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岩井澤舘(城) 都路



岩井澤舘(城) 都路

舘主 赤石沢修理亮



天正17年6月10日、 相馬義胤は岩井沢城 (都路) に侵攻してを攻め落とします。

さらに、相馬義胤は、岩井沢舘に布陣し、 稲ヶ瀬・常盤城を攻めます。

城主赤石沢修理亮以下 300 人、 伊達の加勢桑折摂津守以下 300 人がこれを守備、 数日にわたり攻防を繰り返したのち、 相馬勢は外郭を落とし、三の曲輪をも破ります。

二の丸も危うく思われたころに、 田村宗顕は橋本刑部 田村宮内大輔に 500 を差し添えてここに入れたので、 本丸 二の丸は堅固に持ちこたえました。

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天正17年6月11日、 会津の本城黒川 (後の若松) にはいった政宗はこの報に接して、伊達成実 白石宗実 ・ 原田宗時・平田周防守に3千を差し添えて三春に派遣し、さらに伊達 ・ 信夫・ 刈田・柴田の勢を150騎、 塩松に遣わします。

佐竹 岩城 ・ 相馬の軍勢は7月まで対陣したが、 三春を攻められずに、ついに帰陣した。




※赤石澤氏について、『奥相茶話(おうそうさわ)』の中に、慶長五年(1600年)草野の夜盗頭・赤石沢喜七郎の記載有。

この赤石澤氏との関連を調べたいと思います。



三春城下真照寺参道 御菓子三春昭進堂菓匠蒼龍



| ryuichi | 03:12 | comments (x) | trackback (x) | 田村四十八舘2 |
将監舘  廣瀬 田村四十八舘



将監舘  廣瀬 田村四十八舘

三春田村氏の臣、吉田将監の居舘。

滝根町大字廣瀬の南東にありました。




三春城下真照寺参道 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍


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西牧館跡  田村四十八舘



西牧館跡  田村四十八舘

旧飯豊村大字小野山神字八升蒔きに在り

舘主は、田村氏の臣 西牧文九郎が居住

戦国時代末の天正十四年、三春城主田村清顕と会津城主芦名氏との安子ヶ島に於いて合戦の時に西牧氏戦死。


安子ヶ島地内にそのお墓があると伝わっています。




田村郡郷土史参照



三春城下真照寺参道 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍

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七郷 鎌場舘跡 田村四十八舘




七郷 鎌場舘跡 田村四十八舘

七郷村大字堀越に在りました。

佐藤左近が居住と記されています。


堀越八幡神社、及び花園神社は佐藤氏の勧請したと伝わています。


田村家の家臣達は、田村庄及び小野保(現在の小野町)に、後に云う田村四十八舘を築き、それぞれ本拠として防備の為に領していたが、三春城下にも屋敷を与えられ、三春城の一郭を成し非常時に備えていました。

月斎以下重臣屋敷が城近くに配置され三春城の防御の要を成し、常に田村家に近侍する直属の旗本不断衆千騎の屋敷も城近くに集中していました。





三春城下真照寺参道 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍



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鶴ヶ城  旧二瀬村大字田母神 田村四十八舘




鶴ヶ城  旧二瀬村大字田母神 田村四十八舘


旧二瀬村大字田母神にありました。


三春田村氏の祖、田村持時の築城で、世々田村一門が居城し、田村氏の支城であったと伝わっています。


三春城下真照寺参道 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍





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槻木内舘  小野新町 田村四十八舘




槻木内舘  小野新町 田村四十八舘



三春城主田村氏の臣、郡司主膳の居舘

小野新町大字小野新町にありました。

前面に小野市街地を見渡せる南西、小野本城と相対しています。

三春田村氏、小野城主田村梅雪等の没落後帰農しています。

現在もその子孫が、麓に居住しています。









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将監舘跡  田村四十八舘



将監舘跡  田村四十八舘


旧中郷村大字根本の中部に在り。


長作(永作)将監の居住したと伝わっています。


田村郡郷土史参照








将監舘の将監とは通称官位銘です。


生まれてからつけられる名前が「幼名(ようめい、ようみょう)」。

一般的には、成人にあたる「元服(げんぷく)」まで、この幼名が使われていました。

元服すると、「諱(いみな)」が与えられ、これが実名、本名ということになります。
ここでの諱とは「忌み名」という意味合いをもっており、生前に実名を口に出すこと、人前で明かすことは禁忌とされていました。

主君でも家臣の実名を言うことは相手を侵す非礼とされていました。
「実名敬避俗」ということになります。

これは、実名を敬って避けることで、諱(いみな・実名)で呼ぶことは原則許されず、人との会話で名前を呼ぶことはありえなかったとしています。

仮に呼ぶとしても、戦国時代以降に進んだ農兵分離がある程度確立した時代以降に於いての主君が家臣を呼び捨てる場合だけで、対等な立場や主従しているだけの外様に対して名前で呼ぶことはありえません。

ましてや目上の者を名前で呼ぶなど無礼極まりない態度とされていました。

本名にはその人物の霊が宿ると考えられていたからです。

諱という漢字が関連していると考えられます。

日本語では「いむ」と訓ぜられるように、本来は口に出すことがはばかられる言葉とされていました。

また、諱という漢字は、古代に貴人や死者を本名で呼ぶことを避ける習慣があったことから、転じて人の本名(名)のことを指すようになったとされています。


三春城下真照寺参道 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍


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