2021-11-11 Thu
旧縣社「三春大神宮」参道、二之鳥居下にある「日独戦争平和記念」石碑です。
第1次世界大戦は、1914年から1918年の間ヨーロッパを舞台にした大戦争でしたが、日本はイギリスとの間に「日英同盟」を結んでいた関係上、イギリス・フランス・ロシアの三国協商(連合国)側に加わって参戦しました。
当時のアジアにおけるドイツ軍の拠点は、中国の山東半島の南側、膠州湾(こうしゅうわん)の青島(チンタオ)にあり、1914年8月23日にドイツに宣戦布告し、 11月7日に青島を占領しています。
日本では、ドイツとの戦争だったので当時は日独戦争と呼んでいます。
戦争の無い、平和が一番です!
11月11日。1918年の第一次世界大戦終戦の日
三春大神宮紅葉ライトアップ 2021
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2020-09-02 Wed
三春大神宮境内 石造神鏡碑
光舎萬象 惟神准明 権衛造花化 鎮護群生
元禄 元禄辛未歳七月吉旦 花王公忠
輝く社殿と自然 これぞ神明宮 平らけく万象を衛り 民衆を鎮護す 刻まれているそうです。

古写真にも写っています。
明治35年御災害からも復活!
先の大戦で建立された「皇軍全勝日拝碑」が、他の奉納石三方と並んで、石造神鏡の一角にあります。。
いろんな意味でパワースポットです。
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2020-07-24 Fri
三春大神宮境内散策
参道階段に設置されている三春大神宮別日講中寄進の「常夜灯」にも、昭和6年奉納と記されています。
寄進社名には講中講員である中町・馬場・尼ケ谷の方々のお名前が見えます。
幕田、宗像さん等の見知った方々のご先祖さまのお名前のようです。
早朝、誰もいない三春大神宮の境内で小鳥のさえずりに耳を傾けながら、しばし三春の先人に思いを寄せながら階段を上って弾んだ息を整えています。

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2020-06-26 Fri
三春大神宮の境内に「奉納御大典記念」と記された大きな狛犬があります。
昭和3年、昭和天皇即位「御大典の儀式」を記念して神社本殿の大改修がなされ狛犬の像もこの時に、有志の方々によって寄贈されたものと思われます。
くちが少し空いているのがわかりますか?
狛犬は一対で「阿吽(あ・うん)」を表現しています。
こちらは 「阿(あ)」の狛犬
こちらは「吽(うん)」の狛犬です。
人間は生まれた時には「あ!」と言って生まれ、亡くなるときには「ん~」と言ってなくなるそうです。
輪廻の世界観です。
天国とも称される天上界に居た人間が再び修業の場であるこの世に生まれた時には「あ」といって現実社会を受け入れ、その修業が成就したときに寿命を終えて天上界に帰る、いうなればその修業に満足して天国に行くということなんだと思いますが、その人生に納得しての「う~ん」という声で表現しています。
つまり、満足した人生を送るという人の一生を生き方を説いていると習ったことがあります。
大正15年に大正天皇が崩御され昭和天皇が即位すると、全国各地で昭和天皇陛下即位を御祝いする式典が開かれました。
それを記念して各地に建てられたのが、御大典記念碑です。
この碑は、天皇即位から3年後の昭和3年に建立されています。
また、同年の11月には、天皇陛下の即位を御祝いする御大典(ごたいてん)の式が宮中で盛大に開催されています。
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2020-06-22 Mon
三春大神宮境内への参道最上部に「壽楽會」が奉納、建立したと記された石造灯籠が一対あります。
戦前の建立らしく、皇紀元二千五百九十六年 昭和拾壹年 と年号が刻まれてあります。
帝都東京では、昭和11年2月26日に皇道派の青年将校が決起し、当時の元老や重臣らを襲った「昭和維新断行・尊皇討奸」を掲げて起こした未曾有のクーデター未遂事件「二・二六事件」が発生した年です。
奉納した方々のお名前を見ますと内藤傳之助、渡邊甚平、渡邊栄一、斧田撫臣、国馬長太郎、岡山又四郎…という三春の名士がお揃いで明記されていますが、その中に深間内久蔵の名前を見つけました。
深間内久蔵(のちに基と改名)氏は、孝明帝が即位した弘化3年、三春藩士深間内基時敬の長男として生まれたかたで、
明治11(1878)年、J.S.ミルの『The Subjection of Women』(1869年英国にて発行)を『男女同権論』の題で翻訳し、明治10年代の男女同権論争に大きな影響を与えた自由民権家です。
また、明治期に、三春は元より田村地方の若者が志を抱いて東京で勉学に励むことを扶けるために設立された学生寮「田村学生寮」建立に尽力され、千三百余圓の私財を投入し建設資金にし、藤泉賢四郎(後の大林組社長大林賢四郎氏が設計施工を請け負ったという記録されています。
明治元年11月、22歳の時に慶應義塾に入社した。義塾で英学を学び、明治9年に、高知立志学舎に英学教育員として招かれた。
立志学舎は、板垣退助・片岡健吉らによって結成された政治結社立志社が、民権思想普及のために設けた学舎で、深間内は自由民権運動の大きな影響を受けることになった。なかでも、女性が演説会に参加する様子をじかに見聞したことは、彼に女性の社会的地位に対する関心を喚起した。
明治維新後の、三春の教育
「日本の唯一の資源は人であり、人を育てるのは教育しかない」
「三春で学んだことを誇れる教育」
かつて三春人は、教育、人間育成ということには驚くほどの力の入れようでございました。
尚、岡山又四郎氏は、音楽家の岡山直先生、そして、元小野町長秋田直孝(旧姓岡山直孝”氏のお父上様になります。
岡山先生は、三春小学校の他に、三春中学校、県立田村高校、そして町外の船引中学校や、伊達小学校、大槻小学校など様々な学校の校歌を作曲し、今も歌い継がれています。

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2020-06-15 Mon
体力増進とダイエットのために早朝or夕方に散歩を開始して、早3か月になります。
体力は兎も角、体重はなかなか落ちてはくれません。
ここ一週間は、愛宕神社にもトライして、休憩なしで340?だったかの急な階段を休憩なしで登れるようになりました。
最近、朝の散歩コースに三春大神宮を入れています。
毎朝参拝が寺境内まで上がっていますと、普段は気が付かないもの期きずきます。
境内の石造鏡の近くにある「皇軍全勝・武運長久・国威発揚・東洋平和・日拝祈願」石塔もその一つです。
この石碑は、昭和14年に「内務大臣通牒ニ依リ本日ヨリ七日間毎朝皇軍ノ武運長久及国威宣揚祈願祭リ執行ス、毎朝参籠潔斎ノ上祭典ヲ行フ。」との公布により、全国の神社にて行われた「国威宣揚皇軍武運長久祈願祭」の際に建立されたものです。
昭和12年の盧溝橋事件をきっかけに始まった支那事変(日中戦争)は、当初の想定に反して長期化して泥沼化していきます。
これに伴って戦没者も増加し、国内では出征軍人に対する武運長久の思いも強くなっていきます。
出征兵士の武運長久記念のため、送り出した家族による寺社参りも盛んになまり、縣社三春大神宮も大鳥居建立や石段修復等の境内整備が進められました。
国として必勝ということなんでしょうが、参列された町長、区長以下の役員の方々も含めて子供を戦地に送るりだす親兄弟はもちろん祖父母も、その無事帰還を願う気持ちがこの石塔に込められているんだともいます。
また、境内の石造石鏡の周りや境内の入口付近に複数設置してある石の三宝(三方)か机、石柵の一部?のようなものがあります。
全てに寄進者の名前があり、石造鳥居付近には古物商小野寺、釜屋薬舗等、見知ったお名前の方々が寄進されたものもあります。
昭和に入り、戦時下ということもあり「国家神道」のもとで神社は国威宣揚、聖戦勝利、皇室崇拝などの祈願の場とされ、三春町民を動員した祈願祭、奉告祭がしきりに行われていたようです。

三春大神宮の古写真を使ったポストカードです。
お判りでしょうか、拝殿が茅葺のままです。
また、神楽殿が境内右にあります。
明治35年9月の三春大神宮裏山土砂崩れで、社殿及び神楽殿他の建屋が倒壊してしまいます。
この時には資料となる多くの文献が土砂に流され紛失してしまいます。
三春町史より
昭和6年に、その幣殿拝殿の再建が始めっていますので、昭和6年以前の写真が使われていると思われます。
昭和6年の再建時に三春城下の小学生が運び上げたという小石が本殿前に残ります。
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2018-10-06 Sat
三春総社三春大神宮秋季例大祭
新町睦会 花車と樽神輿奉納
この樽神輿は、長獅子との隔年奉になります。
昭和50年代初頭に、長獅子の無い年に奉納しようと、田村大元神社別火講中の有志で作られ、紆余曲折しながら平成5年に新町睦会として整備されました。
新町の花車は、20数余年前に復元しました。
昭和30年に、一度だけ奉納した旧新町太鼓山車で、田村太元神社の縁の下に70年間眠っていたものです。
彫り物は、盆太鼓櫓や随神門下などに、分散して保管してありました。
恵比寿さまや、鶴に亀など祝いの彫り物があります。
明治期に作られた大太鼓舞台「花車」の遺構です。
来週末は、三春大神宮の祭礼です。
新町睦会、三春最大の樽神輿用樽を三春駒佐藤酒造さんより拝借です。
その数、13樽で三段重ねとなります。
神様にお供えするといったニュアンスから、昭和40年代に始まったとされる三春城下各町会の樽神輿。
派手好きなここ新町では、一番大きな神輿を選択しました!
これが重いのなんのって・・・・両サイドに補助棒も追加しての奉納となります。
注・この補助棒は背の低い人用に作ったんではありませんから・・・あ!俺にぴったりの高さだった。
三春城下新町には、田村大元神社別火講中があり、その講中で二年毎に、三春大神宮に長獅子を奉納してきた町会です。
当時の三春大神宮祭礼の日程は、10月1日から3日までの三日間挙行されていました。
初日の一日の神輿渡御では、中町、八幡、町荒町を巡り、夕刻に八雲神社下荒町公民館から三春大神宮へ還御.
そして3日の渡御は、中町、大町、北町、新町を巡り、夕刻に旧新町公民館から三春大神宮へ還御していました。
各町内の山車や樽神輿の供奉は、この新町出坐の3日目と決まっていました。
3日の夕刻、各町内から樽神輿と太鼓台や山車が神様を迎えに新町に参集してくる様は圧巻です。
当時の別火講中の方々の中で、「長獅子奉納の無い年に、ただ見送るのではなく、自分たちでも樽神輿を作って奉納しよう!」と昭和54年に、別火講中の有志やOB,そして私たち若造を入れて樽神輿を作ったという次第です。
なんと二回目までは、トラック用のバッテリーを仕込み、カラオケセットを搭載して、休憩のたびに歌っていました!
以来、二年毎に奉納してまいりましたが、時代の流れの中で様々な紆余曲折を乗り越えて、私たちが引き受け、新町睦会で運行を始めました。
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