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本日は、己巳(つちのとみ)の日です。 金運・財運の神様 宇賀神様の縁日



己巳(つちのとのみ)は、60日に一回巡ってきます。



今年2020は、9月23日(水)、と11月22日(日)曜日です。


宇賀神様の御縁日はというと、弁財天の御縁日と同じ「己巳(つちのとのみ)」の日と伝わっています。


巳の日は、弁財天に縁のある日のことで、十二支の1日で、12日ごとに巡ってきます。


特に9月の己巳(つちのとみ)の日は、弁財天・宇賀神を祀る寺社ではこの日を「巳成金(みなるかね)縁日」としています。







巳(み)の日に、宇賀神の遣いである白蛇(巳とは蛇の事)に願い事をすれば、その願いが宇賀神に届けられると言われており、金運・財運にまつわる縁起のいい吉日のひとつとされています。

また、己巳(つちのとのみ)の日という日は、巳の日のなかでもさらに縁起の良い縁日です。













宇賀神様の参道付近、郡山西広域農道沿いに交通安全を念頭にした案内板が設置されています。










下り坂となる高屋敷稲荷神社方面から見えるように設置されています。






尚、宇賀神様周辺には駐車場はありません。


宇賀神様の参道前広場へのお車の乗り入れは、S字カーブの見通しの悪さや、側溝破損の関係もあり、侵入不可です。



朝夕の時間帯は、交通量も多く三春でも交通事故の危険が指摘されている場所の一つでもあります。


目の前を通行する方、そして、お参りに来られる方に於かれましては、交通安全をお願いいたします。








有志の方がにより「宇賀神王」の紅白の旗が奉納されました。







三春名物「おたりまんじゅう」本舗 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍 


| ryuichi | 03:24 | comments (x) | trackback (x) | 三春ノ信仰1 |
三春城下新町 州伝寺の「子育一時地蔵尊」 御霊まつり 



三春城下新町の天翁山州伝寺の「子育一時地蔵尊」 御霊まつり


本年度は、新型コロナウイルスの影響で規模を縮小して、役員の実の法要で執り行います。


子育て地蔵として、我が子を健やかに育てと願う親御さんたちの信仰を集め、八月二十四日には“御霊まつり“が開かれます。

わが子が、災いを被るようなとき一時お地蔵さんに、親代わりとなってわが子を守ってくださいとの願いを込めて参詣するといわれています。

やはり、戦前には出征するわが子を間もてくれることを願う、親御さんたち家族の参拝が絶えなかったといいます。


一時地蔵さんの由来には、いくつかの説があります。

親に先立って亡くなった子供達が、三途の川の”賽(さい)の河原”で、両親や兄弟たちを恋しがり、小石を積み上げ石の塔を築いてきます。
しかし、日が暮れると鬼達がやってきてそれを壊してしまいます。

それを哀れんだ地蔵菩薩が、子供たちを抱いて錫杖(しゃくじょう)の柄に取り付かせ、自分が子供たちの一時の親となって救ってくれると云れています。





私たちが子供のころの夏休みには、州伝寺の山内はラジオ体操の会場となっていました。

その頃は、一旦家に帰って朝食を食べ、その後に州伝寺の本堂に再度集まり、夏休みの宿題をみんなでしていた記憶があります。

そして、この一時地蔵尊祭典の時には、新町の盆踊りがあり、州伝寺の山内で盆踊りをしていたこともありました。

後に、盆踊りは弓町遊郭跡でも開催したこともありますが、本来のせり市場での盆踊りなります。

その頃になると、せり市場での盆踊りも、同24日でしたので、一時地蔵尊祭典に参拝し、綿あめと花火をもらったりしていました。






地蔵菩薩の縁日である8月24日に、死後に餓鬼道に堕ちた衆生のために食物を布施しその霊を供養する法要です。

お盆の施餓鬼とは、釈尊の弟子である阿難尊者が、一切の餓鬼に食物を布施し供養して、死を逃れ長寿を得たことに由来しています。





「賽の河原和讃」にうたわれるように、この世とあの世との境にあって、特に哀れな幼児を助けてくださるので、賽神(サエノカミ)や道祖神信仰と結びついているんでしょう。





春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂

| ryuichi | 04:08 | comments (x) | trackback (x) | 三春ノ信仰1 |
令和元年 鎮守田村大元神社(旧三春藩五万石領内総鎮守「大元帥明王」)の祭礼



三春城下新町の鎮守田村大元神社(旧三春藩五万石領内総鎮守「大元帥明王」)の祭礼を、今週末に控えて、その祭礼に奉納する「長獅子」と「三匹獅子」の練習にも熱がこもってきました。

本年の祭礼は、

7月13日(土) 宵祭り

7月14日(日) 本祭り







梅雨の時期独特の湿った気候、夕方の蜩、楽内のホタル、真照寺下セリ場の旗や大元神社山内の提灯、そして、この三匹獅子や長獅子の太鼓や笛の音を聞こえると「夏が来るんだなあ~」と思います。








300年は続いてきたんであろう、正に初夏の三春城下を彩る風物詩です。









田村大元神社の祭礼には、別火講中の一番組と二番組が各年交替で、獅子掛と祭典掛に分かれて奉仕しています.

今年の獅子掛は、一番組が担当します。

祭典掛は、二番組担当となります。






やはり、先輩が後輩に口伝にて教授しています。

私が現役の頃と同じ風景です。




自分の子供のような年代の者たちが主力となり、この伝統芸能である長獅子舞や三匹獅子舞を引率している光景は力強いものを感じます。




戦国時代、田村義顕公によって三春城が築城されて約500年

以来、三春城下の神事は今も変わらずに受け継がれてきました。

古の三春城下では、夏は疫病がはやり台風や洪水などに見舞われ、生き抜くことが難しい季節でした。

私たちの先祖は、この危険な夏を無事に生き抜くことが出来ますようにと夏に祭礼を行い神さまにに祈りを捧げてきました。

医学科学が進歩した現代にあってもその信仰は変わらず、祭礼に際し疫病・災難・厄除け・縁結び・長寿・商売繁盛そして豊穣などの祈りを神様に捧げています。







春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍

| ryuichi | 05:13 | comments (x) | trackback (x) | 三春ノ信仰1 |
平成三春古蹟漫歩「三春の切支丹」



三春の切支丹

今でこそ宗教の自由が憲法によって認められていますが、旧藩時代には、神仏以外の信仰は許されていませんでした。
特に、徳川家光以来禁制となったキリスト教は、厳しい弾圧が加えられていました。

しかし、根強い宗教の芽は、その弾圧をくぐり抜け、命詠を保ち続けます。

三春藩にも、その芽はあり、その遺跡が見られます。

城下荒町の龍穏院、本堂に向かって左手、平地の墓処に、梶塚家の墓があります。
いわゆる切支丹の墓です。
25基の碑が並んでいますが、最も古いのは、延宝九年戌午五月二十四日、離相独遠禅定門と刻まれているのか確認できます。
秋田輝季が藩主の時代で、今から300年余のものです。

また、他の墓碑も十字を刻んであり、巻外道○眞士というように、特殊な戒名が見られます。

文献によると、天明八年八月に記された公儀代官による「三春藩巡視録」に、“切支丹有無につき3名在藩離脱す“とあり、再詮議が厳しかったので、藩士中の墓石で十字をつけていた梶塚二郎兵衛のものを地中に埋め、申し開きの一礼を入れて事なきを得たと記されています。

梶塚家は200石で、屋敷は北町亀井水の近くでした。
祖先は、豊後守隆重(ぶんごのかみたかしげ)と名乗り、生国は上野国。
伊織という人の代になって秋田家に仕えています。
寛文の頃には、二本松藩の某家よりヤソという人が嫁入りしています。
多分、ヤソというのは耶蘇の意でありましょう。




二本松藩の藩主丹羽家は、織田信長に仕えた旧家だから、藩士の中には切支丹信者もあり、前城主松下家以来、三春との往来も続いていただろうから、その感化も考えられます。

武家は勿論、百姓町人の縁組にも、「嫁入持参申し渡一礼」にみられるように、切支丹疎遠が一筆記された一礼を持参させるなど厳重な禁制下に、国禁である切支丹信仰を保持することは、困難なことだったと想像されます。

三春地方のキリスト教の歴史は、恐らく戦国末期の慶長時代会津蒲生領の頃からと推定されますが、文献、遺構に乏しいのが現状です。

だた、旧中妻村斉藤新田に教堂がったと伝えられています。



春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂

| ryuichi | 04:59 | comments (x) | trackback (x) | 三春ノ信仰1 |
三春物語740番「二十三夜月待講」
「二十三夜月待講」
 
月待講というのは、一般にある特定の月の出を待ってこれを拝する行事とされています。
月齢によって、十五夜から二十六夜までさまざまな月待が知られていますが、もっとも多く行われたのが二十三夜待です。

ほぼ全国的にみられるもので、月待といえば二十三夜待をさすといってもよいほどです。多くは地域ごとに「講」が組織され、神道や仏教などの影響を受けながら継承されてきました。



月待講と称される行事は、現在も各地で細々と行われていますが、その実態は産泰講や庚申講、念仏講などとの習合が顕著で、内容も地域の社交的な寄り合いに終始しています。したがって、本来の月の出を待つという形態はほとんどみられなくなりました。



太陰太陽暦では、基本的に毎月23日に月齢二十三近い月がめぐってきますので、三日月信仰などと同じように、もとは月ごとにこれを祭っていたものと考えられます。



ただ、各地の記録をみますと、正月・5月・7月・9月・11月という事例がほとんどです。これは月待に限ったことではありませんが、陰陽五行思想の影響で陽の数である奇数月が重んじられた結果と思われます。


月見の名所2三春大神宮

勢至菩薩は二十三夜待の主尊とされますが、中世の月待板碑には「二十三夜待」の文字は表れていません。近世に入ると、月待信仰は各地で隆盛期を迎えます。
月待板碑に代って、さまざまな形態の月待供養塔が造立されるようになり、月待自体も目的に応じて講が組織され、多様化が進展しました。


月見の名所1愛宕神社から見たお城山と地酒三春駒の蔵元佐藤酒造の蔵

このうち、十九夜待と二十二夜待では女人講による如意輪観音を主尊とした安産祈願の行事が主流をなし、二十三夜待の信仰とは一線を画した展開がみられます。
江戸では都市文化のなかでも11月の二十三夜待は「霜月三夜」としてよく知られています。


月見の名所3天澤寺の境内からお城山を望む

| ryuichi | 05:01 | comments (x) | trackback (x) | 三春ノ信仰1 |
三春物語728番「三春城下の水神信仰」
水神信仰 


(新町末化粧坂井戸)

三春城下では、井戸や引水などの水辺にひっそりと佇む水神さまが祀られた丈六焼きの小さな社が見受けられます。
山間の城下町の三春の郷では、水は大切な資源でした。
そのため、人々は水神さまを水を恵む神として信仰するとともに、水害から守ってくれる神としても信仰してきました。



水は今の私たちにとっても大切な資源ですが、かつて水田耕作を行っていた人々にとって、田を潤し生活を支えるという意味で、水は重要な恵みでした。その一方で、大雨が降り洪水となれば、田も家も流され生活ができなくなります。

さらには、人間の生命の根元であり,汚物や穢れを払い清めてくれる存在ですが,その一方で一度大洪水が起きるとすべてのものが破壊尽くされてしまうように,人間にとっては恵を与えてくれる存在であると同時に恐ろしい存在でもあります。

こうした水のもつ2つの側面は信仰や儀礼のなかにも反映されており,湧水・井戸・用水路などには井戸神・水神・弁天など水を統御する神が祀られています。



また、雨と水を司る神である龍神は、主に海の神として漁師に信仰された神です。
龍とは古代中国における霊獣で、日本の龍神信仰も中国の影響を受けていると考えられています。



| ryuichi | 05:11 | comments (x) | trackback (x) | 三春ノ信仰1 |
大晦日

三春城下新町鎮守田村大元神社

毎月の晦日をつごもりともいい、十二月三十一日は大つごもりとも称し、一年最後のみそか、大晦日と言います。
 宮中では、大晦日には節折の式、大祓、除夜祭が執り行われ、神社では大祓の神事が行われました。
 大晦日から元日までの間に行われる行事を「年越し」と言い、。また、昔は誕生日ではなく、年が明けて初めて年を取る決まりでした(数え年)。
 そして、正月との境目となるのが「除夜」、一年の替わり目で、大歳・年の夜とも言います。
 除夜は年神を迎えるために、心身を清め、一晩中起きているのが年越しの習いでした。昔は、年神を迎える神聖な物忌みの夜であったのです。
 

真照寺

除夜には、新しい年の年神がそれぞれの家にやって来ます。
そこで、神様をお迎えする大事なお祭りを行うためこ、一晩中起きている”きまり”でした。
 このとき、「眠る」とか「寝る」という言葉を避けて、寝るときは「稲積む」、起きるときは「稲上げる」と言い換えて、たとえ眠ってしまっても、穀物と穀物の霊に感謝していることを示したのです。
 この夜早く眠ると白髪になるとか、しわがよるとかいった俗信があるのは、その名残のようです。
 現在でも、夜眠らないで元旦を迎える地方がある。
 その代わり、新年第一日日の元日は、一日中寝ている「寝正月」でよいのです。
 


神社ではこれを神事として行い、一晩中大筆火を焚いきます。
 今は、一日は午前零時に始まり、午後の十二時で終わりますが、大昔の一日の始まりは太陽が沈むときで、次の日に再び太陽が沈むときまでを一日としていました。
 つまり、昔の大晦日は、現在で言えば十二月三十一日の日没までだったのです。
 そのため、正月の準備は日没までに終わらせ、夜中から明け方にかけて、年神を迎えて祭る年神祭りをとり行ったのでした。

尚、明日1月1日元旦はお休みです。
初売り「二日市」は1月2日午前8時より

イチゴ大福 120円
道明寺桜餅 105円

先着150名様 粗品プレゼント! 

さすけねぇぞい三春!





| ryuichi | 05:22 | comments (x) | trackback (x) | 三春ノ信仰1 |