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「身代り地蔵尊祭礼」 御供物の菊落雁 天澤寺山内 令和元年




例年、三春城下清水の天澤寺様よりご用命いただいている「身代り地蔵尊祭礼」御供物の菊落雁です。


紅白の菊落雁です。







地蔵盆「身代り地蔵尊」祭礼


平成26年8月24日(日) 午前十時30分より







安寿と厨子王伝説の残る「身代り地蔵尊」堂です。



当日は、法要とご詠歌があります。








地蔵盆の由来には、いくつかの説があります。

親に先立って亡くなった子供達が、三途の川の”賽(さい)の河原”で、両親や兄弟たちを恋しがり、小石を積み上げ石の塔を築いてきます。
しかし、日が暮れると鬼達がやってきてそれを壊してしまいます。

それを哀れんだ地蔵菩薩が、子供たちを抱いて錫杖(しゃくじょう)の柄に取り付かせ、自分が子供たちの親となって救ってくれると云れています









この話に元基づいて、地蔵菩薩を建立し、こどもの幸福を祈る民間信仰としてで広まったといわれています。

また、地蔵菩薩の縁日である8月24日に、死後に餓鬼道に堕ちた衆生のために食物を布施しその霊を供養する法要です。

お盆の施餓鬼とは、釈尊の弟子である阿難尊者が、一切の餓鬼に食物を布施し供養して、死を逃れ長寿を得たことに由来しています。







尚、三春城下の地蔵盆は、この天澤寺身代り地蔵尊の他に、新町の州伝寺「一時地蔵尊 御霊まつり」、「丈六地蔵尊祭礼」も行われ、子どもたちの無病息災を願い町の方々が、参拝に出かけています。





春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍

| ryuichi | 04:59 | comments (x) | trackback (x) | 三春ノ信仰2 |
天翁山州伝寺の「子育一時地蔵尊」 御霊まつり



三春城下新町の天翁山州伝寺の「子育一時地蔵尊」 御霊まつり

子育て地蔵として、我が子を健やかに育てと願う親御さんたちの信仰を集め、八月二十四日には“御霊まつり“が開かれます。

わが子が、災いを被るようなとき一時お地蔵さんに、親代わりとなってわが子を守ってくださいとの願いを込めて参詣するといわれています。

やはり、戦前には出征するわが子を間もてくれることを願う、親御さんたち家族の参拝が絶えなかったといいます。


一時地蔵さんの由来には、いくつかの説があります。

親に先立って亡くなった子供達が、三途の川の”賽(さい)の河原”で、両親や兄弟たちを恋しがり、小石を積み上げ石の塔を築いてきます。
しかし、日が暮れると鬼達がやってきてそれを壊してしまいます。

それを哀れんだ地蔵菩薩が、子供たちを抱いて錫杖(しゃくじょう)の柄に取り付かせ、自分が子供たちの一時の親となって救ってくれると云れています。





私たちが子供のころの夏休みには、州伝寺の山内はラジオ体操の会場となっていました。

その頃は、一旦家に帰って朝食を食べ、その後に州伝寺の本堂に再度集まり、夏休みの宿題をみんなでしていた記憶があります。

そして、この一時地蔵尊祭典の時には、新町の盆踊りがあり、州伝寺の山内で盆踊りをしていたこともありました。

後に、盆踊りは弓町遊郭跡でも開催したこともありますが、本来のせり市場での盆踊りなります。

その頃になると、せり市場での盆踊りも、同24日でしたので、一時地蔵尊祭典に参拝し、綿あめと花火をもらったりしていました。






地蔵菩薩の縁日である8月24日に、死後に餓鬼道に堕ちた衆生のために食物を布施しその霊を供養する法要です。

お盆の施餓鬼とは、釈尊の弟子である阿難尊者が、一切の餓鬼に食物を布施し供養して、死を逃れ長寿を得たことに由来しています。





「賽の河原和讃」にうたわれるように、この世とあの世との境にあって、特に哀れな幼児を助けてくださるので、賽神(サエノカミ)や道祖神信仰と結びついているんでしょう。





春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂

| ryuichi | 04:42 | comments (x) | trackback (x) | 三春ノ信仰2 |
三春物語624番「月見」
日本では、古くから秋の名月を鑑賞する「お月見」の風習があります。
お月見というと旧暦八月十五日の十五夜(今年は9月22日)がもっとも有名ですが、日本では古来もうひとつ旧暦九月十三日の十三夜もまた美しい月であると重んじていました。
> 今年の十三夜は10月20日

中秋の名月(十五夜)はもともと中国で行われていた行事が日本に伝来したものですが、この十三夜の月見は日本独特の風習だそうで、一説には宇多法皇が九月十三夜の月を愛で「無双」と賞したことが始まりとも、醍醐天皇の時代(延喜十九年:西暦919年)に開かれた観月の宴が風習化したものとも言われています。

一般に十五夜に月見をしたら、必ず十三夜にも月見をするものともされていました。これは十五夜だけでは、「片月見」といって忌まれていたからです。

十五夜はサトイモなどを供えることが多いため「芋名月」と呼ばれていますが、十三夜は「栗名月」とか「豆名月」と呼ばれています。これはお供えとして栗や豆を、神棚などに供えるからだそうです。中秋の名月の後なので、「後の月」と言われたり、「小麦の名月」と呼ぶ地方もあります。これは旧暦九月十三日の晩のお天気で、翌年の小麦の豊作、凶作を占う習慣から来ています。

十五夜はあまりすっきりしない夜空であることが多いのに対し、十三夜の夜は晴れることが多いようで、「十三夜に曇り無し」という言葉もあります。


| ryuichi | 04:26 | comments (x) | trackback (x) | 三春ノ信仰2 |
三春物語623番「秋の彼岸」
お彼岸

春分、秋分の日をはさむ前後七日間を彼岸です。
初日は彼岸の入り、中心の日は中日、最後の日を彼岸明けといって、合わせてこの七日間は、各寺院、家庭で彼岸会の法要が行なわれています。
「春分の日」は「自然をたたえ生物をいつくしむため」に、また「秋分の日」は「祖先を尊び、亡くなった人をしのぶため」に、国で祝日に定めているように、彼岸は、あの世(彼岸)の死者の安らかな成仏を願うという意味にあてられているます。

仏教では、生死の苦しみに迷う現世を此岸と言い、悟った捏磐(ねはん)の境地を彼岸と言います。
この彼岸が、なぜ春分、秋分の日と結びついたかというと、浄土三味経に八王日(立春春分、立夏夏至、立秋秋分、立冬冬至に善行を修すべし)の思想があり、また春分と秋分が、昼夜等分で長短のない中道の時で、仏道もまた中道を尊ぶところから、この時に仏事を行なうという考え方が生まれたと言われています。

彼岸の習俗としては、寺参りや墓参りをして亡き人を供養し、家庭では仏壇を清めて精進料理やおはぎ・ぼたもちを供え、親類知人に配るなどが一般的です。


年に2回(春・秋)のお彼岸には、お盆のときのように特別な飾り方などはございません。
お仏壇をきれいに掃除し、お供え物(菓子・花など)も新しくして菩提寺とお墓へのお参りをしましょう。


| ryuichi | 04:25 | comments (x) | trackback (x) | 三春ノ信仰2 |
三春物語625番「秋の社日 田の神様・山の神様」
社日は生まれた土地の神様(産土神)を祀る日です。
春と秋の2回行われ、春のものを春社〔しゅんしゃ/はるしゃ〕、秋のものを秋社〔しゅうしゃ/あきしゃ〕といいます。
春分(3月20日頃)と秋分(9月23日頃)のそれぞれに最も近い戊〔つちのえ/いぬ〕の日を指します。
「戊」という文字には「土」という意味があります。

田の神様・山の神様
産土神は元々はその地の守護神ですが、社日に見える産土神は守護神というよりその土地の生産力を司る神の意味が強いようです。
日本の農業神としては田の神・山の神信仰があります。
田の神様はまた同時に山の神様でもあって、春になると山から下りて田の神 となり、収穫が済んだ秋には再び山へ帰ってゆくと言う神様です。
農業が主要な産業であった日本ではこの田の神・山の神を信仰し、これを祀る多くの年中行事がありますが、中国から渡って来た社日は、元々が土地の神を祀る行事でしたから、土地の生産力を司る田の神信仰と上手く結びついて、春社は田の神を迎えて秋社は田の神を送る行事と考えられるようになりました。そしてそれはまた、農作業の始めや終わりの一つの目安ともされました。

社日を祝う習慣は元々中国にありました。
その土地の守護神であった「社」を祀り、作物の豊熟を祈ったことが始まりとされています。この風習が日本に入ると、土地の神様を信仰する習慣と融合して全国に広がり、一般的に豊穣を祈願する節日になったといわれています。
古来から自分の土地の神様をとても大切にしていた日本人には、受け入れやすい風習だったのではないでしょうか。

社日の禁忌
社日は元々土地の神様、また農耕を司る「土の神様」の日と考えられますから、この日に土をいじる、掘り起こすなどの行為を忌む風習があります。
土いじりは神様の歩行を妨げるとか、土掘りは神の頭を掘ることだとか考えられたようです。

最近は「彼岸行事」は盛大に行われますがこの社日は彼岸に呑み込まれてしまって影が薄くなっています。
ご近所の神社に、立ち寄って土地の守護神にお参してはいかがでしょうか。


| ryuichi | 04:32 | comments (x) | trackback (x) | 三春ノ信仰2 |
三春物語620番「施餓鬼供養」
死んでも祀る人のいない「無縁仏」や、事故や災害にあって死んで成仏できない「餓鬼」は、人に災害をもたらす特に危険な存在なので、ていねいに祀られます。
 無縁仏や餓鬼を祭るには、「餓鬼棚」という特別の盆棚を作ります。
  餓鬼棚は、一般に井戸のそばや屋根の下の雨垂れ落ちに置かれます。



井戸のそばに祭るのは、昔、井戸があの世とこの世の通路であると考えられていたからといわれています。
無縁仏や餓鬼が井戸から出てきても、祀る人がいないとそこに集まってしまうので、井戸のそばで祀らなければならないとしたのでした。
また、寺では、無縁仏や餓鬼を送りだすために「施餓鬼供養」を行います。
 川や掘割が縦横に走る三春は水死者が多く、その霊を祭るために各川で「川施餓鬼(かわせがき)」の供養が行われています。



人は死すると、当然のことですが自らの身体を維持する機能が停止してしまいます。
自らの身体を維持できないと言うことは亡くなった方の遺体は腐敗が徐々に進み、更に時間が経てば蛆虫等もわいてきます。
想像したしただけでも大変に気持ちの良い物では有りません。
そんな死を不浄なものであると忌み嫌う遺伝子が今の我々の中にも存在しているのではないでしょうか?
日本人は「死」と言うことを忌み嫌います。
そして死体を凄く怖がります。
これは昔の人だけでなく現代を生きている我々にも共通していることではないでしょう。
自分の身内で生前良く可愛がってくれた、おじいちゃん・おばあちゃんでも死んだ瞬間から怖い存在なると勝手に思ってしまうところが、今でもないでしょうか?
日本人は昔より死は不浄なものと意識してきました。
死は恐ろしいもの不浄なものと意識してきました。





| ryuichi | 04:44 | comments (x) | trackback (x) | 三春ノ信仰2 |
三春物語453番「奪衣婆」
人間は、死後「三途の川」を渡っていくと言われている。

 三途の川は、3カ所の渡り場所(強深瀬、山水の瀬、橋渡)があることから、このように呼ばれている。
 生前になした善悪の程度によって渡る場所が違い、悪人は強深瀬を、罪の浅いものは山水の瀬を、善人は橋渡をそれぞれ渡る。
 向こう岸に待ちかまえている(だつえば)が渡し賃(六文銭)を持たないものの着物をはぎ取り、懸衣翁がそれを川の畔にある大樹(衣領樹)に架ける。その者の生前の悪行により枝のたれ方が異なり、善人ほどよく垂れるそうだ。



| ryuichi | 05:40 | comments (x) | trackback (x) | 三春ノ信仰2 |