CALENDAR
S M T W T F S
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30  
<<  2017 - 06  >>
CATEGORIES
ARCHIVES
PROFILE
    k1
OTHERS




「水月観音堂桜」 常林寺山内田村三十三観音第二十四番札所水月観音堂中田町駒枝



端午の節句、ゴールデンウィーク前の定休日に、三春周辺のさくらの古木の皆様方に、花見商戦での売上堅調と無事終了のお礼がてら地蔵桜、水月観音堂桜、そして山田の天王桜に出かけてみました。




ご存知地蔵桜


郡山市中田町駒板に、田村三十三観音第二十四番札所の常林寺(曹洞宗)水月観音堂があります。

本尊の木造水月観音菩薩像は、南北朝期の作と伝えられています。


この常林寺境内に植栽されているシダレザクラ。

水月観音堂前に立っていることから、「水月観音堂桜」と称せられています。

駒枝をはじめ現中田地区は、旧三春藩領で戦国期の田村家家臣が秀吉による奥州仕置きで田村家改易した時に帰農した武士たちが住む集落です。





「補陀巌」の扁額が掲げてあります。
補陀巌とは、聞思修ともいいますが、仏の教えを聞き、その法を受容して自己の心中に思い浮かべ、反復理解し、教えの通りに実践修行してついに悟りに至るという三段階の修行の教えです。





三春城下の南、一里余旧芦沢村上山田にある「鷲峰山釈迦堂」です。



堂内には釈迦如来像が祀られています。





宇内には、大神宮の小さな祠ですが祀られてていて、その参道には鳥居があり、釈迦堂正面の参道には、彼岸と此処岸を分けるとされる池があり、神仏習合を垣間見れます。

また、「山田の天王桜」と称される桜の古木は見事で、滝桜の子孫と伝えられています。





天王桜・・もしかして牛頭天皇を祀っている神社があるんでしょうか?


調べなければ・・・






春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂

| ryuichi | 05:38 | comments (x) | trackback (x) | 田村三十三観音 |
三春物語591番「田村三十三観音第二十五番札所木目沢想照山福壽院観音寺十一面観音堂」
 

田村三十三観音第二十五番札所「想照山福壽院観音寺十一面観音堂」


三春城下の南二里余、旧木目沢村。


戦国大名三春田村氏の重臣木目沢式部内蔵助が城主を勤めた田村四十八舘木目沢城がありました。


その舘跡の麓にある田村三十三観音第二十五番札所「観音寺十一面観音堂」です。
十一面観音を安置しています。


眼下に見える、木目沢 想照山福壽院観音寺




大きな地図で見る

| ryuichi | 04:57 | comments (x) | trackback (x) | 田村三十三観音 |
三春物語587番「田村三十三観音第二十七番札所曹洞宗萬松山蓮蔵寺」




田村三十三観音第二十七番札所曹洞宗萬松山蓮蔵寺


三春城下の南二里余の旧下枝村は、戦国期の三春田村氏の重臣、橋本刑部少輔真綱が居城とした、田村四十八舘下枝城白石館、八幡館がありました。


現在、その一角には、田村三十三観音第二十七番札所聖観音堂のある、曹洞宗萬松山蓮蔵寺があります。
ご本尊は、釈迦如来です。


その境内は禅寺らしく管理が行き届いていて、心が洗われます。






大きな地図で見る

| ryuichi | 04:04 | comments (x) | trackback (x) | 田村三十三観音 |
三春物語566番「田村三十三観音第二十三番札所「南作観音堂」


三春城下の東一里余、旧芦沢村南にある、田村三十三観音第二十三番札所「南作観音堂」です。
馬頭観音を安置しています。

戦国期、三春田村氏の重臣芦沢修理太夫が東方与力二十五騎を率いて守護した田村四十八舘芦沢城がありました。



自然を相手にする農民は、人間の力が到底及ばない深遠で崇高な存在を皮膚で感じて、
それらを神仏として信仰するようになり、後に講が形成されてきました。
講とは集落の連帯感を深める場であり、農業技術や集落の行事計画といった情報交換を行う場でもありました。
さらに、講とは民間信仰であると同時に集落を支える大きな原動力でもあったと考えられています。



今や講等の風習は効率優先で消滅しつつありますが、喪失の代償を考慮すべきでしょう。

「講」には主婦だけの講である十九夜講(お念仏)等もあるが、講に共通する意識には、この 集落の一員となり、運命を共有する者同士が、代々受け継がれてきた田畑を守り、自然の恵みに対する感謝と畏敬の営みにより培われてきた伝統を絶やす まいとする気持があるように感じています。




大きな地図で見る

| ryuichi | 04:53 | comments (x) | trackback (x) | 田村三十三観音 |
三春物語94番 画僧雪村周継 「説門弟資」


画僧 雪村周継
戦国期の乱世を生きながら独自の画風を築いた画家に「雪村周継禅師」がいます。
雪村は、周継という法名をもち雪村は雅号です。
他に、鶴船、如圭、倹約斎、中居翁などの雅号も称していました。
雪村は、晩年に三春在の李田村に隠棲し、天正十七年、八十余歳の天寿を全うしました。
雪村の画風は、禅をその精神的支柱とする静的素材を中心とした水墨画に、荒々しく動的素材を組み入れ、気迫と活力を導き出すことによって緊張感のある美を創造している。

晩年の代表作に「自画像」がありますが、この作品では雪村の画観や自然観、そして人生観がその小さな画面に集約され、遠くを見つめるその瞳には、自らが辿って来た足跡をじっと見つめているかのようです。
天文十一年、常州辺垂にあって門弟に伝授した「説門弟資」に、
「画は、仙術のようなものであるから龍が雲を起こし、虎が風を促すように自在に描くべきである。形を描く場合、濃墨七薄墨三と考え、自然の幽玄を見て描き、その省略の仕方は師に学ぶべきであるが、筆力は己のものでなければならない」としています。

三春李田では、隠棲とは言え数多くの作品を残していますが、三春にはほとんど残っていません。
稀少の三春で確認されている作品は、
三春福聚寺「達磨図」伝雪村筆
西田今泉家所蔵「菁図」(嘉永五年木村明細書上帳記載)
田村大元帥明王学頭善法院宝物「三十六歌仙絵」(明治十二年田村郡寺社明細書記載)
 の三点ですが、大元帥明王所蔵「三十六歌仙」は所在不明になっている。



李田雪村庵の堂守りを代々していた会田家には、次のような「申し継ぎ」が伝承されています。
「雪村が没したときは、正月の持ちつきが始められていたので手伝いを求めることができず、会田家のみで野辺送りを営んだ。遺骸に経幾巻かを添えて葬った。
雪村の墓は、庵の西側にある梅を回り、右斜めに登った墓地の中央で、庵の真後ろにある丸みを帯びた板碑型の花崗岩自然石がそれである。(墓石はいつのころからか倒れたままになっている)
会田家の当主は代々、この墓石の周りを踏んではいけないこと、雪村の供養を怠らないことを繰り返し聞かされていたという。(三春町史1参照)
また、会田家伝承には、庵には雪村桜と呼ばれる枝垂れ桜の古木がり、その傍らに泉水があり、その泉水で雪村自ら紙を漉いていたと伝えられている。
雪舟に私淑したといわれますが、「説門弟資」の中に
「余は、多年雪舟に学ぶと云へども、画風の懸隔せるを見よ、如何」と残し、画に対する雪村の凄まじいほどの気迫が感じられます。
尚、雪村の三春における門弟には、雪洞、祖宗、雪閑、等清らがいるとされています。



後、雪村庵に住した福聚寺第十七世 琢道祖球和尚大禅師により、田村三十三観音が規定されます。





| ryuichi | 10:51 | comments (0) | trackback (x) | 田村三十三観音 |
三春物語196番 「駒板水月観音堂」


郡山市中田町は、旧三春藩領ですが戦国期の田村家家臣が秀吉による奥州仕置きで田村家改易した時に帰農集落です。
駒板。
この集落は、駒板の地名が示すとおり田村騎馬衆の軍用馬の産地として名をはせました。



駒板に、田村三十三観音第二十四番札所の常林寺(曹洞宗)水月観音堂があります。
本尊の木造水月観音菩薩像は、南北朝期の作と伝えられています。

<

「補陀巌」の扁額が掲げてあります。
補陀巌とは、聞思修ともいいますが、仏の教えを聞き、その法を受容して自己の心中に思い浮かべ、反復理解し、教えの通りに実践修行してついに悟りに至るという三段階の修行の教えです。





春には、樹齢100年を超すであろう、水月しだれ桜が可憐な桜花を咲かせます。


観音堂の上には見渡権現が鎮座しています。








| ryuichi | 06:52 | comments (0) | trackback (x) | 田村三十三観音 |
三春物語81番 「田村三十三観音雪村庵聖観音堂」


田村三十三観音 雪村庵聖観音堂
 


先日、天気がよかったので、子供たちを連れて三春駅西側にある雪村庵とその裏山の竹林の散策にいってきました。
雪村庵は、戦国時代後期の画僧雪村周継の庵跡を雪村死後再興された観音堂で、田村三十三観音の最終第三十三番札所です。
雪村は、俗名を田村平蔵といい常陸の戦国大名佐竹氏の一族に生まれましたが、出家して僧侶となりました。元来絵が好きで、雪舟に師事して絵を学び、画僧として諸国を渡り歩きました。
晩年に三春に至り御免町恵日山福聚寺の住職を努めましたが、後隠棲して現地に庵を結び、創作活動を続けながら充実した余生を過ごしました。



桜に時期は、案内板にある「梅桃桜雪村庵」が示すように樹齢数百年のしだれ桜と老梅がありそれぞれ「雪村桜」「雪村梅」と呼ばれ、趣があるのですが、私は、晩秋の紅葉と竹林が織り成す自然のコントラストの中に静かに佇む雪村庵が気に入っています。




第一番札所、芹ヶ沢公園内にある清水寺の千手観音にはじまる田村三十三観音は、旧三春藩領内である、三春町を含む田村郡内と郡山市中田町や西田町に観音堂が点在し、第三十三番札所、西田町雪村庵の聖観音に終わります。
三春町内近郊には、一番清水寺の外に、二番福聚寺十一面観音や、三番華正院馬頭観音堂、四番渋池来迎寺別当霊光庵(廃寺)、二十九番根本東光寺馬頭観音、三十番滝龍光寺馬頭観音、三十三番貝山観音聖観音、三十二番鷹巣善応寺聖観音があります。
その観音様を納めるお寺やお堂は、戦国期から現在に至るまで、広く三春そして田村の民衆に親しまれてきましたが、一番芹ヶ沢清水寺などは訪れる人もなく、山中で朽ち果てるばかりで、四番霊光庵は廃寺となり今は形もありません。
この田村三十三観音の各お堂には、三十三観音霊場巡礼記念の御木札が数多く奉納されていて現在も観音様の慈悲にすがる民衆の姿に心を打たれます。



民衆の信仰の中では、地蔵菩薩などと同じように、この世に生きて苦悩するものの嘆きの声を、救いを求める切実な祈りの声をよく聞いてくれるとされています。また、それに応じて救いの手を差し伸べてくれる仏様として古来より仰がれています。
私たち日本人は、無宗教と云われていますが、彼岸やお盆のときなどに、お墓参りをしたり、道端のお地蔵さんに花を手向けたり、手を合わせたりしていると思います。
また、私なども子供のころから家の神棚や、仏壇に手を合わせる祖父母、両親の姿を見て、意味は判らなくても拝む・仰ぐということが自然にはぐくまれてきたように思います。
 


雪村庵は、戦国時代後期の画僧雪村周継の庵跡を雪村死後再興された観音堂で、福聚寺住持一元紹碩によって「桜梅山雪村庵」と名付けられました。
田村三十三観音の最終第三十三番札所です。雪村は、俗名を田村平蔵といい常陸の戦国大名佐竹氏の一族に生まれましたが、出家して僧侶となりました。



元来絵が好きで、雪舟に師事して絵を学び、画僧として諸国を渡り歩きました。
晩年に三春に至り、御免町恵日山福聚寺の住職を努めましたが、後に隠棲して現地に庵を結び、創作活動を続けながら充実した余生を過ごしました。
 桜に時期は、案内板にある「梅桃山雪村庵」が示すように樹齢数百年のしだれ桜と老梅がありそれぞれ「雪村桜」「雪村梅」と呼ばれ、趣があるのですが、私は、晩秋の紅葉と竹林が織り成す自然のコントラストの中に静かに佇む雪村庵が気に入っています。





言い伝えによると、宇内にサルスベリの古木があり、それを移植しようとした六人の作業員が、皆若くして変死したという怖い話も伝えられています。




| ryuichi | 15:37 | comments (0) | trackback (x) | 田村三十三観音 |