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三春物語885番「NHK/BS 新日本風土記収録」


先日、NHKのBS3で毎週金曜日の午後9時から放送している「新日本風土記」の収録が三春町で始まっています。

以前、ご来店されたNHK福島のディレクターの大嶋さんから、昔の風景で残る”朝の野菜売り”について問い合わせがありました。

今から、15・6年位前までは毎朝の風景として近在の農家のおばさんたちが、朝採れたての野菜を籠に背負って毎朝売りに来ていました。

こどものころから見ていた日常の光景です。

昼前には、野菜を売り終えて帰り足、”橋長”で魚など夕餉のおかずを買い、三春昭進堂では孫たちへお菓子やパン等を買って帰るのが常でした。

当時は、当店なども、旬の取れたての野菜を買い求めていましたが、近頃は野菜を売りに来ていた皆さんが高齢化のためにほとんど見る機会も減ってしまいました。

また、嫁さんや娘さんなどは皆農家以外の仕事についているために、後継者もなくなっています。

そこで、当時一番若かった込木の宮ノ下のお住まいの、野菜売りの方を紹介して、この収録につながったという次第です。


当店には、朝一番に訪れていただきました。
この時期は、野菜は少なく集めるのに苦労したなどと、日常会話をしながら野菜の売り買いをします。
もちろん、私が満面の笑顔で買い物をしています・・・

放送日はまだ聞いていませんが、放送が楽しみです。

乞うご期待!


三春名物”おたりまんじゅう”本舗 三春昭進堂


| ryuichi | 05:18 | comments (x) | trackback (x) | 🌸三春城下歳時・風土記::歳時記 |
三春物語872番「三春城下時宗法蔵寺 春の催事(平成27年度)」



春の催事(平成27年度)

法蔵寺 春の催事(平成27年度)





涅槃会(だんごまき)
日 時 3月15日(日) 午後2時 涅槃会法要 だんご撒き だんご接待
 ○釈迦入滅の様子を描いた涅槃図が飾られます。
 ○法要後、皆さまの福運を願い、ダンゴ撒きを行います。
 ○団子を食べて、お釈迦様の教えの功徳を授かりましょう。
 ○参加無料




春彼岸会
かたりべの会
日 時 3月24日(火) 午後2時
かたりべ 郡山おはなしの会のみなさん
 ○おじいちゃんもおばあちゃんもお孫さんもみんなで一緒に聞いてみませんか?




念仏講 百万遍数珠繰り
日 時 3月24日(日)午前10時
 ○お彼岸の先祖供養、東日本大震災犠牲者供養


◎太極拳 随時参加者募集 ・例月2回の練習日




三春名物「おたりまんじゅう」本舗 三春昭進堂 


| ryuichi | 05:02 | comments (x) | trackback (x) | 🌸三春城下歳時・風土記::歳時記 |
「三春法蔵寺観蓮会」~健康長寿”蓮万寿”


観蓮会売店用 健康長寿”蓮万寿”

蓮の実入り小豆あんを山芋入りの蒸し饅頭生地で包み、蓮の実甘露煮を載せて寒天でコーティングしました。

三春法蔵寺観蓮会

 平成26年7月27日(日)早朝6時


・野点早朝大茶会
 蓮の花を愛でながら朝茶を一服どうぞ。


朝茶会用”特製蓮万寿”
淡いピンクで仕上げました。

・花架拳の舞
 優雅な天女の舞をご鑑賞ください。

・象鼻杯
 風流な蓮酒をお楽しみください。
 ※蓮茶、蓮おにぎり、蓮まんじゅうなど用意してあります。

・投句会
 投句箱を用意してあります。一句詠んでください。

・写経会
 蓮の露にて墨をすり、心静かに写経を如何でしょうか。





蓮の実は、古くから生薬として婦人病や滋養強壮、さらには胃の働きを助け下痢止めなどに効果があるとされ、さらにはイライラを抑える働きがあり広く利用されています。また、糖質をはじめ、ビタミン類やミネラル類、食物繊維など女性に嬉しい有効成分が豊富に含まれています。



健康長寿蓮万寿は、6個入れパックと3個入れパックをご用意いたしました。


蓮は泥の沼の中から出てきたとは思えないような美しい花を咲かせ、花と同時に実をつけます。このため仏教では、迷いの世界(泥水)の中にあっても、迷いに染まらず悟りを得ることをハスの花に例え、仏教の台座である蓮台に蓮の花の形が使われています。




日本や中国では、仏教での極楽浄土とは蓮池のことであるとされていたため、寺院などの境内には蓮池がよく見られます。


古来中国では、滋養強壮のために数千年前から、漢方の一種として珍重されてきました。また、皇帝への貢物として用いられ、仙人のデザートとも呼ばれています。

中国では「蓮子」とも呼ばれ、精進料理や薬膳料理の材料として使われます。



蓮の名の由来は、蜂巣(ハチス)が縮まってハスになったと言われています。

蓮まつりのお土産に法蔵寺境内の売店でお求めください。



三春昭進堂では販売していませんのでご了承ください。


三春昭進堂 髙橋龍一


| ryuichi | 04:32 | comments (x) | trackback (x) | 🌸三春城下歳時・風土記::歳時記 |
「三春駒」午年です。


来年の干支は「午」です。

実は、当店の女将(女房殿です)は、丙の午でして・・・



旅行や出張などの出先で、馬の置物を見かけますと女将に敬意をと感謝の気持ちでついつい買い求めてしまいます。


午の土鈴


こちらも、午の土鈴

どちらも津和野の陶里菴で今年頂いたものです。


三春で馬と云えば郷土玩具の三春駒ですね。
この三春駒は、日本で最初の年賀切手に採用された民芸品(昭和29年・郷土民芸シリーズ)ということをご存知ですか。



また、青森の八幡駒、仙台の木ノ下駒と共に日本三大駒に数えられているそうです。


尚、白い三春駒は長寿のお守りとされています。



高柴だるま屋敷(デコ屋敷)
 「三春駒」「三春張子」「三春だるま」の生まれた土地、磐城國三春高柴村は、三春城下より西へ5キロの場所にあります。
なだらかな阿武隈山脈のほぼ西端に位置する雑木林に囲まれた小さな村落です。
 「デコ屋敷」は「だるま屋敷」とよばれ旧高柴村の舘野と福内の二つの部落にまたがっています。村内には平家落人伝説が残りますが、戦国大名田村氏の重臣橋本刑部顕徳の末裔と称しています。

この小さい里山のには、歴史を感じさせるお堂や祠が多く点在しています。
天神様、観音様、地神様、オハヤさま、蚕飼様、子育木馬神社、大黒様、地蔵様、弁天様、千手観音様、庚申様、秋葉様、アオソ様、そして不動明王様が祀られています。

高柴は、この小さな地域が一つの完結した社会として成立していて、三春城下の中でも、周囲にある他の村落から隔絶した集落を形成しているように感じられ、三春郷の特殊技術集団が暮らす、「隠し工人集落」だったのではないかと考えられます。

言い伝えによると、三春藩から高柴人形師は、三人扶持を給され三春城下寺社鳥居内の店張りを許可されていたといわれます。
城下には、店は持たず城下から四里余の高柴より、祭礼や市日などに自ら荷を背負い出店を張っていたようです。
「太元帥明王祭礼絵図」に、「三春張子」を売る高柴衆が描かれています。
 村内には「香具師記録」が残っているところからみて「土着の香具師」というのが高柴衆の身分だったのでしょう。



元旦の朝、御屠蘇を家族全員で頂き、新年を共に迎えられたことを喜び、今年一年の息災を祈念しますが、御屠蘇の酒は勿論「三春駒」です。


三春昭進堂 髙橋龍一

| ryuichi | 14:34 | comments (x) | trackback (x) | 🌸三春城下歳時・風土記::歳時記 |
三春物語728番「三春法蔵寺寄席・出前演芸会」


三春法蔵寺寄席「出前演芸会」が昨夜開催されました。
満員御礼のお客様の入りで本堂内は超満員です。



我々法蔵寺我聞会としても久々のイベントですが、なんやかんやで毎年イベントのお手伝いをしているので、それぞれがスタッフとして前日からの会場設営や当日の役割、そして翌日の後片付けなどテキパキと仕事をこなしてゆきます。

特に女性陣は夕食の準備から打ち上げ直会の料理つくりなど大忙しです。


超満員の本堂内と今回のコーディナーターの田村哲氏

演目は、幇間(ほうかん)芸・太鼓持ち、お座敷芸の悠玄亭玉八(ゆうげんてい たまはち).師匠。
NHKドラマ「坂の上の雲」で、正岡子規がカンニング(法官と幇間を聞き間違)した場面をご記憶でしょうか?
その場面でで幇間役として出演したのが玉八師匠です。
世相漫談 その時々の話題をからめたおしゃべり
粋曲漫談 都々逸、新内、俗曲をはさんだ楽しいバラエティー
三味線曲弾き 大薩摩をはじめ、勇壮な旋律と音色
声色・声帯模写 政治家、役者、噺家などのものまね
小噺 お酒の席では艶笑中心で
屏風芸 屏風、襖を使った一人芝居
仕方話と所作事 踊り等を取り入れた所作事
手踊り おなじみ「かっぽれ」等



落語真打 春風亭柳之介師匠は、
「転失気」
 知らないことを知らないと云えなくて、知っているフリをする。
 まぁ、まったく何も知らない人、というのはあまり知ったかぶりはしません。
そういう方は知らないのが当たり前になってますので、「しらなーい」「なにぃ、それぇ」なんて、ごく気楽におっしゃいます。
一方で、本当に物事を深く知っていらっしゃる教養人、なんてお人は、これまた知らないことは知らない、とおっしゃいますな。
今さら一つや二つ、モノを知らなくったって、誰もその人をバカにしたりなどできませんからな。
半端にモノを知っている。実際よりも余計にものを知っているように見られたい。
そういう気持ちが知ったかぶりをさせるのでしょうな。
われわれの中にもよくあります。

そして若手漫才コンビのニードルのお二人の出演でした。



そんな中、満員の本堂内の窮屈さを少しでも和らげようと、舞台袖まで客席を広げて構いませんよとの言葉。
そして暑さ解消のため窓や扉をあけ放ってくださいとの出演者である柳之介師匠のお客様に対する心温かい配慮には感服させられました。

お蔭様で会場内は笑いのるつぼと化しまして、カエルもゲロゲロヲ控えるくらいに三春城下に笑い声が響き渡りました。
お客様方のお帰りの際には、皆様「楽しかったよ!」「イヤー笑った!」「またお願いします!」とのお言葉をいただきました。

公演終了後には、恒例の打ち上げ直会が開催されましたが、玉八師匠、柳之介師匠、そしてコーディネーターの田村変哲さんも同席頂き、楽しい打ち上げ会となりました。
玉八師匠には宴席でも一芸を披露いただき盛り上がりました。

また、柳之介師匠は、スタンスも刈る子宴席をとびまわっればを盛り上げていただきk、我々スタッフにも心配りしていただき大変盛り上がった宴会でした。
今回の演芸会にもさまざまなご縁がりまして実現したことなど宴席上で拝聴しまして、改めて「御縁~絆~」というものを実感した次第です。

本当にありがとうございました。



特に今回の直会の料理の目玉は「山菜」です。
住職の発案で、出演者の方々を少しでも労おうというおもてなしの心で山の恵みである山菜料理を提案してきました。
それに答える自他ともに認める「山の神」と呼ばれる我聞会員が新潟県境で、地竹、タラの芽、ウドなど山の恵みをたくさん取ってきていただき、豪華な山菜パーティーとなりました。




三春昭進堂代表 菓匠髙橋龍一

| ryuichi | 05:29 | comments (x) | trackback (x) | 🌸三春城下歳時・風土記::歳時記 |
三春仏教和合会「稚児行列」
神道の世界では、神が幼く清浄な稚児(ちご)に好んで宿り、心から和まれるという信仰があります。そのため、現在も子供が主役の稚児行列などの行事が日本各地に残っています。

お稚児さんとは

この稚児とは、「ちのみご」という言葉が縮んだものと考えられる。
後に、6歳くらいまでの幼児(袴着・ひもとき前)に拡大される。袴着・ひもとき~元服・裳着の間の少年少女は「童」(わらは・わらべ)と呼ばれた。
また乳子の意として、「神社・寺院の祭礼・法会(ほうえ)などで、天童に扮して行列に出る男女児」とされています。

神道においては、神さまが幼児や子供の童形の姿をまとい表れるとされ、祭礼行事に大切な役割を果たしてきました。
世の中の汚れや穢れを吸収していない清浄な魂の持ち主である子供は、神霊がとどまりやすく、また神霊であるともされています。
そのため信仰の対象にもなっていたのです。

数々の祭礼行事には、きれいにお化粧をして、美しくあでやかな衣装を着て、神さまに奉仕をしたり、美しく舞を舞う「お稚児さん」。
古くからは、五穀豊穣や悪魔払いを祈り舞ったものでした。
子供が、大人よりも神さまに一番近い存在として、祭礼奉仕にかかわっていることがわかります。

一方、少年は神霊の化身と言われ、この稚児を神仏の姿を現すとして、肉体的交わりの行為を神聖視する宗教的な意味合いとしてもあったそうです。

奈良時代に貴族の子弟が幼少のうちに公家やお寺に奉公することが制度化され、これらの少年達のことを稚児と呼ばれていたのです。

もちろん寺院は女人禁制、それで男児を使ったわけです。
僧と稚児、ちょっと怪しげな関係の稚児を寵愛する風習が、この時代(奈良・平安時代)広まったともいわれています。


| ryuichi | 17:13 | comments (x) | trackback (x) | 🌸三春城下歳時・風土記::歳時記 |
三春物語624番「月見」
日本では、古くから秋の名月を鑑賞する「お月見」の風習があります。
お月見というと旧暦八月十五日の十五夜(今年は9月22日)がもっとも有名ですが、日本では古来もうひとつ旧暦九月十三日の十三夜もまた美しい月であると重んじていました。
> 今年の十三夜は10月20日

中秋の名月(十五夜)はもともと中国で行われていた行事が日本に伝来したものですが、この十三夜の月見は日本独特の風習だそうで、一説には宇多法皇が九月十三夜の月を愛で「無双」と賞したことが始まりとも、醍醐天皇の時代(延喜十九年:西暦919年)に開かれた観月の宴が風習化したものとも言われています。

一般に十五夜に月見をしたら、必ず十三夜にも月見をするものともされていました。これは十五夜だけでは、「片月見」といって忌まれていたからです。

十五夜はサトイモなどを供えることが多いため「芋名月」と呼ばれていますが、十三夜は「栗名月」とか「豆名月」と呼ばれています。これはお供えとして栗や豆を、神棚などに供えるからだそうです。中秋の名月の後なので、「後の月」と言われたり、「小麦の名月」と呼ぶ地方もあります。これは旧暦九月十三日の晩のお天気で、翌年の小麦の豊作、凶作を占う習慣から来ています。

十五夜はあまりすっきりしない夜空であることが多いのに対し、十三夜の夜は晴れることが多いようで、「十三夜に曇り無し」という言葉もあります。


| ryuichi | 04:26 | comments (x) | trackback (x) | 🌸三春城下歳時・風土記::歳時記 |