CALENDAR
S M T W T F S
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30       
<<  2017 - 04  >>
CATEGORIES
ARCHIVES
PROFILE
    k1
OTHERS




三春物語332番「神明宮の神鶏舎跡」


かつて、三春大神宮の御神域には鶏が住み着き神鶏と呼ばれ神様の御遣いとされております。
天岩戸神話に「常夜の永鳴鳥」として登場する鶏を御神鶏として飼われていたとされていました。



暁時に高らかに第一声を発する鶏は、時を告げるとして伊勢の神宮ではお祭りの中でとても大切な役目を果たしております。
また、三春で酉の年は火事が多いといわれますが、これは地方などに宵に鳴かぬ鶏が鳴くと「火事が出る」といわれたことから出た俗信です。
三の酉の頃になると次第に寒さを増し、火を使う機会も増えることから火に対する戒め、慎みからいわれたのでしょう。


鳥居の由来も、鶏から



| ryuichi | 06:29 | comments (0) | trackback (x) | 藩社神明社(三春大神宮)::三春大神宮 |
三春物語292番「神明様の白馬」


旧三春藩社である神明宮、現三春大神宮の境内には2代目徳田研山の指導により、伊東光運が作成した白馬像があります。
白馬の詳細は、自分の愛馬を参考にさせたと云われています。



また、もう一説には、文久年間に全身が雪のごとく白い稀代の名馬「養老」が誕生しました。 
この雄姿を永く後世に残すため、時の藩主が彫刻師・伊藤光運に命じて等身大の白馬の木象を作らせ「三春大神宮」に奉納したと伝えられています。

また、三春玩具「三春駒」は、子供の玩具としてこの白馬を模して作られ、名馬「養老」の名に因んで老後のお守りとして、広く賞愛されようになったと伝えられています。





この力士絵馬は、河野広中の兄、広道の奉納です。



| ryuichi | 04:57 | comments (0) | trackback (x) | 藩社神明社(三春大神宮)::三春大神宮 |
三春物語19番 「御神明さま」


「神明さま」
三春の民間信仰のひとつに「神明さま」があります。
 お神明さまの人形のひとつは「熊野神明」、もうひとつは「伊勢神明」といい、病気平癒に御利益があり「熊野神明」は女神で丸坊主か頭巾を被った形か、昔の朝鮮の女性の髪のような姿にも見えます。
 霊位憑依のイタコか巫女の持つ呪具、御幣や玉串から発生した形と考えられています。 
お神明さまは、普段は神棚の祠に納めていますが、外に出さないと機嫌が悪く、いつも出たがる神さまとされていて、所謂遊行を好む神さまです。
 現在では、信仰は途絶えていますが、その昔は家にじっとしているのが嫌いだからといってお新明様を持ち歩くと、その人自身が壮快になって疲れが飛んだと伝えられています。

伝承には、神明婆と呼ばれる老婦人が、ふさふさとした「お神明様」を箱に入れて持ち歩き、祈祷するときは両手に御神体を持ち「伊勢神明・・・」などと祭文のような唱えごとをし、肩こりには肩、頭痛には頭をさすってくれたという。
 神明様は本来、家屋敷・家族の息災と繁栄を祈念する神さまですが、時に神明を振り神懸かりをして病気平癒、火伏から肩こり頭痛なども癒し、子供の疳の虫時の祈祷など幅広い信仰を持っています。
また、神明様は気まぐれであるといい、怒りっぽく「祟り神」になるとも云われ、人々は御神明様を持ち歩く人に不調法なことをしてはならないと云われていて、加持祈祷が終わると必ず馳走したと伝わっています。
 また、三春神明様は、法華宗の門徒の家では大切にしてくれないといって決して近寄らなかった。また、すぐ近くにある日蓮宗法華寺にも入らなかったという。
 現在の三春大神宮祭礼でも、田村大元神社と八雲神社の長獅子が隔年交代で先払をつとめていますが、八幡神社の長獅子は出ていないのも、法華寺が八幡町にあり、その門徒が多いので、この辺に長獅子が奉納しない理由があるのかもしれません。





| ryuichi | 16:10 | comments (0) | trackback (x) | 藩社神明社(三春大神宮)::三春大神宮 |
三春物語149番 三春大神宮境内 「棚織神社」




棚織神社
三春大神宮境内にある棚織神社は、機神様とよばれ、信仰を集めています。
もともとは、三春織物関係者の勧請により、社殿を造成し、共同でその祭祀にあたっていました。
江戸秋田藩政時代、「三春織」という機を織っていた人々が、三春の機の繁栄を願い、機織の神様として「拷幡千々姫命(たくはたちぢひめのみこと)」をまつったことが始まりと言われています。
その後、「棚織大明神」という名をいただき「棚織神社」と呼ばれるようになりました。
かつての三春糸偏産業(繊維産業)の盛んだった頃の名残を残す守り神です。  



日本の棚機津女(たなばたつめ)の伝説は『古事記』に記されており、村の災厄を除いてもらうため、水辺で神の衣を織り、神の一夜妻となるため機屋で神の降臨を待つ棚機津女という巫女の伝説です。
「たなばた」の語源はこの巫女に因みます。
日本では奈良時代に節気の行事として宮中にて行われていました。
また、萬葉集では大伴家持の歌「棚機の今夜あひなばつねのごと明日をへだてて年はながけむ」など七夕に纏わる歌が存在します。
本来、宮中行事でしたが、織姫が織物などの女子の手習い事などに長けていたため、江戸時代に手習い事の願掛けとして一般庶民にも広がりました。

「七夕」は日本古来の豊作を祖霊に祈る祭(現在のお盆)に中国から伝来した乞巧奠(きこうでん)などが習合したものと考えられています。
もともと盆行事の一部が独立した行事として、行われるようになったと言われています。
笹は精霊(祖先の霊)が宿る依代が起源だと考えられています。

織女や牽牛という星の名称は 春秋戦国時代の『詩経』が初出とされています。
七夕伝説は、漢の時代に編纂された『文選』の中の『古詩十九編』が文献として初出とされており、南北朝時代の『荊楚歳時記』、その他『史記』等の中にも記述があります。




その傍らにある、三春藩柔術指南加藤木直親先生の碑です。


神垣山三春大神宮の鶏舎跡地の碑です。





| ryuichi | 15:37 | comments (0) | trackback (x) | 藩社神明社(三春大神宮)::三春大神宮 |
三春物語151番 「三春城下別格総藩社」
 三春大神宮  城下六町別格藩総社旧神明宮
 三春藩主秋田家初代俊季は、三春在城三年に大阪城在番中に亡くなります。城下町の整備の多くは二代盛季によって行われています。
盛季は57歳で死去し後室正寿院が、神明宮遷宮の基となります。正寿院は高崎城主の娘で盛季より三歳年上でした。正寿院七十歳のころに病に罹り、医薬祈祷も効がありません。そこで修験者を招いて「神降ろし」をすると未申の方角に霊験あらたかな神明宮の祠があると宣託が下されました。早速家臣を派遣すると、宣託通り城下外貝山村岩田に神明宮の祠があり、城内に遷して信仰すると病が癒えたといわれます。
母の信仰の深さに、三代輝季は、岩田に隣接する丘を神垣山と命名し三春城を望む高さに神明宮を仮安置して社殿の造営に取り掛かります。
遷宮は、元禄に年九月と記録に残っています。
昭和6年に、幣殿拝殿の再建にあたって、社殿周辺の敷石や基礎の用いるために、三春小学校児童約1700名と教職員は、町内を流れる桜川から川石一人二個づつを拾い境内に運び上げました。


| ryuichi | 16:13 | comments (0) | trackback (x) | 藩社神明社(三春大神宮)::三春大神宮 |
三春物語152番 三春大神宮末社 笠森稲荷神社
     三春大神宮末社 笠森稲荷神社
笠森は瘡守(かさもり)と音を通じて、瘡平癒から、皮膚病のみならず梅毒に至るまで霊験があるとされ、江戸時代後期には各地に広まった。
病気平癒を祈って土の団子を供え、治癒すると米の団子を供えることが慣わしになっている。



八百万(やおよろず)の神々といわれるように、日本には様々な神が存在しています。
日本の神について、江戸期学者の本居宣長は、『古事記伝』において次のように指摘しています。
 「神とは記・紀などの古典にある天地の諸神をはじめ、それらを祀(まつ)る社にいます御霊(みたま)、また人や鳥獣、草木、海山などのほか、どのようなものでも「尋常(よのつね)ならずすぐれたる徳(こと)のありて、可畏(かしこ)き物を迦微(かみ=神)とは云なり」とし、また「すぐれたる」ということも、尊きこと、善(よ)きことや功しきことだけではなく、悪しきこと、怪しきことなどの世に優れて可畏きことも神としている」
 「畏敬」という言葉がありますが、恩恵を与えられるものだけではなく、畏怖を与えられるものにも神性を感じてきたのが日本人であり、崇められてきたのが日本の神々とされています。
このようななかで日本人は、自然に対して謙虚に接し、また豊かな感性を磨き上げてもきました。




こちらは、同じ境内にある三春藩剣術指南役
鹿島神傳直真影流十六代 黒岡正記先生の碑です。



| ryuichi | 13:06 | comments (0) | trackback (x) | 藩社神明社(三春大神宮)::三春大神宮 |
三春物語153番 三春大神宮境内末社 松尾神社
松尾神社(松尾大明神、松尾名神)
創建年月、沿革は不詳、山城国(京都)松尾大社より八幡町裏町に勧請し明治初頭に現三春大神宮末社笠森稲荷神社境内に合祀されました。
松尾大明神を氏神にする秦(はた)氏は、奈良京都を中心に国内全域に亘って、酒造・水路・鉄器・国土開発・養蚕等の技術を伝承したと伝えられています。





| ryuichi | 10:49 | comments (0) | trackback (0) | 藩社神明社(三春大神宮)::三春大神宮 |