、太鼓や踊りをするためにも編み笠をかぶって顔を隠すこともあったように思われます。

近年の三春盆踊りは、何か地試行錯誤して往年の活気を取り戻そうとしていますが、盆踊りの意味をわきまえ、きちんとした歴史認識と主旨を理解して取り組んでもらいたいと思います。
昭和40年代に、それまで各字町内会で独自に叩き、踊っていた三春伝統盆踊りを「観光三春正調盆踊り」として統一して、町内会盆踊り廃止論に端を発した近年盆踊りは、正調含め各町内会とも、今や老人会と太鼓保存会だけのイベントになりつつある現状にあります。
伝統ある「三春盆踊り」を田舎の青年団盆踊りにしないためにももう一工夫をしてもらいたい・・・・町の予算・税金や滝桜観光収入を投入しているのだから。

もともと祭りとは、神や精霊を迎えて日常生活の倦怠を引き締め、人や生産物に
活力を注ぎ込む為の行為でした。
 そして、神や精霊がこの世に訪れて来るのは、季節の行き合う頃、つまり冬から春に向かう頃とか、夏から秋に向かう頃と考えられていて、このような時期に祭りは行われるものでした。
 神社の本殿に神体が納められるようになる以前、神霊は樹木、石、岩、御幣、棒、柱、幟、鉾山や動物、人間などに依りついで神意を示すものと考えられていました。
 また、笠を深く被って顔を隠すようにして踊る地域があります。顔を隠すことでその人の個性や日常性を消し去り、「依代としての人」になるものでしよう。
正に夏から秋に向かう頃に行われる盆行事は、こうした日本固有の精霊信仰と、仏教の孟蘭盆会が習合してできた行事です。




大正期の踊り場での「盆踊り}

| ryuichi | 09:48 | comments (x) | trackback (x) | 三春城下歳時・風土記::三春盆踊り・だるま市 |
三春物語614番「三春盆踊り 浴衣考」



お盆はもともと正月と対をなす、祖先の魂をお祀りする行事。
江戸時代までは旧暦7月15日がお盆の中心でした。
ちなみにこの日は必ず満月で、街灯のない時代、祖先の魂が迷わずに家に戻れるように、真夏の明るい夜をお盆の中心に決めたようです。
   もともと伝統ある盆踊りの多くは、戦国時代に戦死者の霊を祭るために始まったところが多いようです。
しかし、社会が安定するにつれ、念仏踊りや風流踊りの影響を受けて、共同体の楽しいイベントのひとつになっていきます。
  そして、盆踊りが今のような庶民の楽しみになったのは、江戸時代。

三春盆踊りが本日15日と明日16日に開催されます。
踊り手は、浴衣を着て踊ります。
浴衣とは、本来「ハレ着」とされています。
「ハレ着(晴れ着)」というのは「ハレ(非日常)」に着るものです。
祭礼で山車を曳く人、神輿を担ぐ人、その他、祭りに関係する人は、古来より礼装として浴衣を着ていました。
浴衣の語源は「湯帷子(ゆかたびら)」で、神に奉仕したり、物忌みをする者が、沐浴の後で着る物という意味がありました。
いまは綿の単衣ですが、古には麻の単衣でした。
湯帷子(ゆかたびら)は江戸時代になると、盆踊りの流行でさまざまに変化し、また、元禄のころになると、湯治場の温泉浴衣がつくられます。
さらに、浴衣は合羽代わりの道中着にも用いられるようになります。  



日本の庶民の暮らしに深く根づいた伝統芸能ですが、盆踊りは、明治時代の神仏分離令と昭和初期戦争中の遊興禁止令と近代に入ってから二度も国から禁止されています。 



| ryuichi | 04:06 | comments (x) | trackback (x) | 三春城下歳時・風土記::三春盆踊り・だるま市 |
三春物語617番「三春念仏盆踊り考」


かがり火を目印に祖先の御霊(みたま)が、各家の戸口を探し当ててやってきます。
御霊の送迎とおもてなしが、お盆行事では最も大切です。
盆踊りは,盆に招いた祖霊を迎え,送るための念仏踊りであるといわれています。

「踊念仏」と「念仏踊」の相違であるが、民俗学研究所編「民俗学辞典」によれば、「一遍上人・空也上人らによってはじめられた踊りと伝えられています。
三春盆踊りも、三春城下時宗寺院の「法蔵寺」門徒の活躍が拘っていたのではないかと考えます。

旧暦の7月15日は満月の夜であり,月明かりの下で夜通し踊ることができました。
盆踊りの空間はあの世とこの世の境界であり,踊りの所作には霊と自分自身の親しみを表す所作が必ず含まれています。
ほのかな月明かりやかがり火を頼りに踊る中で,踊り手は別の踊り手に,あの世に行った人達の姿を重ね合わせることになり,あたかも精霊と一緒に踊っているような錯覚に陥ります。

「仏教儀礼として、念仏をとなえながら舞い踊ることで、芸能としての念仏踊と区別する」「踊り念仏は仏教儀礼として、念仏・和讃をうたいながら霊の鎮魂や鎮送のために踊るものであるから、これを芸能または娯楽のためにすると、念仏踊となるといわれています。

 祖先の御霊はあの世の幾層かの境域を通過し、最後に月の門を渡るために待機しています。この世を照らし映す月の水に御霊の姿を透き通らせ、盆の明かりが漂う場所を目指し最後の門を押し開きます。
踊りが街路を移動することにより,精霊が元の世界へ送られていくと考えられていました。



三春でもかつては仮装踊りが主流で、笠を深く被り顔を見せない盆踊りや,仮装や覆面で踊る盆踊りは,そうした盆踊りの亡者踊りとしての一面を強調したものです。
亡者踊りという姿に、盆踊り発祥の原型を偲ぶことができます。
夜を徹して踊り明かすということも、御霊と共に過ごす心性の表明に他なりません。

眠らずに踊り明かすということは、あの世の御霊たちの命を体験することなのです。

一方で,娯楽の少なかった昔には,盆踊りは運動会とともに地域総出の行事であり,特に夜に開催されることから,若い男女はここぞとばかりに性的な活動の自由を謳歌したといわれます。


 
盆踊りにおいて、ムラの外をあの世とする考えは今でも残っている地方があるようです。
盆踊り終了後、先祖の霊たちとひと時を過ごした後に、村人はいっせいにムラの外に設けられたお墓の入り口にまで向かいます。
そして、そこまで行くと、いっせいに後ろを振り返り村まで戻るそうです。
そのときは誰も振り向いてはいけないという約束があるようです。

これは、お盆という仏教行事の姿を借りていますが、日本古来の自然宗教ということができるでしょう。
このように日本人にとってのあの世とこの世は結構近いところにあるようです。




| ryuichi | 04:24 | comments (x) | trackback (x) | 三春城下歳時・風土記::三春盆踊り・だるま市 |